76粒目
翌朝。
今度こそ寿命を全うしたかに思われた狸擬きは、しかし声を掛けると、後ろ足をピクピクさせて、どうやら生きてはいるものの、案の定、酷い二日酔いらしい。
男たちは朝一で組合へ行くと言うため、二日酔いの狸擬きと共に部屋で待つことにした。
狸擬きが、水……水……と訴えてくるため、呆れつつ水を与え、窓際の椅子に腰掛け、街を見渡す。
宿は街の外れで、まだ人も建物も少ないだけれど、道の真ん中や至るところに花壇だけは真っ先に作られており、もうすぐ、華やかに色とりどりの花で埋め尽くされるだろう。
ふと、昨日男に舐めさせた小指が気になり、じっと凝視してみるも、当然なんの変化もなく、指先には、桜色の爪が小さく佇んでいるだけ。
「……」
男たちは朝も食べずに出ていったため、赤飯を炊いて、おにぎりにして積み上げ、壁際の小さなテーブルに置いておくと、男が戻ってきた。
猟師が組合の人間から話を聞いているが、まだしばらくは時間がかかりそうだから、先に出てきたと。
まぁ確かに、猟師は人里自体、初めてに近いものなのだから当然か。
猟師も、随分と思い切ったものよの。
男が、
「先に食事をしてこよう」
と我を抱き上げてくる。
男は、
「食事」
の言葉にも、ピクリともしない狸擬きの姿を見て、呆れたように笑い、テーブルに積まれたおにぎりにも目を留めたけれど。
「今日はおにぎりは彼に譲ろう」
と部屋を出る。
「ふぬ」
残ったものはおやつにでもすればいい。
「待たせて済まなかったな」
「よいの。何がよいかの」
「俺は君がいい」
唾液を略すな。
それに。
「夜の約束の」
「解っている」
宿の廊下を歩きながら、顔を寄せてこそりこそりと囁き合う。
すでに賑やかな街中へ向かうと、今日もしっかり存在を主張してくる城。
春の陽気、どの店も芝生のテラス席が賑わい、
「ぬ……?」
パンとチーズの焼ける匂いに視線を巡らせると。
「ぬぬ、あれが美味しそうの」
店内から店員がテラス席に運ぶ、皿に乗せられたそれは。
「パン?」
「ふぬ。しかし、ナイフとフォークで食べておるの」
ごくりと喉が鳴る。
賑やかなテラスと裏腹に、白と水色で統一された、若い娘が好みそうなハイカラな店内は空いている。
壁際の席に腰を落ち着け、男と額を付き合わせるようにメニューを眺めると、お目当てのものはこの店の看板料理らしい。
(のの……)
そうだ、あの喫茶店のおじじはどうしているだろう。
後で覗きに行ってみようか。
香ばしい匂いをさせて運ばれて来たのは、パンに薄い燻製肉と白いソースを挟み、上にチーズを乗せて焼いた、
「くろっくむっしゅ?」
何だか愉快な名前の料理だった。
しかし。
「ぬぬん、大変にこれは好みの」
「うん、美味いな」
白いソースは、いつか男が作ってくれたものに似ている。
これは。
「お主が作ったものも食べてみたいの」
「あぁ、今度作ってみようか」
食べながら、組合には青い鳥は居たかのと聞いてみたけれど、
「あぁ、そう言えば1匹飛んで来てくれたな。でも何を言っているかは分からなかった」
それもそうか。
満足して外に出ると、水の匂い。
「の……?」
空を見ると、パラパラと小雨が降ってきた。
テラスの客たちが、雨でも、それでも楽しそうに自分の皿やカップを持って、店内へ向かっていく。
男は我を抱いたまま組合へ走ると、待ち合い室も兼ねた広間の長椅子に猟師が座り、大きく息を吐いていた。
男が多分、
「お疲れ様」
とでも声をかけると、猟師はおっとと言うように立ち上がり、頭を下げ、男に多分礼を述べている。
男が猟師に何か訊ねている。
窓の外の雨の気配に、猟師の悩む顔。
目を伏せて外の空気を手繰ると、この雨はすぐに止む。
しかし。
「雨はまた、夕暮れ前に降りだすの」
我の言葉を男が猟師に伝えると、少し驚いた顔をしてから猟師は我を見て、なぜかこう、仕方なさそうな、感心したような複雑な笑みを見せて、男に何か伝えている。
もしかして今日中に、山小屋へ帰るつもりでいたのだろうか。
