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48粒目

テーンテーンと跳ねるように食堂の前にやってきた狸擬きは、我と男に閉め出されいたわりにご機嫌で、どうやらメイドたちに泣き付いて、メイドたちの部屋で寝かせてもらっていたらしい。

表立って腹を立てた様子こそ見せているけれど、歩き方でご機嫌にも程があるのが分かり、単純極まりない。

男も、狸擬きがコツコツと爪で戸を叩いていた音にも気づかず眠ってしまっていたと。

親鍵、マスターキーとやらで開けてもらえば良かったのでは、と狸擬きを見るも、サッと目を逸らされた。

やはり確信犯か。

少し遅れてあの貴族的な若い男がやって来ると、着ているものはともかく、髪は至極柔らかいせいか、盛大に跳ねている。

普段は髪を整えるのは、きっと双子の従者たちの仕事なのだろう。

男に挨拶し、こちらにも挨拶的なものをしてくれる。

朝食は新鮮な葉物野菜と分厚い薫製肉のサンドイッチ、具沢山のスープ。

青年は、自身の誕生日祝いで、1人での旅を所望したと。

この青年にとっての1人は従者込みでの「1人」らしく、

(「1人」とは……)

数の概念にしばし気が逸れかけたけれど、両親や祖父母たちがそれを許してくれ、旅に出たと。

(なるほどの)

その旅もここが終着点で、2泊してから帰る予定だった。

しかし双子の従者が戻ってくるまでは、1人では到底帰れないと、困ったように笑う。

男は察していたようだけれど、思ったより遥かに位の高い家紋の坊っちゃんらしい。

もう1つの別館にいきなり人間が増えたのは、この若い男の守衛たちなのだろう。

男がその場その場で我にも話を聞かせてくれるため、その度に会話は止まるものの、その若い男はニコニコしているだけ、むしろ手掴みで食べるサンドイッチの方に、よほど戸惑っている。

通訳ありきの会話にも慣れているのか、生来のおっとりした性格のためか。

どちらもあるのだろう。

そういえば夜から1人、食堂の端にいて、全く声を掛けてこないし、近づいても来ないメイドが1人増えたけれど、きっとここの、宿の人間ではなく、目の前の若い男の方の従者なのだろう。

今もいるけれど、

(気配を消すのが大変に上手の)

指に付いた黄みがかったソースを舐めると、若い男もソースが付いた指先を、テーブルに置かれた小さな布で拭い、

(ぬ、ぬぅ……)

そうか、舐めてはいかんのか。

ちらと男を見ると、やはり見られていたらしく笑っているけれど、我のジト目に慌てて目を逸らす。

若い男、その従者の数といい、王子と言っても良いだろう。

王子に、良ければもう少し話がしたいと、男が誘われたらしい。

男がどうすると聞いてきたため、頷くと王子のまた邪気のない嬉しそうな笑顔。

男に抱かれて食堂を出る時に入り口に立っていた、ブロンドの髪をきっちり纏めたメイドと目が合ったけれど、小さく微笑まれ、控え目に手を振ってくれる。

(の……)

予想外に愛想がある。

狸擬きも我等に付いてきた。

外に出ると、晴れ間が広がり、雪は宿側の湖畔までは溶かされており、敷かれた石畳の上を歩く。

あの「ドライヤー」のような魔法を使っているのだろうか。

いや、そこまでの火力風力はないか。

王子は次男で、上と下にそれぞれ兄弟がおり、更に末っ子の妹がいると言う。

それでも我よりは年上で、日々手習いで忙しくしていると。

王子曰く、人口も少なく小さな国で、敷地だけはあるけれど殆どが小麦畑だと言う。

「小麦の菓子も多く出回っているらしいぞ」

それは。

「早く行かねば」

王子は男の話を聞きたがっている。

男は見るからに、旅をしている者、と言った出で立ちだからだろう。

「我は狸擬きと宿の裏へ回ってみるの」

邪魔はしたくない。

降ろしてくれと頼むと、男は渋々と降ろしてくれた。

「あまり遠くへ行くな」

「敷地からは出ぬの」

狸擬きを率いて宿を回り込みながら、

「お主はなぜ食堂におらず付いてきた」

狸擬きに問うと、これからメイドたちは忙しい時間らしい。

なので邪魔はしたくないと。

単に構われる暇がないから、我に付いて来ただけだろう。

「お主はあれの、欲望に忠実の」

「……フンッ!?」

狸擬きは我の言葉に、その場で四つ足をジタジタと地面に叩き付けている。

本当のことを言ったまでなのに、なぜ怒る?

