73粒目
男は遠慮していたけれど、我でなくとも、まだ男に疲労が蓄積しているのはありありと窺える。
滅多に来ない客でもあるし、のんびりしていって欲しい的なことを姫にも執事にも言われ滞在を勧められたらしく、我を見てから、男は頷いた。
食事の時以外は男にべったりひっつき、それこそくっつき虫の様に離れず、男に張り付く我を見て、
「案外甘えん坊なのね」
と書いた紙を見せられた。
けれど、その姫のその表情は、
「異性として距離が近すぎでは?いいえ、まだ小さな小さな子、保護者に甘えているだけよ」
と考えていることが顔に出て、くるくると表情が変わる。
それでも、なんとも言えない、もどかしそうな色が混ざるため、
(もしや)
「姫は、我が羨ましいのの?」
と書いて見せると、姫が目を見開き固まった。
(おや、図星の)
ならば。
「姫も猟師に抱っこをねだればいい」
と続けて書けば。
「……!?」
(のの?)
姫が怒った。
我が、姫曰く、裸同然の肌着で屋敷を駆け回った時の様なものとは違い。
お姫様のそのお怒りは、頬を赤らめて、
「じ、冗談が過ぎますわっ」
とでも言っているのか、握り拳を小さく振りながら、プンプンと唇を尖らす程度のもので。
後ろに仕えるメイドすら、物珍しいリアクションをする姫を、あら新鮮ですね、と言わんばかりに観察している。
そして、そのタイミングで猟師が執事に連れられて現れたため、
「……!?」
姫がまた短く甲高い悲鳴を上げ、もうメイドたちすら、笑いを堪えている。
「姫をあまりからかってはよくない」
男が我の頭を撫でながら嗜めてきたけれど。
ならば。
「お主ならよいのかの?」
訊ねれば。
「そうだよ、君のそのからかいも寵愛も、俺だけに向けて欲しい」
この男は……。
足許にいた狸擬きは、黒目のまま白目を剥いている。
メイドたちが姫を宥め、今日はとても暖かいからと、客間の窓が開けられ、和やかなお茶の時間が始まる。
男が姫に、旅の聞かせているらしい。
やんごとなき姫に聞かせられるくらいの無難な話なのだろうけれど、猟師も真剣に話を聞いている。
執事が、お前たちも聞かせて貰いなさいとでも言ったのか、たった3人のメイドは部屋の端に立ち、楽しそうに耳を澄ませている。
姫の笑い声、猟師の呻きにも似た驚き、執事の感嘆の表情。
男は多分、語りも上手いのだろう。
男に凭れながら、男の通じない声を聞きながら目を閉じる。
話していることは解らずとも。
我の男は、
(声も非常に良きの……)
そう。
腰に、骨に、心地好く、響く。
昼過ぎ。
猟師の住む山小屋を見せて貰いたいと男の申し出で、猟師の山小屋へ向かった。
そこでしばらくの間、猟師は男に何か訊ねたり、長々と何やら話していた。
猟師の父親がたまに吸っていたからと、灰落しの皿を出し、男は遠慮なくと指で火を点ける。
我は男の膝の上で、目一杯男の匂いを嗅いでは、頬を擦り寄せながら、ふと、
(のの、これはまーきんぐ、という行為の)
獣の習性だと気付くけれど。
(まぁ我は獣だしの、全く問題はないの)
更に獣獣している狸擬きは、途中までは我等に付いて来ていたけれど、この山で過ごす時間が少ないと気付いたのか、すったかすったかと、どこかへ消えていった。
男が持っていた地図を広げ、片手で指を差しながら猟師に何か伝えている。
けれど、客間にいた時よりも、声の真剣さも、硬さも違う。
それは猟師も同じだ。
猟師はたまにメモを取りながら、熱心に頷いている。
男は地図に印を付け、思い出したように我の頭を撫でては、また地図に何か書き込んでいる。
それでもしばらくすると、それぞれ大きな息を吐き、言葉を止める。
猟師が立ち上がり、水場に立ちながら湯を沸かしつつ、何か軽口を叩く口調で肩を竦めた。
男は笑いながらも、
「……」
徐々に笑顔が固まり。
「……の?」
嫌な予感に、男からもごもご離れようとしたが。
「肌着1枚で部屋を出て、階段から飛んだ?」
にこりとした笑みを取り繕いながらも、我を至近距離で見下ろしてくる。
「はっ肌着を着ていれば充分だろうのっ、階段はちょっとばかり躓いただけのっ」
そもそも我は見た目も赤子と変わらぬ。
なぜ、誰も彼もがこんなに憤るのかと、短い両手を振って弁解してみるも。
「君はもう少し、自分がレディである自覚を持とうか」
迫力ある物言わせぬ笑顔に、
「ぜ、善処するの……」
