21 静謐なる刃―④ 『会心の一撃』
まず大前提として、桜堂世羅では岸本爽馬には勝てない。
単純な実力に、埋めようのない格差がある。
世羅の持つありとあらゆる手段を、爽馬の『刃』は切り裂ける。
篠宮戒が持つような優位性がない以上、どのように立ち回っても桜堂世羅には勝ち目の一つもない。指の一本を動かすヒマも与えられずに首を飛ばされたとしても何の不思議もなく、岸本爽馬にそれを躊躇する理由も一切なくなっている。
故に。
それを確かに認識していながら、それでも勝利を求めるならば。
どうすればいいのだろうか。
そんな疑問に、桜堂世羅はこんな答えを出す。
「ズルをすればいいのよ」――と。
● ● ●
結論から言うと……。
たった五十メートルの距離を十秒程度で駆けた短距離走。
それにあたしは文字通りの意味で生命を懸けた。
● ● ●
「殺してやる」
爽馬の殺意が異界を塗り変えていく。
殺意の矛先が世羅を向いたことで、呪詛で編まれた異界が揺らめいている。
それは些細な、けれど、確かな綻びだ。
だからこそ、改竄の余地が生まれた。
そもそも。
夢見の真奈美さんも勘違いしていたが。
この『呪い』は、あくまでもこの二人を戦わせるためのものでしかない。
そういう形になっているから誤解を招くが、殺し合いをさせるものではないのだ。
どちらかが死亡するという示唆は、あくまでも結果が出た後の余剰に過ぎない。勝敗を確定させるための一撃が過剰に過ぎるからこその結末に過ぎず、確定させなければいけないのは『死亡』という結果ではない。
必要なのは『勝敗』の確定であり、今回のそれはもう決まっている。
だが、悪辣なことに互いの生命が在るならば、再戦の機会がまだ残されている。ゆえにこの『特異点』が閉じるまでは『呪い』の影響は残り続ける。
実によく仕組まれた悪意の歯車だ。
どうしても勝敗が決定した先に死亡という末路が据えられる仕組みになっている。
登場人物が『二人』である限り、その結末は必然だ。
ならば、どうすればいい?
世羅はこう考える。
あの二人を翻弄する『呪い』は、悪辣な脚本で綴られた物語だ。
その一本道の物語を、分岐させればいい。
もう一度バカなケンカが始まる前に、別の物語を加筆する。
前提条件を壊す。
物語の方向性を別に向け、異なる結果を確定させることで、強制的にこの『呪い』で紡がれた物語を終了させ、あの二人にこの夜を越境させる。
次の物語に段階が移れば、その前の物語は終ったものとして扱われるのは自然な成り行きだろう。
そのための爽馬との対峙だ。
戒と爽馬の戦いを、世羅と爽馬の戦いへとすり替える。
爽馬の敵意の矛先を変えることで、物語の形を分岐させる。
所詮は一度限り。
その一度を超えてしまえば。
次の『特異点』が発生するまで、この『呪い』はもう発動しない。
二人の関係は最悪に違いないが、少なくても進んで殺し合ったりはしなくなる。
つまり。
この場で桜堂世羅が、岸本爽馬を打倒すれば、一時的な措置に過ぎなくとも万事が丸く収まるのだ。
ならば、どんな手段を用いてでも、世羅は勝ちを拾いにいく。
爽馬の傷を抉ろうとも。
望まぬ言葉を吐き出そうとも。
友達になりたいと願った二人を死なせたりはしない。
「やれるものなら、どうぞ遠慮なく」
そのために。
最初の一歩を踏み出す。
刹那。
遊びの余地の消えた『刃』の檻に囲われた。
瞬時に微塵切りにされる寸前。
指輪の一つの魔力を使って、ひたすらに強固な壁を作る。
壁はあっさりと切り砕かれたが、世羅は生じた猶予で殺傷圏内から離脱した。
――二本の足を使って、明確な死地の上を走り出す。
「………あぁ………」
その直前に。
極限の精神集中が、世羅を忘我の瞑想状態へと導く。
ほんのわずかな空白の瞬間に、少しだけ自問自答をした。
戒と爽馬。
この『遊戯』で最初に出逢った二人。
同じ形で出逢ったのに、どうしてこうも違う形で向き合ってしまったのだろうか?
