49粒目
王子の双子の従者が宿に到着するまで、湖畔を散策したり、書庫で本を広げたり。
双子はほぼ休みなくとんぼ返りでこちらに来たらしいけれど、それだけ母親の症状も重くない証拠らしい。
初めて顔を合わせた双子は、王子より少し年の若い男女で、言葉は少なく、こちらへの表向きの好奇心もなく、ただ静かに王子の後ろに控えていた。
王子のものよりは僅かに質は劣るものの、それでも仕立てが丁寧な服を纏い、絶えず王子の様子を気にしていた。
(男の服も、丈夫さだけは自慢できるのだけれどの……)
けれど男も、王子が着ているような服を着たら、さぞかし見映えがするだろう。
いつか見てみたいものだ。
その王子は男に随分懐き、帰る時には、
「旅に出る時には我が国に、僕の家にも是非寄って欲しい」
と誘われたとも聞いた。
きっとその「家」は、我の想像以上に大きなお城なのだろう。
そこにお呼ばれをすると言うなら、男1人で行って貰うことにしよう。
堅苦しいのは敵わぬ。
王子が豪華絢爛な馬車に乗り込むと、大勢の人間の気配も消え、どこかで力の入っていた部分があったのか、ふっと溜め息が漏れてしまう。
数十人から感じる、こちらに対しての警戒の気配を絶えず感じていたからかもしれない。
それに、王子の見送りで、午前中のおやつがまだ貰えていない。
メイドたちも心得たもので、ロビーで林檎のパウンドケーキを出されて摘まんでいると、馬車が停まり、人間が1人降りてきた。
豪華さはなく、我等が乗ってきたのと同じように、荷積みが優先される大きな馬車。
(またお客人かの……)
男と同じ、行商人の類いか。
「……」
いや。
違うの。
大きな扉から中に入ってきた男は、少し長めのクリーム色の髪をオールバックにし、薄茶の神経質そうな瞳には薄い金縁の丸眼鏡。
高い鼻梁に薄い唇。
身長の割に細い身体には、仕立てのいい髪の色と同じクリーム色の三つ揃いに蝶ネクタイ。
メイドたちの声掛け、空気から、
(あぁ、宿の主人の)
以前、男から聞いていた話とは、随分印象が違う。
一見、
(天晴れな女好き)
には到底見えない。
前職は頭の切れる執事、とでも紹介された方が納得がまだ納得が出来る。
だいぶ以前の客だろうに、宿の主人は男を覚えていたらしく、立ち上がった男に、見知った者に向ける笑みを浮かべ。
(のの……)
神経質そうな顔が一転、笑みは柔らかく綻ぶもので。
(なるほどの……)
そのギャップにやられる女たちがいるのも理解できる。
その宿の主人は、我を、正確には我の黒髪と着ている巫女装束に視線を向け、その切れ長な目を見開いてから、
「ほうほう」
と興味深そうな表情。
隣の狸擬きにも興味津々な様子だけれど。
(我も狸擬きも、見世物小屋の珍獣ではないの)
特にレディに対しての不躾な視線は「まなー違反」なのである。
眉をちらと寄せて見せると、宿の主人は、肩を竦めて何か謝罪の言葉を告げてきたらしい。
けれど。
(言葉はわからぬの)
我の隣に立った男が宥めるように我の頭を撫で、主人に何か伝え、主人は、おっとしまったと言わんばかりに頭に手をやり、その手を胸に当てて真顔で何か言ってきた。
主人なりの、多分ここいらでの謝罪の仕草なのだろう。
(ふん……)
羽織っていた濃緑の、襟が高く丈の長い洒落た羽織りものの胸許から、長さは15センチ程度か、幅は5センチ程度の長方形の箱に紐がくくられたものを、屈んで我に手渡してきた。
「……?」
受け取ると、主人は手振りで箱を開けるように促し、蓋を開くと、
「の、砂時計、よの……」
繊細な金属の上下の支え、中は当然硝子。
主人を見ると、投げキッスをされた。
貴重な、ではないかもしれないけれど、安くはないのは解る。
しかもこれを気前よくプレゼントしてくれるらしい。
なるほど大した男だ。
これで紅茶の葉の蒸し時間を測れるようになる。
(今までは勘一択だったからの)
狸擬きが、自分にも何かくれと、宿の主人の周りをくるくる回り、しかし主人はそちらは全く理解しておらず、狸擬きの毛をよしよしと撫で始めた。
「……」
狸擬きの、あまりにそうでないと言った顔と空気に笑ってしまうと、男も堪えるように笑っている。
