隔絶
「ボオオッ…」
串に刺さった肉の表面を、燃え上がる炎がゆっくりと焦がしていた。
「なんじゃと?百五十年前に本を書いた人間が、まだ生きておるのか?」
「ああ、そういう事になる。おれもまだ会ったことはないが、ゲルニスには代々、その山の近くで暮らす一族がいてね。ソルシャインなる男性が存命しているかどうかは、一年に一度、一族の者を通じて伝わってくる決まりだ」
「嘘だろ?どんなじいさんだよ、いったい……」
「さすがに、人間の寿命を超えているが……レシオン、さっき言った国宝というのは?」
ルーナは目を大きく開きながら、興奮を表に出さぬようにつとめていた。
「ゲルニスに古くから伝わる聖剣、ゲーニッシュの剣だ。かつてゲルニスの国が誕生した時に作られたとされる国宝で、帝都の北にある神殿に安置されている。国を束ねる者でも簡単に目にする事はできず、国家の滅亡の危機にしか、その封印を解いてはならないとされている」
「封印か。ラウの鏡と似ておるのう」
「そうだな。その神聖さゆえに、現存するのかどうかも、ほとんどの者にはわからない。伝承では、約二千二百年の間、一度も封印は解かれていない」
「そうか…!皇帝が、その剣を!」
「さすがだな、ルーナ。その通りだ。どうやらあの男は、ゲーニッシュの剣の封印を解こうとしているらしい」
オレンジ色の炎に照らされながら、レシオンの表情が曇っていった。
「聖剣には強い魔法の力があると伝えられていて、国の危機に封印を解く事を、ゲルニスでは開天の儀と呼んでいる。神殿への祈りと結界の解放のため、選りすぐりの術士達が長い時間をかけなければ、儀式は終わらないとされている。いかに皇帝の命といえども、すぐに終わらせる事はできない」
「どういう事だよ。何がなんだか……もしかしてその剣が、魔石の封印を解くのに必要なのか?」
「その可能性は高い。あの男はおそらく、聖剣を自分の野望に利用するつもりだ。おれがラフィーナで見た石碑には、ラウリヌスの鏡の事しか記されていなかったが、あの男にはわかっていたんだろう。魔石の秘密が……フォルデルグとは別に、あの男に情報を伝えている人間がいるはずだ」
「なるほどのう。点が線につながってきたわい。それが、リピステスという事か」
ロンは右手で白いひげをさわりながら、険しい表情を浮かべていた。
「ああ。特務隊の中には仲間にも顔を隠した、幻鵺と呼ばれる諜報員がいる。ロン達がシラメリアで会ったというその男は、おそらく幻鵺だろう。やつなら、陰であの男とつながっていても不思議ではない」
「あいつが、マリーさんを…!」
アルはうつむきながら拳を握りしめた。
「ラウリヌスの鏡に、アルの首飾りの石、そして、聖剣ゲーニッシュの剣……大賢者ソルシャインなら、何か知っているはずだ。おれは、彼に会って話がしたい。簡単にはいかないだろうが……」
レシオンはゆっくりと顔を上げ、空を見つめた。暗い雲の隙間から、緑色の星が小さな輝きを放っていた。
「賢者は下界の争いに介入せず。下界の人間は、賢者の領域に介入せず……ゲルニスの中では、たとえ皇族であっても、ソルシャインと直接的な関わりを持つ事は禁じられてきた。国同士の争いに、自分の存在を利用されたくないという想いが、彼にはあったらしい」
「それで、山の中に?」
「おそらくは。国でもっとも魔法に詳しい人間であるにもかかわらず、魔道新書以外で、自身の知識を伝えようとはしない。軍事の面でも、彼の存在は極めて重要ではあるが、強行的に捕えようとすればどんな反撃をくらうかわからないので、互いに不可侵の状態が続いてきた」
「藪をつつく事になる、か。未知の魔法は脅威じゃからのう」
「ああ。彼の損失はゲルニスにとって大きい事も相まって、あの男でさえ静観を続けている」
「なかなか厄介な相手のようだな。だが、確かに大きな秘密を知っているかもしれない」
ルーナは銀色のコップをゆっくりと口に近づけた。
「今、ゲルニスには彼の力が必要だ。おれが旅したラフイーナの遺跡には、こんな一文が記してあった。魔石の封印が解かれる時、二つの扉が開かれる。繁栄の扉と、滅びの扉が、と……少し遠回りになるが、彼に会って情報を集めたほうがいいと、おれは思う」
「うむ。わしも賛成じゃ。マリーの件にゲルニスの皇帝も関係しておるとしたら、無策では厳しいじゃろう」
「ええ。目的がはっきりわからなければ、後手に回り続ける事になる。私も賛成だ」
「ありがとう。一族の者を介する形にはなるだろうが、なんとか今の状況を伝えて、接触してみようと思う」
「……」
アルはあぐらをかいて座りながら、じっと焚火を見つめていた。
「アル、どうしたのじゃ?」
「いや……ロン、おれに、あの奥義ってやつを教えてくれないか?」
「奥義を?」
「ああ!前は簡単におぼえられないって言ってたけど、それでもいい!何もしないよりは…!」
