35粒目
翌朝は、珍しく日の出と共に目が開いた。
男の腕から抜け出し、着替えてから、
「外へ出たいの」
とぎゅむぎゅむ男の寝巻きを引っ張ると、男がうっすら目を開けて頷いたため、裸足のまま飛び降りる。
男は寝巻きのまま付いてきた。
鳥たちだけでなく、獣たちも朝が早い。
狸擬きもむくりと起き上がると、寝ぼけ眼で荷台からぽんっと降りて、付いてくる。
朝日の中、湖畔の浅瀬で細かい石粒を避けて、珍しいと思われる石、宝石になりそうなキラキラした石を探していると、小さなものは思ったよりも、ちょこちょこ出てくる。
男が横で一服してから、荷台の外で朝食の支度を始めると、狸擬きは釣竿と桶を咥え、少し離れた場所で釣りを始めた。
(昨夜は遅めの昼を食べ過ぎて腹が減らず、夜は食べず仕舞いだったからの)
1人と1匹は空腹らしい。
今朝は網で焼いた魚の塩焼きに、野菜と燻製肉の入ったスープ、赤飯おにぎり。
大満足の朝ご飯。
食べてからは、男が昼の下拵えをするから遊んでおいでと促され、裸足のまま、しゃがみこんでお宝を掘りだす。
お目当てのものは、
(ぬ……?)
「ぬふー」
思ったよりもあっさり見付かった。
透明な薄い紅梅色の石。
しかも2つ。
大きさは同等。
薄暗い店で見て、記憶してきたものと同じ素材の石。
手に届きにくい場所に、大事そうに展示されていたもの。
ふぬ。
(これでまた、当分は食いっぱぐれることはないだろうの)
我だけならば、食べなくても済むし、食べるにしても赤飯はあるのだけれど。
甘味に飢えるのは困るのだ。
石を眺めてほくほくしてから、場所を変えつつまた浅瀬で石を探す。
(少し小さいの……)
と思うけれど、加工するには充分な大きさ。
小さな布袋に落とすと、裸足になった男も皿や鍋を持ってきてやってきたため、一緒に洗い物をする。
狸擬きはまた森の奥へと、テンテコはしゃぎに行っている。
陽が登りきると洗濯をし布団を干し、こちらも森へ入り、日持ちのする木の実をもいでいく。
狸擬きは腹時計が正確で、昼には戻ってきたけれど、
「のの……?」
散歩の行きがけに、狸擬きに催促されて貸した風呂敷が、首に巻かれている。
その風呂敷の中には、あのトゲトゲから剥かれた、大きめの栗擬きがたっぷり入っており、しかもちゃんと虫食いは除かれている。
「の?」
今日は栗拾いに勤しんでいたらしい。
皮は固いけれど、元の世界の栗と違い、
(剥きやすいの……)
渋皮もするりと取れる。
狸擬きに手伝わせるけれど、また器用な爪先でスルスルと剥いていく。
剥き上がると、狸擬きの催促で炊飯器に小豆と共に栗を乗せて炊く。
(栗を入れるなんて考えたこともなかったの)
狸擬きは男に頼まれ、魚を釣り、あっという間に樽に魚を泳がせて戻って来る。
いつもの赤飯の炊き上がる匂いに混じり、栗のほこほことした香りも混じり。
(良き香りの)
男はフライパンで細かくした野菜とトマトを煮込み、もいできた小さな木の実もくわえ、頭と骨を外して焼いた魚に、その煮込んだトマトソースを掛けている。
「洒落ておるの」
スープにも魚が入り、
(出汁が良き)
栗入り赤飯握りも、
(ほほぅの)
新鮮で美味でもあったけれど、特に狸擬きに好評だった。
片付けをすると、狸擬きがまた風呂敷を咥えてご機嫌で森へ消えて行き。
「あっ」
忘れていた。
昼間のうちに狸擬きを洗うつもりだったのに。
(まぁ、明日で良いかの……)
午後は男と湖畔沿いを歩き、たまに見掛ける甘い果実は、口に運ばれる。
途中、何か見付たらしい男が、水辺の際に生える背の高い草たちの茂みの前を足を止め、君はそこで待っていろと身振り手振りで止められ、おとなしく待っていると。
(の……?)