この二人の本質は似通っている。
自らを削ったが故の停滞。
自らを閉ざしたが故の静止。
まるで己を『石』と変えるようなその生き方が。
けれど。
過程が真逆だ。
戒は前に進もうとしている。
自分を削っても、理由を見失っても、足踏みしながらでも前に進もうとしている。
そうすることで傷は蓄積されて、振り返れば血の雫が落ちているような道を必死に歩き続けている。
だから、ほんの少しでもいいから、その痛みを和らげてあげたかった。
爽馬は動こうとしていない。
目を閉じて、耳を塞いで、口を開かなければ、嫌なことをやり過ごせるとでも思ったのだろうか。
その先には何もなく、何も得られず、ただ堕ちていくだけの生き方が許せなくて。
だから、無理矢理にでも矯正してやりたくなった。
………彼らはよく似ているのに、作為的なものを感じるくらい正反対な生き方をしている。
それがほんの少しだけ微笑ましくも悲しくて。
そんな二人の間に入ろうと必死になっている自分を想うと、馬鹿げた妄想のような想像をしてしまった。
それはきっと。
何処にでもあるような家庭で。
両親は万年新婚気分の抜けないバカップルで。
口数は少ないけれど、本当は優しい兄がいて。
手間ばかりかけるけれど、放っておけない弟がいて。
そんな兄弟に挟まれた苦労人のしっかりした女の子がいる。
そんな妄想を、そうだったらよかったのにと想った。
それはただの叶わぬ幻想。
けれど。
そんな関係に近いものをこれからでも築けるのなら、それはきっと素敵なことだと思うから。
「だから――」
教えてやらなければいけない。
爽馬の弱さを証明しなくてはいけない。
そのためにわざわざ戦闘条件を対等に戻したのだ。
狭間に置いた距離を踏破し、爽馬の元へとたどり着く。
たどり着いてみせる。
「あんたのいる場所まで――」
どうか。
優しい優しい神様に心から願う。
今だけ、このバカに届く『力』をあたしに――
「いくわよ」
宣言をして、地を蹴る。
バラバラに切り刻まんと縦横無尽に迫る『刃』の群れを見据えながら。
その『眼』を――凝らして。
桜堂世羅は見出した理由を胸に疾走を開始する。
● ● ●
本当は、この対峙に意味なんてない。
この『遊戯』の悪辣な『脚本』に記されてもいなかった。
そこに意味を見出したのは少女だけ。
無自覚ながらも合意をしたのが少年だけ。
すれ違うことすらないはずの二人だった。
だけど、二人は出逢った。
そして、互いに戦う理由を見出した。
仮に。
神や悪魔が存在して、世界を回す歯車を管理していたり、悪辣な脚本を書いていたとしても、そこから外れた物語は存在するという証明。
物語を紡ぐのは、そこに在る者たちの選択なのだという話。
運命に縛られる者がいれば、その繰り糸を引き千切って進む者もいる。
何にも縛られぬ自由の身であるからこそ、自身で選ぶ者もいる。
これはそれだけの話。
故に。
彼女の中で結論は出た。
もはや言葉は必要ない。
目の前の脅威を理解した。
条件を確認した。
火蓋は切って落とされた。
ならば、あとはもう導き出される結果に向かって走るだけ。
● ● ●
もう一度繰り返す。
常識的に考えて、世羅は戦闘で爽馬に及ばない。
現状においては、一片の勝機もない。
可能なのはちょっとした時間稼ぎで、それすらもほんの数手に過ぎない。
先刻の爽馬が動揺している隙に畳み掛けていれば、あるいは倒すのも可能だったかもしれないが、拘束するのが不可能な能力者をただ倒すだけでは意味がない。
爽馬と友達にならないと意味がない。
必要な言葉は告げた。
あとは気づかせるだけでいい。
そのためにこれから爽馬を殴り飛ばす。
それをするためには、どうすればいい?
明白な実力差を覆す都合のいい手段とは?