「ふむ…」
「魔法を使えない以上、武術をおぼえるしかない。やってみなきゃわからないから、だから……」
アルは拳を強く握りながら、ロンの顔を見つめていた。
「わるいが、それは無理じゃ。教える事はできん」
「どうしてだよ?確かに、おれにはできないかもしれないけど…!」
「ちがう。わしのほうが無理という意味じゃ。わしはまだ、全ての奥義を習得しておらん」
ロンは真剣な表情で前を向き、焚火の炎をじっと見つめていた。
「極四帯拳の奥義は、四つ全てを習得した者でなければ教える事はできん。不完全になるとされておる。最後の一つが、まだわしにはできんのじゃ」
「なっ!ロンさんでも?」
「わしの師匠は、他に並ぶ者のいない天才だった。伝承の途絶えた極四帯拳の極意を、古い書だけを頼りに体得し、旅をしながらさらなる修行を続けておった。才能のないわしでは、永遠に追いつけん存在じゃ」
「才能……」
「才のある者が一つの奥義を体得するのに二十年……それが、大昔から言われてきた目安とされておる。二つで達人、三つ体得する事ができれば、拳を極めた者として、人々からあがめられてきた。それより先は、人間の踏み込める領域ではない」
舞い上がる火の粉を見つめながら、ロンは静かに息を吐いた。
「気持ちはわかるが、わしにはまだ伝える事ができんのじゃ。すまんな」
「そんな……」
「確か、突然使えなくなったんだったな。ゲルニスでも聞いた事がないケースだ。今もザラは感知できないのか?」
「ああ。なんにも感じない。魔法をおぼえる前と同じだ」
「感知も無理となると、根本的に使えなくなったという事か。もしかしたら、首飾りの反動なのかもしれないな」
レシオンは腕を組みながらうつむいていた。
「反動?」
「ああ。今まで、アルは首飾りの石を常に身につけていた。その状態で修行をする事により、おそらく通常よりもはるかに早い速度で、魔法をおぼえる事ができたんだろう。だがそれは、本来の成長速度ではない」
「きっかけとなっていた石を失った事で、アルがそれまでに得た技術や感覚も、共に失ってしまったという事か?」
「そのような気がするな。強すぎる力には、必ず反動がある。一度失った力を取り戻すのは、初めから首飾りのない状態で修行をするよりも、時間がかかるかもしれない」
「……」
アルは口を固く閉じ、険しい表情でうつむいていた。
「っと。すまん、少し落ち込ませてしまったな。困難な状況ではあるが、何か方法はあるはずだ。大賢者ソルシャインなら、打開策を知っているかもしれない。体は動くのだから、まだまだ希望はある……よし、そろそろいいだろう。ひとまず、焦げないうちにいただこう」
「そうじゃな。何をするにも、まずは腹ごしらえからじゃ」
「ああ……そうだな!あ、ロン!だからおれの分を食べるなって!」
「フォッフォッ!早い者勝ちじゃよ!」
「フフッ。おれも早く食べないと、また倒れてしまいそうだな」
レシオンは嬉しそうに笑いながら、串にささった肉を手に取った。焦げ目のついた肉を、オレンジ色の焚火の光が優しく照らしていた。
「ヒュー…」
冷たい風が吹く山道を、白いローブを着た人間が歩いていた。ゆったりとしたフードが表情を隠し、腕の先には、服の袖の部分に沿うように、緑色の線が入っていた。草木のない上り坂には、足首以上の深さに雪が積もり、生き物の気配は感じられなかった。
「ザッ。ザッ」
ローブを着た人間は一定の速度で前へと進み、坂の上を目指していた。茶色いブーツが雪にめり込み、地面にできた足跡が、はるか後ろまで伸びていた。灰色の雲からは白い雪が落ち、積もらずにかき消えてしまう程度の粉雪が、風に吹かれゆっくりと降ってきた。
「……」
上り坂の途中にある曲がり角で、白いローブを着た人間は静かに立ち止まった。山の中腹にできた角からは下に広がる村が見渡せ、緑の木々と小さな家が所々に見えていた。山道と比べると雪の量は少なく、淡い雪化粧が美しい景色を作り出していた。
「ドゴオッ!」
山の上から大きな音が響いてきた。白い斜面をすべり落ちるように、剥がれた雪のかたまりが、山道へと落ちてきた。巨大な雪は、小さな家なら軽く飲み込めそうな大きさをしており、岩のような角ばった形をしていた。厚みのある大雪は、ローブを着た人間の所へと勢いよく向かっていった。
「ジュオオッ!」
突如、大きな雪のかたまりが、空中でかき消えた。熱に溶かされるように、ローブを着た人間の頭上でかたまりごと蒸発し、白い蒸気が空の上へと昇っていった。蒸発する雪の下で、ローブを着た人物は微動だにする事なく、じっと前を見つめていた。
「ザッ。ザッ」
冷たい風が吹く中、茶色いブーツが一定のリズムで音を刻み始めた。ローブを着た人間は坂道を折り返し、再び山の上へと歩き出した。白いローブをなびかせながら、雪の降る静かな道を、前へと進んでいった。




