39粒目
それは。
「跡継ぎを、人の子を孕ませるためにであるかの?」
『それは分かりかねます。しかし、これだけの禍々しい瘴気を城の地下奥深くから発する程度には、城の人間達から、2人に対して、それに相応しい、獣はおろか、人の道を外れた行いがあったのでしょう』
それはまた。
「随分と、穏やかでないの」
この世界らしくない。
『命を落とした2人の放つ瘴気は、そのまま消えるどころか肥大し
、とうとう城の外にまで漏れ出している様子』
と鼻先を窓の向こうの城へ向けた狸擬きは。
『その禍々しい瘴気は、特に強い臭気を含んでおります』
臭い。
『その臭気の含んだ瘴気を誤魔化すために、城を仕切る者たちが獣の街と称して獣を引き入れ、獣の臭いでそれを、五感の1つ、嗅覚を鈍らせ色々と誤魔化している模様』
こちらは推測でしかありませんがとぺたりと風呂敷に顎を乗せる。
推測、とな。
『城の話はこの土地の記憶に御座います』
ならば。
「お主はいつから」
気付いていた。
『嫌でも頭に入ってきたのは、街に入った頃からでしょうか』
道理で大人しかったわけである。
『何も知らない城の者、街の人間も、過敏な者は、すでにここから逃げ出しているのではないかと』
「ふぬん」
それでも。
「ここに来る間にも、あの男からも、この城下町の悪い噂は1つも聞かなかったの」
狸擬きは風呂敷の上で横たわったまま伸びをすると。
『旅人でなく、口伝てに関しては数倍信頼性のある行商人に、街の方から何かしらの恩恵を与えているのだと思われます。無論、そうとは気付かれないように』
なるほど、目印はあのコインか。
男もここまで向かう途中、稀にすれ違う人間たちと、誰とでも和やかに挨拶をし言葉も交えていたけれど。
より熱心に話をし、耳を傾けるのは、気儘な旅人ではなく。
旅を、その先に相手が存在する、
「仕事」
と捉えている行商人の方であった。
(ぬぅ)
それを踏まえても。
「……あの男が、街の不自然さに気付かないとは珍しいの」
そう鈍くもなさそうなのに。
むしろ人の男にしては、勘はいい方である。
疑問に思えば。
『それは、同じ馬車に乗せ共に旅をする、愛しい幼子に甘味を与えたい一心で、色々と鈍ったのかもしれません』
「……ぬ?」
(ぬぅ……)
我のためであるか。
城の茶屋や土産物屋へもわりと積極的に我を連れていこうとしてくれていた。
こやつの、狸擬きの言う通りなのであろう。
その心意気は嬉しいし、感謝の気持ちも大きい。
それでも。
「ここでは何も買いたくないし、食べたくもないの」
何か望まないものまで憑いて来そうである。
けれど。
「の」
『何で御座いしましょう』
「人ではあれど、言うなればたった2人の無念、その恨み辛みが、ここまで広がるものの?」
三度城を眺めれば。
『……邪は邪を呼びます。きっと以前は、ここまでではなかったのではないかと』
狸擬きの言う通りならば、2人は、旅に出たと作り話まで広められ。
現実は。
城深くに、心も身体も留められたまま、その心は朽ちぬまま。
初めは城の人間たちの持つ、邪気を少しずつ絡めとり、膨らみ溢れ。
それはやがて、城の外にまで漏れ出し、街の者、訪ねてくる人間たちのほんの微かな邪を吸い取り、街中にまで広がり始めたのではないかと。
狸擬き曰く、探れるのは過去の記憶。
今は土地の記憶すら呑まれ、途切れ、何も浮かびもしないと。
(なるほどの……)
城の中で、過去にその禍々しい凶行のあったことを知っているものは。
手を下した人間の、血を継いだ者たちは、未だにまだいるのか、いないのか。
耐えきれず逃げ出した者たちは、どこへ行ったのか。
城の一部を、外部の人間に解放した理由は。
「……」
『主様』
「の?」
『……なぜ、主様は笑っておられるのですか?』
狸擬きに指摘され気付いたけれど、我は口許に笑みを浮かべていた。
(のの)
「なんの、安心しただけの。この世界、極めて善人しかいないと思っていたからの」
『ここは特異』
「解っておるの。過敏なものは、すでに逃げ出しているのであろう」
ならば。
「もうそろそろ、何の恩恵のない旅人たちからの噂も伝わる。今が過渡期の」
この世界では。
狸擬きの言う通り、ここで起きている事は、この世界では非常に異例なことなのであろう。
そう。
とてもとても、珍しいものに遭遇できた。
善人ばかりの世界で、人の邪に触れる。
(あぁ……)
口許の笑みは、その喜びのため。
我は所詮、あやかしの末端でしかない。
