第七五話 歯車 十一
仄暗く広い部屋、数本聳える石柱の向こうに佇む道化達はすぐにこちらに気付いた。
「おやおや! そちらからいらして頂けるとは」
室内に道化の声が反響する。
柱脚傍に転がされているリーンとチタンも顔を上げた。
「ミサス!」
「カジは、カジは無事なのか、リーン!」
リーンの前に道化が立つ。
「ご安心を、少し溺れただけで息はあります」
……カジ。
「お前達は……、お前達は何者なんだよっ! こんな回りくどいことをやらせて……、挙句に……殺し合いをしろだとっ!? ふざけるなよっ!!」
道化は一度開きかけた口をつぐんだがそれも僅かな間だった。
「まづ先に幾らかの回り道をさせてしまったことはお詫びしておきます。こちらにはこちらの事情がありましてね。しかし概ね、必要なことだったのです。メイアであの子等を連れ出し、このカルノレアの地下迷宮に貴方方を招き入れ、そしてミサス」
燭台に揺らめく火が白面を闇に際立たせる。
「最後に貴方がその命を賭して殺し合うことが、この物語のクライマックスを飾るのです」
一瞬、僕はまだあの舞台の続きが演じられているかの様な奇妙で現実離れした感覚に囚われた。
「……。なんで……そんなことに何の意味が……。キル達を……リーン達を返せよ! それさえ、それさえ約束してくれるだけで……。僕はお前らを殺したいなんて、これっぽっちも思ってないんだ!」
道化は首を横に振る。
「残念ですがその申し入れは受けられません。そして貴方の意志如何に関わらず、このヴェラと2人の男は確たる殺意を持って貴方に襲い掛かります。即ち一方の命が絶たれることでしか決着はないと御承知おき下さい」
淡々と説明する道化をリーンが睨み上げ、叫んだ。
「誰が見たってこんな事馬鹿げてるわよっ。
大体こんな大掛かりに町中の施設や人を利用してきて、カルノーの警察が動いたらアンタ達なんかすぐに捕まるに決まってるじゃないっ」
「クックック、心配には及びません。一地方の警察組織の権限など如何程のこともありません、あの御方にとっては」
「……?」
「今回のことに関わった人間、例えば劇団員達から被害届けを受けた警察がレヴェリーを調べたところで我々は勿論、その経営者達にすら捜査の手が届くことは決してありません」
そこまで言った道化が再び僕を見る。
「そしてミサス。ここまで辿り着くことができた時には、その御方から貴方に御名を伝えるよう言い付かっているのです」
「伝え、る……誰が……」
「デスニア・ヴ・ロア」
「ロ……ア……」
「そうです。この中央大陸の七割を直轄、属領とするデスニア皇国皇帝デスニア・ゾ・ガノサ陛下の第一皇子にして次期皇位継承者と目される方。貴方が記憶を失っているとはいえそれぐらいのことは御存じでしょう」
ユイグが予想していた教皇ではない。
ロアが……デスニアの皇子が今回の事件の黒幕。
ブレアールの地下聖堂で見た金髪に鎧甲冑、獅子をあつらえたマントの後ろ姿が蘇ってくる。
ロアは一体どうして僕に……。
背中をユイグに支えられ、僕は後ずさっていたことに気付いた。
「ちょっと驚いたなぁ、ミィ。列車の中でお前が見せたあの殺気にも相応の因縁があったってことか……?
まったく、お前過去に何をやらかしてきたんだよ」
答えようがない。明確な回答が無い。
あの夢の話がどこかから何か展開し僕の方がロアに恨みを抱くようになるというのは可能性として有り得ることだと思っていた。けれどわざわざロアの方から僕に関わってくる理由など全く思い浮かばない。
たまらず僕は口を開いた。
「教えてくれ、僕はロアにどう関わったんだ、ロアは僕に……僕達に何をしたんだ!? 本当にあの空襲は……」
だが道化は静かに首を振った。
「皇子と貴方の繋がりについては我々も聞いていません。そしておそらくここで命を落とすであろう貴方がこれ以上知る意味も無いのだと、私はそう思います」
受け入れ難い。今回これだけの危地をわざわざ設えたロア達の不可解さ、不気味さを。そこまでして一国の皇子が関与してくる重大な事象に過去の自分が関わっていたという現実を。
ただ、確かなのはこの憎しみだけ。この憎しみが紛れもなくロアという人間に向いてるということ、それだけ……。
けれど内に篭りかけた思考は道化の傍に立つヴェラとかいう女の一声で打ち切られた。
「さあ、もう十分だろう! 答え合わせの時間は終いだよ!