答えは簡単だ。
ズルをすればいい。
それが可能な『条件』が、この『特異点』には揃っている。
過去と未来と可能性が混在した異空間――それが『特異点』というのならば。
爽馬に勝てる自分を引き出せばいい。
ある程度でも『特異点の法則』を理解しているからこそ可能な『裏技』で、爽馬を一時的に追い越す。
戒のような『贈り物』は自分にはない。
ならばこそ、持ちうる『手札』の中から選び出す。それでも届かないならば、かき混ぜる。固定概念を捨てて、新たな法則を創り出す。
やがて辿り着く到達点へと、己を『上書き』しろ。
この想いは、世界の法則さえも塗り替えられる。
それこそが魔術師の本懐だろう。
さぁ。
今こそ――その『瞳』で世界を暴け。
万物を視通し、解体しろ。
己が魔力を編み上げ、現象を再現しろ。
――抜剣――
この時、知らず世羅は己が『剣』を抜き放つ。
やがて至るのかも知れないが、あるいは至らぬ方が幸せなのかもしれない自分の『可能性』を掴み取る。
――『■■■■■■』――
「――っ!」
虚空から取り出した晶石を指で弾く。
解放された膨大な魔力が、放たれる『刃』の猛攻を防ぐ。
死角から迫る『刃』を、魔力を纏わせた手で受け止めて、その内側に込められた『力』を分解してから取り込む。
発生点に魔力弾を飛ばして妨害する。
そのどれもが、今の世羅には不可能な業だった。
どんな手段でそれを可能としているのかすらも理解していないのに、身体が自動的に動いているような感覚だ。
「……く……ぐぅ……っ!?」
しかし。
そんなものを何の代償もなく行えるわけはない。
凄まじい負荷に全身は粉々になりそうだし、頭の中はグズグズに溶けてしまいそうだ。
可能性と可能性の交差した瞬間の無間地獄。
無視された時系列により、自己が乖離していきそうになる。
これまでにあった出来事。この先に待つ出来事。可能性までも含めた様々な悲劇と喜劇の混沌に心が砕かれそうになる。
この時、世羅は世界の『真実』にさえも肉薄していた。
――あぁ、それがどうしたっ!
そんな余計な全てを、己の意志で捻じ伏せる。
たった一つに集中する。
今はただ爽馬へと向かっていけばいい。
数多の『刃』を、避け、砕き、解体し、解れさせ、消し去り、取り込んで、着実にその距離を詰めていく。
たったの一歩を踏み出すたびに、何かを壊しながら。
頭の中で何かが切れた。
大切だったはずの何かが粉々に砕けた。
視界が赤く染まった。
体の中身が少しばかり弾けたような気がする。
まともに考えれば、物理的なダメージだけでもあっという間に倒れるような痛みがあり、付け加えて精神もズタズタに切り裂かれている。
満身創痍というよりも、三途の川に飛び込んだような状態。
きっと、ホラー映画よりもホラーな有り様になってる。
「……ふ……ふふ……」
右手を両断せんと迫った『刃』の軌道を指先一つで変えながら、くすりと微笑む。
思い返してみれば、今までの人生で、ここまで必死になった経験があるだろうか?
自分のためじゃないのに。
いや、自分のためなのかもしれないけれど。
……あぁ、やっぱり自分のためだ。
あの二人のためなんかじゃない。
気に入らないものは気に入らない。
そう思ったなら、そう言うと決めている。
誰がなんと言おうとも、自分が満足する形にするために。
それに――
あの人が道を開いてくれたから。
たったの一人でも、この選択は間違っていないと背中を押してくれたのだから。
あたしは、迷わずに走り続ける。
ちっぽけで。
誰も殴ったことなんかない右手を握り締めて。
あの二人に対してだけは何よりも強固なのに、本当はとても脆い『幻想』を壊すために。
未だに足踏みをし、目を閉ざして何もしようとしていないバカを殴り飛ばして、目を覚まさせてやるんだ。
お膳立てはしてあげる。
だから、生まれるであろう執行猶予期間に、止まった時計の針を動かせ。
閉ざした目を開け。
地の底に堕ちたというのなら、あとはもう這い上がるだけでしょう?
万象全てを切り裂くその『刃』で、小さな亀裂を決定的なまでに広げて見せなさいっ!!
出来ないとは言わせない。
そんな甘えはもう許さない。
準備はいいわね。
ダメって言っても聞く気はない。
この時からあんたも走り出せ。
あたしが、あんたを在るべき高みへと導いてあげるからっ!!
