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22 そして、彼らは出逢う(後) 『現実』






 ………………………。


 ………………。


 ………。


 ――白に染まっていた視界が、薄っすらと他の色を帯びながら、輪郭を結んでいく。

 何もかもがあやふやで曖昧で、意識も茫洋として虚空を彷徨っているようにはっきりしない。


 ここが何処で、今が何時で、何をしているのかがわからない。

 よく、わからない。


 唯一わかるのは自分の名前。

 桜堂――世羅。


「………………」


 どうも世羅はベッドの上に横たえられているようだった。


 はっきりしてきた視界に映るのは、見覚えのない灰色の天井と蛍光灯の明るさ。


 そして――


 覗きこむようにしている誰かの顔。


 それは影に覆われていて誰だかわからなかったけれど、やがてゆっくりと目が慣れてくるにつれて詳細を見て取れるようになった。


「………………戒?」


 なんとなく違和感があるけれど、いつも通りの無表情。


 視線を動かすと、いつの間にか虚空に伸びていた手を戒が握っているのが見えた。

 そっと優しく、壊れ物を扱うように。


「目が……覚めたのか?」


 ベッドの傍らに椅子があり、戒はそこに座っていた。


「あたし、一体どうし………………っ!?」


 ぼんやりと呟きかけて、ようやく頭が再起動を開始した。


 直前までの出来事を思い出して、心臓が凍るような気分を存分に味わう。冷静でなんかいられるはずもなくて、慌てて跳ね起きようとした身体を、それよりも早く戒に両肩を押さえつけられた。


「気持ちはわかるが落ち着け。まずは深呼吸をしろ」


 その気遣うような声も、耳はほとんど拾っていない。

 荒い息を吐きながら、世羅は落ち着きなく視線を彷徨わせる。


「あ、あたし、死んだんじゃないの」


 直前の惨状を目で見たわけではないけれど、相当グロテスクな有り様になっていたはずだ。それが怖くて視線は虚空を彷徨うばかりだったけれど、そこでようやく気づく。


「………あ、れ? 痛く……ない?」


 まるで普通の状態のように痛みがない。あんな風に急に動こうとしたら、万遍なく全身が激痛に苛まれるだろうに。


 というか、そもそも動かそうとしても動かないような有り様だったはずだ。


 なのにさっき見えた手は、何の違和感もない綺麗なものだった。

 血塗れであちこちが裂けて、爪もいくつか剥がれていたはずなのに。


「………………………………………う、うぅ………」


 確信が持てなくて怖いけれど、おそるおそる視線を下げていく。


 ややサイズが大きめのシャツで覆われた身体は、全く血に塗れてなどいなかった。包帯が巻かれているわけでもなく、露出している肌には傷の一つも見当たらなかった。


 手や足を少しだけ動かしてみる。

 感覚は……あった。


「……鏡とか、ある?」


「ああ」


 予期していたのだろう。

 肩を押さえつけていた手を離した戒が、コンパクトサイズの鏡をポケットから取り出す。


 上半身を起こした世羅は、鏡を受け取る。


「………………」


 それに映る顔にも傷一つない。


 まるで最初から何もなかったかのようだが、爽馬との対峙は確かな現実の出来事だ。

 そのはずなのに、その確信が揺らぐぐらいの不条理に直面している。


「どう、して……?」


「わからん。」


 ため息でも吐きたそうな表情になっている戒。


「わからんって……」


「わからんものはわからん。事切れたかと思えば、時間を逆行するかのように蘇生……が始まった。何かの冗談のような光景だった」


 どうにも信じられないといった表情だが、その言葉を世羅も信じることはできない。

 あの惨状は生半可な手段で癒せるものではない。


 外側の傷をどうにかできたとしても、内臓もかなり使い物にならなくなっていたはずだ。むしろ、そちらの方がよっぽど深刻だったろうし、端的に言ってしまえば生きるために必要な機能の大半が壊れていたのだ。おまけに、あの時に世羅が用いた『■■』による後遺症や代償も『生命ちょーだい♪』レベルだったはずだ。頭の中から脳が消え失せていたとしても何の不思議もない。


