第34話 離れることを想像する
朝の空気は、澄んでいた。
体調は、ほぼ元通りだ。
熱もなく、頭も冴えている。
それでも、レティシアの胸の奥には、
昨日から消えない小さな違和感があった。
――離れたくない。
その感情を、
まだ自分の中でうまく扱えずにいる。
*
午前中、ロイドから一つの話が持ち込まれた。
「一応、共有だけしておきます」
そう前置きして、書類を差し出す。
「第三研究院から、
あなた個人宛に打診が来ています」
「……私、宛に?」
研究院。
王城直属ではない、独立機関だ。
「制度設計の助言役として、
常駐ではなく、顧問契約です」
条件は、悪くない。
自由度が高く、責任も明確。
何より――王城とも、第二王子とも距離がある。
「断る必要はありません。
選択肢として、です」
ロイドの言葉は、事務的だった。
だが、その一言が、
レティシアの胸に、思った以上の重さを残した。
*
一人になった執務室で、
書類を眺める。
ここを離れる。
アレクシスの館を出る。
別の場所で、別の役割を担う。
――できる。
自分なら、問題なくやれる。
むしろ、気楽かもしれない。
守られすぎることもない。
期待と距離が、ちょうどいい。
なのに。
想像した瞬間、
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
「……変ね」
以前なら、
“選択肢がある”ことは安心材料だった。
今は、違う。
離れることが、
喪失のように感じられる。
*
午後。
中庭でアレクシスとすれ違った。
「顔色は、問題なさそうだな」
「はい。もう大丈夫です」
少しの沈黙。
そして、レティシアは意を決した。
「……殿下」
「何だ」
「もし、
私がここを離れる選択をしたら」
言葉を選びながら、続ける。
「殿下は……
引き止めますか?」
一瞬、空気が止まった。
アレクシスは、すぐには答えない。
数秒後。
「引き止めない」
静かな声。
レティシアの胸が、ちくりと痛む。
「君が選んだなら、
それが最善だ」
淡々としている。
だが、冷たくはない。
「……そう、ですか」
それ以上、言葉が続かなかった。
*
夜。
自室で、研究院の書類を机に置く。
自由。
合理性。
安全な距離。
どれも、かつての自分が求めていたものだ。
それでも。
「……ここを、離れたくない」
ようやく、正直な言葉が出た。
理由は、まだ説明できない。
恋、と呼ぶには早い。
だが。
引き止められなかったことが、
少しだけ、寂しい。
それ以上に。
引き止められなくても、
ここにいたいと思っている自分に、
レティシアは気づいてしまった。
選択肢があるからこそ、
選ぶ意味が生まれる。
次に迫られているのは、
仕事の判断ではない。
――自分が、誰のそばにいたいか。
その問いが、
静かに、彼女の中で形を持ち始めていた。
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