06 愛する王子と腰巾着
俺からこぼれた涙を喜びだと思ったのか、ヴィーは傷付いたように笑った。
違うって言わないと。
――……なんて言えばいいんだろう。
ヴィーは身代わりになった俺にずっと負い目を感じていて、人知れず心を痛めていたのかもしれない。
それに『これは嬉し涙じゃなくてヴィーと結婚できなくて悲しいから』なんてふざけた解答にも程がある。
無意識にヴィーの喜ぶ解答を探してしまう俺は、骨の髄までヴィーの腰巾着だった。
「ちが……っ」
「いいんだ。何も言うな」
何が違うのか自分でも解答が考え付かないまま、とにかく違うと取り繕った。
「お前……っ! 今更引き返せると思ってるのかよ! 陛下も王妃様も認めて下さって大変喜んで下さった! 学園の受け入れてくれた皆にもどう説明したらいいんだ! 一度決めたことを覆すとかヴィーの評価だって……っ それにっ」
男に戻っても、もうゴマすりしか出来ない無能な俺の居場所はヴィーの隣にはない。
ヴィーのことを好きになってしまったから、俺はヴィーの服を掴み、みっともなくもすがってしまう。
「その程度で評価が落ちたら俺はそこまでの男だったっていうことだ。レノアが気にするところじゃない」
痛い程感じる優しさが辛い。
このまま手を離したら、もう俺の手の届かない遠いところに行ってしまいそうで怖い。
しかし親友に、男の俺が
王子に、腰巾着の俺が
自分の自分勝手な……気持ち悪い想いを押し付けることは、どうしても出来ず。
ヴィーは優しく俺の手をほどき、
「お前は男に戻れ」
と、立ち去った。
◇
俺主催のお茶会は副主催にヴィーが付き、俺クラスの貴族が開くお茶会にしてはいささか豪華になった。
呼ぶ人間も俺より格上ばかりなので、もしもがあってはいけないと使用人たちと綿密に話し合った。
「……あら?」
「どうした?」
王宮からヘルプに来てくれたパーティなどのコーディネートをするプロの、センスの高そうな年頃の女性が俺を見て目を丸くしていたことに不思議に思う。
「そのネックレスに通してあるもの……指輪ですよね?」
「あ!!」
服の下にしまっていたネックレスにつけた例の指輪が見えてしまっていた。
「まあ!! もしかしてヴィンセント王子からの贈り物ですか!?」
「きゃー!! 素敵!!」
用意の話そっちのけでみんな指輪の話題に食いつく。
確かにもらったはもらったけど、縁切りの指輪だよ……。
そんなことも言えずに曖昧に笑顔ではぐらかして準備へと促した。
例の指輪は今も俺がもっている。
あの装備品を持ってきたのは呪いをかけた一家の者だったらしい。
減刑を求めて必死に献上したらしく、呪いを一時的にでも無効にする装備品は価値が高いとのことで多少の減刑が決まったらしい。
俺が死んだ後もこの装備品は色々と使い勝手は良いだろうし……全員がハッピーエンドで良い事な筈なのだが……俺的には完全に呪いをかけた一家に振り回されている。
まったく、どこまでも厄介なことしてくれるよ……。
お茶会の噂は風の噂で広まり、王子が副主催ということで男女共にお誘いを断る者はおらず、むしろ出席させてほしいと俺に頼み込む者までいる始末だった。
「……レノアを一人にしておくと危なっかしくてかなわん。出来るだけ俺の映えるところにいろ」
「お茶会に参加したくてみんな必死だからなぁ……」
流石に王子がいるタイミングでは頼みづらいのか、ヴィーといる間は平和だった。
むしろ二人だと気まずいからこの時間こそ来てほしいんだが……。
俺たちは中庭の陽当たりの良いテーブルで男女混合のお見合いモドキなお茶会の内容を話し合いながら優雅にランチを頂いている真っ最中である。
国王公認の婚約者候補同士なのだし、元腰巾着で一緒にいるのは当たり前だし、急に距離を置くような喧嘩をしているわけでもないのだから一緒にいるのが周囲から見た普通。しかしただただ気まずい。
中庭の絶景スポットは周りからも丸見えなので「王子様だ……!」と注目の的になっている。
「大丈夫かレノア。時が過ぎれば過ぎる程戻りづらくなるぞ」
そう心配してくれるのは俺が女で居たい元凶のヴィーことヴィンセント王子。
