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郁治がやや遅れて妻と母と共に家の中に戻ると、先に入ったぷりんの姿は一階には見えなかった
そこで二階へ上がると、娘の、都子の部屋の扉が開いている
「……そんなもの、どうするんだ」
「勿論、使う」
目的の物は最初から決まっていたのだろう、迷うことなくベッドの枕元からソレを総て取り上げると扉の傍で立ち尽くしていた郁治たちに押し付ける
「針と糸が必要だ」
「え、あ、手芸教室の荷物に」
「アレは確か都子が一緒に……」
「ミヤ……そ、そうね、えっと、多分ミヤが小学生の時に学校で購入したお裁縫セットがどこかに……」
娘の名前に妻が再び涙ぐむがそれを我慢してきょろきょろと辺りを見回す
そんな様子を気にもせずに、ぷりんは部屋を出て行ってしまった
「わたしの部屋にもう一揃えあるからそれを持ってくるわ、場所も分かっているしすぐ用意できるから」
「あ、いえ、お義母さん、私が持ってきます、どこでしょうか?」
「そう? じゃあベッドの下の抽斗の中にあるから、おねがいね」
「はい、すぐに、二人はぷりんの後を」
「分かった、階段は危ないから、焦るなよ」
「うん、気をつけるわ、郁治さんとお義母さんも」
「ええ」
部屋を出ると、玄関扉の閉じる音がする
京子に外へ出ると声を掛けた後、二人も後を追った
「こちらへ」
「ぇ、あ、ああ」
手を差し出され、一瞬何のことか判らず戸惑うも先ほど渡されたもののことかと思い至り、ひとつ、ソレを手渡す
するとぷりんは、人差し指を滑らせるようにソレに切れ込みを入れ、続いて自身の腕の肉を軽く一つまみし、ミチリと毟り取った
「ひっ?!」
「なっ、にを……っ」
「閉じておいてくれ、次を」
小さく悲鳴をあげる彼らを気にもせず先ほど作った切れ込みに肉片を詰め込むと こちらへと差し出し、次を要求してくる
そこへ裁縫道具を持った妻が玄関から顔を出した
「お裁縫道具ありましたよっ」
「あ、ああ、京子、ありがとう、こ、こっちへ」
「京子さん、それはこっちへ」
「母さんっ」
「あなたお裁縫なんかできないでしょう」
母がぷりんからソレを受け取り、京子に切れ込みの中が見えないように隠しながら裁縫道具を受け取る
「京子さん、悪いんだけれど こっちはわたし達に任せて、時間はまだ早いけど お夕飯の支度を頼める?」
「え、お夕飯……ですか?」
「これから何があるか分からないし、食べられるうちに食べておいた方がいいでしょう? 火はカセットコンロがあるし、水もペットボトルのがあったわよね、節水はしてもらわないとだけど」
「あ、は、はい、じゃあすぐにっ」
「ゆっくりで大丈夫よ、お願いね京子さん――郁治、次を渡してあげて」
少し血の気の引いた顔色で妻を見送った母は、郁治に次を渡すよう促してくる
渋々と次をぷりんに渡そうとするが、郁治は手が滑り、渡そうとしたものとは別の自分の腕に抱えていた方のそれをうっかり落としてしまった
しかし、落ちたソレは地面に着くことは無く、ふわりと浮き上がったまま まぁるい何かに覆われる
「ッ!」
「気をつけることだ、身体が地面から完全に離れれば皆こうなる、私以外はな」
そう言ってぷりんが浮き上がったそれを掴むと覆っていたものは消え、そこへ先ほどと同じく肉片を詰め込んた
それを母が次々に縫い閉じていく
繕われたそれらは地面にそのまま置かれ、その周りをぐるりと囲うようにぷりんの血がぼたぼたと撒かれた
「……それは、なにを、しているんだ」
「目的のことか、手段のことか」
「両方だ」
「目的は明白だ、手が足りない、手段はこうしなければこれらは使い物にできないからだ」
「使い物に……できない?」
「枷を填められているからな、こうでもしないと力を注ぐことができない、使えていれば、そもそも母さまをみすみす手放しはしない」
つまり、娘を探すのに人手が足りないということと、ぷりんは今何かの縛りを架せられていて、本来の力を使えないということか
「作業はこれで終いだ、あとは待つしかない」
「待つって どのくらいだ、これが完成しないと探しに行けないのか?」
