第5章|東方への槍と祈り ― 交易・対立・多宗派の十字路 ―
―場所:紅海沿岸、スエズ北方の軍港。夕暮れの港町。帆を降ろしたガレー船の向こうに、ミナレットが並ぶ。
エファ「これがスエズ……紅海と地中海を結ぶ要衝、ですか」
リィア「正確には、当時スエズ運河はまだ無いわ。でも、スレイマン1世はこのスエズの港に海軍を常駐させ、インド洋の制海権をめぐってポルトガルと争ったの」
セイル「えっ、オスマン帝国ってそんな遠くまで出てたのか?!」
リィア「出ていたわよ。ポルトガルはヴァスコ=ダ=ガマのインド航路以来、アフリカ喜望峰を回ってアジアへ。対してオスマンは、アラビア半島と紅海を制圧して、東方貿易ルートを守ったの」
エファ「オスマンといえば地中海の印象が強かったけど、ここは紅海艦隊の拠点だったんですね」
リィア「そう。そして東ではサファヴィー朝ペルシアと対立していた。彼らはシーア派(十二イマーム派)を国教として、オスマン帝国のスンナ派と鋭く対立したの」
セイル「宗派の違いで国が争うのか……まあ、現代でも宗教って火種になるよな」
エファ「その対立の象徴が、**チャルディラーンの戦い(1514年)**ですね。スレイマンの父・セリム1世がサファヴィー朝を破った戦い」
リィア「そして、その後も東部国境では絶えず衝突が続いた。けれど同時に、オスマンはメッカ・メディナを保護下に置き、“イスラーム世界の守護者”としての権威も確立していく」
セイル「つまり、宗派で戦いつつも、全体ではイスラームの盟主ってことか」
リィア「それがオスマン帝国の二面性ね。政治・軍事・宗教の全てを制することが“スルタン=カリフ制”の実像だった」
エファ「なるほど。対インド洋戦略と対ペルシア戦争の両方で、オスマンの影響力が広がっていたというわけですね」
セイル「あとさ、そういう時代って、海賊とかいなかったの? アラビアン海賊的なやつ」
リィア「いたわよ。特にオスマンの海軍司令官ピリ・レイースは地図製作にも長けていて、インド洋の詳細な海図を残している。交易と戦争と知の時代だったのよ」
入試対応|10問の一問一答
1.紅海沿岸のスエズに艦隊を配備してインド洋進出を試みたオスマン帝国のスルタンは誰か?
→ スレイマン1世
2.ヴァスコ=ダ=ガマ以後、インド航路を支配したヨーロッパの国はどこか?
→ ポルトガル
3.オスマン帝国が対立した東方のイスラーム国家は何か?
→ サファヴィー朝
4.サファヴィー朝の国教となっていた宗派は何か?
→ シーア派(十二イマーム派)
5.オスマン帝国の支配者が採用したイスラーム法の宗派は何か?
→ スンナ派
6.1514年、オスマン帝国がサファヴィー朝に勝利した戦いは?
→ チャルディラーンの戦い
7.イスラーム世界の保護者としてのオスマン帝国の権威を高めた二都市は?
→ メッカ・メディナ
8.オスマン帝国の支配者が持っていた、政治権力と宗教権威の二重の称号は?
→ スルタン=カリフ
9.インド洋でポルトガルと対峙し、航海図を残したオスマンの海軍司令官は?
→ ピリ・レイース
10.紅海やアラビア半島を支配することで、オスマン帝国が確保したアジア貿易の経路を何というか?
→ 東方貿易路