 それを痕跡や後遺症もなく癒すなど、それこそ時間を逆行させるぐらいしか手段を思いつかない。


 無論、そんなものはただの絵空事に過ぎない。

 もしも、それを可能とする者がいたとすれば、その誰かは『神域』に至っている。


「いろいろと疑問はあるだろうが、捨てた生命が何かの偶然で拾えたんだ。それで満足しろ」


 鏡の蓋を閉じながら、匙を投げるように戒が言う。


「捨てたつもりはないんだけど、そうね。考えても無駄よね」


「ああ。無駄だ。知ってる奴は知ってるだろうが、俺たちは知らない。これはそういう話だ。語りたがりが語り始めるまでは放置するのが妥当だろう」


「うん」


 上の空な感じで世羅はうなずいた。

 それきり会話は続かず、沈黙が場を埋める。


 時計の秒針が三周するぐらいの時間をそのまま過ごして――戒はきっと待ってくれていたのだろう――ようやく頭が冷静になってきた世羅は再び口を開いた。


「………えっと、あれから、どうなったの?」


「特には。血塗れのお前を回収して洗濯したぐらいだ」


 どうでもよさそうに――というにはやや不機嫌さが前面に出ていたが――戒が言う。


 よくよく見れば、戒の服は少し変わっていた。前の服はあんな状態の世羅を抱きしめたり、運んだりしてたみたいだから、使い物にならなくなったのだろう。何かこだわりがあるのか黒一色で統一されているが、直前のよりも少し値が張っているように思える。


 どうせ適当に選んだだけだろうけれど。


「……洗濯て」


 あんまりな物扱いに思わず不満そうな声が出たが、戒は取りあわずに続ける。


「全身余すところなく血塗れだったからな。天宮や明石――だったか?――は卒倒したし、その辺のゴタゴタで一騒動はあったがな。お前が何故か無事だったから大した問題にはならなかった。お前を洗濯したのは蓬莱寺で、着替えさせたのもそうだ。あと、鼻や口の中に違和感があるようなら、改めて確認をしておけ」


