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83粒目

「……?」

目が覚めた時、男に寝顔をスケッチされていた。

レディの寝顔を許可もなく描くなと小言を告げるか迷い、口を噤んだのは、男が、

「お茶にしようか」

と、スケッチを閉じて、そう口にしたからで。

仰向けでラケットを大事そうに抱え、フゴフゴ寝ていた狸擬きも、お茶の言葉に飛び起きている。

「このエクレアというお菓子が、やはり大変に美味の」

狸擬きはカヌレが、やはり形からして気に入ったらしく、しみじみ眺めてから、口に放り込んでいる。

「お主は案外、造形に拘るの」

「フーン♪」

男は、エクレアと一緒に買っていたチーズケーキを食べているけれど、半分は我の口に運ばれる。

チーズの癖が少し濃い目で、それもまた美味。

遊んで昼寝してお茶をして、草原の道程は、これっぽっちも進んでいない。

せめて水場のある所までは進もうかと、これまたそこらで楽しそうにはしゃいでいた馬たちを呼び止めて繋ぎ、地図を描き足しつつ進むと、蛇行する細い沢が現れ、まだ陽はあるけれど、ここを、今日の我等の本拠地とした。


「おっと?」

不意にゴキッと鈍い音がし、炊飯器のスイッチを押す手を止めて振り返ると、机の足を畳める金具部分がどうやら壊れたらしく、男が机の足を持ち、苦笑いしている。

「のの?」

「何年も使っていたからな」

「困ったの」

「いや、高さの合う箱でも持ってくれば問題ない。ただ直せる部品がない」

次の村か街まで、つっかえ棒ならぬ箱が必要になりそうだ。

「直せるのの?」

「部品ごと取り替える程度で済むと思う」

古く、しかと丈夫に見えたけれど、男の旅してきた長さが伺える。

今日は、兎肉にマッシュポテトと、ほうれん草に似た野菜の付け合わせ、根菜が細かく刻まれたスープに、赤飯おにぎり。

「まっしゅぽてと、おかわりしたいの」

「次はもう少し多く作ろうか」

「の、我も手伝うの」

「助かるよ」

とは言うけれど、男はあまり手伝わせようとしない。

眺めているのはいいけれど、自分のペースがあるのだろうか。

「そうだな、一緒に作るよりも『食べて欲しい』気持ちが大きいのかもしれない」

「ふぬん」

親鳥と雛鳥、と感じているのは、我だけではないのかもしれない。

「負担になってないのならいいの」

「楽しいよ」

「お主はどうの?」

隣で、こっそり我の皿からおにぎりを拝借しようと、前足を伸ばしていた狸擬きは、その前足を広げて曲げると、

「料理なら任せろです」

と言わんばかりに、むんっと前足で、力こぶの身振りをしてみせてきた。

「ふぬ」

小器用な狸ではあるし、料理も案外楽々とこなしそうではある。

おにぎりを半分にして狸擬きに与えると、男が羨ましそうな顔をしている。

男に半分になったおにぎりを持った手を伸ばすと、男は受け取らずに、口を寄せて少し噛り、満足そうに笑う。

「の……」

男がそれでいいなら、いいのだけれど。


夜半には少し、雨が降った。

荷台でぺたりと座り込み、今日も目の前に座る男に、てらりと滑る小指を差し出すと、手首を取られ、

「……」

今日は側面から唇で吸われた。

伏し目がちな男の瞳。

とうに唾液がなくなっても、口の中でねぶられる。

くすぐったさに、

「ぬぅ、もう仕舞いの」

男はそれでも、視線をこちらに向けてから、名残惜しそうに唇から指を引き抜いていく。

変わりに、脇の下に手を伸ばされ持ち上げられ、胡座の中にすぽりと抱かれた。

「身体に、おかしな変化はないのの?」

「甘くて癖になるだけだ」

「変態の」

振り返り、鼻をつんと合わせながら、小さく笑い合う。

狸擬きは今日はうつ伏せになり、鼻先に折り紙たちを置いてじーっと眺めている。

(そこまで好かれたら、折り紙たちも、さぞ、本望であろうの)

