06
『……ぉ、おにぃたん、ありぁとごじゃま!』
「……あぁ」
引き攣りつつも円満な親戚付き合いのために笑顔を心掛けたあたしの目の前には
目測で軽トラックくらいかなぁ……っていう存在感を放つ、大きな猪の姿焼きが……!
……に、匂いはすごくおいしそうなんだよ、うん
こ、これがね、ちょっと前までもう一つあったんだって
二頭調理して、一頭はあたしたちので、ユンはあたしが起きたら一緒に食べようと思って保存の魔法を掛けて あたしが起きるのを待ってたんだって
……わ、わぁ、優しいなぁ~……
うぅ、今食欲無いんだけど、せっかく作ってもらったのにちょっとしか食べなかったら失礼だよね、ど、どうしよう……
ただでさえお義兄さんさっきから あたしが何か言うたびに微妙な沈黙のあと"ああ"とか"そうか"とか単語しか喋らないし、視線もだいたい逸らし気味……
見た感じ三メートルくらいの巨体でぴくりとも表情の動かない虎の頭が結構なインパクトというか……
あ、あたしこれ歓迎されてないのかな
やっぱり、目が覚めた時に虎の姿なお義兄さんを見てビクッと怯えたのが悪かった?
一応驚いてしまってごめんなさいって謝ったけど、誠意が感じられなかったとか……いやでもだって肉食獣なんだもん!
いや、それなら山で潜伏中にお世話になった狼や熊も肉食獣だろ寧ろお前のダンナも狼じゃん、って言われそうだけどだって山の中には虎はいなかったんだもん!(※熊は肉食ではなく雑食です)
しかも昔動物園で見た虎さんよりも大きいんだもん!!
てっきりユンのお兄さんなんだから笑顔標準装備の人かなぁって思ってたんだけど、無表情だし(いや表情って言ってもテレビで見た威嚇の時の険しい感じしか判断できないけど)あたしが鈍い所為なのか友好的な雰囲気をちっとも感じ取れないし、ユンみたいに日本語を喋れるみたいだけど基本無口だし……
……なんて眼の前で姿焼きの解体ショーを披露してくれるユンから目を逸らしつつ現実逃避を兼ねてこれから先の親戚付き合いに色々と不安を感じていたんだけど、現実は逃避を許してくれなかった
「さぁ都子さん、どうぞ」
「あ、ありがとユン」
再会した現実は美味しそうな見た目と香りであたしの前にあいるびーばっくしてくれた
大きなお皿に解体した元姿焼きを綺麗に盛り付けたユンが床に胡坐を組んで座り、膝にあたしを抱えるとちょうど目の前でテーブルのような高さにお皿を魔法で支えてくれる、っていうか冗談じゃなくどこかの会社の会議室の円卓みたいに大きいんですけどこの一皿、こんなお皿ウチにあったっけ? 普通これだけの存在感があったら絶対 見逃すはず無いと思うんだけどなぁ……
「おいしいです、あの、」
「"美味しい"ですよ」
「ありがとユン、ぇと、"おにぃたんおいちぃ"」
「……ああ」
普段でも小さい子のようなこの状態は恥ずかしいのにそれが第三者……というかお義兄さんの前という公開処刑状態で気が引けるというか申し訳ないというかすみませんというかごめんなさいというか、正直言って現在の体調では寄り掛かれるこの体勢はけっこうと言うか かなりありがたいです、うん、恥と実利は別腹とでも思ってないと、あれ、別腹ってこの場合用法ちが……うぅ……
一緒にお皿に乗せられていたお箸やスプーンをとって少しずつ食べてみると想像してたような臭みは全然無くてとっても美味しい! ……のにあんまり食べられなくて切ない
それにしてもやっぱりご飯って見た目も大事だよね、姿焼きの時よりは食欲が湧くもん、この量だから当然余っちゃうだろうけど保存魔法があるからまた後で美味しく食べられるねって言ったら、今度はユンが作ってくれるって言ってたけど、え、これ全部今食べちゃうの? ユンが?? やっぱりご飯足りてなかったの?!