「あ、うん。ちょっと違和感あるかも」


「その辺は自分でやれ」


「さすがに誰かにやってもらうのは嫌よ。

 ………え~と、時間はどれぐらい経ったの?」


「今は午前七時十七分だ。この『遊戯』も残すところ十七時間程度だな」


 散発的に滝沢グループが刺客を送り込んできているらしいのだが、なんの盛り上がりもなく――盛り上がられても困るが――即座に迎撃されているとのことだ。


「………………………………爽馬は?」


 ピクッと不快そうに戒の眉が動いたが、それ以上の反応は見せなかった。


「能力者組が回収した。別人のように大人しくしている。

 ………今は、この部屋の外に待機している。お前に話があるらしい」


「爽馬と話をしたの?」


 少し意外な気持ちで世羅は聞く。


「するわけがないだろう。看病……するまでもないが、その交代の時に蓬莱寺から伝言を頼まれただけだ」


「あっそう」


 なんとなくがっかりするが、一戦交えた程度でそこまでとんとん拍子に話が進むはずもないかと逆に納得もした。


 よくよく考えてみれば、この二人はまだたったの二回しか顔を合わせていないのだ。

 部屋の外にいるのを知っているから三回かもしれないけど、それは大した問題ではない。


「お前が目を覚ました以上、手早く俺の用を済まさせてもらおう。

 アレと話をするなら、それからにしろ」


「わかったわ。ちなみに同席してくれたりは――」


「再戦が始まる可能性が濃厚な上に、お前に流れ弾を被弾させる(・・・・・)がそれでもよければ同席してやろう」


 つまりは絶対に拒否する、と。


「やっぱ、いーです」


 リベンジマッチが始まる可能性は低いというか皆無に等しいと思っているが、胃の痛くなるような雰囲気の中で、幼稚な口撃の応酬ぐらいなら始まっても不思議はない。


 命懸けで止めたのだから、それが些細な口論であっても、この二人がケンカする光景なんてしばらくは見たくない。


「では、下らない話はこれぐらいにして本題だ。――桜堂世羅」


 急激に温度の下がった呼びかけに、ビクッと背中を震わせてから、世羅はゆっくりと戒に向き直った。


 冗談でもいつものノリで『名前で呼んで♪』なんて言える空気ではない。

 ――というよりも、その本題の内容を世羅も察してはいた。


「………わかってるから、あんまり痛くしないでね」


 自分の何が悪いのかをきちんと理解している。

 だからといって、戒が手加減をしてくれるとは、あまり思っていなかった。


「――っ」


 パンッと鋭い平手が世羅の頬を張る。


 響いた音は大きかった。

 想像以上の痛みで、口の中も少し切れた。


「………理由は、わかっているな?」


「うん」


 ジンジンと痛みを訴える頬を押さえながら、世羅は小さくうなずく。


「言い訳なんかしない。ちゃんと謝るつもりだったよ。

 ごめんね。危うくあたしを殺しちゃうところだったもんね」


 それが歪みを帯びたものだとしても、戒は『生きること』に真摯だ。


 他人の生命を奪う生き方を選択したのならば、自分の生命もまた他人に奪われる覚悟を抱かなくてはならない。誰かを殺したなら、誰かに殺される覚悟を持たなければいけない。そして、他人の生命を糧にしたのならば――他人の生命を背負ったのならば――それを身勝手に捨てることは決して許されない。


 いつか、確実な『死』が訪れる時まで、生き続ける義務が生じる。


 まだ生きている。

 まだ生かされている。


 ならば、生き続けなければならない。

 いつか世界(ナニカ)に殺されるその日まで。



 ――故に、戒はその覚悟を持たない者には、絶対に手を出さない。



 現時点において、桜堂世羅は『不殺』の対象だ。


 それなのに一歩間違えれば、戒は殺していたかもしれなかった。彼にその気がなくても、まるで突発的に事故に巻き込まれたかのように。


 自殺を嫌っている――禁じている――戒にとって、その自殺に等しい行動は許せるものではないだろうし、その片棒を担がされかけたとなれば尚更だろう。


 そんなつもりはなかったとしても、そんな言い訳が入る余地はない。

 アレは半ば衝動のようなもので、世羅も勝算があったわけではない。


 その後の展開はある程度の考えがあったのだけど、あの瞬間だけは手遅れ寸前だったので手段を選ぶ余地がなかったのだ。


 結果オーライになったとはいえ、それこそまさに結果論だ。


 正直に打ち明けるなら、八割くらいは「あ。死んだ」と思っていた。


「俺はお前の生命なんか要らない」


「あたしもあんたには殺されたくないわ」


 本心からの言葉だった。


「ごめんなさい」


 だからこそ、曖昧なものを含まない本気の言葉で謝り、しばらく頭を下げ続ける。


「………………」


「でも――」


 ゆっくりと顔を上げて、世羅は戒をじっと見つめる。


「なんだ?」


「戒も忘れないでね。あたしに怒ったことを」


「………………」


あんたも(・・・・)あたしを(・・・・)怒らせないでね(・・・・・・・)


 それがどんなに残酷な願いであったとしても、世羅は――戒に死んで欲しくない。

 生きていて欲しいのだ。


 どれだけ彼が『(ナニ)かに殺される刻』を願っていたとしても。


 それは間違っている。

 絶対に間違っているとそう思うから。


 戒は生きなくてはいけない。

 生き続けなくてはいけない。


 たくさんの想いに生かされているのだから、やがて生命を終えるその刻まで精一杯生きなきゃダメなんだ。


「……………………………勝手な奴だ。気の迷いで叩くに留めたが、やっぱり殴らせろ」


 長い沈黙の末、戒はそう言った。

 勝手に死んだら許さないと告げた世羅への遠回しの了承を。


 それはいい。だが、後半の言葉にはうなずけない。男女平等も時と場合と状況による。


 ………多分、うなずいたが最後、今度はかなり本気で殴られる。

 顔の変形と気絶は確定だ。


 だから。


「嫌よ。一回は一回だからね」


 とびっきりの笑顔で拒否をした。



 これもまた必要な儀式(コトバ)――

 彼に伝えておかなければいけない秘め事(ズル)