パタパタと、幌を打つ雨の音が響く。


稀にある高い木を見掛けると、男が地図に印を付け、また進む。

草原の海。

浅瀬の沢で小豆を研ぎ、そのまま横切り、狸擬きが我の目でも見えない先まで走り、

「小さな兎がいた」

と教えてくれる。

食材は余裕があるため、狩りはしない。

のんびりのんびりと進み。

朝昼夜、朝昼夜。

変わらぬ景色は、しかし、

「今度は、木が少し多いの」

「木に、目印でも出来たらいいんだけどな」

そう目立つような都合のいいものは積んでおらず。

風に乗り少し、水の匂い。

「しばらくしたら、雨が来そうの」

「おっと……」

馬たちの天幕を張り、荷台で雨がやむのを待ち、また進む。

朝昼夜。

「エークーレーア」

「フーン」

「アップルパイ?ふぬ、……いーちーご」

「フーン」

「ごちそう、ほほう、……う?」

狸擬きとしりとりをしたり。

たまに狸擬きが木に登り、

「フーン」

何も見えない、と伝えてきたり。

そう、案外緩くも高低差があり、先が見通しにくい。

「先は長いな」

「そうの。道すら正しいのか不明であるしの」

「う……」

まぁ、いつかは辿り着けるであろう。


夕方、夜は雨になりそうだからと、早めに食事の支度をしつつ。

「まだまだ、我等には食事と言う楽しみがあるからの」

ひたすら続く、ただ進むだけの道も、また新鮮である。

「フーン♪」

狸擬きも同意らしい。

「君たちは強いな」

そう言いつつ男も笑い、今夜も美味しい食事に舌鼓を打ち。

荷台で、寝巻き姿になり、髪を梳かされていると、雨がサワサワと降りだしてきた。

「雨は続きそうか?」

「のの、朝方にはあがりそうの」

「そうか」

助かるよ、と男。

「ふぬん♪」

狸擬きが、自分も自分も、と櫛を取り出し来て、背中の毛を梳いてやっていると。

(……ぬ?)

『……』

「……」

雨の音に混じり。

何か。

「どうした?」

狸擬きも四つ足で立っている。

「……何か来るの」

「フーン」

外に意識を向ける。

敵意はなし。

2頭。

そこまで大きくはない。

4つ足、呼吸、足音の軽さ。

「狼の」

言葉と共に、荷台の外に気配。

降ろした幌を狸擬きが前足で少し開き、鼻先を外に向ける。

横から顔を覗かせると。

『旅のお方、馬の天幕で良いので、少し雨宿りをさせてもらえませんか』

狸擬きではなく、我を見て口を開いた。

「のの、言葉が通じるの?」

『えぇ』

男に伝えると、男は立ち上がり、荷物の中のさからごそごそと小さな敷物を出してくれる。

「荷主の許可も下りたの。とりあえずこちらに上がればいいの」

そう大きくはないと感じたけれど、人と行動を共にする、狼たち程の大きさはあり、荷物で半分以上埋まった荷台は、満員御礼状態になる。

乾いた布を出して、男と、こちらは狸擬きと一緒にそれぞれ一頭ずつ拭いてやると、

『かたじけない』

『……』

一頭は酷く無口だけれど、もう一頭の言葉に同意と言わんばかりに小さく鼻を鳴らし、大人しく拭かれている。

その1頭は、少し元気がないようにも思える。

雨粒を拭き取ると、男が風を送って乾かし始める。

一頭の狼曰く、

「自分達は、この先の村で雇われている狼で、数日休暇を貰って遊びに出て、帰る所だった。

けれど風が強まり、その風があまりよくない風のために、逃げきれずもせずに困っていたら、こんな場所に、奇跡的に馬車が見えた」

と。

獣の気配もあり、言葉が通じれば、少しの間でも、雨風を避けさせてもらえたと思って声を掛けたみたと。

それも男にそのまま伝えると、

「それなら、ここで眠ればいい、少しばかり狭いけどな」

と小さく笑い、もう1頭の狼の毛を乾かし始める。

『大変に有難い』

『……』

ぺこりと頭を下げる姿は人の様。

「食事は?大したものは出せぬがの」

『その、急いで抜けようと獣も駆らず、何も食べず仕舞いで、少々、何か頂ければ』

狩りの暇もなかったと。

ぬぬん、だいぶ切羽詰まっていた模様。

「では少し待つの」

小豆を浸水している米の上に落とし、炊飯器のスイッチを押すと、狸擬きが前足をタシタシと床に叩きつけて、自分も食べたいとアピールしてきた。

「……お主の。ここは狭いから客人に譲って、お主はお馬の天幕で寝かせてもらえの」

と外の天幕の方を指差せば、

『……』

眉間に毛が寄り、途端に大人しくなる。

狼の毛を乾かした男が、地図を広げ、

「この先と言うと、ここか?」

はてなに似た疑問符のある地点を指差す。

「そうだと思います、この先に、自分達のいる村があります」

だいぶ先だけれど、どうやらそうそう間違った方向には進んでいなかったらしい。

男がホッと胸を撫で下ろす。

「大きい村の?」

『どうでしょうか、人より家畜がたくさんいます。人の幼子の姿を模したあなた様も喜びそうな、アイスクリームが売りです』

あいすくりーむ。

アイスクリーム?

