53粒目
若い女は、急いで仕事を終わらせて国へ戻るから、合流したいと言ってきた。
王子程には面倒そうではなく、国には何ヵ所か組合があり、そこで言伝ても頼めると言う。
結局、狼とは一言も話さなかったけれど、それは狼からの矜持、
「ぷらいど」
を感じた。
ずっと人と育ち、狼ではなく、自分を人と近いと思っているし、きっと心はそうなのだろう。
だから我とは話さない。
人の形をした獣とは、人の皮を被っただけの化け物とは、決して話そうとはしない。
まぁ。
(人も獣も、それぞれの)
我のように、プライドなど欠片も持たぬ獣とは違うのだろう。
草原の雪景色が視界いっぱいに広がり、空はどこまでも広い。
(元いた場所では、もうずっと山の中ばかりにいたからの……)
新鮮ではある。
若い女は朝も食べずに出発したため、それに合わせて出発した我らの食事もこれから。
きっと旅人たちの目印にもなっているであろう、遠くに見える背の高い木を目指し、道を少し外れ、木の下で雪を踏みながら荷台に移ると、朝食の赤飯おにぎりに、男の作った熊肉入り具沢山スープ。
「ぬふー」
何だか朝から力が抜ける。
あの若い女と比べると、我等は少しのんびりし過ぎなのだろうか。
と思ったけれど、男もまったり煙草を吹かしているし、狸擬きも仰向けになり、満足そうに前足で腹をさすっている。
(ふぬん……)
どうやら。
(我等は、これで正解らしいの……)
浅瀬の小さな川を見掛ければ小豆を研ぎ、ティータイムを取りつつ、ひたすら雪の積もった、果てがないのではと思う程の麦畑を進むと、その村が見えてきたのは、すでに夕刻に近かった。
「大きいな」
「の」
確かに若い女の暮らす国の規模で見れば小さいのだろうけれど。
同じ小麦の国の一部である、この少し離れた村に、出来れば立ち寄ってくれないかと、あの若い女に頼まれていた。
村、いや小さな街と言ってもいいくらいの大きさの村は、国からの支援で、麦の改良を実験的にしている村なのだと、冬の夕刻でもほどほどに賑やかな広場で、停まった我等の馬車に声を掛けてきた老人が教えてくれた。
この真冬に仕事でなく、わざわざ立ち寄る、流れの行商人はそうそういないのであろう、更に連れているのは幼子と狸擬き。
ニコニコして決して顔には出さないけれど、不審がられたのかもしれない。
男が仕入れた物を見せていると、
「ほうほう、新しい行商人さんか」
金物ならあっちだよと指を差して教えてくれた。
一軒一軒が大きく、わりと立派な街並み。
やはり大きめの、立派な建物の金物屋の女将が、
「国からは支援は多いけど、行商人さんはこっちまで来ないし、数が限られているから、こちらまではなかなか品物が回って来なくてね」
あらあらと嬉しそうに品物を確かめている。
何となくパン屋ばかりかと安易な想像をしていたけれど、当然住む人間のための日用品の店や食料品の店もある。
国からの支援が多いと住人が言うだけあり、物は安価で、ただ種類がことごとくが少ない。
焼き菓子も、素材のまま、シンプル、その一言に尽きる。
国はほんの隣とはいえ、間に広がるのは壮大な小麦畑。
馬車でもないと辿り着くのは到底無理な距離なため、宿も一軒だけ建っており、そこに泊まらせてもらうことにした。
宿の主人と女将は男よりだいぶ上の年齢だろうか。
わけありそうな客の我等を敬遠することなく歓迎してくれ、夕食は数種類のパン、燻製した肉と野菜のサラダに、とろみの付いた牛の乳のスープ。
(牛の乳風味のふわふわのパンは勿論、固いパンも香ばしくてなかなかに良いの)
宿の2人は、きちんとテーブルに着き、前足で食事をしてる狸擬きを興味津々で厨房から眺めている。
そのため、我から視線が逸れるのは、
(良い視線避けになる)
風呂は、すぐ先に公衆浴場があるらしいと男から伝えられたけれど、質素ながらも清潔な部屋で、身体を拭くだけで済ます。
早朝に、小鳥が飛んできた。
小さな窓をコツコツ叩き、男が欠伸をしながら窓へ向かうと、冷たく乾燥した冷気が流れ込んで来て、足許の狸擬きが更に身を縮めて丸くなる。
男が、小鳥用に小さなクッキーを用意し手紙を広げると、あの若い女からだと。
国の中からともかく、鳥も外に出れば安くないだろうに。
案外「ぼんぼん」なのだろうか。
いや、娘には「ぼんぼん」は使わないのだったか?