女嫌いを拗らせたヴィーに「お前が好きだから戻りたくないんだよ」とも言えず、曖昧に過ごしている。
「学園でみんなが俺が女になった事に馴染んできたのに、急にまた男に戻るのは混乱するだろ」
いつまで引き延ばせるのかわからない問答を繰り返す。
「父上やレノアの両親は気にするな。俺から説得する。呪いも完全にとけたわけじゃあないがとけるに越したことはない。お前はなにも悪い事をしてないんだから、お前の好きにしていいんだ」
ヴィーは決めたら俺の意思など関係なくゴリ押して何から何まで即決で決めていってしまう。
俺の気持ちを尊重する尊重する言ってるくせに、俺が結婚を嫌がっている前提で進めていってる。
……本当に嫌がって破棄したいのはヴィーの方なんじゃないのかよ、と言いたくなってしまうくらいだ。
「……ヴィーは早急すぎるよ。もうちょっとまわりの様子をみてからでも遅くはないし、俺は大丈夫だから」
「なにが大丈夫だ。お前は俺の立場しか考えていないだろう」
そう苦言をこぼされるが、俺は心の中で反論した。
(そんなことないよ!! 好きにしていいって言われてハイそーですかって従ったらお前のこと押し倒してるかもしれないような痴女(男)だぞ俺は!! くっ 殺せ……)
男の頃にはされたことのないような慈しむような瞳で見つめられて、照れてつい下を向いて目をそらしてしまう。
だめだ。親友がかっこよすぎて好きすぎる。
ううっ 自分がキモい……。
なんとも矛盾を抱えた状態だ。
俺はヴィーを幸せにしたいから、ちゃんと好きになりたいと思った。
この頃から多分俺は浮かれていたんだ。自分を殴ってやりたい。
本当に好きになったら、ヴィーは『身代わりになった俺に同情して、責任感で結婚する』という落差に気付かなかった。
今回の指輪でとどめを刺されたかたちだ。
産まれてこの方ずっとヴィーだけを追いかけてきた俺は恋だってまだで。
多分これが俺の初恋だったんだろう。
「…………」
浮かれていた反動か、頭に力が入らない。
うしろ向きな考えをしてしまう自分が『男に戻った方がヴィーのため』と言う。
(『ヴィーには逆らえない』っていう免罪符で、嫌われるという恐怖から逃げようとしてるんじゃないか?)
長年ヴィーの腰巾着をしてヴィーだけを見つめていた自分が『ヴィーの幸せは本当に俺が男に戻ることなのか?』と問う。
(いや、それも俺に都合が良い考えだ)
「…………」
「…………」
振られたくない。いや実際は振られる前にそんな土俵にも立ててないのだが。
自分の感情に戸惑いながら、味のしないサンドウィッチを平らげた。
◇
「……なんていうか、学生がやるお茶会のレベルが違う気がするんだけど……」
「そうか?」
お茶会の会場の装飾や紅茶やお菓子、音楽諸々の準備は全て王宮からヘルプで来たセンスの良いコーディネーターさん達が全て考えてくれた。
出資はスポンサーで王族であるヴィンセント王子様が一括で受け持ってくれ、俺たちがやったことといえば飾りつけと雑事、あとはカンペを見ながら主催という名前を背負ってればいいだけだ。
王族であるヴィーはこのレベルのお茶会にしか出席したことがないそうだ。伊達に大陸治めてないな。
とはいっても俺もお茶会なんて義理で誘われた学生のお茶会や、子供の頃、母上に連れていってもらった女子会くらいしか知らないが……。
お茶会というよりパーティ会場だ。冗談で男女混合のお見合いモドキお茶会などと茶化していたが、これは本当にそうなってしまうかもしれない。
来ている学生たちも指定された通り正装やドレスだし、女性陣の見た目も気合が入っている。
「神様レノア様……俺はやってくれると信じていたよ……!」
お目当ての女の子のオシャレ姿に感動した男子たちが俺を拝んでくるが、俺はただのお飾り主催だった。
「いや、やったのは殆どヴィーだから……」
「ビリジアナ嬢やっぱり美しい……!!」
そう男子たちが鼻息を荒くしている先にビリジアナ嬢はいた。
やっぱり美人で、男子たちみんな狙っているのが遠目からでもわかる。
俺はチラリとヴィーの方を見た。
やはりヴィーの周りには人だかりが出来ていて、俺が蹴散らしもしないから群がり放題だ。
しかし自重しないヴィーは「邪魔だ」と大変上から周りを蹴散らしていた。