『……』
狸擬きは、今は意識を別に向けている。
男の気配を辿っているらしい。
「……何か分かるのの?」
狸擬きは毛に埋もれつつある、おにぎり型の耳を微かに動かし。
『人の女は、仕事の相手ですね、随分とこちらに有利な条件で石、宝石になる原石を欲しがっていますが、男は石はないと』
「ぬ?」
我が湖で沢で拾った石たちは、我等の旅費にしようと男にも見せていたのに。
今は懐に余裕があったとしても。
あの人のいい、お人好しな男のこと。
こちらに有利な条件で頼まれれば、少しは融通を利かせるはず。
なのに。
やはりあの男も、何かおかしいと気付いているのか。
『主様の様子がおかしいからでしょう』
「ぬ……」
我はそんなに分かりやすかったか。
「ここまでの移動中は、主様はとても楽しそうに笑われていました」
「ぬぬ……」
我ながら滅法分かりやすいの。
小豆の研ぎ放題であったしの。
しかし。
「……お主」
『はい』
「普段のとんと間抜けな剽軽さと、言葉の丁寧さが一致しないの」
我を主様などと呼ぶし。
『言葉程度は敬意を払います』
「普段は、そもそもその言葉を発しないではないかの」
『無口故』
「……それはもう聞いたの」
ベッドから飛び降りて窓の前に立ち、城の方に目を向ける。
『主様……?』
じっと目を凝らし、狸擬きの言う、その「邪」とやらと。
波長、いや“チャンネル”とやらを何とか合わせてみようではないかと、目を閉じてみたり深呼吸をしてみたりするも。
「……ぬん」
(……駄目かの)
やはり、別の世界から飛ばされただけはあり、この世界と我は根本が違うのか。
いや。
人と言葉の周波数は安易に変えられずとも。
「“化け物を視るだけ”」
ならば。
我も化け物の身、案外簡単な気がする。
森の白い霧。
あれはなにもしなくても、普通の人間でも我でも視える、ある意味分かりやすく良心的な存在であったのと思いつつ。
(そうの)
「……」
我は、ふっと意識して身体の力を抜いてみる。
あれは、“人でも”見えていた。
ならば。
我が、
「人の振りをする」
などという滑稽な愚行を、瞬時止めてみれば。
『……ッ』
狸擬きの神経が、途端に強く張り詰めるのが伝わり。
(大丈夫の……)
「あぁ……」
途端に。
今、この世界を、水面下から見上げているような。
たった1人、どこかに取り残された様な感覚に陥り。
縋る様に片手を宙に伸ばせば。
『主様』
狸擬きがベッドから飛び降りると、すぐ横に寄り添ってきた。
「平気の」
視線を上げれば。
「……んの」
何とも、何ともあっさりと視えた。
城の中から地を這いずるように、黒い靄が、じわりじわりと絶え間なく、滲み出ている。
主に、城の中の人間の悪意を絡めとり、肥大しては城の外に漏れ出しているのか。
黒い靄は地を這い、なるほど、地面に近い獣たちがより影響を受けやすいのであろう。
狸擬きの背に乗り窓から見下ろせた放牧場でも、馬達は走り回らずにただ数匹で固まり、どこか胡乱で、ぼんやりしている。
表向きは地面の劣化を、本音は狼よりも更に繊細な馬の数を絞り、街の中に入れないのもこれが理由か。
「……」
あの黒い靄は、どこまで向かうのだろう。
街の外には、溢れ出ることはないのだろうか。
我は狸擬きの背から飛び降りると、意識的にパチリパチリと瞬きをして、その場で少し跳ねてみたり、頬をペチペチ叩いて、周波数を、人を模した今の我に戻す。
狸擬きが再びベッドに飛び乗り、風呂敷の上にぽてりと横たわり、こちらに顔だけを向けて来たため。
我もベッドによじ登ると、狸擬きの身体に、その毛に顔を埋めるように身体を横たえる。
(のの……)
「とてもふわふわの」
柔らかく、少しくすぐったい程。
さすが洗い立て。
「石鹸の良き香りもするの」
その石鹸の香りに混じり、微かに残る、土や草の匂い。
それはとても。
「良きの」
とても正しく、清らかな匂い。
『……』
狸擬きの腹で、目一杯、深呼吸をしながら。
「……の」
『なんでしょう』
「お主はなぜ、我に付いてきたのの」
ずっと気になっていた。
『……絶対的な強きお方に惹かれ、同時に、広い外の世界を知りたくなりました』
「ふぬ」
その真意はわからない。
嘘を吐いている気配もないけれど、意識して隠されたら、どうにも推し量るすべはない。
まぁ。
「……聞いては見たものの、本音は赤飯おにぎり目当であろうの」
『否定はいたしません』
「遠回しな肯定をしているではないかの」