組合を経由してやってきたらしい手紙には、明後日の夕刻には帰る、城から見て西にある組合の前で、と書いてある。
ほぼ休みなく移動しているらしい事がわかり、
(少々、馬が気の毒の……)
朝は狸擬きの催促で、朝食は宿ではなく、出発してから赤飯おにぎりにするため、宿ではなし。
髪を梳かしてもらいながら、窓越しに外のざわめきに耳を澄ます。
どこも穏やかな空気。
翌朝、宿を引き払う際に、男が宿の主人と女将に何か訊ねられ、男は少し考える顔をしてから、我を抱いたまま外の馬車へ向かうと、
「宿代をまけるから、何か目新しいものと交換してくれないかと言われた」
「ふぬ」
ここの住人が休暇で遊びに行くのは隣の2国だけれど、2人くらいの年になると、それも飽きてしまう。
国からの支援はあるため、その金を貯めて2人で遠くへ旅行をするのが今の楽しみなのだと。
逆に言うと、楽しみがそれくらいしかないとも言える。
少し離れた広場に、乗り合い馬車が停まっているのが見えた。
国へ向かうのだろう。
家族連れや若い男女が、楽しげに話しながら乗り込んでいく。
男は数点の金物や小さな自家製ジャムを見せると、夫婦は長考してから3点ほど選び、礼と共に土産のパンを持ちきれない程持たせてくれた。
しばらく乗り合い馬車の後ろに続いていたけれど、また、少しばかり道を外れた、3本並んだ木の下の、雪がそこだけぽかりとない、どうやら誰かが野宿していたと思われる後釜に馬車を停めさせてもらい、食事にすることにした。
1人と1匹は赤飯握りがいいと言うため、我の分もそれぞれに与え、我は土産にもらったパンを、指で毟らず、そのままかぶり付く。
「あーむぬ」
店でもないから構わぬだろう。
そして。
「ぬふん♪」
(やはりパンも美味の)
「パンを焼ける箱があるとかないとか聞いたな」
「ぬ?おーぶん?ではないのかの?」
「いや、箱の中の石に、風魔法を送り箱の中で捏ねて、石を火に変えて発酵のち焼き上げるとか」
男も実物は見たことがないらしい。
「ほほぅの……」
それは大層魅力的だけれど。
「俺も見たことがない」
肩を竦められ、どうやら、夢物語的な魔法道具の1つなのだろう。
また乗り合い馬車が一台、通りすぎていく。
旅行をする人間が多いのは、この世界では数少ない、貴重な娯楽の1つだからだと、男に教えられる。
確かに、識字率も低く、映像技術もない。
あの宿の夫婦も、いつか旅に出られればいいと思う。
乗り合い馬車を見送り、我等も進むことにする。
真っ白な麦畑の中にぽつりぽつりと納屋があり、また進むと似たような納屋があるの繰り返しで、道に迷うことはないけれど、同じ道を延々と走っている錯覚に襲われつつあると、徐々に納屋ではない、民家が現れ、道が石畳になり、他の道からも馬車が現れ、街が見えてきた。
「……?」
そのわりに、いつまで経ってもお城が見えぬと思ったら、王様のお家は、せいぜい3階階建ての、土地の広さにものを言わせた、横に広く奥行きも凄まじくある、屋敷の様な建物だと聞かされる。
我が想像する、王様が住んでいるお城とは違う、この世界でも若干異質な形の城だそうだ。
気になりはするけれど、それ以上に近づきたくはないから、聞くだけに留める。
そして、馬車から街を見回せば。
しばらく見掛けなかった屋台なども並んでおり、いい匂いがしてくると、狸擬きがフンフン鼻を鳴らして、馬車から降りたいとせがんでくる。
「お主1匹では相手にされぬだろうの」
男が組合の看板を見付け、馬車を停めさせてもらう。
商会の娘と思われる、あの若い女の指定した組合ではないけれど、待ち合わせには、まだまた早い。
男が、街と違わず、こちらものんびりした空気の組合に顔を覗かせ、多少の寄付をし、宿を紹介してもらう。
宿はすぐ隣で、旅人行商人が主に泊まる宿だと。
簡素すぎず派手でもなく、風呂もあり眠るには十分な部屋。
ベッドは2台。
狸擬きは足を拭かれると、颯爽と窓際のベッドに飛び乗り、ふみふみして寝床を整えている。
「横になる前に風呂の」
『……』
無言の抵抗になっただけ、随分成長したものだ。
