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04

「あの御方と共に戻られたのですね、お懐かしゅうございます

 迎えが遅くなり申し訳ございませぬ、すべて我が不徳の致すところ」


「え、あの、」


「しかし良かった、本当に良かった

 貴女様が連れ去られたとあの御方より聞かされたときには

 御身ご無事でおられるのか、その御心に憂いはないか、と

 案じるあまりこの身が張り裂けるかと思いました」


「ひとちがいじゃ……」


「そのようなこと有ろう筈がございませぬ

 喩えあの頃とはお姿が違おうとも、どうして見間違うことができましょうか」


「あの、でも、」


「ときに都子さま、あの御方はいずこにおられるのでございましょう

 あの御方が貴女様をお一人にしておくなど考えられませぬ

 しかし現状では貴女様はあの御方とではなくあの男と共におられる」


「ま、まって、」


「あの御方がそのようなことを許されるはずがございませぬ

 都子さま、あの御方はどうなさったのでございますか、よもや、あの男が……?

 貴女様の御姿が違うのももしやその所為で……?」



その、ひと……? は、ゆっくりと敬うような口調で話しているのに、まるで捲くし立てるような感じに聞こえて

あたしに問い掛けているような口ぶりだけど、あたしの意見なんてこれっぽっちも求めてないみたいで


跪いたままなのに、まるで詰め寄るように話し掛けられてるみたいで、こわくて、わけがわからなくて、何を……言ってるのか、ぜんぜん、うまく、飲み込めない


このひと、だれ、あの男って、たぶん、ユンのこと?

あたしの名前を呼んだ……でも、このひと、しらない……

それに、ゆるすはずがないって……



「……あの……おかた?」


「お忘れですか都子さま、貴女様の愛娘です、あんなに仲睦まじい母娘だったではございませぬか」


「まな……むすめ……?」



あたしには、娘は、いない

そう言い掛けたあたしは、お腹の子を守るように両の手で覆って後ろへ後ずさったところで、ふ、と思い出した


母さま、と泣いて追い縋る、あの、ぷりんによく似た犬耳の……

まさか、まさか、この……? おなかのこ……なの……?



「そうでございます

 さあ、積もる話もございますが このような場所にいては都子さまに悪影響を及ぼしかねませぬ

 どうやら旗色が悪くなったもよう、あの男が戻ってくる前に此処を離れましょう」


「ひ、」



手のように伸ばされた翼に、頭から血の気が引いてくらくらするような、お腹の底から冷えていくような恐怖を感じ

あたしの記憶は、そこで途絶えた




 *** *** ***




「……ぁ・れ?」


「あぁ、目が覚めましたか都子さん」


「……ゆん?」


「はい、魘されていたようですが、大丈夫ですか?」


「……うなされて? ……あたし、……ねてた?」


「ええ、店内で疲れたのか展示品に凭れ掛かって

 店主が顔色の思わしくない都子さんを気遣って、そのまま休ませて下さっていたそうです」


「うわぁ……そんなめいわくかけちゃってたの?」



後でお詫びに行かないと、と落ち込んでいるあたしに、ユンは果物の果汁を加えた水の注がれたカップを手渡してくれた



「気にすることはありません、さ、どうぞ」


「ありがと……でも……」


「謝礼も兼ねて沢山買ったので大丈夫ですよ

 またのお越しをお待ちしておりますと店主が笑顔で言っていました」



そう言ってくれるけど、迷惑掛けちゃったことには変わりないし、さっきのヘンな夢のことも思い出すと夢見が悪かっただけで実際には現実で特別何か問題がおこったわけでもないのに、なんだか物凄く気分が落ち込んじゃう……