氷菓。

「あの、冷たい洋菓子のの?」

「えぇ、我等には少し甘すぎますが」

「のぉぉぉ……」

今すぐにでも行きたい。

男に伝えると、

「なら明日は早起きしようか」

「ふぬんっ」

早く寝なければ。

到着までには、馬車では、あと丸1日、いや、2日もあれば着くのでは、と狼たちが顔を見合わせて頷いている。

赤飯を二等分して大きなおにぎりを作り、2頭の前に木皿に乗せておいてやる。

山の形をした湯気の立つおにぎりを、やはり狼たちも見たことがないらしく、2頭は少し構えた様に眺めていたものの。

ぺたりと座りこむ狸擬きが、爪を咥えて、羨ましそうにおにぎりを見ているため、大丈夫だと判断したのだろう。

無口な方がぱくりとかぶり付くと、もう一頭もはぐりと口にし、しばらく味や食感を確かめるように咀嚼し、すぐに皿からは1粒の米も残さずに食べ終える。

涎を垂らしかねん狸擬きにはクッキーを数枚渡し、ついでに我も少しだけ、煙草を吹かす男の膝の上で、夜のおやつタイム。

「今外に吹く、外の風は鬼門かの?」

『何やら嫌なものを引き連れているようで』

なんと。

「風はそのまま村の方へは行ったりはせぬかの?」

『あの風は、北へ抜けます故、問題ないかと』

狼同士、頷き合っている。

「白い瘴気を纏う風の?」

『いえ、病を運ぶ湿った、嫌な唸り声を上げるものです』

「ふぬん……」

遠く遠く離れた北の方は、人は無論、獣も多くはいない岩山だと言う。

男が、地図にゴツゴツとした三角を描き込む。

風は、特に子供があてられやすいらしい。

子供。

『こちらの連れ、まだ中身も幼くあり、何分人見知りで』

「の?」

ほぼ同じ月齢に思えたものの、年齢が離れていると言う。

男に狼の言葉を伝えていると、何やら荷台の端で、ごそごそ箱を探っていた狸擬きは、折り紙を狼たちの前に置いた。

どうやら狸擬きご自慢の、

「これくしょん」

を見せびらかしたいらしい。

『おぉ?これは紙ですか』

『……?』

2頭共、まじまじと顔を寄せて眺めている。

そこまで惹かれるものかと思ったけれど、

『このような生き物は見たことがありません』

なるほどそっちか。

「我も、竜は見たことがないの。こっちは、九尾、こちらは、首長鳥と花を合わせた、空想上の生き物の」

特にまだ幼いと紹介された狼が、少しウキウキした様子で折り紙を眺め、そちらの相手は狸擬きに任せて、もう少し、狼の話を聞かせてもらう。

この狼たちは、村の牧場で雇われており、少し離れた山から来る獣から、家畜を守る仕事などをしていると言う。

人間が山へ入る時の護衛にもなると教えてくれ、

「それは頼もしいの」

「持ちつ持たれつです。我らは山や地べたで寝たり、狩った獣の、毛や泥が付いたままの内蔵や肉は、その、必要に迫られた時以外は、あまり食べたくないのです」

山で群れで行動する、灰色の小型の狼たちとは全く異なると。

『そもそも山にいる獣たちとは、言葉もほぼ通じません。それでもなるべく必要以上には狩らず、ここは無理だと思わせる様に追い払います』

「……ぬ」

言葉が通じようが通じまいが、殺生に一切の躊躇いのない自分と比べると、何とも道理を持った獣たちではないか。

見た目だけは人間の幼子の我よりも、目の前の、一見獣の狼の方が、生き物としての理性倫理が遥かに優れている。

休暇は、護衛がてら人間に付いて山を越えた小さな村へ遊びに行くこともあるけれど、今回は2匹で、東の方にある、この時期にしか咲かない青い花を見てきた帰りだと。

「のの、2人はとても仲良しの」

2匹、2頭、瞬時迷ったけれど、こちらの事も「人の子」扱いしてくれているため、2人と言ったが。

『ふ、普通くらいです』

数え方よりも、仲良し、の言葉の方が、ぴくりと妙に反応され、折り紙をしげしげ眺め、狸擬きの身振り手振りの話を聞いていた無口な狼も、片耳をぴくりと反応させている。

「……?」

(何か良くない言葉を、我は放ったかの?)

と、2頭を見ると、妙にそわそわし、どうやら何か、単に照れているだけらしい。

(おや、愛らしいの)

男が、早起きするならそろそろ寝ないとなと、少し残念そうに髪を撫でてくる。

客人のいる前で、我の唾液を欲しがる愚行は避けるらしい。

それくらいの常識はあって助かる。

男、我、狸擬き、狼2頭と並んで、草原の夜が更けていく。

風が、幌を揺らす。

しかし。

(あいすくりーむ、アイスクリーム、アイス、クリーム……)

クレープ同様、我には、夢のお菓子の1つ。

不穏な風が吹き抜けていく中でも何のその、夢が広がり、睡魔すらも容易に近づけぬ、なかなか眠りに就くのが大変な、草原の夜だった。


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