05
(よし)
そろそろ蒸し上がる頃合を見て、弟に食べるかどうかを尋ねようと扉の取っ手に手を掛けようとしたルヴガルドは、唐突に思い出した
*** *** ***
(ここまでのようですね)
先ほど義妹に接触した鳥種が彼女を攫おうと翼を差し伸ばした時、ルヴガルドは弟の合図を受けて跳躍した
奴の後方に位置する建屋の屋根から、体躯をひねり、二人の間を阻むようにして降り立つ
(鳥種は鳥種か)
二の腕に嵌る環に刻まれた咒紋が光の屈折率を変え その影諸共ルヴガルドの姿を消していたが、相手は流石に鳥種らしく空気の流れを読むくらいはなんとかこなすようだ
無音で頭上に現れたルヴガルドに気付き、その素足のままの鋭い爪先に囚われる前に翼を引いた
大きく羽ばたいて後方へと退いたその間を一瞬で詰め、腹を、内臓を押す
『っぐ』
胸からせり上がるものを堪えながら更に後方へ下がりつつ飛び上がる相手のその姿を、先ほど追撃のために詰めた位置を義妹から距離を保つために時折通行人を避ける以外はその場を動くことなくルヴガルドは無言で見上げた
(貸すか?)
(いえ、この距離なら自分で)
多対一でもない一対一の戦いにおいて相手が翼を用いて空を飛んでいるというのは大した脅威にならない
空に居る以上、地上でのような急激な方向転換は翼では不可能、自分一人を目掛けて攻撃してくるのだからソレを迎え撃てばいいだけのことだ
時折、魔術での砲撃を受けるが、相手の操作技能はあまり高く無いようで、ほぼ直線で此方へ向かってくるソレを飛散しないようわざわざ咒紋付きの手甲で跳ね返してやる
勿論、そのまま跳ね返した魔弾を相手に直撃させることも可能だが、今は敢えて紙一重を掠めるように手心を加えた上で
『く、そッ』
誰の眼にも明らかな実力差は、相手の意地を煽ることもあるが、諦めを呼ぶこともある
他の兄弟ならば相手にさしたる実力差も感じさせないよう演技をするのだろうが、残念ながらルヴガルドはそこまで芸達者ではない
せいぜい死なないよう絶妙な加減で弱らせるくらいだ
『がぁ! ……な、どう?!』
衝撃で飛んだその身が商店の壁に叩き付けられ、漸く気付いたようだ
少々古い店には経年による劣化は目立つものの先ほどの衝撃の痕と思しきものは微塵も無い
まだ陽も高く周囲を賑わしている呼び込みの声、商人の遣り取り、買い物客の声と姿、この騒動の最中に模範的な平和で活気ある日常通りに行き交う人々というなんとも異様な光景
そしてソレは、役割を終えたことを示すように消え、代わりに店の中には人が一杯に入り、こちらに背を向け見向きもしない姿を露見させた
先ほどまでの雑踏は総て幻覚だ、鳥種のアヴァニスが珍しいわけではないが、流石にアヴァニスに分類するには多少疑問の残るその姿を晒し、その上 大多数には理解どころか聞きかじったことすらない古代語を捲くし立てるその異様さが通行人の注目を集めないことや、これだけ大騒ぎをして悲鳴の一つすら上がらず人々が行き交うことに違和感を感じていないとは思わなかった
それは兎も角、原理の上では至極単純な話だ
この地一帯の建造物は総て結界で隔離され、中にいる者達は皆幻覚を見せられ建物内に集まっている
先ほどまでの日常風景は、単に弟がものの記憶を探る深淵読みをこの地に対して行使し、読み出した風景を流しただけにすぎない
流石に騒ぎに逃げ惑う民衆の姿はこの場所の記憶に無かった為に早々に気付かれると思っていたが、ここまで気付かないとは
まさか、戦闘中の自分たちの前を平然と通り過ぎる幻覚の人波をルヴガルドが避ける素振りを見せたことにも異様さを感じなかったのか
いくら血の気の多い肉食種の鬱積を発散させる為に月一の頻度で各地で闘技会が行われるのが当たり前だからといって、往来の真ん中で他人の迷惑も考えず唐突に始められる争いを誰も彼もが受け入れる筈も無いだろうに
