98粒目
翌日、姉と狼4頭に、村長が出迎えてくれた。
姉はともかく、村長は、真っ昼間なのにやはり暇なのか。
狼たちは一頭も話せるものはなく、逆に言えばそれでも迎えに来てくれたのは、狸擬きが狼たちと仲良くしているからだろう。
狸擬きが、馬車から降りて、ポーンッと駆けていく。
村長が多分、男を労う言葉を掛けている。
若干、顔見知りになり始めた村の人間が、笑顔を見せて手を振ってくるし、集会所の前に馬車を停めつつ村を見回すと、行商人らしい馬車もちらほら見えた。
(のの……?)
この様子なら、我等も山を越えられそうだ。
どこからか、あの麦わら帽子の旅人がふらふらとやってきて、馬車から男に抱っこで下ろされる我に、手を振りながらやってきた。
男が、
「少し話をするけれど、君はどうする?」
我を離したくはないけれど、通訳できる狸擬きもいないし、我が退屈だろうと、相反する気持ちが顔に滲み出ている。
が。
「我はいなくても大丈夫そうの」
「ぐ……」
そしてタイミング良く、宿の青年がこちらに駆けてくるのが見えた。
男が我を渋々下ろし、小銭を渡してくる。
「報告が終わったら迎えに行く」
「の」
青年が息を切らしつつ、笑顔で話しかけてくるけれど。
「何を言っているのかわからぬの」
それでも青年は我に手を差し伸べ、我の手を繋ぐと、あのアイスクリーム屋へ連れて行ってくれようとしているのは解る。
すれ違う村人たちにも何か声を掛けられるけれど、皆笑顔だったりするため、まぁ多分、道標の岩のことだろう。
アイスクリーム屋には今日も娘がいたけれど、胸の前で握り拳を振り、興奮した顔でなにやら話しかけてくる。
やはりさっぱり解らぬけれど、握り締めていた小銭を見せると、娘は手を振って受け取らず、器にアイスクリームをよそうと、ブルーベリーのソースと思われる、とろりとした濃紫色のソースを掛けて、こちらに差し出してきた。
「……ありがとうの?」
良いのだろうか。
青年を見てもニコニコ頷くため、いいらしい。
外のテーブルアイスクリームを頬張ると、
(んんん、やはり美味の)
ブルーベリーのソースも、アイスクリームとの色のコントラストがはっきりしてまた良い。
夢中になって食べ、空になった器にガッカリし、我ながら忙しいのと唇を舐め。
(……あぁ)
空になった器を、匙でまたコツコツと叩いてみると。
ヒュンッ!!
と目の前に風のように狸擬きが現れた。
アイスクリームのためなら、とうとう獣のふりをすることすら、やめたらしい。
瞬間移動の様に現れた狸擬きに、青年が目玉が飛び出しそうな程目を見開いている。
「ほれの」
小銭を渡すと、器用に小銭を持ち3本足で歩きながら中へ入って行く。
そしてまた器用に前足1本で器を抱えながらやってくると、椅子にポンッと座り、狸擬きはソースの掛かっていない、シンプルなアイスクリームを、あーむと食べ始める。
唖然としていた青年が、やっと意識を戻し、我に何か話し掛けてきた。
狸擬きがアイスクリームに夢中になりながらも、通訳してくれる。
「新しい国との交流『花の国』への一歩が近付いたこと、村人は勿論、僕もとても喜んでいるんだ」
ふぬ。
「大爪鳥の中継所を作ったら、宿も作って、僕はそこの宿屋の主になりたい」
ほほぅの。
「僕は旅をするより、旅をする色んな人を迎えてあげたいみたいなんだ」
さすが宿屋の息子。
「完成したら、君にも泊まりに来て欲しいな」
誘いは嬉しいけれど、なぜ照れた顔をしている。
『お帰りなさいませ』
『わぁ、お帰りなさい』
狼2頭がトトッと山の方から駆けてきた。
「あぁ、ただいまの」
『あの、たちの悪いものと似たものが来ていたと聞き、とても心配していました』
『大丈夫でしたか?』
狸擬きから聞いたのだろうか。
「平気の。あのあまりよくないものは、嵐の度に来るのの?」
『いえ、滅多には、……我等も初めて遭遇しました』
言うまでもなく、やはり我のせいなのだろう。