「そのくらいにしておきますか?」


「……うん、あの、せっかくよういしてくれたのにのこしちゃってごめんね」


「気にしないで下さい、まだ少し顔色が悪いですね、もう少し休んだ方がいいでしょう」


「うん……」



あまり飲めずに残してしまったカップを受け取ったユンが安心させるような笑顔で頭をなでて促してくれると、ほっと安心するように力が抜けて、あたしの意識はそこで途切れた




 *** *** ***




『……寝たか』


『ええ』



古代語は弟程には堪能ではないが、何を言っていたのかはそれなりに分かる

アレを、弟は夢の出来事にしてしまうつもりのようだ

その"アレ"は、程よく痛めつけたところで逃がし、今は泳がせている


膝に抱え込み毛布に包んだ義妹を寝かしつけた弟は、彼女が飲みきれなかったそれをぐっと口に含み、眠る義妹に少しずつ飲み込ませる

飲み切れなかったのは彼女の気持ちの問題であって、実際に腹がいっぱいになって物理的に飲めなかったわけではなかったのだろう


普段の顔色は知らないが、青白く血の気の失せた姿はルヴガルドにも疲弊していると判断できる

本当はもっと滋養のあるものを食べさせたいのだろうが、弟があれしか与えないのなら今はそれ以上は無理だと判断しているのだろう



『あぁ……死んでしまいました』


『手心が足りなかったか』


『いえ、自害です』


『そうか』



アレは自害したらしい



『何か分かったか』


『あまり大したことは、"あの御方の為に自決せよ"と叫んで自分の頭を吹き飛ばしました』


『"あの御方"か』



確か義妹相手にもそんなようなことを言っていたことを記憶している、勿論ルヴガルドにはあの御方なる人物の心当たりは無いが、弟にはあるようだ

後は弟が好きなようにするだろう


当の弟は、義妹が擦り寄りでもしたのか尾を振っていた、力の限り振りたいのを極力我慢するような動きを見て取るに、義妹の体調を気遣う理性はまだ残っているようだ


今までお世辞にも尾を振らなかった兄弟が頭でも打って人格が入れ替わったようになった姿は何度も眼にしている、大丈夫、何も問題は無い、人格異常は各々の妻に対してだけだ


色々と思うところはあるが、この世の終末を実感してしまいそうになる弟の顔は見えても義妹の顔は毛布に埋もれてしまいルヴガルドからは見えない、色々と思うところも一切見えない、それで総て丸く収める、大丈夫大丈夫、節穴大いに結構、不安も懸念も何も見えはしない


弟は義妹が目覚めるまであの体勢を崩す可能性は低いだろう、彼は弟夫婦に見切りを付け、晩の食材を確保する為に弟手製の穴蔵から出た



『無いとは思いますがお気をつけて』


『ああ』



この場合、気をつけるのはユンファイエンスの張った罠を台無しにしないように気をつけろ、ということだ


玄関を仕切る扉は恐ろしく軽いが、その守りは実家よりも遥かに硬く頑丈だ、実体験付きで保障できる

武器として使えば鍛え抜かれた名工の逸品よりも優れた防具を兼ねる武器として重宝するに違いない

……たとえ扉を振り回す姿が周囲の眼にどう映ろうとも


先の経験を踏まえ弟夫婦に合わせた扉から慎重に且つ窮屈そうに野外に出るとある程度家から離れた場所まで移動し軽く手首を振る、手甲から伸びる鋼線を引くと、藪から側頭部を鋲で撃ち抜かれた猪が釣り上げられた魚のように姿を現した


普段ならば常時気配を抑えている関係で狩りはもっと楽だが、ここは、殊に家の周辺は義妹を守る為に弟の濃厚な気配が満ちていて獣の気配が殆ど無い、身内のルヴガルドや鈍感な一般人は兎も角として感覚の鋭い者や野生生物は落ち着くことができずそわそわと四六時中気が休まらない筈だ