それでも男に小脇に抱えられれば、短い4つ足がジタバタする姿を見送り、
(今日は、ぬくいの……)
窓際に椅子を移動させ、小さめのガタつく窓を押し上げ、狸擬きの様に鼻を蠢かすと、どうやら山の向こうから南風が流れ込んでいる模様。
数日は、よい天気と季節外れの暖かさが続きそうだ。
組合ものんびりしているのは、小麦畑に囲まれ、連なる山にも熊などの大型の獣がおらず、畑などを荒らされることもない。
そのため猟師や狩人が必要ない。
組合は流れの旅人や行商人の対応、鳥の手配が主な仕事になるからのんびりなのだと、風呂から出て、狸擬きを乾かす男が教えてくれた。
(ほほぅの)
我のいた山もそうだけれど、山の近くの村で世話になったあの青年も、大型の害獣の駆除で早々と宿を出発したし、あの雪の宿を囲む山々にも、おとなしく眠っている気配こそあれど、大型の獣の気配は多かった。
どこも色々の。
いつか男が冗談で、狩りで生計を立てられそうだと苦笑いしていたけれど、それもまた、楽しいかもしれない。
翌日。
宿は食事処はなく、朝から男に抱かれて街中を歩く。
そこかしこからパンのいい匂いがし、店先のテラスからは、パンと珈琲の香りも漂ってくる。
街の人間は皆穏やかな表情をしているし、聞こえてくる声もおっとりとして、柔らかい。
王子しかり、元々がのんびりした気質なのだろう。
「……のの?卵があるの」
こう、寒さに強そうな根菜が多く並ぶ食材が店の端に、卵が入ったカゴがあり、指差すと。
「あぁ、鳥の卵だ」
「お主はあまり買わぬの?」
そういえば食べたことがない。
「その、割れやすくてな、どうにも」
(ふぬん……?)
茹でた小豆でもくっしょんにすれば……と思ったけれど、存在するか分からぬ小豆の神に怒られそうでやめておく。
狸擬きが、その立ち止まっている男の足をつつき、
「ん?」
狸擬きがつついた前足で示す先に、
「のの、くれーぷ屋があるの」
「くれーぷ?」
男も知らないらしい。
あのふわふわのクリームはなさそうだけれど、燻製肉や野菜やらが薄い生地に置かれて巻かれている。
朝食代わりか、手軽に食べやすさ故か、客が数人並んでいる。
看板に書かれた品書きに近付いてみると、ちょうど客が捌けた所で、
「食べたいの」
「フーン」
男が注文くれながら、お髭の店主に話しかけている。
紙幣と共に、煙草の箱を渡しながら。
店主は城の奥の山を越えた、もう少し大きな国からこちらに来たと。
嫁がこの国の出身で、小麦畑を継ぐために婿に来たけれど、今の時期は閑散期でクレープ屋が主な稼ぎ場。
クレープは自国だとここ数年で爆発的に流行り、今は割りと一般的なおやつや軽食として食べられている。
どこから始まったかは知らないが、こちらの国では食事系が一般向きだと。
「ここの王様が質素堅実で、国からして華やかさを好まないからな」
らしい。
そして、小麦粉にはやはりストイック過ぎる矜持があり、小麦粉で作るパンや菓子には混ぜ物をしない。
クレープの生地も、生地だけなら余計な木の実などが混ざらないため、こらちでも受け入れられたと。
ふーぬ。
(伝統も良いけれど、我は胡桃の入ったパンが食べたいの)
薄くくしゃくゃの紙に似たものに包まれたクレープを手渡された。
狸擬きも、すぐそばの小さな長椅子にちょこんと座っていたけれど、屋台から出てきた店主に、出来立てだよと手渡され、尻尾を振って喜んでいる。
小麦の国だけあり生地は間違いなく、中の燻製肉もなかなかだったけれど。
「我は、甘いくりーむのクレープが食べたいの」
「甘いクリームのクレープ?」
足を振って男に催促すると、男は、狸擬きの前にしゃがみ、大層物珍しげにクレープを食べる狸擬きを眺めていた店主に訊ねてくれる。
「あるある。甘いのならやっぱり花の国だな」
花の国。
「向こうではふわふわのクリームが主流だ。こちらだとクリームは値段が張るからな」
「3代前から王様でなく、女王様が国の一番上になってな、一年中、花で国を華やかに賑わせたいと色々頑張ってる」
「他の国との貿易も盛んにしたいと、色々頑張っているらしい。
……ただ」
(ぬ?)