「俺の用は終わりだ」


 ため息を吐きながら、戒は椅子から腰を上げる。


「アレと話をするつもりか?」


「うん。ちゃんとした話はまだしてないからね」


「もう少し休んでからにした方がいいと思うが」


「体調の方なら大丈夫よ。ちょっと信じられないけど、万全といっても差し支えがないわね。

それにそんなに長話はしないし、戒が危惧してるような事態にはならないわ」


 世羅は微笑んだ。


「心配してくれてありがとね」


「………勝手にしろ」


 顔をしかめた戒が、舌打ちをする。


「あ。そうだ」


 ドアノブに手をかけた戒の背中に言う。


「なんだ?」


「あたしは、桜堂世羅。よろしくね、戒♪」


 どうしてそんな事を言い出したのかは、自分でもよくわかっていない。


 でも、あえて理由を求めるなら、ここがスタートラインと思ったからだ。


 最初に三人が邂逅した時はバラバラだった。


 戒と爽馬は殺し合いをしていたし、世羅は場違いな乱入者だった。ロクに言葉も交わさずに別れた。三は二となった。


 そして。


 再び三人が同じ場所に立った時は、やっぱり戦いの場だった。戒と爽馬はまた殺し合いをしていて、また世羅が乱入をした。


 結局はほとんど同じことを繰り返していたけれど。


 今度は結果が違う。

 別れてはいない。三は三のままだ。


 同じ場所にはいないけれど、爽馬もすぐ近くにいる。


 ようやく始まりの場所――始められる場所に立てたのだと思ったから、これから先も縁を続けていく相手にちゃんと名乗りたかった。


 きっと、そういうことなんだと思う。


「………俺は、篠宮戒だ。世羅(・・)


「名前で呼………………………………………………………へ?」


 いつも通りの展開を予想していたので常套句を始めようとして、世羅はピシッと固まる。


 聞き間違いかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 それどころか。


「お前が死なずにすんでよかったよ」


 仄かな笑みを浮かべながら、そんなことさえ言った。

 ――言って、くれた。


「………………………」


 固まっている間に戒はいなくなっていたが、そんなことはどうでもいいと思えるぐらいに、じわじわとこみ上げてくるものがあった。


 認められた。

 認めてくれた。


 戒が友達に(・・・・・)なってくれた(・・・・・・)


「あ、ははっ、あはははははははっ。やった――――っ♪」


 ガッツポーズをしながら、世羅は声を出して笑うのだった。



 ● ● ●



 戒が部屋の外に出れば、所在なげに壁に背を預けて立っている『静謐なる刃(サイレント・エツジ)』が視界に入った。


 あの時のように戦意が生じたりはしなかったが、ある種の不快感から片眉がわずかに上がるのを自覚する。


 向こうからしても心境は似たようなものなのだろう。

 わずかに揺らいだ気配は、ある種の殺気を覗かせていた。


 それでも手を出してこなかったのは、世羅に負けたからだろう。


 どのような無理難題を枷として嵌められたのかは知らんが――あるいはこれから嵌められるのかもしれないが――自業自得としか思わない。


 物理的な意味においては、世羅は弱い。一般人連中を除けば、戒が遭遇した連中の中では明らかに下の下だ。どんな手段を用いられたところで、負けの目はないと確信している。


 だが、それは『勝てる』という意味ではない。

 殺すことは簡単でも、負けを認めさせるのは不可能に近い――あれはそういう手合いだ。


 おまけに勝敗を分かつ条件を間違えれば、眼前の『静謐なる刃(サイレント・エツジ)』のように容易く地に這わされる。


 そんな奴を相手に――最初からそうだったが――戦う気になどならない。


 今となっては人間的な――あくまでも人間的だが――魅力も感じている。


 どうせ追い払っても付き纏ってくるのなら、友達ごっこに付き合うのが無難だろうと戒は妥協した。


 対等な関係を結ぶこと。

 桜堂世羅と対する上では、ある意味においてはそれが最善手なのだろうと今は思っている。


 そして――


 奴は自爆のような形で『下』に落ちた。

 その結果など、戒は想像したくもない。


 口にするつもりなどないが、正直な内心を言葉にはしよう。


 これからどんな風に這い上がらせられるのかと、俺は少なからず『静謐なる刃(サイレント・エツジ)』に同情している。


「………………………」


 ――まあ、そんなことはどうでもいい。

 他人事として切り替える。


「おい」


「…………」


「俺の名は、篠宮戒だ」


 奴に名乗ったのは、世羅に対する義理だ。

 先の展開から、そうする必要があるような気もした。


 それ以上の意味はなく、ましてや応えを期待したものでもない。

 ゆえに、戒はそのまま立ち去ろうとしたのだが、


「僕の名前は、岸本……爽馬」


 その背中にいかにも不本意そうな声が当たった。


「………………」


 肩越しに振り返り、岸本爽馬の片頬を腫れ上がらせた顔を見て、鼻を鳴らしてから戒は再び歩き出す。



 ● ● ●



 戒が出て行ってから、しばらくして爽馬が部屋の中に入ってきた。


「………………」


 何かを言いたいのだけど、何を言えばいいのかわからない。

 そんな感じの落ち着きのない態度だった。


 小さな子供ならまだ微笑ましいのだが、図体のでかいガキがそれをやっていると苛つきを通り越して、殺意さえ湧いてくる。


 不思議と爽馬に対しては攻撃的になる自分を、少しばかり疑問に思う。


 ホントに何故だろう……?


