一章:裏切りと誠実の境界
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「……で、どういうことだ?」
他に人一人いない寂れた酒場の片隅でぼそりと低い言葉がつむがれた。
「どういうことも、彼女曰く、公爵領でさらわれ汽車に乗せられたらしいですよ? どうすんです?」
「……しらねえよ」
二人の男がその酒場で杯を交わしていた。
すすけた灰色の髪を持つ男は無感動に透明な酒に満たされたグラスを見つめいる。
そしてもう一人の男は、黒い髪を一つに束ね紅いバンダナでまとめ、そんな灰色の髪の男の表情をうかがうように首をかしげていた。
「どうするも、あれはどこぞのバカ共に追われている」
「だから、先輩はどうするんですか? 拾ったのにあの子、放っておいていくんですか?」
そう言って表情をうかがっていた男はちらりと上を見て、目の前の表情のない男を見る。
男は、冬の空のように薄い青の瞳を伏せて酒に手を伸ばした。
「……そうしたいな」
「先輩っ!」
どんとテーブルを叩いた男に、酒をあおっていた男はすっと手を上げてそれを制止させる。
「だが、公爵領で起こったことであれば、知らぬ存ぜぬじゃ済まされない」
「じゃあ」
「……侯爵家令嬢だったな」
「はい」
「……あいつの所までなら送り届けてやる。それを今、連絡しろ」
「はい」
立ち上がって寒空に飛び出す男の背中を見ながらそっとため息をついた、
灰色の髪の男ははらりと目にかかったすすけた前髪をかきあげてそっと目を閉じた。
「そんな気遣い、無用だわ」
凛としたその声に、出ていこうとした男と、酒をあおった男の顔が上がる。
「お嬢様」
「そんな男を連れてきたら兄様に怒られてしまう。しばらくしたら私の執事がやってきますわ」
きっぱりとしたその言葉に酒をあおった男は深くため息をついた。
そして、グラスをテーブルに叩きつけ、店の奥の階段から現れた一人の少女を見る。
「おい、女」
「女じゃないわ。リノです」
「……クソガキで良いか」
「先輩」
「口を慎みなさい。私は……」
なにかを言おうとした彼女、リノの口にグラスの氷を放り込んだ男は立ち上がり、リノの胸倉をつかんで階段の上に引きずり上げた。
「うかつなことを言うな。お前の立場がわかっているのか?」
「お前ではないわ」
「……テオ」
「はーい?」
がたがたとバンダナを巻いた男が上がってきて首をかしげる。
「説明してやれ。このクソガキの頭にはちと難しい言葉だったのかもしれない」
「へーい」
そう言ってバンダナを巻いた男、テオは呆れたように彼を見て、リノを抱えて奥の一部屋に入っていった。
「離しなさい」
「御無礼をお許しください。侯爵家令嬢殿」
扉を閉めて深々と頭を下げたテオはイスを引いてリノを座らせた。
「どうぞ」
リノが当然のように座るのを見届けて、扉のほうを見たテオは難しそうに眉を寄せてうつむいた。
「なに?」
「いえ、まったく……。先輩の無礼をお許しください」
「下賎な民のことなんか私はなにも思っていないわ。ただ不愉快だわ」
「わめいているのが?」
「そう」
うなずくリノにテオは部屋に持ってきておいた水をグラスに注いでリノに差し出す。
リノも当然のようにそれを受け取って飲む。
「あなた」
「はい?」
「慣れているわね」
「ええ。それがどうかしましたか?」
首をかしげるテオにリノはじっと見つめてそっとため息をついた。
「なんでもないわ。私の執事に似ていたものだから」
「執事、ですか?」
「なんでもないわ」
「まあ、オレも執事みたいなものですからね」
「あの男の?」
首をかしげた彼女にテオはふっと笑って肩をすくめた。
「ええ。あれでもあの人、元陸軍中佐ですから」
「え?」
さらりと告げられたその言葉にリノは驚いていた。
陸軍、つまり、国の治安維持に勤め、ときには戦争に出かける国軍の中佐が、あの男なのだ。
「嘘でしょ?」
「いや、本当で、あの人が中佐だった時、オレが側近の一人でしてね。俺は大尉です」
「え?」
「若いですか、これでも優秀……」
「余計なことを……」