離れた場所に、獣の気配。
視線は向けずにじっと探ると、息遣いなどから、熊などではない、細い4本脚で土や草を踏む足音。
かなり。
(大きいの……)
なんと言ったか、ヘラジカ?だったか、大きい鹿。
本物は見たことはないけれど、こんな大きさかもしれないと思わせる質量と重量感が、地面と気配を通して伝わってくる。
湖畔の反対側にいる狸擬きが遭遇した様子はなく、我達が来てからは、初めてここまでやってきた模様。
静かだけれど、だいぶ警戒はされている。
そして、やはり。
(……ここいらの主ではないの)
これだけ大きいのに。
感覚でしかないけれど、やはりこの「湖」そのものがここいらの主だと確信が持てる。
獣たちとは、狸擬きを除き、会話だけは、声を掛けないと話が出来るか分からないのが難点。
こちらに近付てくる気配に、顔だけで振り返り、目視で対面を試みると。
(の……っ)
大きさの割に気配が希薄なだけで、思ったよりもすぐそこに、鹿に似た生き物がいた。
あくまでも「似た」なのは、森により紛れるように黒いし、角が1本。
先に向かって左右対象に立派に枝分かれした角が伸びている。
角も身体も。
(……大きいの)
咄嗟の遠近感が狂う位には大きかった。
「……」
瞬時、口を開き掛けたけれど、唇をつぐみ、相手の出方を待つ。
例え湖の反対側だろうと、狸擬きも鹿擬きも、どちらも存在には気づいているだろう。
そして話す気が、こちらに何かしらの用があれば、声か仕草を見せてくるはず。
そう思い、しばし対峙していたけれど、鹿擬きはこの場から引く気もなく、更には話す気もなさそうである。
正確には、対話は不可能。
草食ではあるし、こちらを食い殺す気はなさそうだけれど、
「数日ぶりに縄張りに来てみれば、何やら見慣れぬ獣がいるため、まあまあ愉快ではない」
そんな体であろうか。
手のひらに小豆1粒。
指先だけの動きでも、鹿擬きは気付く。
前足を微かに曲げ、躊躇なくこちらに突進して来そうな動きを見せ。
それでも、
(我の方が小さいからの)
動きは早いのだ。
眉間に、脳味噌に貫通させるように小豆を飛ばすと、
「……ッ」
ツプンッ!
と小豆が鹿の頭を呆気なく貫通し、ほんの微かな血飛沫と脳髄が漏れ、小豆は飛んで行く。
数秒後、鹿は黒目をぐるりと回しながら、膝を折り、思ったよりも大きな音を立てて、その場に崩れた。
「……っ!……!」
男が何か声を上げながら、多分、どうした的な言葉を発しながら出てきた。
その場に佇む我を見て、更に少し先で、口から泡と涎を垂らして倒れている鹿擬きに気づくと。
「……はぁぁぁぁ」
膝に手を突き、大きく、安堵か呆れたかの溜め息を吐かれた。
(ぬぅ……)
この鹿擬きが、向こうから勝手に現れたのだと、我に敵意を向けてきたのだと、我はお主に言われた通り動いていないと、届かない言葉で訴えようとしたけれど。
「……」
(あぁ……)
そうか。
(そうの……)
今更ながら、ふと、気付いた。
この男には「異形のもの」への、恐怖や忌諱がないのだ。
今言う「異形」とは、我のことだけれど。
人間の、幼子の皮を被っただけの我が何をしても、狼しかり、今は鹿を殺めていても。
この男は、我を化け物扱いしないし、異端なものを見る目を向けてこない。
この世界、他の人間も若干その傾向はありそうだけれど、この男は特にそれが突出しているのだ。
(ぬん……)
「……抱っこの」
不意に甘えたくなって両手を伸ばすと、男は、
「今か?」
と言わんばかりの顔で当然面食らったけれど、はよと踵を上げると、溜め息混じりの微苦笑で、我を抱き上げてくれる。
(あぁ……)
「お主はいい男の」
器が広く、腹が据わり、度胸もある。
気の済むまで男にしがみついてると、男も何か思うことがあるのか、何も言わずに、我が満足するまで、じっと抱いてくれていた。
しかし。
解体は早さが命。
男に、巨体の鹿擬きの解体を頼む。
森に入るため、ナイフなどは荷台から持って来ていたものの、ここまで大物だと色々と足りないらしい。
「狸擬き、荷台から解体に使う縄と道具一式を持って来るの」
両手を口に当て、水面に揺れる風を通して、狸擬きに言葉を送る。
大声を出さなくても十分伝わるはず。
「……」
「終わったら、ティータイムの」
の言葉に、木に登っていた狸擬きが、ポーンッと地面に飛び降り、大きな弾丸の様なものが、湖畔の向こう側を抜けていく。
男は、その間に持ってきていた小型の鋸でツノを切り落としている。
ゴリゴリと、硬い音が森に響く。
何かに使えるのだろうか。
きっと使えるのだろう。
狸擬きが解体道具の詰められた革の鞄を背中に背負い、口にも縄を咥え、ガッシャガッシャと音を立ててやって来た。
そして期待に尻尾を振る狸擬きに、
「いや、ティータイムは解体の後の」
「!?」
ガーンッと固まる狸擬き。
そう言ったであろうの。
お主はもう少し遊んでいるのと言い置き、鹿擬きに触れる。