 些細な疑問はさておき。

 埒が明かないと判断した世羅は、自分から口火を切ることにした。


「さて、負け犬ちゃん。罰ゲーム(ペナルテイ)の時間よ♪」


「………………」


「ルールは簡単。あんたはあたしの友達になるのよ」


「………………」


「友達という名の奴隷にね!」


「………おい」


 少しは反応を返して欲しかったので悪ふざけを盛り込んだら、半眼で睨まれた。


 盲目同然の爽馬だけど、常態では常に目を開いている。よく『目を閉ざしている』と表していたのは、もっと深層心理的な意味合いだ。


 これは多分程度の推測なのだが、爽馬は意図的に視覚を封じているのではないかと思う。ある種の『枷』を外せば、視力は回復するのではないだろうか。


 だが、それは彼の問題なので、しばらくは介入しないつもりだ。

 あくまでもしばらくであり、不甲斐ない期間が我慢の限界を突破したらその限りではないが。


「あはは。奴隷は冗談だけど、友達にはなってもらうわよ」


「………どうすれば、友達になれるんだ?」


 爽馬は本気でわかっていないようだった。

 とても簡単なことなのに、そんなことになかなか気づいてくれないところも戒と爽馬は似通っている。


 でも、仕方がない。

 わからないというのなら、教えてあげなくちゃいけないだろう。


「最初はね。名前を教えてくれたらいいのよ。

 そんでもって、相手の名前を呼んだらいいのよ。簡単でしょ?」


「それだけで、いいのかよ?」


「それすらもしようとしなかった奴が何を言うかっ!」


 鋭いデコピンを一発。


「痛いっ!?」


 不意打ちに驚いた爽馬が、しりもちを付く。


「まあ、とにかく、ほらほら♪」


 悪びれずに促すと、爽馬は立ち上がりながら渋々と口を開いた。


「僕は、き、きき岸本、爽馬だ」


 ドモった。

 突っ込んでイジってやりたかったけど、我慢する。


「うん。これからは爽馬って呼ぶわね。

 それで、あたしの名前はちゃんと覚えてる?」


「………………………覚えてない」


 ひどく気まずそうに余所見をしながら、爽馬は言う。

 それを悪く思っている素振りを見せてくれたのには進歩を感じる。


「………………。」


 うん。感じるんだけど、許さない。


「お、怒るなよ」


「怒ってないわよ」


「う、嘘だ。怖い笑顔になってたぞ」


「笑顔は暖かなものよ。怖い気持ちになんてなるわけないじゃない」


「いや、今も十分怖いんだけど……」


 爽馬の腰が引けている。


「あれ~? おかしいな~? 本当にそんな風に見えてるの~?」


 上目遣いで問いかけると、爽馬の腰がますます引けた。


「き、気のせいでした。はい。すみません」


「あたしの名前は桜堂世羅よ」


 心外な誤解が解けたので、世羅もゆっくりと言い聞かせるように名乗った。


「おーどーせら?」


「いまいち発音に不安が残るわね。もう一回言いなさい」


「おーどぅせら?」


「なんか余計に悪くなった気がするわね。もういいわ。世羅って呼んで」


「せら」


「うん。もぉ、なんかそれでいいわ」


 いまいち納得にまでは至らないが、それは今後の課題にしておこう。


 ロクに学校にも通っていないだろうから、そこも含めての教育もする必要がある。主に道徳とか一般常識とかを。


 今後の課題をいくらか段階にして考えながら、改めて爽馬を見やる。


「ねぇ?」


 ぶん殴った片頬はいい感じに腫れ上がってはいるが、憑き物が落ちたように荒んでいた眼差しはいくらか和らいでいる。


「うん?」


「あたしは、あんたに近くにいて欲しいのよ」


「………………それは、僕に『力』があるから?」


「なんでそーなるのよ」


「それぐらいしか、僕に価値なんかないだろ」


「あたし一人満足に殺せない程度のあんたの『力』なんかど~~~~~~~でもいいのよ。そんなものがあろうとなかろうと、あたしが必要としているのはあんた自身なんだから」


