38粒目
男と姫は。
城を出ていったのではないのか。
狸擬きは、長い月日が経ち、もはや大元の、2人の肉体はとうに朽ちているけれど、それくらいは解りますと、小さな目を細める。
『……まじないと言うものはご存じですか』
「占術の、知っておるの」
『わたくしの知る限り、まじない呪術も、
ーより人間が幸福になるための気休めー
という認識でありました』
「ふぬ」
『それがどういった事情で、それらに至ったかの経緯などは全くわかりません。
ただ、本人たちの意思に関係なく、2人に対し、まじないを越えた禁忌。秘術、外法が行われた模様』
ただ人の子を孕ませるために、か。
『これだけの禍々しい瘴気を、城の地下奥深くから発する程度には、城の人間達から、2人に対して、それに相応しい、獣はおろか、人の道を外れた行いがあったのでしょう』
それは。
「随分と、穏やかでないの」
『長い長い年月を経て、2人の放つ瘴気は、消えるどころか肥大し、とうとう城の外にまで漏れ出し、その禍々しい気配を消すために、城を仕切る城の者たちが、獣の街と称して獣を引き入れ、獣の臭いでそれを、人の五感の1つの鼻孔を麻痺させ、色々と誤魔化している模様』
推測でしかありませんが、とスンと鼻を鳴らす。
推測、とな。
『土地の記憶です』
「いつから」
気付いていた。
『嫌でも頭に入ってきたのは、街に入った頃からでしょうか』
道理で大人しかったわけである。
『何も知らない城の者、街の人間も、過敏な者は、すでにここから逃げ出しているのではないかと』
「ふぬん」
それでも。
「ここに来る間にも、男からも、この国の悪い噂は1つも聞かなかったの」
『旅人でなく、口伝てには数倍信頼性のある行商人には、街から何かしらの恩恵を与えているのだと思われます。無論、そうとは気付かれないように』
なるほど、目印はあのコインか。
男も、稀にすれ違う人間たちと、誰とでも和やかに挨拶をし言葉も交えるけれど、より熱心に話をし、耳を傾けるのは、気儘な旅人ではなく。
旅を、その先に相手が存在する、
「仕事」
と捉えている行商人の方だ。
それを踏まえても。
「……あの男が、街の不自然さに気付かないとは珍しいの、そう鈍くもなさそうなのに」
むしろ人の男にしては、すこぶる勘はいい方だろう。
握った手を唇に当てると。
『それは、一緒に旅をする、愛しい幼子に甘味を与えたい一心で、色々と鈍ったのかもしれません』
「……ぬ?」
(ぬぅ……)
そうか。
我のためか。
その心意気は嬉しいし、きっと、まぁ、この狸擬きの言う通りなのだろう。
それでも。
「ふぬん」
(ここでは何も買いたくないし、食べたくもないの)
何か望まないものも憑いて来そうである。
けれどの。
「の」
『なんでしょう』
「たった、たった2人の、しかもかなりの歳月の経った無念、その恨み辛みが、ここまで広がるものの?」
『邪は邪を呼びます。きっと以前は、ここまでではなかったのではないかと』
狸擬きの言う通りならば、2人は、旅に出たと作り話まで広められ、しかし、城深くに、心も身体も留められたまま、その心は朽ちぬまま。
初めは城の人間たちの持つ、邪気を少しずつ絡めとり、膨らみ溢れ、それはやがて、城の外にまで漏れ出し、街の者、訪ねてくる人間たちの微かな邪を吸い取り、街中にまで広がり始めたと。
(なるほどの……)
城の中で、過去にその禍々しい凶行のあったことを知っているものは。
手を下した人間の、血を継いだものは、未だにまだいるのか、いないのか。
耐えきれず逃げ出した者は、どこへ行ったのか。
城の一部を外部の人間に解放した理由は?