これ以上長くなってそこの大男が目を覚まして暴れ出しでもしたら面倒なんでね」
連中もジョストでのカジの活躍を見ていたのかもしれない。できればこの今カジに目覚めてほしいが、その背中は全く動かない。
再び緊張を高める僕の後ろから、ユイグが前に出て返す。
「ああっと、もう1つ重要な話があるだろう? 人質のガキ達はどこにいるんだ。それを聞かないうちはこのミィも殺し合いなんて物騒な話乗れないぜ」
道化は微笑みながら後ろの入り口を親指で指してみせた。
「なるほどね。そういやそのことだけどリジーニって茶髪のガキもオタクら監禁してるよな?」
「リジーニ。……はて、存じませんね。我々が連れ出したのはメイアの2人の子供だけです」
「冗談だろう? ミィ達が追ってきたガキ達と道化とは全く別のペアの目撃情報だってあるし手口は……」
ユイグは急に口をつぐみ、それきり沈黙が流れた。
しばらくして道化が首を傾けユイグをじっと見つめた。
「貴方一体……」
無表情で問いを投げかけた。
「誰なんですか?」
もしもこの時の僕が普段通りの僕であったなら、その奇妙な質問を気に留めたかもしれないが。
「誰、って……」
そう返したユイグの背中がひどく薄いものに見えた気がした、それだけだった。
その後のユイグはもういつものとぼけた調子に戻っていた。
「ゆきずりの便利屋だよ、便利屋。皇国から目ェ付けられるミィに比べたら取るに足らない虫けらみたいな存在のな。オタクが期待するような秘密めいた経歴なんてこれっぽっちも持ち合わせてないって」
「そうですか。……まあいいです、ならば詳しい話はバトルの後でその体に直接聞くとしましょう。
どちらにせよ貴方とは劇場の続きをやるつもりでしたし」
「はは……。まいったね、どうも」
ユイグが首の後ろに片手をやりながらまた僕の斜め後ろへと下がる。
一方の道化は再び僕を見て、遂に宣戦した。
「ではミサス。再会したばかりで名残惜しくもありますが。
皇国繁栄の礎となれる至福の中で命の限り抗い、そして散りなさい」
その言葉が終わった時、僕は背中を押された。
「行けよ」
たったそれだけ、愉しげに冷たく囁いてユイグも離れていった。
間もなくヴェラの『始めなッ』という掛け声で男達が僕目掛けて走り出してくる。その手に握られた刃物を認め、僕も柄を握る震える右手に力を込めた。劇場で抜けなかったそれを遂に抜いた。
「まずはその2人を殺すんだよっ! 自分が殺される前にね!
それが出来たらこの私が相手をしてやるよ!」
響き渡る鋭い声に応じる間も無く戦闘は始まった。
初撃を避けるべく左後ろへ退いたのをきっかけに、とにかく攻撃を受け止めず、二人を一度に相手にしない位置取りを意識してその連撃を凌いでいった。だが身体が緊張のせいか思うように動かない。躱し切れなかった斬撃がジャケットの袖を斬り、動きが更に鈍ったところへ突き出された剣先が太腿をかすめた。更に続いた横薙ぎを必死に撃ち払った際にバランスを崩して左手を突いてしまい、そこを襲った攻撃から逃れるべく石畳を無様に転がった。のも束の間、巨大な角柱にぶつかり、それを背にしながら何とか身体を起こすとそのまま柱沿いに再び逃げた。
追ってくるのは1人。もう1人は反対側から回り込んでくるのかもしれない。挟撃はまずい。
僕は1つ目の角を曲がったところで反転し柱壁の影から斬り付けた。しかし意表を突いたつもりの戦法は裏目に出た。剣で受け止めてきた相手とそのまま鍔迫り合いになってしまったのだ。相手は僕より上背があって押し勝てない。かといって反対側からはもう1つの足音が迫ってくる。このままでは確実に後ろから斬られる。
死。それを意識した途端体中の血が沸き立つような戦慄を覚えた。
ヤバい。どうする。本当に死ぬ。一瞬の間にそれらの言葉が過ぎり、最後に1つの決断をしてやぶれかぶれの賭けに出た。全力を込めて押す。相手が負けじと更に押し返してくる。そのタイミングで上半身の力を抜きながら後ろへ倒れ込んだ。不意を突かれた相手も覆いかぶさるように倒れてくる。その下腹部を右足で思い切り突き上げた。