釣り上げた猪の頭から鋲を引き抜き、もう一度投げる


義妹の分も獲ろうかと考えるがやめた、いらぬ世話を焼いて面倒なことになるのは分かりきっている

当たり障り無く弟の分だけ用意すればいいだろう、食べるのなら弟が自分の分を義妹に分け与えるだろうし、弟も食べなければ自分で全部消費してしまえばいいだけのことだ


水場に首を掻き切って逆さに吊るした二頭から血が抜けるのを待つ間、ルヴガルドは中に詰める木の実や山菜を採ることにした、穀類や香辛料は足りるがそれだけでは味気ない


ほぼ無意識に山の恵みを集めつつ、ルヴガルドは母に下された任務を思い出していた


それは父に弟の嫁のことを聞かされ、いつでも呼び出しに応じられるようにと言い含められ、荷物を纏めに自室へ向かう道すがらのことだった



『ルル』



母に呼び掛けられ、顔を上げつつ振り返る



『話は聞いたね』


『ああ』


『食べ物の好き嫌いと、好みの色の系統と柄を探っておいで』


『分かった』



先ほど父親に呼び出される前に一度擦れ違ったが、その時に母親に話をしていたのだろう

父親にとっては妻である母親が自身の命より上で息子や娘はそれよりも下なので、重要なことはまず一番に彼女の耳に入る

先に父から話を聞いた彼女は先行して息子の嫁と対面するルヴガルドに要事……いや、用事を言い付けた



『それからあの子が浮かれきって度を越しているようなら殴って諌めておやり』


『ああ』


『その娘は今、誰も理解してやることのできない不安を抱えているんだからね』


『分かっている』



どういった突然変異なのか義妹は獣や昆虫 植物を除き世界で唯一命を生み出せる人間の女だ、当然様々な欲と悪意を集めることになる


……が、問題はそんな些細なことではない


義妹の身は当然弟が守るだろう、向けられる悪意にも恐らく気付かせることすら無い

では何が問題かといえば、考えるまでもなくユンファイエンス本人だ


かつて何度も経験してきた……うんざりする程に


のぼせ上がった兄弟に水を差すのがどんなに面倒で殊更に面倒でそしてどうしようもなく面倒なことかはよく分かっているが、浮かれ過ぎた暴走の果てに兄弟の伴侶との仲が拗れたりすると、そんなこととは比較にならない程うんざりとそれでいて面倒で且つ面倒で更に面倒でくどい程に面倒なことになることは火を見るよりも明らかだからこそ従う以外に選択肢は無い


しかし、それも絶対的な母が諌めるのなら兎も角、諌めるのが兄弟となるとその効力には陰りが勝る

因みに母親に逆らうことは父親が絶対に許さないのでこの世が滅びてもそんなことはありえない


一抹の不安……ではなく一条の光は弟の頭がいいことだ

弟の頭が理性的に機能してくれることに望みを掛けよう


今のところ、具合の悪そうな義妹に無体を強いるようなことは無さそうな様子で一安心といったところだ……が、



(血の雨が降る)



あんなに小さな身体の義妹を母が見れば、高確率で発狂し、母が何も言わずとも先んじてその意志を汲んで父が審議も審判もすっ飛ばし裁きを下す


義妹のあの幼児の如く小さな身体という強烈な第一印象は母の冷静さを奪うのには充分だろう


そんな義妹がその上更に孕んでいる、……というか、幼児と見紛う娘が孕むような原因があったという驚愕の事実


……どう考えても犯罪という解答しか導き出せそうに無い



(……なるようにしかならん)



自分自身のことではないのに後の恐怖を思えば、最早、悟りを開くしかないこの状況


何度目か分からない溜息をつきつつ採取を切り上げたルヴガルドは戻って粗方血の抜けた獲物の腹をその場で開き、そこから丁寧に抜き出した臓腑は後々加工処理することにし、ざっと血を洗い落として弟の家の前まで獲物を持って戻ると抜いた臓腑の代わりに採ってきた木の実や山菜と穀類 香辛料をたっぷりと詰め込み、乱雑に縫って腹を閉じると毛皮を剥がないまま薄く土を被せ、その上に枯れた枝葉を積み上げて火を放つ


蒸し焼きにしたソレは食べるときに皮を剥げばいい



(血の雨……赤……か)



血の雨から赤色を連想し、そういえば義妹は赤い色のケープを纏っていたな、と思い出したルヴガルドだが

血の赤だから赤色が好きだとか断じてそんな理由ではない


現在の服装は腹部を圧迫しないもので義妹の為に弟のユンファイエンスが独断で仕立て屋に依頼し色は単に手持ちの服に準じただけのことで、ケープは身体を冷やさないためのものだが、残念ながら彼にはそんなことは分からなかった


一方で、先刻 血達磨に染め上げるのは勘弁してやった梟のアヴァニスを思い出す

弟の話ではアレは既に自害したようだが



(好物は梟肉でいいのか?)



梟が食用肉に向いているかどうかは兎も角、例え元は義妹の好物だったとして その後に夢だと認識させたとしても、あの怯え様を思い出すに今では嫌いな食べ物になっている可能性は充分にある


――が


ルヴガルドが義妹を視認してからの僅かな時間に接触したのが梟だけだからといってソレを好物と判断するのは強引過ぎるだろう

というかその理論で言うと、一番接触時間が長いのは狼である弟なので、義妹の好物の肉は狼肉ということになる


勿論、たんじゅ……純朴なルヴガルドはそこまで考えが至らないであろうし、ソレに対して"比喩的な他意"は他の兄弟でなければ思いつかない……が、敢えて言う



馬鹿も休み休み言え。

次回更新は水曜の同じ時間です


※肉を狩って料理する描写をしているくせに注意するのを忘れていましたが今からでも書いておきます

 素人が熟成肉を作るのは有毒な黴などを発生させる原因になるのでやめましょうね!(詳しくはぐーぐる先生で!)

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