――最後の一歩。
狭間にあった距離の全てを踏破した。
「来たわよ、ここまで」
「―――――っ!?」
逃げることさえも忘れ、驚愕に染まった顔でこちらを見る爽馬に、にっこりと笑みを浮かべてやる。
多分に諧謔が含まれていたのは、極限を超えてなお激痛に耐えている自分の身体の中で、正気の基準が逆転してしまったからだろう。
この痛みが愛おしい。この苦しみがもう少しだけ続けばいい。
今この瞬間。
きっと、他の誰にだってたどり着けない場所に立っている。
数え切れないほどの代償を支払って。
それは。
本当に。
些細でちっぽけで。
それなのに。
こんなにも誇らしい気持ちになれる。
「ばぁか♪」
世羅は前のめりになりながら、振り上げた拳を爽馬の間抜け面に放った。
● ● ●
目の前に、力強く握り締められた拳が迫ってくる。
極限まで引き延ばされた時間の中で、爽馬の頭の中を埋め尽くしているのは、怒りを塗り潰すほどの大量の疑問だった。
わけがわからない。
理由がわからない。
どうしてこうなった?
どうしてどうしてどうしてどうして――?
負けはないはずだった。
だって、負ける要素なんか一欠片もない。
指先一つ動かさずに、首を跳ね飛ばすことだって可能だったし、それを躊躇なんかするはずもない。
事実として、そうしたはずなのに。
あいつと同じように全ての『刃』が届かない。
よくわからない手段で、僕の『刃』の悉くが消されている。
一歩。
一歩。
また一歩。
その度に勝手に傷を増やしながら、血を流しながら、生命を削りながら。
凄絶な形相で。
満身創痍を通り越した身体で。
確かに少女は歩み寄ってくる。
それはさながら悪夢の中で死者が迫ってくるようなものだった。
素直に恐ろしく、徹底的に怖い。
なのに。
何故だろう。
その有り様を醜いとは思えなかった。
むしろ。
綺麗だとさえ思った。
「………ぅ………」
それに比べて。
暴力を振るう我が身の醜悪さはどうだ?
そもそも、どこに彼女を殺す理由があったんだ?
友達になりたい――なんて、馬鹿げたことを口にした少女だった。
綺麗な手を、差し伸べてくれた。
それを振り払ったのは自分だ。
信じられなかったから。
信じられるはずなんかなかったから。
一度は逃げたのに、少女はまた僕の前に現れた。
今度はケンカ腰だった。
触れられたくもない傷口を抉られて、怒りのままに黙らせようとした。
いつものように殺そうとした。
でも、今ならなんとなくわかる。
少女の目的は何も変わっていない。
やや強引な手段に切り替えてはいるが、何も変わらずに友達になりに来たのだ。
それがわかった。伝わってきた。
敵意なんか微塵もない。
なら。
正しいのは、彼女。
間違っているのは、自分。
殺していいはずがない。
直前に交わした会話にしたってそうだ。
こんな生き方をしていたって、何かが変わるわけじゃない。
近寄ってくる悪意を持った有象無象を蹴散らしていただけなのに、いつの間にか『力』は『暴力』へとその名前を変えていた。
それを振るうことに何の抵抗も感じなくなっていた。
それまでの百人が敵だったからといって、百一人目も敵だとは限らないのに決め付けてしまっていた。
それが愚かなのだと知っていても、身近には悪意しかなかった。
信じられない。信じようとしない。そんなものは存在しないと決め付けて、目を閉じて、耳を塞いで、口も開かずにいた。
闇雲に暴力を振るうだけの怪物になっていた。
そんなんだから、僕は彼女を怒らせてしまったんだろう。
怒らせてしまうぐらいに無様で醜悪なんだろう。
それでも。
彼女はまだ手を差し伸べようとしてくれている。
強引で乱暴だけど。
それぐらいしないと目を覚まさないのだと判断されてしまったのは、こちらが悪いに決まっている。
………あぁ、彼女の名前が思い出せない。確かに聞いたはずなのに。
それが本当に悔しくて、悲しくて、申し訳なくて………。
間に合っていたはずの――そもそもする必要すらなくなった――反撃の機会を棒に振る。
ありとあらゆる全てが、どうしようもなく無様に感じられた。
それを。
爽馬は。
ようやく自覚した。
「………あぁ、僕は――」
こんなざまで、どうして『彼女』に逢えると思った。
あの最初で最後の日に『約束』を交わした――?
だから、連れ去られた少女が、逢いに来てくれるとでも………?