「どうしてだよ」


「そんなの友達になりたいって思ったからに決まってるでしょ? それにあんたって、出来の悪い弟みたいで放っておけないのよね」


「………弟、か………」


「あら、何かご不満?」


「よくわからないってのが本音だ」


「……ふぅん。まあ、その手の自分探しはさておいて、これからあたしとあんたは友達ってことでオーケー?」


「うん。……わかったよ」


 差し出した手を、それでも爽馬はしばらく取ろうとしなかった。


 世羅は急かそうとはしなかった。


 きっと、それだけの人間不審を今の今まで溜め込んできたのだ。その手を取った瞬間に裏切られる可能性を捨てきれないでいる。それだけの経験があったのだろう。それをすぐに払拭できるはずもない。


 あたしはちゃんと言葉で伝えた。背中も押した。


 なら。

 あとはもう爽馬が選ぶしかない。


 爽馬が選ばないと意味がない。


「……うん。そうだ。今までがそうだったからって、今回もそうだとは限らない。それに全部が全部悪いことばかりだったわけでもないんだ」


 爽馬は口元をわずかに緩めながらも、どこかもの悲しそうに目を細めている。


 それがどんな思い出なのかはわからない。

 けれど、きっとその時の何かが、爽馬の背中を押したようだった。


「ここから、もう一度、始めるよ」


 爽馬はゆっくりと手を伸ばして、おそるおそる世羅の手を取る。


「せらの手はひんやりしてるんだね」


 ほんの少しだけぎゅっと力を入れて、手を握られる。

 世羅も握り返す。


「爽馬の手は汗ばんでて気持ち悪いわね。そんなに緊張してたの?」


「ちょ――――っ!?」


「冗談よ」


 ウインクしながら舌を出して、まるで子供みたいに手をブンブンと振る。


「そうね。あんたの言うとおりだわ。

 ここからあたしたちは(・・・・・・・・・・)あたしたちの(・・・・・・)物語を始めるのよ(・・・・・・・・)


「え?」


 疑問符を浮かべる爽馬に、とびっきりの笑顔を返す。


 そう。

 ここからが本当の始まり。


 三人で紡いでゆく『物語』の始まり。


 脚本もなければ、筋書きも存在しない。


 誰も知らなかった未知の扉を開いて、当たり前に未来のわからない道を、これからあたしたちは歩いていく。


 たくさんの悲しみを積み重ねてきて、たくさんの傷を抱え込んで、たくさんたくさん我慢をしてきた二人の男の子が笑顔になれるように。


 今が幸せだと思えるように。


 その間に挟まれて、あたしも笑っていられるように。


 これから先の物語を紡いでいく。


 三人で(・・・)



 ● ● ●



 ● ● ●



 ――転章――



 ● ● ●



 ● ● ●



 砂に埋もれた荒廃した世界で。


「いや~、しかし、笑えるくらい順調に進んでいる」


 赤い、紅い、鮮血い影が、とてもとても愉しげに呟く。


「とんだ『拾い者』だったじゃないか。ははっ。楔を一つとはいえ、彼女は確かにあの『特異点』で『定められていた運命』を改竄した。もしかすると修正力さえも超えられるかもしれないねぇ……」


 空は鮮血い色に染め上げられている。


「世界という盤上の上で、相も変わらずに君たちは陣取り合戦に励んでいる。自分たちの望む色へと染め上げるために、飽きもせずに何度何度も新しい生贄の選別に励んでいる」


 もう何処にも生命の息吹は存在しない。


「懲りないねぇ……。結局は終わらない繰り返しに過ぎないというのに。

 何れ破滅の刻は必ず訪れる。永劫不変のモノなど存在しない。我らとて、いつかは必ずこの世界から消え去る定めだ」


 砕け散り、朽ち果てた残骸の上を、静かな空気の流れが撫でていく。


「それでも生命の概念は失われない。似たような理で編まれた新たな世界が、約束された破滅へ連綿と続いていくだけだ。

 それこそが(・・・・・)世界そのもの(・・・・・・)なのだから(・・・・・)


「それでも――」


 全てを嘲る――ある種の傲慢さで紡がれていた独り言に、別の声が混ざる。


「いつまでもあいつらの好き勝手にはさせられない」


「喜劇だねぇ。それとも、悲劇と言って欲しいのかい?

