90粒目
馬車が停まり、
「○△○?」
幌の外から声がし、顔を覗かせると、若い男が、何か声を掛けてきた。
「何て言っておるか分かるかの?」
宿の裏の荷置き場に付いた。
これから馬を馬舎に預けてくるから、戻るまでここで待っていて欲しいと。
狸擬き曰くどうやらこの若い男は、村に1つだけあるこの小さな宿の息子らしい。
頷き、敷物の上で毛を櫛で梳いてやりながら、狸擬きの話を聞く。
『以前は、持久力はそこまでではなかったのですが、あの「おにぎり」のお陰でだいぶ走れまして、思ったより遥かに早く村に到着しました』
そして山の方にタイミングよくあの2頭がいたため、
「山の奥から現れた狸」
と言う事にして、一緒に過ごしていたと。
「不自由はなかったかの?」
『狸の振りをして口だけで食事をするのが少し大変でした』
「ご苦労だったの」
思わず笑ってしまうと、狸擬きも声を出さずに笑う。
「ここはどうの?」
『ご存じの通り、言うほど田舎ではありませんね。きっと先々の街は更に栄えているのでしょう』
「山は?」
『目的地として見えていた、村の裏手に当たる山の主は長年不在、奥にも山々が連なりますが、そちらもやはり、山の主、人の気配共にありません』
その先は、狸擬きにもわからないと。
「ふぬ」
後で地図を見よう。
珍しく、本当に珍しく、狸擬き自身も抜けないと言っていた毛が少し抜け、小さな布袋に詰めて、手帳の入った宝箱にしまう。
若い男、青年が戻って来る気配に、荷台から飛び降りると狸擬きも荷台から降りてくる。
青年は、我が同世代との幼子たちとの交流を特に望んでないと察し、我に手を差し出し、歩き出ながら、放牧されている薄茶色の牛を見せてくれたり、気性の穏やかな鶏たちが放たれる村の周りを案内してくれる。
「……」
青年をじっと見上げていると、
「?」
屈んで視線を合わせてくれたため、黙って青年の髪に手を伸ばして触れてみると。
「ほほぅの」
(男より遥かにふわふわの髪の……)
陽に当たると美しく透け、ふわふわで柔らかく。
「?」
青年は驚いた顔で我を見てから、少し困ったように笑う。
「とても綺麗な髪の」
言っても伝わらないと思ったけれど、にゅあんす、で言いたいことは伝わったらしく、
「□□△」
何か返事をされる。
狸擬きが、この髪は父親譲りだと言っていると教えてくれる。
(遺伝の)
我の小豆からの遺伝は、赤い瞳に現れている。
その瞳で村を見回し、裏手の山ではなく、街へ抜けるため方角にある、裏手より遥かに低い山の方から、厚い雲が流れてきているのを見上げていると、雲の中から、こちらに飛んでくる鳥の姿が見えた。
(ふぬ)
この世界は、
(飛べる鳥達が群を抜いて優秀の……)
青年に、ここにはいつまでいるのか聞かれた。
分からぬと首を傾げると、狸擬きがピクリと耳を立て、
「の?」
集会所の方へ鼻先を向け、どうやら、男が集会所から出てきたと思われる。
建物がある方を指差すと、青年は頷いて戻ってくれる。
男が我を探しながら、笑いもせずに探して走ってくる姿が見え。
(あの男は、どれだけ我の事が好きの……)
「……」
今回は。
我と男の気持ちが、それぞれに空振ったと言うべきか。
(人の男は、誰もが『ろまんちすと』らしいからの)
こちらに、我に気付いた男が、心底安堵した表情で息を吐きながら、青年に何か声を掛け、青年はいえいえ的にかぶりを振っている。
「おいで」
男に両腕を伸ばされ、
「んぅ」
拗ねながら両手を伸ばし、
「遅いの」
抱き上げられてぎゅうとしがみつくと、
「あぁ、そうだな、……俺が悪かった」
と、きつく抱かれた。
「お詫びのアイスクリームの」
「ふふ、仕方ない」
狸擬きもアイスクリームの言葉にぐるぐる尻尾を振り、テーンテーンとご機嫌に付いてくる。
アイスクリームの店は、店の奥でアイスクリームを作り、氷魔法を掛けた箱に入れて、街の方に大爪鳥に運ばせているという。
「これから夏に向けてが本番だそうだ」
それは素晴らしい季節である。
「物は売れたの?」
「あぁ、喜ばれたよ」
他にもやってきた行商人が、店先でおやつとしてアイスを食べている。
「牛の乳と葡萄の2つの」
「お腹壊すぞ?」
「お主と半分この」
「それじゃあ、仕方ないな」
狸擬きは1匹で2種類をねだってくるが、今回は仕方ない。
働きに応じなければ。
前足を伸ばしてアイスの器を受け取る狸擬きに、店の娘だけでなく青年も驚いている。
1本の前足で身体に添えるように器を持ち、テコテコと歩き、外のベンチに飛び乗り、器用に匙を使う姿にも。
まぁ、今まで狸の振りをしていたのだから当然か。
「あむぬ」
葡萄もまた少しのさっぱりと酸味と甘さが加わり美味。
「ぬふぬ、大変に美味の♪」
「美味しいな」
話を聞くと、アイスクリームは風魔法と、手作業の両方でぐるぐる回して練っているらしい。
やはり人の風魔法だけでは無理だと。
(小さな容器で、男の氷魔法と我の疲れ知らずの腕力なら作れるのではないかの)
考えていたけれど、
「フルーツがない時はチーズだそうだ」
男の言葉に、
「チーズの?」
アイスに?