(のの、これは良い肉がみっちり詰まってるの)
男に手順をしっかり教わりながら、助手として積極的に手伝いもする。
けれど。
(ぬぅ……)
ぽんちょは脱いでいたものの、巫女装束はあっという間に血塗れ、内蔵や脂で、どうしようもなくなった。
「解体は続けているから、血を落として来なさい」
と男にまた手振りで促され、茂みのない湖畔の浅瀬の方まで戻り、裸になり、巫女装束と身体にも付いた血を落とす。
我自身の身体は、何百年もの間、身長はおろか、爪も、髪の先まで、時が止まっている。
この先も動き出すことはない。
その肌に触れているせいか、巫女装束自身も、血染めで色がくすむことも、汚れや生地が裂けると言う、ある意味「先へ進む」ことを嫌がり、汚れなら尚更、水で流すだけで、神社からくすねた時の、ほぼ繕えたばかりの姿に戻る。
(乾かす事だけは無理だけれどの)
そう言えば、着替えがないなと巫女装束の黒い水を絞っていると、狸擬きが背中にぽんちょを乗せて運んできてくれた。
気が利くの。
しかし。
「……お主の」
「……」
「どんなに懇親的で甲斐甲斐しくとも、お主の身体はそろそろ洗うの」
「……」
眉はなくとも、狸擬きの眉間にはしっかり毛と皺は寄る。
「街に入りたかろうの」
「……」
「焼き菓子のために我慢せよの」
「……」
眉間に皺を寄せたままの狸擬きを連れて、裸体にぽんちょを羽織り男の許へ戻ると、絞った巫女装束を低い木の枝に干し、男に魔法で乾かしてもらうと思ったけれど、やはり解体が先だろう。
「慣れておるの」
解体にはこんなにも道具が必要なのだのと眺めつつ、また男の補佐に徹することにする。
眺めるだけでも勉強になるし、何より楽しい。
男が、手を伸ばして取ろうとした、また馴染みのない形の刃物を手に取り渡すと、男はにこりと微笑みながら手を伸ばし、我を見て、
「ぶっ……!?」
噴き出した。
「の?」
「中身は!?」
お、声が聞こえる。
「中身?」
ぽんちょをぺらりと捲るとしっかり身体はあるが。
「いつも着ているあの服だっ!!」
巫女装束か。
「そこに干しておるの」
指を差すと、
「着ろっ!!」
骨を削るノコギリの音より、森に響く男の声。
「まだ濡れておるの」
風邪はひかないけれど、濡れた生地が肌に貼り付く感覚は、我も若干、不快なのである。
「乾かすから言ってくれ!!」
なぜそんなに大きな声を出すのだ。
それに。
「いや、解体が先だろうて」
解体は鮮度が命。
「服が先だ!!」
なぜそんなむきになっておるのか。
森にいる獣たちも、驚いてこちらの様子を窺う程。
なぜかスンと呆れた空気を放つ狸擬き。
「ふおおお……?」
そんなに火力と風力が出るのかと思うほど、男の手から強い熱風が巫女装束にかかり、
「のの、ぬくいの」
あっという間に乾いた。
巫女装束を身に着けてからぽんちょを羽織ると、振り向いた男が大きく息を吐いて、手早く、手慣れた様子で皮を剥いでいく。
いつからやっているのか、誰に教わったのか。
「……の、夜は肉か魚か迷うの」
それは男には聞かずに、狸擬きに話し掛けると、狸擬きが答える前に、
「今夜は両方にすればいい」
男が振り向かないまま話に混じってきた。
それは。
「なんと贅沢な」
「♪」
2人と1匹で、時間を掛けて解体した鹿擬きを、荷台までわせわせと運ぶ。
何往復かしてから、狸擬きもお待ちかねのティータイム。
残り僅かなタルトレット。
男が、ゴリゴリと挽いた豆を、ドリップ?というのか、三角の布に落としたそれに、鍋の湯をまぶすように掛けていき、落ちた艶のある黒い水滴たちを美味しそうに飲む。
我もその「珈琲」とやらを貰ってはみたものの。
「ぬ、ぬぅ……」
やはり香りはとことん良いのに、
「に、苦いの……」
あの牛の乳と甘い蜜でも入れた「かふぇおれ」とやらなら、とてもまろやかで美味なのだけれど。
(果物のタルトレットには、紅茶が合うしの)
いち早くパウンドケーキを食べ終えた狸擬きは、敷物の端に置いてある、大きめの長細い葉の束を見つけ、首を捻っている。
「あぁ、これの」
手頃な葉があり、森の中でいくばか千切ってきたもの。
正確には笹ではないけれど、大笹に似ており縦に繊維が走り、葉が少し大きい。
その葉で笹舟を作り見せると、それはなんだと問うてくる男の瞳に宿る、そのキラキラした好奇心は、我は嫌いではない。
狸擬きもフンフン鼻を鳴らし、なんだなんだと尻尾を振っている。
作り方は、折り紙より遥かに容易。
お手本を見せ、それぞれに作った笹舟を持って水辺に向かい、湖面に笹舟を浮かべると。
波で押し返されるかと思ったけれど、3隻は仲良く湖面に浮かび、風に流されプカプカと流れていく。
狸擬きが酷く気に入り、葉を全て取られてしまったけれど、過去に泥舟にでも乗せられた記憶でもあるのだろうか。
狸擬きが作る笹舟が、順番に湖の奥を目指して揺れて流れる姿を、男に抱かれて眺めていると、森に差す陽が、ゆっくりと影り始めた。