「賑やかさに便乗して、少し悪い人間も紛れているらしいから気を付けな」
とのこと。
ぬん。
悪者など、どうでもいい。
(花の国へ行けば、甘いクリームのクレープが食べられる)
「早よ、早よ花の国へ行くのっ」
男を急かしてはみたものの。
ピチチチ……
と青い鳥が、こちらに飛んでくるのが見えた。
「……まぁ、明日にはあの女性との約束もあるしな」
男が片手を上げて、青い鳥を留まらせる。
男の代わりに金具の筒の中身を取り出し広げ、男に見せれば。
男は肩を竦め、
「王子様から呼び出しだ」
「……ののぅ」
思った以上に早い。
組合から城へ伝わったのだろう。
「我は宿に籠るの」
何なら、馬車の荷台でもいい。
むやみやたらと衆目に晒されるのは本意ではない。
が。
「『2人と1匹様で』とあるな……」
「ぐぬ……」
行商人としての男の面子を、もしかしたら大事になるかもしれないツテを潰すのは大変に不本意ではあるけれど。
「我は嫌の」
眉を寄せる。
「それは困ったな」
苦笑いは、しかしあまり困っている様には見えない。
「?」
「じゃあ、そうだな、君が嫌ならこのまま逃げてしまおう」
なんと。
「あの若い娘との約束はどうするのの?」
「行商人は色々あるからすっぽかしも珍しいことではない、組合に言伝てでもすればいいさ」
見付からない様に、今のうちにここから出てしまおうと、唇に人差し指を当てる。
悪戯っ子そのものな、男のその微笑みに。
(ぬぬぅ……)
仕方ない。
「……仕方ないの」
「ん?」
折れるしかないではないか。
「我1人のわがままで、お主や他の行商人の印象が悪くなるのは目覚めが悪い」
「……お?」
「我も行くの」
呟いた我の言葉に、
「……残念」
男が、我から視線を逸らし小さく呟いた。
(の?)
「お主、今、何と言ったかの?」
残念、と聞こえた。
もしや。
この男も案外面倒に思っていたのか。
間近で目が合えば、ちらと舌を出され、
「ぬっ!?」
なんと。
こやつは、我の言葉にまんまと便乗しようとしていたらしい。
そこいらの、男に色目を使う女たちから逃げるのならばともかく。
「なんという男の!」
「あははっ冗談だ、冗談!」
「冗談とは思えぬっ!」
我を抱く男の腕を肩をポカスカ叩くと、男は更に可笑しそうに、軽やかな笑い声を上げながら、そこかしこからパンの焼ける匂いのする街を歩き出す。
狸擬きもテコテコ付いてくる。
「君と過ごす時間が」
「ぬ?」
「君を独り占め出来る時間が減るのが、少し嫌なだけだよ」
またこの男は。
「こんな街中で言うことではなかろうて」
しかも歩きながら。
「本音はこんな時にしか溢せないからな」
さらりと、歌うように呟かれた。




