52粒目
淡々と進むなだらかな山道。
川が見え、立派な橋が掛かっているのを見ると、人里に降りてきた感がある。
人はいないけれど、少し川上へ向かい、
「あーずき洗おか、ビースケット食ーべよーか♪」
しゃきしゃきしゃき
しゃきしゃきしゃき
「あーずき洗おか、心臓食ーべよーか♪」
しゃきしゃきしゃき
しゃきしゃきしゃき
小豆をしゃきしゃきする。
しかし。
「こちらは、どこも水が澄んで綺麗の……」
小豆をしゃきしゃきのしがいのあることよ。
これだけでも、こちらに飛ばされてきて良かったと思える。
「……」
男は、川下で煙草を吹かしている。
狸擬きの姿は見えないけれど、またその辺を彷徨いているのだろう。
しゃきしゃきした小豆を小袋に、そして鞄に詰めてから、男の元へ向かおうと、立ち上がり、片足を踏み出した瞬間。
不意に。
「の?」
右足の親指のつっかえがなくなり、
「……んのっ!?」
雪の上に全身で倒れ込んだ。
ザルがふっ飛び、雪の上にボサリと落ちる。
「ぬ、ぬぬぅ……」
男が慌ててやってきて、
「大丈夫か?」
「ぬ、ぬぅ……」
抱き起こされて雪を落とされ、怪我はないかと、手の平などを確かめられたけれど、我はそうそう怪我はしない。
ただ。
「鼻緒が千切れたの」
「はなお……?」
「足を固定する紐の。これだけは消耗品の」
まぁよく持った方である。
男に抱き上げられ、千切れた鼻緒の付いた草履をまじまじと見られる。
「草履は名の通り、草で編んだものもあるの、我は木で出来たものを履いておるけれどの」
裏を表を、しげしげと眺めていた男は、
「改めて、小さいな」
「そこかの」
男の感想に笑ってしまう。
確かに、小さい。
荷台で、こちらの世界で買った布を細く切ったものを、足の親指に挟み布を捩り、一本の紐にして、それを鼻緒として使う。
男はそれをまた、煙草を吹かしながら眺めている。
何も話さない。
聞くこと、聞かないこと。
数多くあるけれど。
大事なこと、そうでないことも。
互いに、何も。
知らない。
我とこの男は、
「心臓を食った仲」
それでいい。
それだけでいい。
思い出される血の味は、濃く。
無意識に唇を舐めると、雪の上を、ててん、ててんと狸擬きがご機嫌で戻って来るのが見える。
もう少し進むと、もう少し大きな川を越えるため、その橋までを今日の目標にしようと、男は、煙草の煙を細く長く吐き出した。
「の……?」
「先客か」
男の言う、山の麓を更に進んだ先の大きな川、に辿り着いたのは夕刻近く。
昼間の橋より立派な橋の向こう側に、馬車が一台。
荷台から灯り。
小さめの天幕も張られてそちらも明かりが灯り、ここで夜を明かすらしい。
意識して気配を探ると、それを察した隣の男は馬の速度を落とす。
人の女と、獣の気配。
女は年若い匂い、獣は割りと大型。
「……」
行商人、旅人は助け合いだと男から聞いた。
何があろうがなかろうが、声を掛ける、挨拶はすると。
橋を越えた先にいる馬車の者たちも、こちらの音に気づいたらしく、幌から顔を覗かせた。
やはり年若い、20歳前後と思われる若い女だけれど、その目に宿るのは警戒ではなく、純粋な好奇心のみ。
更に隣から鼻先を覗かせたのは、狼で、
(おぉ……)
荷台から狼がストンと降り立ったけれど、暗くなり始めても尚際立つ、白に毛先が青く染まった、惚れ惚れとする立ち姿と毛色。
若い女も出てきたけれど、少しだけ濃い肌の色が隣の男と似ている。
ほんのり凛々しい顔立ち、灰色混じりの髪の色も。
馬車を停めると、若い女は狼と共に駆け寄ってきた。
我にも何か話しかけてくるものの、当然解らぬ。
それでもニコニコとして、あの王子とはまた違う人懐っこさがあり、馬車からいち早く降りた狸擬きは、なぜか胸を張るようなポーズをしているけれど、なぜお主が張り合う。
馬車から降りた男に抱っこされつつ狼を見ると、向こうもじっと
こちらを見上げてきた。
男が、隣に天幕を張らせて欲しい的なことを口にし、若い女は勿論と頷いている。
手伝いも申し出てくれたようだけれど、それは断り、男は我を降ろすと、
「お願いできるかな?」
「の」
夕暮れの中、男を手伝いを天幕を組み立てる。
若い女が、自分の天幕から食材やら何やらを抱えて来たことから、男に聞かずとも共に夕食を囲むことになったことは分かるけれど、狸擬きが少し不満そうなのは、おにぎりが出ないからだろう。
相手が餓死でもしそうならともかく、そうでなければ、むやみやたらに、この世界にあるか分からぬものを人間にホイホイ出すのは、あまり良くないことは、我も遅蒔きながら理解していた。
この若い女は、小麦の国の出身で、父親が行商人、仕事へはずっと付いて行っていたけれど、今回、初めて1人でのお使いの許可が出たと。
若い女の父親は、我を膝に乗せる男の国と同じ出身で、血も色濃く受け継いだと、男を通して教えてもらう。
温い天幕の中、薄手の服越しにでもわかる、しなやかな筋肉質な肉体。
短く切り揃えられた髪に、長い手足。
若鹿ではなく、小柄な黒豹を思わせる。