「の、我は甘いものが食べたいの」
「んん?彼は食事がまだだ」
「なら両方ある店へ、クレープ屋へ行くの」
「クレープ?」
「ご飯代わりのクレープもあるの」
にわか雨が上がるのを待ち、この間とは違う、組合の裏手に位置する、雑貨屋などに紛れたクレープ屋へ行ってみる。
猟師が気まずそうに食べる姿が見たかったのだけれど、全く気にならないらしく、ほどほどに高齢と思われる身なりのいい紳士も1人で並び、甘そうなクリームのクレープを受け取っている。
(ほほぅ、若者だけの食べ物と言うわけではないのの……)
猟師は甘いものを1つ含め、5つ程頼んでいる。
ものの数口で1つのクレープが消えていき、食べては運ばれてくるため、まるでわんこそばの様だ。
猟師の感想は、
「美味しいけれど腹に溜まりにくい」
とのこと。
我は男と半分こで、
「あーむぬ」
欲張って頬張っては、男に口を拭われる。
猟師の旅の資金は、もともと山暮らしで使うことが少ない上に、父親の残したもの、最近はずっと屋敷から、破格の賃金も出ていたため、しばらくは大丈夫だと言う。
そして、
「青のミルラーマへ行く?」
男からの言葉に、通じないと解っていても、さすがに驚いて復唱してしまうと。
「旅はしてみたいけれど、これと言った目的がないためと、青のミルラーマの先へ、行ってみたいそうだ」
そう言えばこの男も、あの碁盤の目のような石の街が、仕事では、いつもの最終目的地と言っていた。
「先は、小さな街と、その先は、どうだったかの……」
あちらへ行かなかったのは、単純に一度行ったから、今度は逆に進んでみるか程度のもので、深い理由はない。
猟師は、その先の村まで辿り着けたら、一度、また山小屋とここ、花の国に戻るつもりだと。
旅人として、依頼があれば狩りもしつつ、毛皮や肉を売り、旅の足しにする予定だとも教えてくれる。
(ほうほう)
男に地図を広げてもらい、
「もしの、この山を通るなら、ここの狸擬きは狩ってやるなの、あれは、あの狸擬きと仲良しの」
と、男伝に伝えてもらう。
けれど。
狸はまず存在が希少すぎるためと、瞬発力の早さ、足の早さ、そして持久力、あの体型の獣にしてはどれも異常で異質なため、洋弓で仕留めるのは到底困難だと言う。
「ふぬふぬ」
希少。
希少というならば、あの狸擬きの毛は、やはり案外高く売れるのではないか?
「では、一度くらい刈らせてもらうかの」
と口にしかけたけれど、男と猟師の、笑みを浮かべたまま固まる顔が容易に想像でき、唇を噤んでおく。
我も、多少は空気を読むのだ。
花の開花に合わせ、街にはますます人が増えて来ているように思える。
猟師も、通り過ぎていく人の数、建物の多さ、店の売り物の豊富さに忙しく視線を向けている。
「ミルラーマまでは、逆にどんどん華がなくなっていくから、猟師はガッカリしそうの」
男に話してみると、男は猟師にそれを伝え、猟師は、顎に拳を当てて考えながら、街を歩いていたけれど。
「賑やか過ぎるのは疲れるから、案外大丈夫だと思う」
と。
なるほど、そういうものかと納得しつつ。
(ぬぬ、我も同じの……)
賑やかで華やかは、たまにでいい。
人間の持つ、色、動き、体温、感情、言葉のそれぞれの情報量の多さは、意識して遮断しても、肌にも五感にもさわりさわりと触れてくる。
「この猟師は、移動はどうするのの?」
「組合から馬車を借りるそうだ、組合から次の組合まで、そこでまた乗り換える」
「荷物の乗せ代えが不便そうの?」
「あぁいや、荷台と車輪部分は買い取りだ。馬を替えるんだよ。それに旅人なら、そこまで荷物も増えないと思う」
そうか、男は行商人としての商品があるし、組合以外の馬の伝もあるけれど、猟師にはまだそれがない。
「彼は狩りができるからな、組合からそのうち、討伐の依頼もされるかもしれない」
ほぅ。
流浪の狩人か。
「ふむ、なかなかに格好良いの」
「……」
なぜ黙る。
まさか。
他の男を褒めたからか?
「……」
どうやら、そうらしい。