ただ待っていれば、いつか再会できると、そんな夢物語をどうして信じていた?
目を――閉ざしていたからだ。
知っていたはずなのに。
この世界が、どんなに残酷なのかを。
この『力』はなんのためにある?
ただ八つ当たりのように暴力を撒き散らすためか。
いいや、違うだろう。
そうじゃない。
彼女と出逢ったあの日にこの身に宿った『力』が、そんなものでいいはずがない。
コノチカラハ、カノジョヲスクウタメニコソツカウベキダッタンジャナイノカ?
「本当に、今の今まで何をやっていたんだ………………?」
盲いた目から零れた一筋の涙が頬を伝う。
そして――
ついに頬に触れた拳が、強く――強く振り抜かれていく。
強く強く頭を揺さぶられて、意識が途切れそうになる。
そのまま真後ろに倒れ込んでいく。
漂白されていく意識の中で、何かが――
無意識に自分を縛り付けていた『鎖』が砕け散るのを爽馬は感じていた。
● ● ●
ぶん殴った爽馬はぶっ倒れた。
世羅は勢いを殺せずにたたらを踏む。
「………はぁぁ………」
ゆっくりと息を吐きながら、自分の血で塗れた右手を見る。
全身を苛み蝕んでいる常軌を逸した痛みの中でも、爽馬を殴り飛ばしたその場所がひときわ痛む。
誰かを殴るのは、とても痛かった。
その痛みを忘れずにいようと、世羅は思った。
「――あ……ぁっ」
とりあえず通り越してしまった爽馬に向き直ろうとした足から力が抜けた――と感じた瞬間に、糸を切られた操り人形のように世羅はその場に崩れ落ちていた。
身体にまるで力が入らない。何も見えなくて、視界が白い闇に覆われていく。
わざわざ確かめるまでもなく、己の内外がグシャグシャになっているのを理解した。
これはもうどうにもならない。
さっきまで立っていられたのが不思議なくらいの致命傷だ。
清々しいくらいにさっぱりとした自滅だ。
バカを一人殴るために、文字通りの意味で生命を放り投げた。
「………………ぁはっ……」
口から零れ落ちたのは、気持ちのいい笑い声。
半分以上は死の方向へと転がっている状態で、あっさりとそれを受け入れる。
自分で思ってたよりも、ずっとずっとおバカだったんだなぁ……と思う。
でも、悪い気分じゃない。
こうなってしまったのは単純な力不足で、要するに結果論でしかない。
そうなってしまったのなら仕方がない。
満足には程遠いし、彼らを縛る『呪い』の楔を一つ外した程度なのだから、道のりはまだまだ長い。こんな中途半端で投げ出すのは不本意極まりないが、彼らの狭間にある亀裂はこれでさらに拡がった。
もしも、今回また失敗したとしても。
経験が一定の値を超えたはずだから、ここから先はどんどん確率は上昇していく。
助力もなく『呪い』を超える刻が、必ず来る。
――なら、それでいい。
……あたし、間違ってないよね。
ちゃんと、やれたんだよね、………パパ。
確かな満足を胸に抱き、世羅はゆっくりと目を閉じようとした時。
地面を踏む靴音が聞こえた――ような気がした。
ほとんど感覚の消え失せている身体が引っ張られる。
「――、――。」
誰かに抱き上げられたようだった。
明滅していた視界がわずかに晴れて、世羅を覗き込む誰かの顔が寸時だけ見えた。
「………ぁ、ぃ………」
ロクに声を出すことも出来なかったが、その誰かは戒だった。
耳もロクに聞こえないし、彼が何を言っているのかもわからない。
相も変わらない無表情なのに、目が泣きそうになっていたような気がする。
………………自意識、過剰かなぁ。
「………こ、ぷっ………」
込み上げてきた血が口の中に溢れて、零れ落ちる。
喉が詰まりそうになるが、その感覚も希薄だった。
未だに辛うじてでも意識を保っていられるのは、きっと奇跡の領域だった。
重たい目蓋をぎゅっと閉じてから、強い意思で開く。
燃えつける寸前のロウソクのような儚さで、一時的に視力を取り戻したけれど、どうも右目はダメになっているようだった。
視界が、ひどく狭い。
「―――――。――」
ごめんね。何言ってるのか、全然聞こえないよ。
「――――。―――――。――」
あぁ、そんなに強く抱きしめたら汚れちゃうってば。