相手は宙高く弧を描き、数メートル先の石畳へ背中から落下した。
突然の展開にもう1人が気を取られている隙に僕は落ちていた敵の剣を拾い立ち上がる。投げてやった方はダメージが大きかったのか起き上がってこない。
以前西大陸へ向かった船上でカジから教わった技を試したのだが想像以上に上手くきまった。運が良かったとはいえ敵が1人減ったことで気持ち的にかなり楽になり、少し離れた所でユイグと道化が戦っていることも視界に入るぐらいの余裕ができた。道化が二刀の短剣を使っているのに対しユイグは何と素手で応戦している。どちらが一方的に押してるという感じではないようだ。
そして何より、今の投げ技でとても重要なことに気が付いた。殺さなくても敵を止めることが出来るのだ。リーン達を救い出す邪魔を出来ない程度にダメージを与えられれば、奴等の要求通りに殺し合いに付き合う必要は全くないということだ。
一対一。しかもこちらは二刀。疲れはあるがさっきまでの緊張は幾分和らいだ気がする。
活路を見い出して勢い付いた僕は攻めに転じた。狙うべきは相手の脚もしくは腕。動きを止めるか武器を手放させる。最後は剣の腹で殴って失神させよう。そう目論んで攻撃を繰り出していったのだが、その通りに事は運ばなかった。
相手は追い詰められたことで寧ろ猛然と反撃に出てきたのだ。僕は先程より優位な状況であるにも関わらず何度か危うい攻撃に晒され後退した。相手が捨て身で攻めかかってくるせいかリズムが乱れてどうにもやりづらい。そして想像以上だった二刀の重さとその扱い難さに苦しめられた。その結果、僕はミスを犯してしまった。
呼吸を整え、間合いに踏み込むべく地を蹴った。その右足に突如何かが掴まり、バランスを失った僕は石畳に突っ伏した。何が起きたのか確認する間も無くうつ伏せから急いで身体を起こそうとしたその背中へ、誰かが馬乗りで抑え込んできた。何と先程投げ飛ばした男である。目の前の敵に気を取られ足元への注意が疎かなまま、倒れたままもう起き上がらないだろうと思い込んでいた男の近くに踏み入ってしまっていたのだ。
背中に乗られ両手首を押さえられた為に顔を上げることしか出来ない。
今の今迄相手をしていたもう一人が歩み寄ってきて、僕がかろうじて握っていた左手の剣を蹴り飛ばした。
「へっへっへ。大分手こずらせてくれたな」
「くっ……そッ!」
こんな所で死ねない。何をしてでもリーン達を、リーン達だけでも助けないと。
両腕にあらん限りの力を込めてもがいた。だが横顔を蹴られて結局押さえ付けられてしまった。
「往生際が悪ぃんだよ、諦めろやッ!」
「……!」
リーンとチタンが僕を案じて叫ぶ声が聞こえる。
別の方向からはユイグがまだ戦闘を続けている音も。
こんな所で。無念さに目を強く瞑った。
だが、いくら待ってもその最後の時が訪れない。
恐る恐る目を開けると、目の前にヴェラが来ていた。いつの間にか彼女の手には細長い棒状の物が握られている。仕込み杖のような物か。
「さてと、バトルは終わりだ。思ったよりは楽しませてくれたけど」
彼女はしゃがみ、僕を覗き込んできた。
「アンタを殺す前に一つだけ確認しときたいコトがあるんだよ」
睨み返す僕に構わずヴェラは続ける。
「信じ難いんだけどさぁ。アンタ自分の手を汚さずにこの場をやりおおせると思ってたのかい?」
「……。お前達が、僕を殺さないといけなくても、僕にはお前達を殺したいだけの理由なんて……ない。
あと少しで……。あと、少しで……! お前達を止められたんだ」
「ふうん。確かにそれだけの力がアンタにあるなら可能だ。
けどそれだけかい? 理由は」
「どういう、意味だッ……」
「サシになってから後、アンタの剣筋は意図的に狙いを外してるというより何かを躊躇ってるように見えてね」
不意を突かれたがそれでもすぐに言い返した。