 そんな事をいちいち覚えている者なんか、あの世界に本当の意味では、もう君ぐらいしかいないのにさぁ……」


 鮮血(あか)はゆっくりと振り返る。

 その眼差しの先に現れた人影を見て、ひどく愉しげに嗤う。


「何もかもが中途半端な、諦めが悪いだけの凡人がまだ足掻くのかい?」


「それしか取り柄がないんでね」


「そうやって、また世界に挑むつもりなのかい? 誰も何も知らない。誰も何も覚えていない。君の主でさえも、君を理解してくれない『世界』で?」


「ああ。」


「無駄だよ」


 鮮血は断言した。


「君のその渇望には敬意を払うがね。

 だが、強く望めば願いが叶うほど世界は優しくはない。

 何故なら、君の守りたい人類(もの)こそが、君の最大にして最悪の敵なのだからね。彼女のような輝きを放つ者など稀少だ。大多数は愚かで無知だ。そして、そんな連中が常に破滅の引き金を引いてきた。

 一つの輝きは、圧倒的多数の汚泥に塗り潰されるだけだ」


「………………」


「それを私は知っている。他の誰よりも私が知っている。そして、君も知っているだろう?

 私が未だに存在していられるのも、彼らのおかげなのだからね。相も変わらずに暴走していく人間の欲望が、どうせまた世界を飲みこんでいくさ」


 絶望ではなく、諦観でもなく、ただ事実の羅列として鮮血は言葉を紡ぐ。


 既存の世界法則の外側にいるからこそ、時間の概念すらも超越しているからこそ、数多の可能性を垣間見て、創世と破滅の輪廻転生を理解している。


 それは擬似的とはいえ、同じ位階にいる『彼』も同様のはずだ。


 だからこそ、たった百年程度のために、自ら望んで数多の可能性を集約した牢獄に捕らわれた彼の思考を哀れんでもいた。


「それならそれでもいいさ。

 俺は俺が満足する結末を一つだけでいいから創世(つく)りたいだけなんだよ。

 俺だって愚かな人間の一人だ。俺は――俺の欲を満たすためだけに生きているんだよ」


「俺俺俺俺俺……って、そんなに自分だけの願いだと言い訳(・・・)をしてどうする? 本音は別のところにあると言っているも同然だぞ」


「………………。お前こそ、彼を一つの『(ケツマツ)』として見限ることは出来なかったじゃないか。少しは期待しているんだろう。その輝きに魅せられたからこそ、せめて彼だけでもと願ったからこそのあの行いだと思っているんだがね」


 それはお互いに触れられざる領域に踏み込んだ言葉だったのだろう。


 死に絶え、滅び、終焉を迎えた世界でさえも悲鳴(きしみ)を上げるほどの張り詰めた空気が、両者を中心に放散される。


 ほんの刹那の鬩ぎ合い。

 しかしそれが無為な行いなのだと理解している両者は、すぐに矛を収めた。


 時間の概念など無意味だが、無駄手間に時間を割くほど退屈しているわけでもない。


「………………。ならば、最後の夜を越えさせてみるがいい。見定めさせてもらうとするさ。ちょうど彼らに興味も湧いてきたところだ」


 鮮血が告げた言葉に、彼はうなずく。


「言われるまでもなく」


 その言葉を最後に。

 終わった世界から、二つの気配は消失した。







 やっと、三人全員がそれぞれの名前を認識しました。

 それでもお互いに呼び合うようになるには、かなり時間がかかるでしょう。

 戒は認めた相手じゃないと名前では呼ばないし、爽馬はそもそもまだちゃんと覚えていないでしょうしで、道のりはまだまだ長いです。この三人のぎこちないというか、初々しい手探り状態の距離感を微笑ましく思いながら書いています。調整にかなり手間取ってるけども。

 なにはともあれ、これでようやく一段落です。重い肩の荷が降ろせました。

 とはいえ、あくまでも三人が揃っただけで、まだまだ『遊戯(ゲーム)』は続くわけなのですが。ここまでは『遊戯』に積極的に参戦していなかった――参戦する理由が無かった――彼らですが、ここから先はそういうわけにもいきません。今後のこの世界の物語に繋がる『大きな因子』に関わるついでに、ちょっとは『遊戯』らしいバトルもしてもらうつもりです。


 ではでは。ここから『三人が出逢う物語』から、『三人で生き残る物語』へと段階がシフトして、ようやく序章も終盤へと突入です。頑張って書いていくので、よかったら今後もお付き合いをお願いします。


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