俺が蹴散らして邪魔しているのをにこにこと見ていた優しい王子だと思っていた者たちは怯えた様に委縮していて「俺って本当に必要だったのかな……」と哀愁を感じる。
一人になったヴィーにビリジアナ嬢は挨拶に行っていた。
(ビリジアナ嬢が他の男にとられる前にヴィーを自由にしてあげるのが正解だ)
俺は男の頃も女になっても凡人で、この大きな大陸の国母になる程の技量には全然達していないだろう。
ビリジアナ嬢はヴィーをとても愛していたし、美人だし、人柄を見る限りヴィーを悪いようにはしないだろう。
俺が対抗できるところがあるとしたらヴィーの尖った性癖に付き合ってあざとい紐パンを履いてやれることくらいだ。
圧倒的に負けてる。
悲しいくらいに勝てるところがない。なんだよ紐パンって。
ヴィーの隣に自分以外の誰かが隣にいるとモヤモヤした。
完全に負けてるけど、それでも俺はヴィーが好きで、諦めたくない。
(――……告白しよう)
そこで気持ち悪がられても、もう腰巾着の役目はなにもないのだからどうせ一緒にもいられないだろう。
男に戻りたくないという、初めてヴィーの行動を真っ向から、絶対に、拒否すると決めた行動をとることに武者震いがした。
……いや、普通に震えてるのかも……ヴィーの腰巾着が魂単位で刻まれてる……。
そう決意したはいいものの、挨拶を一巡して自由になった頃にはサプライズに有名な演奏家を紹介したり、行列の出来るスイーツ店のパティシエが目の前で作ってくれるなど派手な事柄が目白押しで俺たち――というか俺はバタバタと慌ただしく駆けまわっていた。
それなのにヴィーは俺がいないと「レノアはどこにいる」と呼ぶし……嬉しいけど、お前結婚したいのかしたくないのかどっちなんだよ。
俺だってヴィーとちゃんと話したいことがあるんだ!!
ヴィーに呼ばれるままそっちに顔を出し、二人きりで少し話せるチャンスがあったのでコソリとお伺いを立てた。
「……ヴィー、……今日のお茶会後、話があるんだけど、予定空いてるかな」
「…………」
なんとなく空気を察したのだろうヴィーはいつになく真剣に「空けておく」と返事をした。
◇
お茶会が終わり皆をお見送りする頃にはすっかり日も落ちて、空気も少し冷たい。
流石に後片付けは使用人たちに任せ、ヴィーの待つ俺の部屋に向かった。
思えばヴィーが素っ頓狂な求婚をしてきたのも同じ部屋だったな。
まさか俺が求婚し返すとは……ヴィンセント=スカイフォードって奴はなんて恐ろしいんだ。
部屋に入るとやけに真剣な顔で待っているヴィーがいた。
同じ筈なのにこの部屋に入った途端空気が重くなって息がしづらくなる。
「話とは、なんだ」
この有無を言わせないような絶対的強者感が、大好きだが、相手にすると苦手なんだ。
いつもみたいに表情が出てないなくて更に怖い。
これからコレに逆らわないといけないのか。腰巾着の俺が。
「……この指輪……」
「…………」
俺が指輪を出しても予想はしていたのだろう、無反応だった。
「か、返す……」
弱々しい声でだが精一杯の反抗をもって指輪をヴィーに付き返した。
「男に戻れと言っただろう」
当たり前のように表情無くヴィーは素っ気なく突っ返した。
「でっ、でも……っ」
「俺の言うことが聞けないのか」
「……っ!」
そんなこと言われたらごめんなさいしか言えねえだろうが! 話し合いさせろ! 頼むから!
なにも言えなくなるが指輪を取り下げることもしたくなくてずっとヴィーに指輪を渡すポーズで固まってしまっていた。
ヴィーの顔にも苛立ちのような、焦りのような姿が見え始め、重く、固くなった空気を吹き飛ばすようなため息を吐いた。
「頼む……、もう俺はお前を傷付けたくないんだ」
俺は何も傷付いていないし、なんなら今が一番傷付いてる。
「……それって……」
――いつでもヴィーの気持ちを察するよう生きてきた俺は即座にヴィーの言っている意味を考えた。
言っている意味を素直に捉えるなら、『俺がヴィーの為に女で居よう』と断っていると思ってる?
つまり、少なくとも『俺のことを気持ち悪くて男に戻れ』と言っていたわけではなくなった。
ヴィーは俺のことが気持ち悪いわけではない……!