「―――――――。―――――。――」
ほら。ねぇ、お願いだから、あんまり見ないでよ。
今のあたしは女の子なんてとても言えないような惨状なんだし………恥ずかしいよ。
「――。――」
………眠くなって、きちゃったな。
押し寄せてくる睡魔のようなものに、抗えずに流されそうになる。
もう二度と目を開けなくなる前に、心残りがないかを考えた。
当然のようにたくさんあったけれど、その中から選んだのは一つだけ。
「………っ…………ぁ……」
せめて、謝りたかった。
戒に謝らなくちゃいけないことがあった。
ちゃんと謝らないと、彼はきっと許してくれない。
許す機会を失ってしまう。
そんなのは嫌だから、ちゃんと伝えたかったのに、言葉を音として紡げない。
本当に本当に申し訳ないと思った。
「………………………」
ふわっと軽くなっていくような感覚があった。
世羅は最後にゆっくりと手を動かす。
こんな血塗れの穢れた身体を優しく、強く抱きしめてくれている友達へと手を伸ばす。壊れたゼンマイ仕掛けのようにぎこちなく。文字通りの意味で必死にがんばって。
その顔を。
その頬を撫でるように。
ただ汚れた血を付けてしまうだけなのに、彼の暖かさを感じたかった。
………うん。
ほら。あったかいね。ポカポカしてる。
あんたはやっぱり、こんな世界の裏側で、生きてちゃいけないんだよ。
………………。
………ねぇ、戒。
少しだけ……疲れちゃったよ。
ほんの少しだけ………眠りたいから、もうちょっとだけ、このままでいてもらってもいいかなぁ………?
………大、丈夫、だよ。
ちゃんと……すぐに、起きるから……。
「ごめんね。ありがとう」
自然に動いた口が、それをちゃんと音に出来たかはわからない。
きっと。
それを口の動きだけでも紡ぎ終えるより先に、あたしは永い眠りに就いていた。
● ● ●
「……世羅……?」
頬に触れていた世羅の手が、不意に落ちた。
それは不吉なものを連想させるぐらいに、嫌な力の抜け方だった。
返事は返らない。
元より喋れるような状態ではなかったが、今の世羅からは生命の鼓動が感じられなかった。
いや、そもそも戒が一目見た時点で、まだ生きているのが不思議な惨状だった。
どうすれば、あんな風になるのか、まずそこから疑問に思うぐらいに。
だから、これは時計の針が追いついた必然の結果に過ぎない。
「おい、世羅」
なのに、それを認めたくない自分が確かに存在した。
あんなにもたくさんの死を見てきたのに、あんなにもたくさんの『人間』を殺したのに。
たった一人のそれを、どうしてか認められなかった。
認めたく、なかった。
「………呼んでいるだろう? 俺が、お前の名前を……?
………………………なあ、おい、世羅。それをお前は望んでいたんじゃないのか?」
ひどく空虚で、何かにすがるような声だった。
それを口にしているのが、自分なのだとしばらく理解できなかった。
考えて口にしたのではなく、勝手に口が動いている。
「………ようやく呼ぶ気になったんだ。
………………これじゃあ、俺が馬鹿みたいじゃないか。何か……言えよ」
魂一つ分だけ軽くなった身体を、ほんの少しだけ揺する。
俺たちを紅に染めている血の雫が落ちる。
「なあ、おい、世羅……」
世羅は何も応えない。何も言わない。
それでも俺は、親にすがる子供のように何度もその名前を呼んでいた。
サブタイが全てを物語る今回の話。
男女平等パンチのどちらにするか少し迷いました………とかゆーのは冗談です。
本気で野郎の顔をダッシュでグーパンするヒロイン(あるいは女主人公)というのは、比較的珍しいのではないでしょーか?
それにしてもこの『22 静謐なる刃』は、総じて爽馬のイジメになっちゃいましたねぇ……。他人事みたいに言ってますが、別に悪気はないんですよ。ただこの結果は必然で、最初からあいつに勝てる要素が微塵もなかっただけなんです。能力だけなら最強級なんだけど、中身は最弱ですからね。あいつ。
特に世羅みたいなタイプは天敵です。まあ、彼女は大抵の奴に、なぜか天敵として作用するんですけどね。