『……』
狸擬きが何か言いかけたけれど、口を噤み。
それは男の戻る気配によるもの。
扉が開き、珍しく笑みのない男が帰ってきたけれど。
狸擬きを枕に寝そべる我と枕にされている狸擬きを見て、それでも少し安堵したような笑みを浮かべた。
「仕事の?」
「あぁ。……」
「なんの?」
男もベッドに腰を下ろすと、
「明日には出よう」
低い声。
「ここは何かおかしい」
「……そうの」
否定はしない。
きっと、我が手を伸ばせば。
あの森に蔓延る白い霧ならぬ、黒い靄を、凝縮させて丸めること位は出来る。
でも、出来るのはそれだけ。
大元の邪気は、我に酔いをもたらす程に、ここの世界の、特に城にいる人間たちの小さな小さな邪を吸い込んでは、自らの邪気と混ぜ合わせ、絶えず大きく吐き出している。
その「何か」に。
とうに身体は朽ち果て、元凶の黒い靄を放ち続ける2人に対して。
我が何かをしてやる義理もなく。
実際。
あの大きな城に、幼子の我が乗り込むことは。
きっと不可能ではない。
それでも。
今の我は、黒い靄の存在を強く確認したためか。
人でない我とでも、対話も成り立たぬであろう、人の形すら保たぬ、酷く禍々しいものと成り果てたそれ。
「それ」はきっと、誰にも何にも邪魔されず、自分達の力でこの街と城を朽ちさせ、自分達も同時に果てる、それが本望であろう。
それが、黒い靄を通して嫌でも伝わってくる。
「……」
狸擬きの腹の毛に、顔を半分埋もれさせた我の頬にかかる髪を。
男の指先が掬っている。
目が合えば男は目を細め、その眼差しだけで、
「君は何か知っているのか」
と、訊ねてきたけれど。
「……」
我はただ、ゆっくりとした瞬きで返す。
我は、なにも知らないと。
ーーー
夕方に空にかかる雲は、夜の始まりをも早める。
昼はここに急ぐために何も摂らずに来たため。
そして夕食も、部屋で赤飯おにぎりとお茶だけだったけれど。
狸擬きは赤飯おにぎりさえあれば文句はないようで、ベッドの端に腰かけて、
『♪』
モグモグと美味しそうに食んでいる。
男も同じらしい。
空腹のせいもあったのか、男も赤飯おにぎりを食べると硬い表情には少し笑みが戻り。
「僅かだけれど、旅人や行商人の訪問が、どうしてか減っていると聞いた」
そんな話を聞かせてくれる。
過渡期かと思ったけれど、すでに下降は始まっていたらしい。
狸擬きが、腹に前足を当て、物足りないと訴えてくる。
普段ならば、
「食べ過ぎの、タダ飯食らい」
で終わらせるけれど、見えないだけで黒い靄はきっと疎らに、この部屋にも浮遊している。
食べるだけでも力は付くだろうし、何より男にもバテられては困る。
二度目の炊飯をしつつ、男に、
「ここに卸すものはないのか」
と訊れば。
先刻の通り、顔見知り程度はいるけれど、ここには長年固定の行商人がいて、自分は特に決まった仕事はないと。
さらりと苦笑いを含めて答えてくれるけれど、それはなんとも、
「我の甘味の補充のために寄った」
と言ってるようなもの。
確かに少し大きな街ではあるけれど、ここで「魔法」のことが解るとは、これっぽっちも思えない。
男は煙草に火を点け、テーブルの上で蒸気を上げ始めた炊飯器をベッドの上で眺めている狸擬きは、さっきの会話など、もう幻のように口を開かない。
「の、抱っこの」
男に両手を伸ばせば。
「おいで」
男が煙草を咥えたまま我を抱き上げ窓際に立つと、城を眺める。
狸擬きが黒目だけをこちらに向けてきたけれど。
見るくらいは、なんの問題もない。
「立派なお城の」
「立派だな」
(のの……)
一度“チャンネル”を合わせてしまったせいか、今もじわりじわりと黒い靄が滲み出ているのが視える。
(……城や、街にいる人間たちの邪を吸い取ってるにしても)
些か尋常でない。
その理由も、すでに記憶すら霧散した土地のため狸擬きでも解らず仕舞いであろう。
今は再び炊飯器とにらめっこを始めた狸擬きには、“この街の過去”は見えていた。
今までの数少ない、寄り道した街や村でも見えていたのか。
それでも特に口を開かなかった。
開く理由がないからであろう。
でも。
ここでは口を開いた。
「……」
そして狸擬きは、我を「主様」と呼んだ。
所詮は獣であるし、せいぜい「お前」や「貴様」と変わらぬ意味合いであろうけれど。
男と黙って城を眺めていると、間も無くして、狸擬きが見守る中、炊飯器が二度目の炊飯を終えたことを伝えてきた。