「う、受け取りたくない!」
それに気づいて勢いづいた俺は決死の覚悟で牙を向いた。
「レノア」
いつにない俺の様相にヴィーも困惑気味のようだ。そうだろう。
俺の世界の、絶対の存在である俺の存在意義に真っ向から立てついている。
「ヴィーが言ってた通り俺、ご機嫌とり役だったからさ。今までヴィーの意見を止めることはあっても否定も拒否もしなかったよな」
絶対に逆らうと覚悟を決めて話しているからか、声も震える。
「……ああ。そうだな」
嫌なことであってもヴィーが言ったことなら従っていた。
根が良いヤツだから嫌なことって言ってもたかがしれてるけどさ。
「いつもヴィーの言ってることは正しくて、俺はホイホイ従ってたけど、今回は……今回だけは……」
今だってこの行いが正しいのかわからない。
怖くて手が震えて涙も出てきた。
「レノア、大丈夫か……?」
相手にさえ心配される始末だ。
俺を落ち着かせるように背を撫でながら俺の顔を見てくるヴィーはいつもの優しい顔で、俺は更に涙がこぼれた。
「……ヴィーの側室でも妾でもいいから、お嫁さんになれねえかなあ」
もうヴィーの側にいられたらなんでもいい。無理ならメイドだっていい。
好きという気持ちが爆発しそうで辛かった。
「男に戻れるのに、ホント、キモいかもしんないんだけどさぁ……っ」
グズグズと鼻水をすすりながら大泣きする俺はどこの子供だ? というレベルだ。
折角可愛く盛ってもらった化粧もボロボロに手について顔もぐちゃぐちゃだろう。
そんな俺を笑わずに肩を強く抱き、向かい合ったヴィーに一喝された。
「馬鹿言え!! お前を娶れるなら他に誰もいらんと前から言っているだろう!!」
俺の手から指輪を受け取り、部屋の隅に放り投げた。おいそれ今後国で所持するとか言ってなかったか。
そんな俺の思考を置いてきぼりに俺を横抱きに抱えて立ち上がった。
「あんな指輪より良い指輪を買ってやる」
◇
それからのヴィーは凄い剣幕で俺を抱えて「結婚するぞ!!」と出てきたらしい。
周りからしたら「知ってるよ?」って感じだろうが……。
らしい、というのは俺も大泣きでよく覚えていないからだ。なんともお騒がせな……。
因みにちゃんと呪いを妨げる指輪は使用人が探して王様に返しました。
「結婚式の手配を始めなければな。式典などを鑑みると今年の秋頃なら祭と被らないか」
「えっ!? まだ学生なのに結婚する気か!?」
祭事の日などを細かく見ていたからどうしたんだろうと思っていたらそんなことを考えていたとは。
あれから俺たちは何事もなかったかのように婚約し、周りもなにも疑問に思われず付き合っている。
俺たちだけが空回っていたのがなにやら恥ずかしいくらいに祝福されている。
「10歳で嫁ぐ姫だっていたんだ。学生なんて適齢期だろう」
「学生婚が禁止されていることはないし、良いは良いんだけど……まだ婚約でいいんじゃ」
「レノア、お前な。婚約だけじゃ堂々と触れ合えないだろうが。俺は隠れてコソコソ逢瀬するより堂々と結婚して手を出したい」
今だってヴィーに後ろから抱きかかえられるように座って十分密着しているというのに、相変わらず顔に似合わないスケベっぷりに俺は顔を赤くした。
「お、お前~……っ ……全然気付かなかったけど、いつからそんなに俺のこと好きだったの」
「俺は最初からいけると思うと言っていただろう」
確かに言っていたけど全部言葉の通りだとは思わないだろう!!
新しいヴィー知識が増えてしまった……。
「レノアこそ、いつから俺のことを好きだったんだ?」
ん? と楽しそうに覗き込んでくるヴィーは憎らしくもかっこいい。
イケメンはそんな動作すら許されるというのか……。
ヴィーに対して言葉遊びなどという高度な舌戦が出来ない俺はいつだって正直に答えるだけだ。
「そんなの……ヴィーはずっとかっこいいと思ってたし……いつからとかは……」
「ほーう? どんなところが?」
こいつは時々楽しそうにこういう嫌がらせをしてくる。
モゴモゴとしながらもちゃんと答える俺を楽しいそうにみているが、いや、ヴィーに聞かれたら答えなきゃだろ……。だからあんまり聞いてこないでほしい。
からかうだけからかって満足したのか、ヴィーはまた祭日のスケジュールを調べ始めた。
「レノアはどの季節が好きなんだ? その季節にしよう」
うきうきとしているヴィーに結局俺は従ってしまうのだろうから、ヴィーが嫌いそうな些事をどうするかに頭を悩ませ始めた。