宿の主人が、落ち着いたら話したいと誘ってきたらしく、ならそれまでに小豆をしゃきしゃきしたい。
過保護な男のせいで、1人での外出は許可されないのだ。
部屋のテーブルに砂時計を飾り、ザルを持って湖畔へ向かう。
空はまた、重くもこもことした雲が覆い。
「あぁ……」
(また、雪が降るの……)
王子たちは予定通りに城に帰れるだろうか。
まぁ、あれだけの従者がいれは、先々を雪掻きされて帰るのだろうけれど。
男が宿の主人に茶に誘われ話している間、我は話も出来ぬし、聞くことすら叶わない。
退屈なため、小豆洗いの後は部屋に戻り、このまま部屋にいるか、その辺を散策しているかと思ったのに。
「その、宿の主人に、君も一緒にと誘われている」
なぜ。
「買い出しに行ってきて甘いものもあるから、是非にと」
「ぬ、ぬぅ……」
確かに、林檎のパウンドケーキをおかわり分まで貪っていたのは、しっかり見られていた。
結局、狸擬きは宿の主からは何も貰えず、未だに拗ねてベッドの上で尻尾をペシペシとシーツに叩きつけている。
メイドたちの関心と好意全てが、帰ってきた主人に向かったこともあるのだろう。
そんな狸擬きを横目で眺める我を抱いたままベッドに腰掛け、我をあやし宥めるこの男は、自身の色気を全く自覚していない。
けれどここの主人は、自らの魅力も色気も全て自覚し、それを自由に操っている。
中型の鳥が相棒らしいけれど、色気は動物にも有効なのだろうか。
それならまさに節操なし。
そこに本人の意志が関与しているのかは知らぬけれど。
宿全体の空気も、少し変わった。
甘く、女を感じる。
ごく微量のもの。
男の胸に頭を凭せかけ、目を閉じる。
宿の印象が、小さく可憐な花達から、華やかな大輪へ変わる。
ひっそり閉じられていた、芽が開く様な。
午後には、こんなにも居たのかと思う程、小型から中型の鳥達がよく羽ばたいて飛んで行き、それは、宿の主人が帰途についた事を、常連の客達に知らせる便りらしい。
約束の時間の鐘が鳴り、男に抱かれたまま下に降りると、宿の主人に誘われたのは、書物の並ぶ部屋。
書庫では少ない2人がけのソファに座らされ、男も隣に座ると、メイドが煙草の箱と紅茶を運んできた。
しかし期待した甘味は、
ビスケット、パウンドケーキ、マフィン。
特に目新しいものはなく。
(ぬ……まぁ、食べるけれども)
「……」
(ふぬ、粉、どれも小麦は大変に美味の)
いつか、あの大変に逞しい菓子職人の女から貰った小麦の質と少し似ている。
それでも素朴なビスケット、素朴なパウンドケーキ、飾りつけのないマフィン。
(美味しいのだけれどの……)
こう、頑なに、具など混ぜ込んでやるものかと作り手の強い意志が伝わってくる。
狸擬きは不貞腐れたまま、菓子を咥えて森へ散策へ行った。
(あやつは今日は風呂の)
2人の聞こえない話を聞きながらも、度々主人の視線を感じ、男が何か答えているけれど、首を傾げたり、かぶりを振ることが多い。
我等は、一緒にいる時間に大して、互いの事を知らなさすぎるし、聞かなさすぎる。
でも、それでいい。
知らなければ答えようがない。
知っていたら、男は答えなければならない。
男もそれを解っているのではないか。
だから聞かない。
真意は分からないけれど。
我は、ただ静かに旅をしたい。
それだけ。
「……」
しかし。
小麦粉菓子も一通り食べ終われば。
(飽きたの……)
足をプラプラさせていると、ふと。
「……?」
宿の、この目の前の主人と買い付けに同行していたらしい鳥が、何やら遠くから、鳥舎からだろう、我に関心を寄せている気配。
人間の、俗が存分に含まれる好奇心の視線あまり好まぬけれど、獣はそうそう面倒な利害を感じないため、関心を持たれるのも悪くはない。
男に、宿からは出ないからその辺を歩きたいと伝えると、それならと渋々頷かれ、主人の視線も感じながらソファから下ろされ、書物の部屋を出た。
すると、開かれていた宿の大きなドアからロビーにふわりと、何とも鮮やかな橙色の、小柄な鷹にも似た鳥が舞い込み、宿の高い天井をパッと舞ったものの、メイドたちは特に驚きもせず、その鳥に挨拶する程度。
鳥はホバリングのち床に降りると、トットッとやってくると我の前で止まる。
「わざわざご足労の。こちらから足を運ぶつもりだったのだけれどの」