*** *** ***
お義父さんお義母さんと対面したのは、まだたったの二ヶ月なのにお腹が比喩じゃ済まされない感じではちきれんばかりというか、もういつ生まれてもおかしくないような大きさになって あと八ヶ月経ったらあたしのお腹は一体どうなっちゃうんだろう、っていうか冗談抜きではちきれちゃうんじゃあ……と違う意味でどきどきしていたある晴れた日のことだった
「え、お義父さんとお義母さんが?」
「はい、どうも気にしているようで、使わないとは思いますが一応客間は完成したのでそろそろ呼ぼうかと思いまして」
いや、うん、そりゃ気になるよ、息子がどこの誰とも分からない女と結婚して しかもその上 子供ができてるのに顔も見せに来ないとか、どんな常識知らずかと思って心配にもなるよ
出産と子育てが終わってからと思っていたのですが、とものすごく渋々感を漂わせるユンに、いやそれ遅すぎるにも程が有るでしょ、と心の中で突っ込みを入れつつユンの膝の上から抜け出してメモを取って戻ると、そのままひょいと膝に抱え直され片腕で支えられる
因みに彼のもう片方の手は、あたしの荷物の中にあった時短レシピの本を熟読しているご様子
……この前は手芸の教本を開いていて、天然石を使った手作りアクセサリーのページを読んでいた
ここ数日、旅行の本や手芸の本やロマンス小説、料理の本、何度も何度も読み返してるのは赤ちゃんの名前を考えるためなんだって
あたしはぷりんの名前でセンスに自分自身でかなり不安を感じるからユンみたいに頭のいい旦那さんに考えてもらえると安心は安心なんだけど……
――手芸や料理の本で参考になるの?
「お義父さんとお義母さんの好きな食べ物ってなに? あと気をつけなきゃいけない食材とかは?」
名前は大事だけど生まれるのはまだ先なんだし、取り敢えず現在の急務は お義父さんとお義母さんをどうおもてなしするかだよね
前に聞いた情報で判断する限り、選択肢が消え物ということでやっぱり食べ物かなって思うんだけど今のあたしにはちょっと手作りできる程の体力は無いし、そもそも初対面で手作りの食べ物っていうのも人によっては嫌な思いをさせちゃう可能性が高いし、だからどこか近場に美味しいお店とかあるといいなって思ってるんだけどユンなら知ってるかな
お土産に何かお菓子もあるといいよね、お土産と言えばこの間ユンが仕事帰りに買ってきてくれたクラッシュゼリーがさっぱりしてて食べ易くて美味しかったなぁ
っていうかお土産って大体どのくらいの量を用意したらいいんだろう、ユンの実家のご家族って何人くらいかな、あれ、っていうかこの場合のお土産って義実家に住んでる人の人数分だけ用意すればいいの?
それとも実家を出ている他のご兄弟の分とかも用意したらいいのかな、ど、どうしよう、こういう時のマナーって聞いたこと無い、っていうかそもそも日本のマナーってこっちで通用するのかな、今のところ劇的なカルチャーショックって無いには無いんだけど……
ユンにそういうことを注意されたことって無いし、今のところ大丈夫……なんだよね? え、不安になってきた、だだだ、大丈夫、大丈夫だと思いたい
あ、お土産を買うお店でこういう時にはどうしたらいいのか聞いてみよう、うん、やっぱり専門家に聞くのがいいよね!
「好物……ですか」
「うん、あとお土産は日持ちのするものがいいかな、って思うんだけど、どうかな」
「そうですね……気をつけなければならない食材は無かった筈です、父の好物については母の作ったもの総てです」
「あ、うん、え、あ、はい」
それはどう頑張っても用意できそうにないですね、はい
仮にできたとしても、もてなす相手に料理を作らせるとか無礼にも程がありますよね、うん
それにしてもお義父さんもお義母さんの作った料理なら何でも好きってタイプなのかぁ……、きっとお義母さんも毎日の献立に頭を悩ませてるよね、なんでもいいよ、が一番困る、ほんとに困る
まぁだからって今まで見たことも食べたことも無い料理を要求されても、それはそれで困るんだけど
「母の好みは木の実の使われた料理ですね、その為、父が母の為に作った家も堅牢さは勿論のこと様々な種類の木の実がいつでも好きなだけ食べられるようになっている程です」
「へぇぇ(好みは木の実ってシャレかな、……うん、違うよね、……うん、大変申し訳ありませんでした! あー……うー……えーと、こ、木の実が好みなのは種族的な特性なのかな、前に種? を聞いたことから推理しちゃうと)あ、ユンはお義父さん似なんだね」
「はい!」
嬉しそうにキリッと返される笑顔が神々しいです、眼がつぶれそう……
建てさせた、とかじゃなくってわざわざ作るって言うくらいだし、きっとユンみたいに自力でお家を作ったんだよね、多分
すごいなこの親子
それにしても気のせいかな、背後の……いや横抱きだから横? のユンの尻尾の振りがしびびびびって速度を増したような気配が……と思ったら、その尻尾が、ふ、と止ったような感覚
あれ?
