一章:裏切りと誠実の境界
シオンはふっと息をついてちらりとリノを見てリノの前に、視界をさえぎるように座った。
「ヴェルフ……」
「状況理解しているか?」
シオンの無感動な声。
リノが目を向けると、月明かりに照らされる面差しでは感情は読み取りにくい。
「理解しているか?」
「……連れ去られそうになって、グイードという男が……」
その名を出した瞬間、シオンとテオの表情が変わったのがわかった。
ぱっと互いの顔を見つめ一つうなずいた二人にリノは小さく首をかしげた。
「私を馬車に入れようとして、……ヴェルフが」
「ヴェルフが敵であったことは理解しているか?」
こくりとうなずいて、両手で顔を覆ったリノに、シオンは深くため息をついて立ち上がった。
「先輩」
「……現実を見せなければこの先なにを口走るかわからない。そのつど理解させてやらなければなるまい」
そんな言葉にテオが苦しげな顔をして目を伏せた。
「どんな現実でも受け止める肝が必要だ。……公爵家に嫁ぐということは、王の分家に嫁ぐ、つまり王室に連なるものになるということだ。王の動向によっては次男坊とはいえども王になる必要も出てくる」
「先輩?」
「そうなったら王城なんてこんなこと日常茶飯事だ」
「先輩っ! そんなこと」
「それが現実だ。今のな」
押し殺すような声にテオが黙る。
リノがなにも言わないことにテオは痛ましそうに顔を伏せて、震える息を吐いた。
「……うらむか?」
静かなシオンの声。
リノが顔を上げずに無反応であることにいらだつように、シオンはリノの肩に手をかけた。
「恨めばいいさ。自分の運命を」
「…………、ヴェルフが裏切ったのを運命だと……っ!」
言いながら顔を上げたリノは、はっとシオンを見上げて言葉を失った。
「だが、そこから逃げ出すことは許されない」
ほとんど怒っているような仏頂面しか見せなかったシオンは、なにかに思いを馳せているように目を細めていた。
遠く、なにか悲しい出来事を思い出すように。
「逃げ出せば、サナンの二の舞になる。それは、俺が許さない」
シオンの口から出たサナンという言葉にリノの息が詰まる。
「なんで、その名を……」
「…………。普通に考えればわかるだろう。令嬢は公爵家のものだとイアンにも教えられた。婚姻を結んでいない若い貴族は、……サナンのほうはそこまで若くないが、お前とあいつしかいない」
「ヴィストラートの屋敷に行った帰りに襲撃ということで良いんですよね?」
「そうだな」
うなずいたシオンが立ち上がって、闇に溶けていくヴェルフの遺体に歩いて向かい、なにを思ったのか、鋭く蹴り上げて気分が晴れたように、寒い空を見上げた。
「行くぞ」
「はい」
テオがうなずいてリノに手を差し出す。
「……」
見上げるリノにテオが微笑んで優しくうなずく。
リノの手がそっとテオに触れる。
「言葉が少ない人ですけど、あの人なりにあなたを励ましたのです」
「うん」
リノはうなずいて星空を見上げたままのシオンを見た。
そんなリノを見て微笑を浮かべたままテオもシオンに目を移す。
「とりあえず、どこに?」
「シルヴの所にでも転がろう」
「わかりました。では、こちらですね」
そういいながらエスコートするテオの腕からはまだ、血が滴っている。
「……あの」
「はい?」
リノの緊張したような声にテオが首をかしげて歩く。
「……その、それ」
リノが指した腕に、テオは気にしないでくださいとひらひらと手を動かしながら笑った。
シオンがその後ろで二人を見ている。
「ごめんなさい」
「……気にしないでくださいって。これぐらいどうってことないですよ」
そう言って笑うテオはちらりと後ろを歩くシオンを見て肩をすくめた。
「俺は大丈夫です。でも、背後からあの人を狙うなんてまね、もうしないでくださいね?」
「……わかった」
リノがうなずいたのを見てテオがその頭をかき回した。
リノも悪かったと思っているらしくなにも言わずに、目をそらしてされるがままになっていた。
「さ、ウェスナに向かいますかね」
仕切るようなテオの言葉に静かにうなずいたリノとシオンに、テオはふっと笑って闇が深まっていく荒野の先を見据えた。