「……」
『……なぜ、主様は笑っておられます?』
指摘され気付いたけれど、口許に笑みを浮かべていた。
「安心しただけの。この世界、極めて善人しかいないと思っていたからの」
『ここは特異』
「解っておるの。過敏なものは、すでに逃げ出しておるのだろう?もうそろそろ、何の恩恵のない旅人たちからの噂も伝わる。今が過渡期の」
この世界では、狸擬きの言う通り、ここで起きている事は、この世界では、非常に異例なことなのだろう。
そう。
とてもとても、珍しいものに遭遇できた。
善人ばかりの世界で、人の邪に触れる。
(あぁ……)
口許の笑みは、その喜びのため。
我は所詮、あやかしでしかない。
『……』
狸擬きが黙ったと思ったら、男の気配を辿っているらしい。
「何か分かるかの?」
狸擬きは耳を立てている。
『人の女は、仕事の相手ですね、随分とこちらに有利な条件で石、宝石になる原石を欲しがっていますが、男は石はないと』
「ぬ?」
我が湖で拾った石たちは、我等の旅費にしようと、しっかり見せていたのに。
今は懐に余裕があったとしても、あの人のいい、お人好しな男のことだ、こちらに有利な条件で頼まれれば、少しは融通を利かせるはず。
なのに。
やはりあの男も、何かおかしいと気付いているのか。
『あなた様の様子がおかしいからでしょう』
我はそんなに分かりやすかったか。
「ここまでの移動中は、とても楽しそうに笑われていました」
「ぬぬ……」
我ながら分かりやすいの。
しかしの。
「……お主」
『はい』
「普段のとんと間抜けな剽軽さと、言葉の丁寧さが一致しないの」
『言葉程度は敬意を払います』
「普段はその言葉すら発しないではないか」
『無口故』
「……それはもう聞いたの」
ベッドから降りて窓の前に立ち、城の方に目を向ける。
『主様……?』
じっと目を凝らして、狸擬きの言う、その「邪」とやらと、周波数「チャンネル」とやらを何とか合わせてみようではないかと、目を閉じてみたり、深呼吸をしてみたりするも。
(ぬん……駄目の)
やはり、何か根本が違うのだろうか。
しかし、人間と言葉の周波数は安易に変えられずとも、
「化け物を視るだけ」
ならば、我も同じ化け物の身、案外簡単な気がするのだ。
森の白い霧、あれはなにもしなくても、普通の人間でも、我でも視える、ある意味分かりやすく良心的な存在であったなと思いつつ。
あぁ、そうか。
そうの。
「……」
ふっと意識して身体の力を抜いてみる。
あれは、人でも見えていた。
ならば。
我が、
「人の振りをする」
などという滑稽な愚行を、瞬時止めてみれば。
『……ッ』
狸擬きの神経が、ビッと張り詰めるのが伝わり。
(大丈夫の……)
途端に、今、この世界を、水面下から見上げているような、たった1人、取り残された様な感覚に陥り。
「……の」
『……主様』
狸擬きがベッドから飛び降りると、すぐ横に寄り添ってきた。
「平気の」
(あぁ……)
あぁ。
何とも、あっさりと視えた。
城の中から、地を這いずるように、黒い靄が、じわりじわりと絶え間なく、滲み出ている。
主に、城の中の人間の悪意を絡めとり、肥大しては城の外に漏れ出している。
黒い靄は地を這い、なるほど、地面に近い獣たちがより影響を受けやすいのだろう。
窓から見下ろせる放牧場でも、馬達は走り回らずに、ただ数匹で固まり、どこかぼんやりしている。
表向きは地面の劣化を、本音は狼よりも更に繊細な馬の数を絞り、街の中に入れないのも、これが理由か。
「……」
あの黒い靄は、どこまで向かうのだろう。
街の外には、溢れ出ることはないのだろうか。
「ふー……」
大きく息を吐くと、パチリパチリと瞬きをして、その場で少し跳ねてみたり、頬をペチペチ叩いて、周波数を、戻す。
狸擬きがまたベッドにポンッと飛び乗り、風呂敷の上にぽてりと横たわり、こちらに顔だけ向けて来たため、ベッドによじ登ると、狸擬きの身体に、毛に顔を埋めるように身体を横たえる。
(のの……)
「とてもふわふわの」
柔らかく、少しくすぐったい程。
さすが洗い立て。
「石鹸の良き香りもするの」
その石鹸の香りに混じり、微かに残る、土や草の匂い。
それはとても。
「良きの」
正しく、清らかな匂い。
『……』
狸擬きの腹で、目一杯、深呼吸をしながら。
「……の」
『なんでしょう』
「お主はなぜ、我に付いてきた」
ずっと気になっていた。
『……強き方に惹かれ、同時に、広い外の世界を、知りたくなりました』
真意はわからない。
嘘を吐いている気配もないけれど、意識して隠されたら、どうにも推し量るすべはない。
まぁ。
「……聞いては見たものの、本音は赤飯おにぎり目当てだろうの」
『否定はいたしません』
「遠回しな肯定をしているではないか」
『……』
狸擬きが何か言いかけたけれど、口を噤み、それは男の戻る気配によるもの。
ドアが開き、珍しく笑みのない男が、狸擬きを枕に寝そべる我と、枕にされている狸擬きを見て、少し安堵したような笑みを浮かべた。
「仕事の?」
「あぁ。……」
「なんの?」
男もベッドに腰を下ろすと、
「明日には出よう」
「……」
「ここは何かおかしい」
「……」
きっと、我が手を伸ばせば、あの森に蔓延る白い霧ならぬ、黒い靄を、凝縮させて丸めること位は出来るのだろう。
でも、出来るのは、それだけ。
大元の邪気は、我に酔いをもたらす程に、ここの世界の、ここらにいる人間たちの小さな小さな邪を吸い込んでは、自らの邪気と混ぜ合わせ、絶えず大きく吐き出している。
その「何か」に。
とうに身体は朽ち果て、元凶の黒い靄を放ち続ける2人に対して。
我が何かをしてやる義理もなく。
実際、あの大きな城に、幼子の我が乗り込み、何を出来るわけでもない。
むしろ。
そう。
人でない我ですらも、もう対話も成り立たないであろう、人の形すら保たぬ、酷く禍々しいものと成り果てたそれ。
「それ」はきっと、誰にも何にも邪魔されず、自分達の力でこの街と城を朽ちさせ、自分達も同時に果てる、きっと、それが本望であろう。
「……」
狸擬きの腹に、顔を半分埋もれさせた我の頬にかかる髪を、男の指先が、掬っていく。
男は目を細め、その眼差しだけで、
「君は何か知っているのか」
と、訊ねてきたけれど。
「……」
ただ、ゆっくりとした瞬きで返す。
我は、なにも知らないと。