「……」
青のミルラーマでは気付かなかったか、もしくは無意識に祓っていたか。
「あやつは北の方へ抜けて、きっともう、濁流に飲まれる頃の」
『そうですか』
『良かった』
安堵した2頭に頷いて見せると、
『村が浮き足立ってます』
少年狼が少しウキウキした様に教えてくれる。
「そうの?」
『長い道程になるとはいえ、思わぬ夢が、目標が俄然、現実になったためでしょう』
『完成したら、僕たちもあっちで働いてもいいかなって』
狼たちも楽しそうだ。
『まだ滞在されますよね?』
「ぬぬん、そうの」
男と相談せねばならぬ。
煮えきらぬ返事をすると、
『せめてお祭りまではいてください』
『お祭りの要のお一人でもありますから』
大袈裟である。
そのまま狼たちと話していると、男が馬車でやってきた。
報告はした。
村長たちと話を詰める前に、馬を放牧させてやりたいと。
「のの、では我も行くの」
狼と狸擬きたちは仕事へ行くと言う。
何とも仕事熱心である。
ついで青年も乗せ宿屋の馬車置き場に着くと、今日の夕食は張り切る的なことを行って戻っていく。
「のの、楽しみであるの」
荷を詰め直し、苦々しい顔をした男が馬と空になった借り物の荷台を馬舎の方に向かっている間に。
我は集会所に返さねばならぬ絵本から守り札を引き抜き、荷台の真下に潜り込むと、トンカチに似た道具と、小さな釘で、底床に札を打ち付ける。
(これで、多少の守りにはなるはずの)
戻ってきた男と宿の部屋で、順番に風呂に入る。
「ぬーふー」
岩を乗せていた牽引荷台に猫足風呂を乗せて、川や湧き水を汲んで、この風呂の様に焼き石を投げ入れれば、野宿の間でも、風呂に入れるのではないか。
自分の想像にクスクス笑いながら、目を閉じる。
この世界には檜風呂はないのかと風呂から上がり、
「お待たせの」
「あぁ、先に君の髪を乾かそう」
「の」
窓際で煙草を吸っていた男は、我の髪を乾かし、丁寧に櫛で梳いてくれる。
まだ陽は高いけれど、数日ぶりのベッドに飛び乗ると、
「ぬふふ」
ふかふかである。
牽引荷台には猫足風呂ではなく、ベッドを乗せるべきかと長考していると、男が出てきた。
「風呂上がりのお主は、また一層色気があるの」
「……君も大概だ」
のの。
「我は怠惰に転がっているだけの」
「それでもとても魅力的だ」
同じベッドに腰掛けた男が、布で雑に拭いた髪に手の平を近付け髪を乾かしている。
寝転がったまま、広い背中にそっと人差し指を当て、背骨に沿ってすっと下に滑らせていくと、
「くすぐったい」
ぴくりと固まり、低い声。
「お主はくすぐったがりの」
「そうだ」
そのまま指を滑らせ、腰骨に触れ、下着の際まで来ると、
「……こら」
何か耐えるような短い叱咤。
「ぬ、我はお主に触れたらいかぬのの?」
唇を尖らすと、男が振り返らぬまま何か言い掛けたけれど、扉からノックの音。
男はやはり我を振り返らぬままドアへ向かうと、扉を、自分の身体が通るくらいだけ開き、廊下へ出るとドアを閉めてしまった。
相手は宿の青年だったけれど。
(むぅ……)
なんだと言うのだ。
憤りを吐き出す狸擬きもおらず、大の字になりふてくされていると、また扉が開いた。
「少し出てくる」
と、男は服に袖を通している。
「ぬー」
身体を起こしてベッドにぺたりと座り込むと、
「ごめん、触ってほしくないなんて、そんなことはない」
ふわりと抱き締められ、額に唇を当てられた。
「本当は、もっと触れて欲しい」
耳許で囁かれた。
どっちなのだ。
「どっちもだ」
男は自嘲気味に笑うと、
「一緒に行こうか」
「の」
行き先は集会所。
確かに村はふわふわとした活気が溢れ、特に若い男女が歩きながら、仕事をしながら、ステップを踏んでいたりする。
「……?」
「祭りにはダンスが欠かせないから、練習しているんだ」
「ほほぅの」
盆踊りとはだいぶ違いそうだ。
集会所の事務室では、村長が一人ステップを踏んでいた。