『もういいのか』
『ええ、追加人員は無いようです』
『?! ユンファイエンス……ッ』
瞬間、風が巻き起こり空へと押し出された相手は、風によって無数に発生した微細な真空に身体を切り刻まれながらもなんとか致命傷を免れ
未練の残る様をありありと伝えるような苦みばしった顔を見せながらも身を翻し、不安定に飛び去っていった
『どうだ』
『混乱していますね、思考が定まっていません』
『そうか』
『落ち着くまでは待つしかないでしょう』
そう言った弟が掌中の珠の如く大事そうにその腕に抱く娘は、何と言うか、その……
(……小さい)
じくじくとこめかみのあたりに痛みを感じ、嫌な動悸もしてくる始末だ
体格的には弟との釣り合いがとれているが、ソレとコレとは別次元の話だろう
正確な年齢は分からないが衣類に覆われていない手や、立っていた時の骨格全体のバランスからして肉体的には成人と判断はできる……ことはできる、――が、なんとも筆舌に尽くし難いものが込み上げて来る
調律前のヴォルシスだった幼い時分なら兎も角、現在アヴァニスの自分には汗をかくような器官は備わっていない筈だが、背筋を何かが伝うようなひんやりとしたこの錯覚は、もしや噂に聞く冷や汗とかいうものだろうか
背後に回した手の甲でこすってみるが、やはり湿った感触は無い
幻術が解かれ、狭い店内から路上に溢れ出す人々の合間を、お互いに姿を消し、行き交う人々に触れないよう建物の屋根や樹木の枝を渡るように跳ぶ弟の後をルヴガルドは追った
――虎の種なのに鳥肌で毛皮を逆立ててドン引きしつつ
『大分 遠くまで逃げますね』
『落ち着いたのか』
『まだ逃げています、しかしこの方角、辺境でしょうね』
大陸の状態と都市の位置関係上とはいえ中央にあるのに辺境というのもおかしな話だが、それは兎も角として視界を盗む弟によればそちらへ逃げているようだ
そこが塒なのか、それとも単なる通過点なのかは分からないが
わざと逃がされたことに気付かず素直に塒に戻ってくれれば面倒が無くて済む
視界と平行して覗き見ている頭の中身については、塒に戻り安全だと確信するまでは落ち着かず冷静な思考能力を取り戻せない可能性がある
以前聞いた弟の話では、頭の中を本人の意思を無視し無理に覗くと最悪の場合は精神破壊をするだろうということだ
やったことがあるのかないのかは敢えて無視するとして、相手の思考に任せるのならこのまま待つ他あるまい、せいぜいが出来て思考誘導くらいだろう
帰りの道すがら仕立て屋に寄ったり粉屋や香辛料の店に寄ったりとしているうちに、弟夫婦の新居に着いたようだ
崖の壁面に取り付けられた扉は弟夫婦の体格に合わせてある為にルヴガルドには少々……いや大分窮屈だ、さっさと中に入っていってしまった弟の背中を見送った後、可能な限り小さく身を縮めるようにして扉の前に立ち、小さな取っ手に爪の先を引っ掛けるようにして扉を引い……
ガン! バン!!
……た瞬間、思いの外軽いその扉は予想もしない勢いで開いてルヴガルドの顔面を強打し、その反動で派手な音を立てつつ勢い良く閉じた
『……』
計らずも顔面で味わった扉は硬かった、とんでもなく硬かった
『言い忘れましたが妻の手で開閉できるように作ってありますから気をつけてください』
『……ああ』
ユンファイエンスが家の中から平時の音量で告げた最早意味の無い忠告に、ルヴガルドはただ返事を返しただけに留まった
*** *** ***
目の前に立ち塞がる、女児の飯事遊びの玩具のような小さなその扉が、思いの外 不意を突く程の凶器だったことを、扉とは全く関係の無い随分と遠い前振りから思い出した彼は
そっと、慎重に、恐る恐るその小さな取っ手に爪の先を掛けた
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