序章:出会いはいつも突然に
――――暗かった。
汽車に乗せられていることは音でかろうじてわかった。
音以外で得られる情報はない。
猿ぐつわに目隠しをさせられて、手足を縛られ大きな麻袋につめられているのだから。
もごもごとその麻袋から抜け出そうと動いている一人の少女は、目隠しの下で目をぎゅっとつぶった。
こんなはずではなかったのだ。
ただ、兄から南東の国境付近の領地を持つ公爵家に挨拶しに行けと言われて、何人かの従者と一緒に行ったのだ。
その帰りに、いきなりさらわれたのだ。
そして今、汽車で荷物に成り果てている。
「……」
必死に動いたら、なにかが解けるかもしれないと思った。
だが、それもむなしく手首と足首が麻紐で擦れて痛くなってきた。
それでも――――。
「まだ、暴れてやがんのか」
あきれたような軽い声。男にしては高めの声。
この男にさらわれたのだ。
「……手荒なことはするな。一令嬢だ」
軽い口調の男を諌める、重く、厳しく低い声音の人間がリーダー的な人間だろうか。
だが一令嬢だとわかっているのであれば、こんな扱いはないだろうと内心、少女は突っ込んでいた。
男が二人。
自分はなにも動けずに舌をかむこともできずに、体をゆすることしかできない。
視界はすべて閉ざされ、暗黒に満たされている。
――――――怖い。
素直にそう思った。
心の中では、届くはずないとわかっていながら、助けを求めていた。
『助けて!』
この男たちがする気になれば、自分は彼らのおもちゃに成り果てる。
それだけはいやだった。
『うるせえな。すこし黙ってろよ』
そんなあきれたような、深いような、不思議な声音がどこからか聞こえた。
と同時に、何発もの銃声が響いた。
「……やつら、やったか?」
「……いや、抵抗だろうな。あいつらの銃声じゃない」
軽い男があきれたような声を出し、厳しい声の男は冷静につぶやいた。
なにか予感が胸を焦がす。
少女は、猿ぐつわをかみ締めて体の震えをとめた。
「ありゃ? おとなしくなっちまいましたよ、頭」
「おとなしいに越したことはない。お前もあっちにいって、バカ共のお手伝いにいけ」
「はいよ」
軽い返事をした男は、どこかに行こうとした。
だが、すぐに大きな足音を立ててこちらに駆け寄ってくる。
『だれか……』
『黙って待ってろって』
心でつぶやくともう一度、深い声が返ってくる。
銃声が近づいていく。
そのたび、体の震えは収まっていく。
軽い声の男はなにやら慌てているらしい。ばたばたと足音を立てている。
うまく顔に当たって目隠しぐらい取れてくれないかと顔を傾けると、思い切りつま先がかすった。
思いのほか、つま先が鋭かったらしい。
袋も裂け、目隠しも切れた。
顔にちいさな傷を負ったのはしかたないだろう。
そこから見えたのはただの、闇。
それと、かすかに一人の男が見えた。
「頭ぁ、まずいですぜ? 薄汚れた白髪男が銃をぶっ放して……」
「お前がとめろ。俺は逃げる」
「女も連れてくんですよね?」
「いや、女なんぞ、もう一度捕まえればいい」
「なんて」
「命令に従えないのであれば、ここで殺そうか?」
酷薄な声。
覗ける穴から外を見ると、かすかに月光に反射する金色の髪の毛が見えた。
軽そうな男はそれに怖気づいたように後退って、扉に向かっていった。
ばたんと音を立てる扉がむなしかった。
そして、酷薄な厳しい声の主は、いつの間にか引き抜いていた銃をしまって隣にしゃがみこんだようだった。
裂けた袋から手を滑らせ、少女の頬に触れ、血をぬぐう。
「怖いか?」
今までに一番近くで、銃声が聞こえた。
銃声の主が来るのも時間の問題だろう。
「……あまり、恐れるな。じき、助けがくる」
静かな声に息も忘れて、裂けた袋のあいだから男を見た。
月明かりで見られたものは、少なかった。
ただ、肩にかかるぐらいの金色の髪を持ち、硬い表情をしている細身の男、としか判断できない。
深い青の制服らしきものを着ている彼は、油断なく立ち上がって、つんであったらしい車に乗り込みエンジンをかけた。
と同時に、すさまじく乱暴な音と共に扉は開かれ、なにかが転がり込んできた。
エンジンの轟音と共に、それに不釣合いな規則正しい足音。
二つが不協和音を作って、なにか、不気味な空間を作り上げていく。
「……陸軍一中佐が、こんなところで乗っ取りの内職か。お前らも落ちたな」
「……」
耳元に心地よい低い声が近寄ってくる。
だれかわからない。
身をすくませていると車が発進したらしい。
がしゃんと言うなにか嫌な音と共にエンジンの音が遠ざかっていく。
「逃げやがったか。あのバカ」
そうののしりながら、銃を撃っていた張本人は麻袋の裂け目から器用に手足を縛る紐を解いて、麻袋の口の紐を解いた。
「ちょっと」
なにかを言おうとした少女が立ち上がって元の車両に戻ろうとした青年を引き止める。
青年は深くため息をついて、足をとめて振り返った。
ふわりと鋭い彼の顔に髪がかかる。
「なんだ?」
そんな言葉と共に向けられた瞳の強さに、息を呑んで少女は言おうとしたことを忘れてしまった。
「なんだ?」
催促するようにもう一度。
少女は、さっきまで渦巻いていた疑問の一つを掴み取って詰まる声に乗せた。
「何者?」
その声に、青年はうつむいて笑ったようだった。うつむいたその表情はうかがえない。
「……しがない旅人の一人だよ――――」
そして、照らし出された青年の表情は、狩人のそれであった。
「さあ、行くぞ」
静かに言われた言葉に我に返った少女は、その広い背中を追っていく――。
「ちょ、待って」
――――――――夜はこうこうと更けていく。