『宿からは出ないと言っていたじゃないか』
「地獄耳の」
初対面で客に対して敬語もないとは、主人に似て随分、ふらんく、の。
『仲良くなりたい旨趣だよ』
「我は、礼節を重んじる質なのでの」
何か用かと訊ねると、
『あの山から来たと聞いた』
鳥は視線だけを、今は見えない山に向ける。
「の」
『何か感じなかったか』
「特にはの。……狸擬きは何か言っていた気がするの」
何だか面倒臭そうな気配に、
「もう良いかの」
踵を返し掛けると、
『何か頼みたいわけではない。なぜあそこがあんななのかを知りたいだけだ』
「狸擬きに聞けばいいの、我は何も知らぬ」
きっと、狸擬きはまた、テーンテーンと楽しげに跳ねながら、雪の森を散策しているだろう。
(俗な視線はなくとも、面倒事を持ってくる獣は、人の子同様に苦手の)
何か言いたげにしていた鳥は、それでも何も言わずに狸擬きを探しに外へ飛んで行き、我は男たちのいる書庫には戻らず、そのまま広間のソファによじ登り、ぼんやりしていると。
仕事が終わったのか、幼子が1人でいるのを不憫に感じたのか、メイドの1人が盤上遊戯らしい四角い箱を持ち、ニコニコと笑いながら、こちらに見せてきた。
それは、
「チェス」
に似たもので、造形はとても凝っている。
身振り手振りにメモで遊び方を教えてくれつつ、他にも仕事が終わったと思われるメイドもやってきて、隣に座り助言代わりの駒を動かしつつ教えてくれる。
(ふぬふぬ)
これは。
(これは楽しいの)
旅の、夜の暇潰しにでも持って行きたいと思うけれど、これはどこで手に入れられるのだろうか。
男に頼み、後であの主人にでも聞いて貰おう。
当然、だいぶ手加減されてもなかなか勝てぬものの、またそれも楽し。
しばらく熱中していると、書物の部屋から男と主人が出てきた。
狸擬きと鳥も、ちょうど外から戻ってきたところだった。
狸擬きの背中に留まっていた鳥が、ふわりと羽ばたき、宿の主人はただ息をするように、止まり木としての腕をすっと差し出し、鳥が宿の主人の腕に小気味良く止まった、その瞬間。
(の……)
その親密さ、長年同じ時を過ごす、1人と1匹だけの完結した関係の様なものが垣間見え。
我が、その主人と一匹に、特に好意を持ち合わせていなくても、その阿吽の呼吸と言うべきか。
1人と1匹で初めてしっくりくる、完成した、そんな印象を持たされ。
「……の、我も抱っこの」
男に両手を伸ばせば。
何か察したのか感じたのか、ちらと眉を上げた男に抱き上げられ、男に立ったままあやされていると、なぜか狸擬きが得意気にチェス盤の前に座り、それに対峙したのはまさかの宿の主人。
勿論、主人の圧勝で、しかし不服そうに首を傾げる狸擬きに、皆が笑う。
そんな中、男が、
「君が、焼き菓子をあまり喜ばなかったことを残念がっていたよ」
と我の耳に髪を掛けながらこそりと話し掛けてきた。
「てっきり目新しいものが食べられると思ったのの」
林檎パイは新鮮ではあったけれど、店主の仕入れは期待外れだ。
「あぁ、あの王子のいる国までの仕入れだったらしいからね」
ならば。
「もうあの国には寄り道しなくて良いの」
あの国の菓子事情はよく解った。
クッキーとシンプルなケーキばかり。
確かに味は悪くないけれど。
客がおらず暇なせいか、それとやはり子供が退屈そうにしているからだろう、メイドの計らいで、厨房を見せてくれると男伝てに誘われ、喜んで男を急かす。
狸擬きは宿の主人に、もう一度と勝負をせがんでいるため放っておく。
勝てる算段でもあるのだろうか。
厨房は新しくはないけれど清潔で、尚且つ立派なもので、広さも存分にあった。
あの柔らかなパンをどうやって焼いているのかも気になる。
石窯的なものかと思ったが、違い。
なんと言ったか、あれよの、天火、おーぶん、そう、オーブン。
あの王子のいる国なら、パンが特に食べられているから色んな種類のパンが売っているはずと、男に唆される。
(ふぬん)
俄然立ち寄る気になった。
今更ながら、我は食い意地で動く妖怪らしい。
(妖怪小豆洗いならぬ、妖怪食い意地の)
内心でにんまり笑っていると、男が、
「?」
と不思議そうに顔を覗き込んできた。




