第1話 悪役令嬢は、評価されないことに慣れている
※本作は
「悪役令嬢」「婚約破棄」ものですが、
主人公は最初から派手なざまぁをしません。
静かに耐え、
静かに去り、
その結果、周囲が自滅していくタイプのお話です。
溺愛は後半から、
じっくり進行します。
ゆっくり積み上がる逆転を、
お楽しみいただければ幸いです。
王城第三執務棟の廊下は、朝のこの時間帯だけひどく静かだった。
窓から差し込む淡い光が、磨き上げられた床に反射している。
レティシア・フォン・アルヴァレスは、その光の中を足早に歩いていた。腕に抱えた書類の束は、彼女の細い体にはやや重い。それでも足取りは乱れず、視線も前だけを見据えている。
――今日中に、これをまとめ直さなければ。
先日の会議で提出された魔法予算案。表向きは第一王子エドワード殿下の提案ということになっているが、実際には数字も配分も穴だらけだった。
このまま通せば、早ければ三か月で地方の魔法炉が一つ止まる。
その事実を、殿下は知らない。
あるいは、知ろうともしなかった。
レティシアは小さく息を吐き、執務室の扉をノックした。
「失礼いたします」
返事を待たずに扉を開けると、室内にはすでに数名の文官が集まっていた。中央の席に座るのは、王国第一王子エドワード。金髪に整った顔立ち、誰もが次期国王と認める人物だ。
そして――彼の隣。
「おはようございます、レティシア様」
柔らかな声で挨拶をしたのは、リリア・ノーランド。
平民出身の少女で、最近になって殿下の側近のように扱われている存在だった。
「……おはようございます」
レティシアは短く返し、視線を伏せる。
リリアがにこりと微笑むと、周囲の空気がわずかに和らいだ。
それを見て、胸の奥が少しだけ冷える。
「では始めよう」
エドワードが言った。
レティシアは黙って資料を配る。彼女が徹夜で修正した数値が、そこには並んでいた。
「……ふむ」
文官の一人が目を通し、驚いたように顔を上げる。
「殿下、この配分ですと、魔力供給の安定性が格段に――」
「ああ、それは俺が指示した」
エドワードは即座に答えた。
レティシアの名は、どこにも出ない。
「さすがですわ、殿下」
リリアが感心したように言う。
その声に、エドワードは満足げに頷いた。
レティシアは何も言わなかった。
今さら、慣れている。
会議が終わり、文官たちが退出していく。
最後に残ったのは、レティシアとエドワード、それからリリアだけだった。
「……レティシア」
名を呼ばれ、彼女は足を止める。
「君は、もう少し愛想というものを覚えたらどうだ」
唐突な言葉だった。
「リリアは、皆から慕われている。君も見習うべきだろう」
レティシアは一瞬、何と答えるべきか考えた。
だが、結局口に出たのは定型文だった。
「申し訳ございません。以後、気をつけます」
それ以上の言葉は、許されていない。
「……怖い人だって、噂になってますし」
リリアが、困ったように言った。
あくまで“心配している”という体裁で。
「皆さん、緊張してしまうみたいで……」
レティシアは何も言わなかった。
否定しても、信じてもらえないことを知っている。
エドワードは小さくため息をついた。
「君は、本当に変わらないな」
その言葉が、胸に落ちる。
――変わらない。
努力しても、支えても、結果を出しても。
評価されないことには、慣れていた。
執務室を出た後、レティシアは一人で中庭に立った。
春の風が、長いスカートを揺らす。
「……私がいなくても」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「きっと、回るのよね」
そう思おうとした。
そう思わなければ、ここには立っていられなかった。
遠くで、エドワードとリリアの笑い声が聞こえる。
その音を背に、レティシアは静かに歩き出した。
自分が“悪役令嬢”と呼ばれていることを、
彼女はまだ、知らない。
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当面の間は、1日に3話を投稿予定です。
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