集会所の長椅子で男の膝に乗り、ぺたりと胸に頬を押し当てていると、外から人がやってくる来る気配。
(姉の、それと狼たちもの)
「フーン」
自分もいると言わんばかりに鼻を鳴らして狸擬きもやってきた。
男が我を抱えたまま立ち上がり、狸擬きを預かってくれた礼を、改めて伝えているのは解る。
姉は全然とでも言っているのか、胸の前で手を振り、我にもふわりと微笑みかけてくる。
村の男も数人、あの旅人もやってきた。
あの岩を置いた場所に、休憩所を作る。
その話し合い。
狸擬きが訳してくれるけれど、まずは更にその手前の岩の方に、拠点を作ってからだと言う結論になり、先は長そうだ。
「お腹減ったの」
一段落した頃に男のシャツをぎゅむぎゅむ掴むと、
「あぁ、そうだな」
狸擬きもフンフン付いてくる。
姉も、まだ食べてないからと付いてきた。
その店は、村人のためというより、行商人や外から来た人間のためと思われる食事処は、北側の入り口の方にあり、馬車が数台停まり、馬用の水の入った樽も、幾つか置かれている。
中に入ると、若い行商人が、姉の方にちらちらと視線を向けている。
繋ぎに似た作業用の服に、足許もブーツ姿で全く着飾ってはいないものの。
(見た目からして、どこもかしこも柔らかそうな姉だからの……)
本人は全く気付いていないけれど、村長もそうだ。
男達からは魅力的に見えるのだろう。
テーブルに置かれたものは、固めのバゲットにウインナーが挟まれたホットドック。
チキンスープに角切りの野菜の入ったもの。
男と姉は珈琲だけれど、我と狸擬きには牛の乳。
(ウインナーと一緒に挟まった酢漬け、このぴすくるとやらがまた美味の)
ホットドックの2本目を皆でおかわりしていると、運んできた店主は、あの猟師ほどではないけれど少し体格がよく、男に岩の礼を伝えているらしい。
もう、山の向こうから人手を募集しているとも。
(文字では伝わらないから、伝聞だろうの)
村の祭りはこの大通りで行われ、規模は小さいけれど、酒も振る舞われるから、数日前から馴染みの行商人も家族を連れてやって来て、多少客人が増えると言う。
(宿は大丈夫なのかの……)
片田舎の、広くはない宿だ。
貴重な一室を、泊まり賃は払っているとは言え、毎年の常連客もいるであろう。
小さな村だし、その辺の事情は解るだろうと男伝に姉に聞いてみると、
「そうですね。さすがに満室になってますね」
姉は頷き、
「もし、お気になられるようなら、私の実家を使いませんか?」
と、思いがけない提案をされた。
「確かに常連さんと小さめの団体でお宿が埋まりますし、空いた家を人に貸したい気持ちはあったんですが、今は住んでないとは言え、知らない人達が泊まるのは抵抗があったので……」
と。
風通しと掃除はたまにしているけれど、泊まるなら掃除もしますと。
迷惑そうではなく、むしろ嬉しそうに話してくれるため、男と頷き合い、数日借りることにした。
宿の青年は、我等が宿から出ると話すと、
「えっ!」
と驚き、至極悩む顔をしたけれど、出てきた女将とも話し。
結局、
「村に貢献してくれているのに申し訳ない、でも助かります」
と頭を下げさせてしまった。
まだ数日は部屋は空いているからいて欲しいと、部屋が埋まり始めたら、姉の実家に泊まることになった。
夜は、
「猪肉の?」
猪肉のステーキ。
たまに現れる、いつもは追い返す猪を、狼たちが今日は村人と共に追い込んで、狼たちなりの礼と、祝いの印として狩ってくれたのだと。
「仄かに野性味溢れる味で、美味の♪」
宿だけではなく村人たちにも肉が振る舞われていると言う。
こちらの猪たちは、狸擬き曰く、遠目にでも我を見ると一目散に逃げ出すらしく、まだ仕留めたことがない。
「ある意味とても堅いです」
と狸擬きは言うけれど。
こんなに美味ならば、今度は、狸擬きに乗って、狩りに出るのもいいかもしれない。