図星だからか。

まだ陽の当たらぬ宿の裏には、それでも雪は多少溶け、枯れた芝生が広がり。

我等をここまで連れて来てくれた馬たちも、何やら宿の馬たちと、陽射しの当たる場所に集まり、楽しげに話している様子。

山の中腹の木々を倒し、敷地を広げたらしい馬舎の更に奥から、鳥の歌声。

あの石の街では一度はやったものの、柵の内側を勝手に突っ切るのはどうやら非常識な行いで、しかし、鳥のいる場所まで柵を大回りすると、戻る頃には男が心配する。

(まぁ、鳥と何を話すわけでもないしの)

色々な話を聞けるのは知っている。

けれど、聞くよりも、自分の目で見て知りたい。

ぼんやりしていると、狸擬きが隣に寄り添い、ふわりと毛を当ててきた。

ふと思う。

「……の」

『……』

「お主は我と、どこまで来てくれる?」

狸擬きの毛を撫でながら問う。

「お主の足なら、お主だけなら、ここからならまだ、来た道の何倍もの早さで帰れであろうの」

速さ、持久力、身の軽さ。

ほんのそこまでの散歩にでも付いてくる様な身軽さで我の旅に付いてきた理由も、今ならよく解る。

この狸擬きなら、世界もあっという間に1周してしまうだろう。

我はこれからまだまだ先へ、遠くへ行くつもりである。

狸擬きの様な足の速さもなく、魔法を探しながらの、寄り道ばかりの旅。

ここを過ぎたら、そうしたら、本当にもう何年も、あの狸擬きが主である森へは、さすがに帰りにくくなる。

狸擬きは、

『……』

しばらく何か考えるような沈黙をし。

やがて伝えられた返事は。

我があの山の、青のミルラーマの青熊たちをほぼ駆逐したため、近いうちに、狸擬きのいた森にも、人が来るようになる。

人が入るようになると、その山や里に、獣の主は必要なくなるのだと教えられた。

「なんと」

そうだったのか。

「それは、何とも、大変に申し訳ないことをしたの」

狸擬きはフンフンとかぶりを振り、山の主はある意味、里に山に縛られることになる。

何十年、主となり長命種になれば数百年にも渡り、その地に縛られることもあると。

『なので、私は主様のお陰で、それらから解放された次第であります』

おや、言葉を発した。

『主様の山の麓の先のあの森の白い霧も、主様が大半を取り払ったため、しばらくの間は、人が通り抜けるようになるでしょう』

しばらく。

『数十年単位で』

「短いの」

『放っておけば、再び地底から白い霧が覆い、山には逃げた青い熊たちが徐々に戻り、また人は、山も森を抜けることが不可能もなり、静かな山の土地に戻ります』

「ふぬん」

『どうするかは、主様次第でございます』

そうか、あれは、我の山か。

不意に、湖から冷たい風が吹き抜けてくる。

まるで水の女神が、ふーっと息を吹き掛けて、髪をさらっていく様な。

狸擬きの毛も、もふりもふりと揺れる。

「まぁ、その時の気分次第の」

『……』

髪を背に払い、なんとなしに振り返ると、狸擬きもつられたように振り返る。

「そういえば」

聳え立つ山を見上げ、思う。

「の、我らがあの通ってきた山、お主は、あの上空には何かを感じたかの?」

振り返った先にある雪山を見上げると、思ったよりもゴツゴツしており、よくあそこを馬車で抜けて来られたものだと、今更ながら感心する。

狸擬きは、山をじっと見上げた後、

『私は地の生き物であります故に、あまり察することはできませんでした。しかし、若干の淀みはあったかと』

「ふぬん?」

『推測ですが、この宿を作った男の相棒が怪我をしたもの、それが原因かと』

「ほほぅの」

『気になりますか』

「ただの好奇心の、何をする気もないの」

淡々と答えると、何か言いかけた狸擬きが口を噤み、どうしたと訊ねかけたけれど。

もう心配した男が、王子と共に歩いてくるのが見える。

「過保護極まれり、よの」

我も、空はとんと領域外である。

山を這うように抜けてきた我等には、特に害はなかった。

それでいい。

厄介な風が吹いているのだなと、思うだけ。

もしここに我の事情を知るものがいれば、あの城といい、何をしようともしない、思いもしない我を、薄情と思うのだろうか。

それでも構うものか。

人助け、獣助けのために旅をしているわけでもない。

自分の好奇心を、欲を満たすためだけに、旅をしている。

そして今、目の前に歩いて来た男は、我のその好奇心を、欲を満たしてくれる。

「抱っこの」

両腕を広げて踵を上げれば、目の前に立った男は目を細め、我を抱き上げると、笑顔で我を見つめてくる。

「宿でチーズケーキを焼いていると教えて貰った」

「ののっ?」

そのために我を迎えに来たらしい。

宿へ戻りながらも、姿は見えないけれど、王子をじっと窺う人間たちの気配。

敵意ではなく、ただ、王子の身を案じるもの。

王子が、テコテコと後を付いてくる狸擬きを振り返り、男に何か訊ねている。

男が、狸擬きは自分ではなく、この子の連れだとでも言ったのか、王子が驚いた顔で我を見つめて来た。


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