最終話 霧谷先生と二人ぼっち
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――放課後。無事に午後四時に帰宅できたシュウマは、不機嫌そうな顔をした妹に出迎えられた。
「ただいま、美咲」
「……おかえり」
妹は唇を尖らせながら、ぶっきらぼうに挨拶を返す。妹はそのまま居間に行こうとしていたので、シュウマは慌てて彼女を呼び止めた。
「待ってくれ。話がしたいんだ」
「……え?」
――突っぱねられるかもしれない。そんな不安を感じながら言った言葉は、妹の足を止めさせた。呆気に取られたような表情をしていた彼女は、すぐに表情を仏頂面に戻すと、シュウマから視線を逸らす。
「べ、別にいいけど、先に着替えてこい」
「分かった。居間で待っててくれ」
妹の了承を得て、シュウマはすぐに自分の部屋に向かい、鞄を置いて服を着替えた。ラフな部屋着姿になったシュウマは、そのままの足取りで居間に向かう。すると、いつものちゃぶ台の前に、妹が座っているのが見えた。
「……前、いいか?」
「……どうぞ」
シュウマは言葉通り、妹の前に腰を下ろして正座した。顔を上げて妹の方を見ると、彼女はどこか気まずそうに視線を逸らしていた。……今までのシュウマならそこで会話を諦めていただろうが、今は違う。少しの沈黙の後、シュウマはゆっくりと口を開いた。
「まずは、改めて謝らせてくれ。昨日は遅くに帰ってごめん。用事があるとはいえ、一本連絡を取るべきだった」
「……なんだ、その事か」
謝罪の後に聞こえてきたのは、酷く冷たい声だった。妹はキッとシュウマを睨み、聞こえるように舌打ちをした。シュウマのうちにある考えを、見透かしたかのようだった。
「まさか、日の丸弁当をやめろとか言い出すんじゃないよな?」
「違う。確かにそういう意図はあるけど、俺が言いたいのはそんなことじゃない」
「はっ、どうだか。口の上手い兄貴のことだ。大方私相手なら言いくるめられるとでも思ってるんじゃないか?」
「違うんだ美咲。俺の話を聞いてくれ」
「……もうちょっと上手い言い方はねぇのか?」
「俺だって、こんなのは慣れてないんだ。だから頼む。俺の話を聞いてくれ、美咲。一生のお願いだ」
「一生、ねぇ…………分かった。聞いてやる。その代わり、私が聞く価値がないと判断したら話は終わりだ」
「ああ、それでいい」
妹の傍若無人な言葉に頷くシュウマ。シュウマは背筋をピンと正したまま、真っ直ぐと妹の瞳を見つめた。そして少し深呼吸をすると、意を決した様子で、話を始めた。
「――昨日は、お前に心配を掛けたよな。いつも帰る時間に帰ってこなかったら、そりゃ不安になる。お前の事情を知っておきながら、俺は随分と不誠実な事をした」
「…………!?」
シュウマの話を聞いて、妹の目が大きく見開かれる。それは、彼女がずっと胸に秘めていたはずの、真実だった。それこそが、彼女が怒って、シュウマに日の丸弁当の刑を科した理由だったのだ。
「な、なんで……それを」
「よーく考えた。普段使わない頭脳をフル活用したんだよ。お前と仲直りするために」
「ふぇっ……!?」
真剣な表情で告げられたシュウマの言葉に、何故か妹の頬が真っ赤に染まった。シュウマは一瞬首を傾げそうになったが、鋼の意思でそれを止めた。代わりに、妹への謝罪の言葉を紡いでいく。
「俺への罰も、そのままで構わない。美咲が望むなら幾らでも頭を下げるし、なんなら日の丸弁当も自分で用意する。だから――」
シュウマは妹の瞳を見つめ、悲しそうに顔を歪めてその先を告げた。
「――まだ、俺を兄でいさせてください」
シュウマの言葉は、切実な響きを秘めたものだった。誰が聞いても、首を傾げるような違和感のある言葉。しかし、シュウマとその妹――美咲には、その意味が理解できた。……しばらくの沈黙の後、美咲はポツリと呟いた。
「……ばっかだなぁ」
「……え?」
「私が、兄貴を見放すわけないじゃん」
美咲はそう告げると、その場から立ち上がって、シュウマの元へ向かう。彼女はシュウマの隣に座り、彼にもたれかかった。
「美咲……?」
「一体私が、誰のために毎日弁当を作ってあげてると思ってるの?毎朝早起きして、兄貴の栄養バランス考えて作って……私がこんなめんどい事するのは、他の誰でもない、兄貴のためなんだよ?」
美咲はシュウマに腕を絡めて、頬を赤らめながら彼の顔を覗き込む。美咲が照れくさそうに浮かべた笑みに、シュウマは目を見開く。
「……お前、そんな事思ってくれてたのか」
「家事だって兄貴以上に頑張ってるのにさー。兄貴は私じゃなくて他の女に尻尾振ってさー。これって浮気だよね?ね?」
「待ってくれ、俺そんな事してないぞ?……てか、浮気ってお前……」
「んふふー、でもでも?兄貴は私のものでいたいわけで?そして私は兄貴の事をものにしたいわけで?これはもう実質結婚と言っても過言じゃないよね?」
シュウマの言葉を他所に、キャラ崩壊して勝手に暴走し始めた美咲に、シュウマは先程までの雰囲気を離散させて顔を引きつらせる。
「えっと……美咲。俺、そこまで言ってないんだが……あくまでも、仲直りをしたいという話であって」
「もう我慢しなくていいんだよね?兄貴が他の雌共に取られるんじゃないかって心配しなくていいんだよね?だって兄貴には私がいれば十分――」