『……ええ、勿論気付いています"都子さん、少々外に出てきますね"』
「もしかして、お義兄さん?」
「そうです」
あたしを抱え込むようにして座っていたユンは、クッションを整えるとそこへあたしを丁寧に降ろし、外へと出て行った
――ベロリとあたしの口を舐めた後で
……えーと、え、あ、あたしの耳には全然聞こえないけど、きっとさっき何か言ったのは多分 外からお義兄さんに呼ばれたか何かへの返事なんだよね
因みにそのお義兄さんだけど、なんでかまだ我が家(の外に)いる……
一応、泊まれる部屋もユンが作ってくれたんだけど、状況を推理するに あたしたちの時と違ってテントも寝袋も毛布も無い状態で外で寝起きしてるみたいなんだよね
外がいいならいいで広大な中庭(やっぱり魔法の力なのか穴の中なのに広さ云々どころか空まで見えて果樹を含む林や畑に、そのまま飲める綺麗な小川付き)もあるからそっちの方が動物もいないし ゆっくり休めると思うんだけど、どういうわけか頑なに外だし
ご飯の時はお昼だけ外で三人一緒にいただくんだけど、朝と夜は一人で食べて……るんだよね? え、食べてるのかな
野生動物なんかだと数週間に一回食べられれば良い方とかいう動物の話も聞くけど、まさかお義兄さんも……?
いやいやいや、待って、外食の可能性……は無理かな、うん、街なら兎も角、ここは山の中だし
あれ、でもユンみたいに足が速いとしたら遠くの街まで外食に行くのもあり?
いやでも、そうだとしても朝ごはんはどうだろう、日本みたいに朝食の時間に開店してるお店ってあるのかな……
……あ、そうか自炊の可能性!!
お義兄さんは晩ご飯を多めに作って朝はその残りを食べてるのかも、だって前に好奇心で猪の蒸し焼きの作り方を聞いてみたんだけど、どう考えても朝そんなことしてたら朝ご飯じゃなく少なく見積もってもお昼ご飯になりそうだし、うん、そんな気がする、いやでもいつもあのサイズの猪とかだと加熱のこととかを考えると下手すると晩ご飯に
……それはともかく朝から蒸し焼きは胃が辛そう……、でもお義兄さんの料理って蒸し焼き以外に食べたこと無いし……、お義兄さん肉食獣だから大丈夫なのかな、いやいや、でも野菜類や穀物も含んでるし完全に肉オンリーってわけでもなさそうだし……
重量感のあるメニューを思い出したせいかなんとなく食べすぎで胃がもたれるような気がしてクッションソファに丸まるような感じで横になった、擬似食べすぎ感のせいかなんとなくお腹まで痛いような気もする……
因みにこのクッションソファは室内小型犬や猫向けに売ってるのをよく見掛けるような くるっと縁取りがあって丸くなりやすい作りになってるアレな感じの形状でサイズにして二畳分とゆーか
背面を兼ねた縁部分と座面は元々適度に埋もれられる柔らかさなんだけど、そこへ更に追加で敷き詰められたクッションは優れた調湿機能と抜群のふわふわ感……更に夫婦のベッドはこれと似たような形状のもっと巨大版で朝起きるのが辛い程の素晴らしい寝心地です、うん
……まさか円形ベッドを自宅で初体験するとは思わなかったけど
伯母さんの話で聞いたバブルの頃に流行ったっていう回転式じゃなかっただけマシなのかも……いや、回るんだったら是非中央でユンにモデル立ちしてもらって動画に収めたい
いやいやいや、混乱のあまり思考がヘンな方向に……!
大丈夫なのあたし?!
そこまで考えてなんとなく恥ずかしさが増しちゃってクッションの隙間で身悶えているとコンコンとノックの音が
「はい?」
見ると玄関の扉から顔を少しだけ出したお義兄さんの姿が……
『どちまちた?』
「両親が来た」
「え?」
りょうしん……リョウシン……両親……え?……お義父さんとお義母さんが?!
次回更新は水曜の同じ時間です