第2話 それは、悪意のない言葉だった
王城の回廊は昼になると人が増える。
文官、騎士、使いの者たちが行き交い、誰もが忙しなく歩いていた。
レティシアは、その流れの端を静かに進んでいた。
先ほどの会議で使われた資料の原本を、文書庫に戻すためだ。
本来なら王子付きの文官が行う作業だが、いつの間にかそれも彼女の役目になっていた。
「レティシア様」
背後から声をかけられ、足を止める。
振り返ると、そこに立っていたのはリリアだった。
淡い色のドレスに身を包み、少し息を切らしている。
「お一人ですか?」
「ええ」
それだけ答えると、リリアはほっとしたように笑った。
「よかった……あの、少しお話ししてもいいですか?」
断る理由はなかった。
レティシアは小さく頷く。
二人は回廊の脇、窓際に並んで立った。
外では庭師たちが作業をしている。
「その……今日の会議のことなんですけど」
リリアは、少し言いづらそうに視線を泳がせた。
「殿下、すごく頑張っていらっしゃいましたよね」
「……そうですね」
「私、ああいう場に出るのはまだ慣れてなくて。でも殿下がいらっしゃると安心するんです」
それは、純粋な好意の言葉だった。
だからこそ、レティシアは何も言えなかった。
「レティシア様は……すごいですよね」
意外な言葉に、わずかに瞬きをする。
「いつも冷静で、何でも一人でできて。私、正直……少し怖いなって思ってました」
――やはり、そう見えるのか。
「でも、それってきっと、強いからですよね」
リリアはそう言って、微笑んだ。
「私なんて、殿下がいないと何もできなくて……だから、皆さんが優しくしてくれるのかもしれません」
その言葉に、悪意はなかった。
ただ、自分がどう見られているかを、正直に語っただけだ。
レティシアは、胸の奥が少しだけ軋むのを感じた。
「……そうですね」
それ以上、言葉が続かなかった。
「だから、その……」
リリアは一瞬、ためらってから続ける。
「殿下も、きっと寂しいんだと思います。レティシア様は、あまり殿下を頼らないでしょう?」
その指摘は、的確だった。
頼らなかったのではない。
頼る必要がなかっただけだ。
「殿下は、守ってあげたいタイプの人が好きなんだと思います」
リリアは、善意でそう言ったのだろう。
忠告のつもりだったのかもしれない。
レティシアは、ただ静かに聞いていた。
「だから……もう少し、柔らかくなったら」
「リリアさん」
初めて、レティシアは相手の言葉を遮った。
「ご心配には及びません」
声は穏やかだった。
感情も、そこには乗っていない。
「殿下のことも、周囲の評価も……私は、受け入れていますから」
それは、事実だった。
リリアは一瞬、戸惑ったような顔をしたが、すぐに笑顔を取り戻した。
「そうですか……さすがですね」
尊敬と、安心と。
そして、ほんの少しの距離。
それが、はっきりと生まれた瞬間だった。
リリアが去った後、レティシアは一人、文書庫へ向かった。
静かな室内で、書類を棚に戻す。
ふと、隣の棚に置かれた古い記録が目に入った。
地方魔法炉の保守履歴。
数値を見て、眉をひそめる。
「……やっぱり」
会議で提出された案では、ここが確実に破綻する。
気づいているのは、自分だけだ。
レティシアは、その場で修正案を組み立て始めた。
誰にも言われていない。
評価もされない。
それでも、放っておけなかった。
作業を終えた頃、外はすっかり夕暮れになっていた。
窓に映る自分の姿を、レティシアは少しだけ見つめる。
「……私は、怖い人でいい」
小さく、そう呟いた。
誰かに守られなくてもいい。
誰かに好かれなくてもいい。
そう思うことでしか、ここにはいられなかったから。
その背中を、
遠くから静かに見ている視線があることを、
彼女はまだ知らない。