「――ごめん美咲っ!俺が全部悪かった!謝るから元の美咲に戻ってくれ!今の美咲、なんかめちゃくちゃ怖いから……!」
……一体何がツボに刺さったのか、ハイライトを消した瞳で恍惚とした表情を浮かべている妹に、シュウマは「どうしてこうなった」と頭を抱え……普段の飄々とした彼は何処へやら。彼は必死に妹へ謝罪をするのだった――
――――
……翌日の昼。シュウマは昨日と変わらず、幽鬼のような足取りで、屋上への階段付近に来た。しかし昨日と違うのは、彼の右手にぶら下げられている、二段重ねの弁当箱の包みであろう。
「……霧谷先生、こんにちは」
「こんにちは、夏野君。……どうかしましたか?今日も、元気がない様子ですが……」
珍しくシュウマから挨拶をされたレイカは、彼の様子と、右手にある弁当を見て首を傾げる。
「それに、随分と大きなお弁当……しかも、とても食欲をそそる香りがしますね」
「ああ、はい……」
シュウマはレイカの隣に座り――どうせ隣に座られるからだ――自分の膝の上に包みを広げ、二段重ねの弁当箱の一段目を開いた。……そこには、ハート型に並べられた唐揚げと、空いた箇所を埋め尽くすような野菜炒めが入れられていた。
「…………」
「……これはまた、よくできたお弁当ですね」
隣から覗いてきたレイカは、ボソリとそう呟いた。明らかに気を遣うような感じで告げられたその言葉に、シュウマは天を仰ぎそうになった。
「……霧谷先生、少し相談があるんですが」
「なんでしょう、夏野君」
「反抗期だと思ってた妹がブラコンだった場合、俺はどうすればいいんでしょうか……」
シュウマはレイカの方を見ずに、ため息を吐きそうになりながら虚ろな目で告げた。――そう、結論から言えば、美咲との仲直り自体は成功した。したのだが、どうやらシュウマは彼女の変なスイッチを押してしまったようで、それによって完全に暴走してしまった美咲は、シュウマに作っていた弁当を昨日の夜から仕込み始め、今朝満面の笑みと共にこの愛の塊みたいな弁当を渡してきたのだ。美咲に負い目を感じていたシュウマとしては、受け取り拒否など出来なかったわけで……今に至る。……虚空を見つめるシュウマの魂からの言葉から、少しの沈黙の後。レイカは首を傾げながらこう言った。
「……ブラコン、とはなんでしょうか」
「……あー、そうか。伝わんないか……そっかぁ……」
少々世間知らずが過ぎるこの教師には、オタク用語は理解できなかったらしい。シュウマは頭を押さえながら項垂れるが、レイカは必死にフォローをしてくる。
「よくわかりませんが、大丈夫です夏野君。反抗期の兄妹はすれ違うもの、と母が言っていました」
「ほんとに言ってましたかそれ?この状況にピンポイント過ぎません?」
「後は、すれ違った兄妹は勘違いから関係を持つこともあって……とも、母は言ってました」
「お母さん大丈夫!?娘に何を教えてるの!?」
完全にズレた方向の知識に、シュウマは悲鳴をあげた。レイカはよく意味がわかっていないのか、言いながら首を傾げている。それを見て、シュウマは毒気を抜かれたようにため息を吐いた。
「……はぁ、もういいです。先生に相談した俺が馬鹿でした」
「えっ。ま、待ってください夏野君。まるで私が役立たずのような――」
「はいはい。先生の誠実な姿勢は受け取りましたから。この話は終わりです」
シュウマが不貞腐れたかのようにそう言うと、レイカは無表情のまま、シュウマの腕を掴んでくる。
「そ、そんな殺生な……お願いします、私にもう一度チャンスを頂けないでしょうか。今度は教師として、生徒の悩みに真摯に向き合いますので」
「セクハラ」
「ハッ……!」
腕を掴んだレイカにからかうようにそう言ってやると、レイカは慌ててシュウマの腕から手を離した。
(この人はどこまでも素直だな)
――霧谷レイカは氷のように冷たい教師などではない。寧ろ、生徒に真摯に向き合う姿勢と、この純真な性格から、真面目で親しみやすい教師とも言えるだろう。それが、ここ数週間のシュウマの彼女への評価だった。
(……こんな先生が嫌われてるとか、冗談だろ)
レイカはシュウマにとって、好ましい人間だ。だから、彼女が嫌われている、とか、彼女の自虐を聞いてしまうと、シュウマの胸の奥に痛みが走ってしまう。
(何とかしてやりたい)
いつしかシュウマの心には、そんな意志が芽生えていた。この人が皆から嫌われるなんて間違っている。レイカはシュウマの背中を押してくれた人間なのだから――
「……夏野君、なんで笑ってるんですか?」
「……さぁ、なんででしょうね」
シュウマは笑みを浮かべて、首を傾げるレイカから顔を逸らした。弁当の中の唐揚げを一つ箸で摘んで、口に運ぶ。――シュウマが取り戻すことが出来た、懐かしい味だ。
「……うん、美味しい」
――まだ春が来て間もない頃。一人の生徒が一人の教師と出会い、いつもの日常とは変わった日常が繰り広げられた。それは少年の心に、少しだけ火を灯した。それが教師――レイカの運命を変えていくことになるのだが、今のレイカには知る由もないのだった。
また気が向いたら、この話の続きを書いてみようかなと思っているので、気になった方は是非ブックマークなどよろしくお願いします