「だ、だとしてもそれが、何だっていうんだっ。進んで人を斬れる方がよっぽど異常だろうっ!」
「そうかい。確かにもっともな見解だよ。けれど今この時、この状況にあるアンタの場合」
ヴェラは僕の前髪を無造作に掴んで引っ張り上げた。凄みのきいた低い声で断じる。
「その言い逃れは許されないんだよ」
そして一転、僕の耳元で愉快そうに囁いた。
「それに。戦場帰りで記憶喪失のアンタの場合は躊躇う理由がもう少し違うんじゃないかい?」
「……?」
「人を殺す感触を再び味わうことに怯えてるんじゃないかって言ってるんだよ」
ヴェラは僕の髪を放すと立ち上がって手を打った。
「ああ、そうか……。もしかしたらその感触の再現で記憶が戻るかもしれないじゃないか。
いいさ。なら余計に手を貸してやりたくなったよ。それでもう一度仕切り直そうじゃないか」
「何……を」
尋ねた僕を見下ろし含みのある笑みを浮かべる。
「背中を少し押してやるって言ってるんだよ」
そう言ってリーン達の元へ戻っていく。
「……おい」
そして持っていた武器の鞘を抜き捨て、鍔を外したエペの様な形状のそれを逆手に持つと無慈悲にリーン達へ告げた。
「アンタらも恨むんならこの煮え切らない坊やを恨みな」
「……や、やめろ」
僕の声が全く聞こえていないかの様にヴェラはチタンを拘束する鎖ごと引き摺り寄せる。柱脚脇にチタンを転がすとその右肩を踏み押さえた。
「やめろォッッ!!」
叫ぶ僕を一瞥したヴェラは笑みを口元に残したまま、一息にチタンの右腕に刃を突き下ろした。
チタンの声にならない呻きが響き渡る。彼が横たわる石畳にじわじわと血溜まりが広がっていくのを見た僕は絶叫した。
「お前ぇェーーッッ!!」
だがヴェラはそうなってなお僕をじっと見ていた。痛みを堪えて身を曲げるチタンの腕から仕込み杖を引き抜く。そうして何か確かめるようにこちらへ話し掛けているようだったが、はっきりと聞き取れなかった。
だが、続いてリーンを鎖ごとチタンの隣へと引き摺り出したのははっきりと見えた。
「仕方ない、なら次はお前だよ」
「いやっ、やめてっ」
「じたばたするんじゃないよっ。さあ、これでっ」
ヴェラが武器を振り上げ、リーンが拒むように身を捩る。
その光景が大きくブレた。
振り下ろされていった刃。それに鋼線が勢いよく巻き付きリーンに届く直前で止まる。
「……くッ!? 何だ、これは――」
ユイグがやったのか?
だがもう、確認することは出来なかった。
僕の意識を既に追い越し、その身体は男達をはねのけていた。
「ヴェラッッ!! ミサスですッ!!」
道化の鋭い叫びの中、僕は自分に何が起きたのかを知った。
――黒の感情は。
黒の感情の一番底にあるのは人そのものに対する憎しみや恨みなどではない。その応酬を終わらせたいという願いなんだ。今僕を支配しているものは他者の命を軽々しく扱えてしまう程深い恨みや憎しみなどでは断じてない。
大義は今もこの僕の胸の内に絶対ある。絶対。あの時のミサスが、僕が抱いたままここまで来たんだ。
だから必ず、殺すのではなく、止める。
なのに。
僕の思いは容易く飲まれた。その視界もまた、切っ先があの女のこめかみ、急所を真に捉えて鋭く迫る様を見せたのを最後にブラックアウトした。
きっとあの女がリーンに武器を向けた時、それを止めるべくユイグの鋼線が巻き付くのと前後して僕は男達をはねのけて剣を拾うと同時に突進した。客観的に説明するならそういうことだったのだろう。
視界が戻った時、僕は肩で荒く息をしながら、柱に深く突き刺さった剣の柄をまだ物凄い力で握り込んでいた。すぐ目の前には刃が触れる右こめかみから僅かに血を流すヴェラの顔がある。ただその驚愕し切った表情に構うことなく、僕は再び剣先を見たのだ。その震える唇から全く意図していなかった言葉が零れた。
「……ほ、ほら。ぼ……ぼくの剣、剣は……」
――剣?
「ミサスッ!!」
リーンが叫んだ直後、後頭部に激しい衝撃を受けた僕は今度こそ完全に意識を失って倒れた。
* * *