「完成して、且つ地上に着かなければ無理だ、お前達だけで行くことは可能だろう、アレに包まれて怪我も無く降りられる筈だ、無論、その後のことは関知せんがな」
「……そうか」
ぎしりと噛み締めた歯が軋む、ぷりんの言うとおり、自分達だけで降りて行ったとしても早々に行き詰るだけだろう
繕い物を終えて青い顔をした母が、そっと郁治の手を取り、指を一本一本ほどき握った手を開いた
両の手のひらに、爪の痕が四つ、血が滲み、気まずい沈黙が親子の間に横たわる
「二人とも……ご飯を食べましょう? お腹が空くと気持ちも暗くなるわ」
「……ごめん母さん」
「いいのよ、ぷりんも……わたし達と同じご飯で大丈夫?」
「箸も使える」
「そう、なら安心ね」
揃ってダイニングに向かい京子を手伝って夕食の支度を終えると、会話が無く息の詰まる食事が始まった
気詰まりに思っても、テレビが映る筈も無く、ラジオも受信する筈が無い
当然のことながら電気が途絶えているこの状況では、DVDやCDの再生だって勿論不可能だ
それらが無くとも普段なら近所の生活音や車の行き交う音がしていたが、この環境でそんなものが聞こえる筈も無い
いや、CDならプレイヤーが乾電池で動くかもしれない
しかしとてもそんな気分にはなれないし、その乾電池は懐中電灯にでも回した方が余程建設的だろう
環境は味覚にまで影響を及ぼすのか、何時もは美味い妻の料理すらぼやけたように味がよく分からなかった
「……郁治さん、ちっとも美味しくないね」
「京子……」
「早くミヤを見つけて皆でご飯食べようね」
「ああ」
「そうね、そのためにもしっかり食べましょう」
食事の後、様子を見に全員で庭に出た
「……なに、これ」
怯えてしがみ付く京子の身体を支え、ソレを睨みつける
変異の途中なのか、おぞましくも禍々しいその姿は時折蠢き、まるで生物であるかのようにすら見える
蠢いているのが、ソレ自体なのか、それとも内包する肉片なのかは分からなかった
見たのが食後で良かったのか悪かったのか、いや、きっと良かったのだろうと思うことにした
食欲が無くなっては動くことができなくなってしまっていただろう
顔色を悪くし傍目に見ても若干の吐き気を感じている様子の妻と母を家の中へ入るように促すが、二人とも少し離れれば大丈夫だから、と庭の端に移動した
青褪める二人は、こんな光景にも慣れていかなければならないと思っているのかも知れない
「まだ時間が掛かるんだろ?」
「そうだ」
「じゃあ一旦家の中に入ろう」
ぷりんに確認をとった郁治が二人を促した時だった
「どうした?」
怪訝そうな顔をしてこちらを、郁治の背後を見る二人に釣られて自分も後ろを振り返る
何か、もやりとしたものが空に見えた、ソレは、どんどん大きく、いや、近くなっていく
話し掛けられない限りは歯牙にもかけなかった郁治たちの様子を、流石にぷりんもおかしいと感じたのか視線の先を追った
遥かに視力が良い彼女がそちらを見た――瞬間
「伏せろ!」
「えっ?」
もやりとしたものが、大きくなる勢いが増したと思った時には一瞬のことだった
押し寄せる、膨大な鳥の群れ
大きさも、種類も違う、ソレは正しく烏合の衆と呼ぶに相応しい程の
「自決しろだと?! 私が誰か分かった上での発言か!!」
ぷりんが何か言ったようだが、とても聞き取れる状態ではない
なんとか妻と母に合流しようと、普段なら たかだか数歩の距離を、掻き分けるように移動していた時だった
すべては、ゆっくりとした、スローモーションのように
妻を、地面に押し付けるように伏せさせた、母の姿
ギャアギャアと耳障りな鳴き声が周囲を埋め尽くすその中で、妻の、京子の声だけが、耳を貫く
「お義母さんッ!!」
鳥の集団に、体当たりされ、押し出されるように、母が――!!
「郁治ッ!」
眼が合った瞬間、名前を呼ばれ、無意識に、追い縋ろうとした京子に覆い被さるようにして抑え付ける
その姿を確認して、安心したのか、母の、穏やかな顔が遠ざかって……
やがて、見えなく、なった
今回の更新はここまでです、次章が書き終わるまでまた潜ります
読んでくださりありがとうございました!