第33話 周囲が先に気づく
レティシアが執務室に戻ったのは、翌日の午後だった。
まだ万全とは言えない。
だが、椅子に座って書類に目を通す程度なら問題ない――そう判断された。
その判断を下したのは、彼女自身ではない。
「今日は、ここまでです」
エマが、きっぱりと言った。
「……まだ大丈夫です」
「大丈夫かどうかは、こちらが判断します」
穏やかな口調だが、譲る気配はない。
レティシアは、少し困ったように微笑んだ。
「……はい」
それに、もう逆らう気は起きなかった。
*
その日の午後、外部の小規模な視察団が館を訪れた。
地方貴族と商会の代表者。
第二王子の後援を受ける事業の確認が目的だ。
応接室に通された彼らは、
アレクシスの隣に座るレティシアを見て、
一瞬、言葉に詰まった。
「……失礼ですが」
年配の貴族が、恐る恐る口を開く。
「こちらの方は……?」
ロイドが答えるより先に、
アレクシスが言った。
「私の補佐だ」
それだけ。
紹介としては、極めて簡潔だった。
だが、その言い方には、
説明や言い訳が一切含まれていない。
当然の前提として、そこにいる。
視察団の面々は、互いに視線を交わす。
「……なるほど」
商会代表が、納得したように頷いた。
「殿下が、日程を調整された理由が分かりました」
「何のことだ」
「本日、視察の順を変更されましたよね」
アレクシスは、否定も肯定もしなかった。
ただ、視線をレティシアに向ける。
それだけで、十分だった。
*
打ち合わせが終わったあと。
ロイドが、小さく息を吐く。
「……完全に、察されましたね」
「何を?」
レティシアが首を傾げる。
「殿下が、
あなたを最優先に動いていることです」
その言葉に、レティシアは一瞬、言葉を失った。
「そんな……」
「ええ、そんな、です」
ロイドは淡々と言う。
「今日の予定変更、
本来なら説明が必要なものでした」
「……そう、なんですか」
「ですが、
誰も異議を唱えませんでした」
それはつまり。
周囲が、
“そういうもの”として受け取っている、ということだ。
*
夕方。
廊下でアレクシスと並んで歩きながら、
レティシアは、ふと立ち止まった。
「……殿下」
「どうした」
「今日の予定、
私の体調に合わせて変更されましたか」
少しだけ、躊躇いながら。
アレクシスは、即答しなかった。
一拍置いてから、言う。
「それが、何か問題か」
「……いいえ」
否定しながらも、
胸の奥が、じんと熱くなる。
「ただ……」
「ただ?」
「そこまでしていただく理由が、
まだ、よく分からなくて」
アレクシスは、歩みを止め、
正面から彼女を見た。
「理由はある」
短く、だが確かな声。
「だが、今は説明しない」
レティシアは、何も言えなかった。
説明されなくても、
拒まれないことが、
こんなにも安心するとは思わなかった。
*
その夜。
自室で、レティシアは考えていた。
守られている。
優先されている。
それを、周囲が先に理解している。
自分だけが、
その意味を、まだ正確に言葉にできていない。
「……私」
小さく、呟く。
「依存している、のかしら」
けれど、その考えは、
恐怖を伴わなかった。
逃げたいとも、
距離を置きたいとも、思わない。
むしろ――。
「……離れたくない、わね」
その感情に気づいた瞬間、
胸の奥が、静かに波打った。
恋だと呼ぶには、まだ早い。
だが確かに、
彼女の世界は、
誰かを中心に回り始めている。
そして、その事実に、
初めてレティシアは、
自分だけが最後に気づいているのだと、
理解してしまった。
溺愛は、
すでに周囲には、はっきりと見えている。
あとは、
彼女自身が、
それを受け取るかどうかだった。
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