【第4章|イェニチェリの影と法の詩】
『帝国のかたち ― スレイマン大帝の都にて』
(キャラクター名変更版)
――場所:16世紀のオスマン帝国、スレイマン1世の宮廷都市・コンスタンティノープル
リィアたちは、黄金に輝くスレイマニエ・モスクを背に、喧騒と香辛料の匂い立ち込める石畳の市場に立っていた。
リィア「スレイマン1世の治世って、オスマン帝国の絶頂期なのよ。領土だけでなく、法制度や文化も含めて“帝国らしさ”が完成した時代ね」
エファ「“立法者スレイマン”と呼ばれる所以、ですね。具体的には、どんな法律を整えたんですか?」
リィア「まず重要なのが、シャリーア(イスラーム法)に加えて、スルタンが発布するカヌーン法を制度化したこと。宗教的原理だけじゃ統治できない現実に対応するため、政治・財政・軍事のルールを補完したの」
セイル「つまり、二種類の法律があるってこと? 混乱しないのかな?」
エファ「むしろ合理的だったのよ。たとえば、税制度とかはカヌーン法で決めた方が現実的ですし。そうしないと、軍の給料も払えない」
リィア「その通り。オスマン帝国では、軍人に土地の徴税権を与えるティマール制が採られていて、徴税と軍事動員をリンクさせていたわ。一定の収入を持つ軍人が、戦時には兵を連れて参戦する仕組み」
セイル「あ、それって“中世の封建騎士団”みたいな感じ?」
リィア「似ているけれど、中央集権が強く、制度として洗練されてた。加えて、オスマンには“皇帝直属”の常備軍――イェニチェリがいたの」
エファ「イェニチェリって、確か……元はキリスト教徒の子ども?」
リィア「そう。バルカン半島でのデヴシルメ制度によって、非ムスリムの少年を徴用、改宗させてエリート兵士に育てたの。忠誠心が高く、火器を用いた精鋭部隊だった」
セイル「うわ……現代なら絶対アウトだな、それ」
リィア「でも帝国としては極めて合理的だった。常備軍は皇帝の権力を支える柱だから」
エファ「そして、文化面でも“黄金時代”。スレイマン自身が詩を詠む**“詩人君主”**でもありましたよね?」
リィア「ええ。彼は“ムフティー(法学者)”とも協調し、カディ(裁判官)制度や**ワクフ(寄進制度)**を活用して、都市や貧民救済にも力を注いだ。建築家ミマール・スィナンのモスク建設も象徴的ね」
セイル「うーん……なんか、強いし賢いし詩も書くし……ズルくない?」
エファ(皮肉っぽく)「あら、あなたも詩の一つでも詠んでみたら?」
セイル「お、俺だって――
“空腹に モスクの前で 立ちすくむ”……どうよ?」
リィア「……それは詩というより、現地民の愚痴ね」
対応する一問一答(入試形式)
1.「立法者」と呼ばれたスルタンは誰か?
→ スレイマン1世
2.スレイマン1世が整備した、シャリーアを補完する世俗法は何か?
→ カヌーン法
3.軍人に土地の徴税権を与えるオスマン帝国の制度は何か?
→ ティマール制
4.非ムスリムの少年を徴用してイェニチェリに育てる制度は?
→ デヴシルメ制度
5.スレイマン1世の治世に活躍した建築家は誰か?
→ ミマール・スィナン
6.裁判官制度の名称は?
→ カディ制度
7.慈善や教育目的の寄進制度の名称は?
→ ワクフ
8.イェニチェリのような常備軍がスルタンに対して持つ役割は?
→ 皇帝への忠誠を担保する軍事基盤
9.スレイマン1世の文化的側面として特筆されるのは?
→ 詩人としての才能
10.スレイマン1世の治世が“黄金時代”とされる理由は?
→ 法、軍制、文化の整備とバランスが取れていたから