その若い女は、小麦粉は当然卸す程積んでいるし、自分達用にも持ってきており、パンではないけれど平たい鍋でも焼いたりすると、ストーブの上で、薄く膨らむパン、多分、ナンと思われるものか、それに近いものを焼いてくれた。
そこに、昼間に大爪鳥がくれた兎肉を焼いたものと、宿で分けてもらえた葉野菜を挟んだもの、珈琲と紅茶。
決して豪華とは言えない食事でも、若い女も、その隣に座る狼も、とても美味しそうに食べている。
普段はパンだけかと男に訊ねてもらうと、それこそ小麦だけを固めた様な、紙に包まれた携帯食料的な物を見せてもらえた。
(なんぞこれは……)
一欠片を割って手の平に乗せて貰えたため、礼の言葉の後に口に含んでみたけれど。
「ぬ……」
(小麦と水と塩と少量の甘味…それに粟、よりはましな粒が固められた味がするの……)
隣の狸擬きは、美味くないものと解っているらしく、こちらには見向きもせずに、ナンサンドに齧り付いている。
旅人の皆が皆こうではなく、この若い女は、美味しいものは嫌いではない、けれど、料理はできないし、旅が楽しいから全く気にならないと。
(ほほぅ、まさに若さよの……)
相棒の狼は、自分で獲物を狩ってはそのまま食べているらしい。
もう少し街に沿った道もあるけれど、こちらの川沿いの方が山に近く、相棒が獲物を狙いやすいからこちらに来ていると、それがもう楽しくて仕方ないと言わんばかりに教えてくれる。
食後に、こちらのことを聞かれている様子があった。
男はそれには慣れた様子で答えている。
若い女は、そうなのかと言わんばかりにうんうんと頷いているため、男はさぞ、
「それっぽい事」
を話しているらしい。
一体いつも何と答えているのかは、毎回聞きそびれている。
小麦の国の話も聞かせてもらった。
小麦粉しかないけれど、近隣の国でも主食のため、それで国は十分に潤っている。
国の王様もごくまともな人間で、少しお人好し過ぎるくらいだと。当然、外交はあまり上手くはない。
けれど、隣の国の王様も大概お人好しの外交嫌いなために、うまくいっているらしい。
そして2国の向こう側、横に長く連なる山を越えた先に広がる、2つの国を合わせた大きさの国土の、その国の女王陛下が、そんな2人に、もっと頑張れと発破をかけ、3国のまとめ役として頑張っているらしいと。
ふぬ。
(まぁ概ね、平和な様子の……)
目の前の若い女は、それら2つの国ではなく、近隣の小さな村への卸しの仕事だと教えてくれた。
「の」
「ん?」
「あまり我に他の国の話をしてくれないのはなぜの?」
まだまだ話したいと目をキラキラさせていた若い女は、しかし旅を始めて2日目の夜、張り切りすぎて無尽蔵に見える体力も、さすがに限界らしい。
うとうとし始め、狼の方が相棒を促して隣の天幕へ戻って行った。
片付けをしてから、男の背中を拭き、男に髪を梳かされながら、気になって問うてみる。
「んん?」
少し考えるような間の後に、
「俺の狭い視界で見た印象を不用意に伝えて、君に、視野の狭まってしまった瞳でその世界を見て欲しくないだけだ」
「のの」
他の者はいいのか。
「第三者からの見え方だしな、彼等は他人だ」
他人。
「俺と君、ではない」
ちらと振り向くと、手の平で掬った我の髪に唇を当てながら、目を細めて微笑む男がいる。
狸擬きは、仰向けで、またどこぞに大事にしまっていた折り紙を腹に乗せ、交互に前足で持っては、うっとりと眺めている。
「の、抱っこの」
「まだ髪を梳いている」
「ぬぬ……」
櫛が、頭のてっぺんから毛先まで通るのを待ち、男の胡座の中に横向きに収まると、
「どうした?」
指の背で頬をなぞられる。
「我はお主との『初めて』を見たい」
「……そうだな」
なぜ一瞬固まる。
「でも、君と見る景色は、一度見た景色でも全然違うよ」
「の?」
それは。
「どんな風にの?」
「んん?秘密だ」
男の楽しげで低い声は好きだけれど。
ぬぅ。
「いけず、よの」
唇を尖らせば。
「いけず?」
「悪い男、と言う意味の」
「ふふ、それは大した褒め言葉だ」
「散々言われてきたろうの」
「心当たりはないなぁ」
すっとぼけられる。
何とも罪な男だ。
外は、風が少し出てきた。
(お……)
隣の天幕から、狼がのそりと出てくる気配。
どうやら森へ向かうらしく、気配は一瞬で消えていく。
「君は駄目だ」
「ぬ」
外の気配を窺っていただけなのに。
「行くとは言ってないの」
「止めなければ行くだろう?」
どうだろうの。
でも。
「今はお主の腕の中が心地よいから、ここから動く気はないの」
ぽてりと頭を胸に預けると、
「なら、ずっと抱いてないとな」
「そうの」
クスクス笑い合っていると。
狸擬きが、
「新しい『おりがみ』が欲しい」
とこちらを見てきた。
ふぬ。
「何か良い行いをしたら考えるの」
そう、ご褒美だ。
「……」
長考に入る狸擬き。
不意に男の顔が近づき、
「の?」
顔を上げると、額に唇をそっと当てられる。
「そろそろ寝ようか」
「ぬ、ぬぅ」
このすきんしっぷは慣れぬ。
決して嫌いではないのだけれど。
狼が隣の天幕に戻ったのは、だいぶ夜も更けた頃だった。