驚いて思考が飛んだ。
「ほほぉ、それはハイカラの」
どんな味なのだ。
狸擬きが尻尾を振っておかわりをねだってきた。
「ぽんぽん壊すの?」
「……」
大丈夫と腹を擦るため、男に頼みおかわりを買ってやり、店の外で男が煙草に火を点ける。
知らぬ男が、宿の方から歩いて来たけれど、行商人ではなく旅人と思われる小柄で細身の男が、男に声を掛けてきた。
初めて男が、
「?」
首を傾げ、旅人が言葉を、言語を変えている。
男がそれに答え、旅人が我を見て、また何かジェスチャーを交えて話している。
「……?」
悪い感じはしない。
狸擬きも、器に鼻先を突っ込む勢いで食べている所からして、特に問題はなさそうだ。
旅人が手を振って宿の方へ向かい、あの旅人は何の用だったのかと訊ねようとしたけれど。
『すみません、お客人を放っておいて』
狼2頭が、我等がやってきた広い放牧場の方から駆けてきた。
「のの?気にするなの、お主等はお主等で仕事があるだろうの」
そもそも我等は、自分達を客人とは思っていない。
『恐縮です』
少年狼も尻尾をふりふりと揺らし。
(あぁ)
そうだ。
(そうの)
まだ仕事が残ってる。
「お主等の寝床や食事を用意している者はどこの?」
『こちらです』
食べ終わった狸擬きも、店の娘に器を返すと、トコトコ付いて来る。
馬舎や牛舎より建物の作りは小振りだけれど、狼の大きさを考えれば当然か。
狼舎の外で、柵の内側で他の狼の毛を櫛で梳いている若い、娘と言うには大人の、そしてほんのりふくよかな女がこちらに気付いた。元々人のよさそうなおっとりした顔を、更に目尻を下げて微笑み、それは狼たちにだけではなく、我等に対しての微笑みでもあり。
こう、なんというか。
(器の、懐の大きさ、母性?を感じるの……)
逆に、先刻しかと小さなことで拗ねたばかりの自分を思い出し、
「……」
なんとなしにばつが悪く、ぎゅむりと男にしがみつくと、男は、
「?」
と、理由は知らずとも、頭を撫でてくれる。
しかし女と話をするのに、我は若干邪魔であろう。
「降りるの」
と伝えると、けれど名残惜しそうなのは男の方。
女が、狼の毛を梳く動きを止めて男に向き直る。
狼たちが、知らぬ人間に寄り添うのも珍しいのだろう。
男は多分、若干だけれども獣と話の出来る我の事を話し、狼たちの話を伝えると、驚きはしたものの。
「そう、……そうだったんですね」
と狼たちの方を見て呟いた言葉を、狸擬きが教えてくれる。
「もしかしたら、そうなのかな?とは思っていたんだけど……」
そうなのか。
「あぁでも、帰ってきてくれて有り難うね、本当に」
女がその場に膝を付いて狼たちに伝えると、狼たちも尻尾を振っている。
「あなたたちが子を成さなくても何の問題もないのよ、そんなの人間だって珍しくないんだから」
と狼たちを抱き締めている。
「仲良しで、健康で居てくれたら、それで充分なの」
狼たちも女に顔を擦り寄せ、女は大きく息を吐くと、
「ありがとう、狼たちの言葉は私たちには伝わらないから、本当に助かりました」
立ち上がり、そう礼を伝えてきた。
黙ってかぶりを振ると、
『幼き人の子の姿を模したあなた様、本当に感謝します』
『帰ってきて、やっぱり出て行きたくないって思ってたから、嬉しいです』
狼たちにも、口々に礼を伝えられたけれど。
「お主等の役に立てたなら良かったの」
その言葉は嘘ではない。
それでも。
「……」
我は。
これからも、獣助けしながら旅をしよう、などとは欠片も思わない。
厄介ごとの元でしかない。
元より、狸擬きにも、目の前のこの女が、至極まともな人間かを、事前に確認して貰っていたし、実際対面しても、秘密を守れる人間だとは感じ取れた。
「自分で言うのも何ですが、簡単に信じますね」
男の言葉に、女は、
「ここは小さな村で、狭い世界でしょう、その割にお客様は多いから」
人を見る目は養えるの、とまた一層目尻を下げる。
「でもそれ以上にね、この子たちが、一番人をよく見ているから」
ほぅほう、まさに獣の勘の。
ならば、尚更。
「お主たちは、よく我等の馬車に声を掛けようと思ったの」
緊急時とはいえ。
狸擬き曰く、獣によっては、我は存在するだけで、脅威と見なす者もいると言うのに。
『あなた様から、非常に強き、冷静な匂いがしましたので』
冷静。
冷静とな。
『正しい対価を求める。見返りありきの親切は行う、と匂いがありました』
「……ぬ?」
『人の姿を持ちながらも、常に山にいる獣のような、損得で物事を判断している我欲の強さ、とでも言いましょうか』
の?
「の?」
それは、助けた相手に、我に、
「……喧嘩を売ってるのかの?」
ちらと目を細めれば。
『ち、違います、狼族の我等は臆病なので、いつでも、どんな立場でも平等を望み、逆に一方的な親切は警戒するのです』
少年狼が慌てたように弁解してきたが。
「ほうほうの」
自分で重々自覚はしていても、他者から、いや他獣から、利益なしでは、
「情では動かぬとんだ薄情者」
と言われるのは面白くない。
「……」
せいぜいニッコリと微笑んでやれば。
「……っ!?」
「兄様!?」
物凄い勢いで逃げられた。