狸擬きの様にもし耳があったらぺたりと下げながら、小さくなる。
(何とも……)
「レディ」
と呼ばれる生き物は色々と気を遣わねばならず、大変なのだのと、こっそり溜め息を吐いた。
猟師が、多分でなく、我のために屋敷から分けて貰ったであろう牛の乳に蜂蜜を垂らしたものを出してくれ、自分と男には珈琲を淹れると、男が新しく煙草に火を点け、また地図を眺める。
猟師が地図の端を指差したけれど、男はかぶりを振り、地図からは遥かにはみ出た机に指を当て、猟師が驚いた顔で我を見てきた。
男が指差した場所が、きっと青のミルラーマ。
行ったことはあるのかと聞かれているのだろう、男が片手を振り、
猟師がじっと考える顔をする。
男たちは長い時間、会話を続け、我は男の膝に乗ったまま、机で折り紙を折る。
男には邪魔なはずだけれど、男はたまに我の顎をなぞったり、我の腹の前で指を組んだり、気にならないらしい。
紙で、薄く繊細なケシの花を茎まで折り、我ながら改心の出来で、完成したそれを見て、男は勿論、猟師も目を見開いて凝視し、拍手までして褒めてくれる有り様。
(ふふーぬ)
非常に心が満たされたため、
「燃やして欲しいの」
男に頼む。
「いいのか?」
「満足したの、それに、ここには我の形跡は残したくない、無駄に荷物にもなるしの」
「狸擬きが泣くぞ」
「あやつには、この程度ならまたいくらでも折ってやるの」
男が、紙のケシを灰落しの皿の中に落とし火を点けると、猟師が驚いた顔で手を伸ばしてきたけれど、紙のケシは一瞬で炎の揺らめきに絡めとられ、燃え尽きていく。
「……なぜ」
猟師が問うてくる。
「お主は近々旅立つだろうの。これは必要ではないし、ここに残す理由もないの」
男に伝えて貰うと、猟師は、しばらく考えるように目を閉じた後、
「旅立ちとは、厳しいものだな」
苦笑いで灰になった紙屑を見つめた。
執事が、姫様のお相手をお願いしますと迎えに来る程に、2人は長い時間、話し込んでいた。
猟師が、旅人か冒険者になる話だろうか。
宿が見えると、狸擬きも戻って来て、あの若鹿と仲良くなった、と教えてくれる。
「それは良いの、またいつか会いに来ようの」
フンフンと嬉しそうに鼻を鳴らし、その場をくるくる回る狸擬き。
少し遅めのお茶を頂きつつも、姫が、私も夕食の支度を手伝うのでと客間から出ていくと、
「俺が来てから、君が相手をしてくれなくなった、と姫が少し寂しそうにぼやいていたよ」
そう言えば、我を見て何か話していた。
胡桃ではない、何か木の実の様なものが練り込まれたビスケットが美味で、狸擬きと共に夢中で食べており、男に通訳すら頼まなかった。
(ふぬ)
でも。
「お主がいるからの、仕方ない」
「俺は最優先か」
「そうの」
何を今更。
「離れてた分もあるからの」
男の胸に頬を当てると、男が天井に向けて煙を吐き出す。
我の背中を抱く手の開に、少し力を込めながら。
猟師が、無言の催促をする狸擬きに、自分の分のビスケットを与えながら、
「そう言えば、なぜ君は、この狸を『擬き』と呼ぶ?」
と不思議そうに聞かれた。
たまに通じる声で、我が狸に擬きを付けていることに気付いたらしい。
「ぬぬ」
大した理由ではないけれど。
「我の知る狸は、もっとこう、小さくての、毛も、我のいた土地ではここまで多くないし、足も、こやつ程は早くなかったの」
猟師だけでなく、男も興味深そうに、耳を傾けてくる。
「知能はこやつと同じくらいか、いや、阿保だからの、車に、あぁ、馬車よりもっと頑丈で早い乗り物に、よく轢かれておったの」
「!?」
ビスケットを口に放り込んでいた狸擬きが、小さく飛び上がる。
「あとはそうの、『狸寝入り』なんて言葉もあるの」
「たぬきねいり?」
「嘘寝のことの。臆病で、鉄砲の、激しく鋭い音で失神するの、それで死んだと思って人が近付くと、逃げていく」
男は我が揺れる勢いで笑い、猟師も男に教えられくくっと笑う。
狸擬きは、
『……』
複雑な表情で話を聞きながらも、顔が半回転するほどに首を傾げている。
「この狸とはだいぶ違うな」
「一応こやつは里の主でもあるからの、多少、他の土地の狸たちとも、違うのかも知れぬの」
「君がいた土地と近いのか?」
猟師に聞かれた。
「隣の森の」
猟師は、なるほとど頷いたけれど、何か別の事を考えるように視線を落とした。




