復讐するのは簡単。でも…
王子と異母兄と話をした後、私達はアイザック様の私室に戻った。とりあえず言いたい事は言ったし、目的は達した、と思う。
「セイナ、本当にあれでよかったのか?」
「ええ、あれで十分です」
私をソファへと誘った後隣に座ったアイザック様は、怪訝そうにそう尋ねてきたけれど、私はそう答えた。色々考えたけれど、結局私は…あの二人の結婚を、子どもを、黙認した。いや、言いたい事は散々言ってきたから黙認じゃないかもしれないけど、心情的には殴ってやりたかったんだから十分温情といえるだろう。
婚姻も早急に成立させる事にした。子供のためだ。大事な事だからもう一度言おう。子どものためだ。決してあの二人のためではない。
「だが、セイナが失ったものの大きさと、受けた苦痛を思えば…」
「そうですね。そうなんですけど…子どもに罪はないですから」
そう、私もまた曰く付きの生まれだった。私は父を知らないし、多分母にもわからないだろう。水商売に身を置いていた母には私を含めて子供が三人いたけど、三人とも父親が分からないという凄い環境だった。母の実家で育てられたけど、居場所はないし貧乏だし、早く大人になって家を出たいと思っていた。
だからこそ、無責任に子供を作った王子も異母兄も許せなかったし、許す気もなかった。
でも、子どもの事を思えば、両親が揃っていた方がいいし、ちゃんと職に就いていた方がいいし、祖父母たちとの交流もあった方がいいだろう。
クリフォードさんもシンシアさんも真っ当でいい人だから、いい祖父母になるのは目に見えている。叔父夫婦もしっかり教育してくれそうだ。脳みそすっからかんにしか見えないあの夫婦も、何とか手助けして導いてくれるだろうし、そうあって欲しいと思う。
「ハロルド殿に教えを乞えば、少しは真っ当な人間になるだろう。あのご夫婦は領主として評判がいいが、一方でご夫婦揃って厳しい方でもある。あの様子では相当苦労するだろうな」
「そうですか」
なるほど、異母兄が怯えていたのはそういう理由だったのね。アイザック様の圧に負けているかと思っていたけれど、もしかしたら異母兄は叔父夫婦の実態を知っていたからなのかも。
「ルシアの事は任せてくれ。助産婦や出産経験のある女性を侍女に付けるし、出来る限りの手は打とう」
「ありがとうございます」
「中身は殿下でも身体は貴女のものだ。身体を損なうような事があっては、貴女も心苦しいだろう」
「アイザック様…」
なんて優しくて強い人なんだろう。醜怪侯爵とか言われていたのに、よく今まで腐らずにいらっしゃったな…と思う。私だったら…絶対やさぐれていただろうに…
「凄く安心です。殿下は…女性としての常識がないでしょうから、妊娠中も構わず無理しそうで…」
「確かにな。少々…お考えが甘すぎるところがおありだ」
少々どころか相当なんだけど、アイザック様が言葉を濁したのは私を気遣って下さったのだろう。『私の身体』にとって初めての出産で、私が不安を感じていると察して下さったのだ。ここは医療水準が日本より格段に低いから。
それに、王子がまた余計な事をして身体を害しそうで心配だから、目の届く範囲に置いておきたかった。
まぁ、実際は出産経験の豊富な侍女に世話をお願いするので、私が直接何かをするわけじゃない。というか、妊婦になった自分を見たくないので、ルシアは離れのような場所に移動になった。その方が落ち着くだろう。
そりゃあ、復讐する事も出来たよ。アイザック様にはそれだけの力があるし、身分制度の厳しいこの国では、侯爵に子爵家が勝てる筈もない。
一時はこの家で奴隷のように働かせる…なんて事も考えたけど…視界に入る度に苛々しそうな気がしたのでやめた。それに…復讐したら子どもを見る度に罪悪感に苛まれそうな気がする。そんな負のオーラ満載の人生はお断りだ。私は…幸せになりたいのだ。
どうやらハロルドさん夫婦は厳しい方らしいので、彼らの下でしっかり鍛えて貰うのが、彼らにとっては罰になるだろう。王子は後悔しそうだけど、それも織り込み済みだ。今度は逃げるなんて許さないし、下位貴族の令嬢の今ではそんな力もないだろう。
「でも…本当によかったのか?」
アイザック様は納得がいかないようで再度聞いてきた。きっと私が完全に納得していないのはバレているんだろう。こういう察しの良さがかっこよくて、知らず顔がにやけてしまいそうだ。
でも…謝られたら許さなきゃいけなくなるじゃない?現時点では全く許せる気がしないけど、謝られると許さない私が心が狭い様に感じてしまいそうだから、謝ってこなかったのは幸いだったりする。うん、一生許さないから一生謝って来なくてもいいかな、と。謝罪の言葉で片付けられるようなレベルじゃないし。
「もう、決めたんです。聖那としての人生は吹っ切ると。これからはセラフィーナとして生きると」
「そうか」
「どうせ新たにスタートを切るなら、前を向きたいんです。そこに恨み辛みは不要ですから」
「…そうか。セイナがそう言うのなら…それが一番だ」
アイザック様にも、色々と思うところがあっただろう。私がセラフィーナではなく聖那だった事から始まって、多分、私達四人以外で一番事情を知っていて、振り回された上に労力を使ってくれたのもアイザック様だ。
それでもこの人は、大した事がないように振舞い、揺る事なく側に居てくれた。それは私にとっては…錨のようなものだった。楽な方へ流されるのを食い止めてくれる、そんな存在。
もしアイザック様がいてくれなかったら…私は王子を恨み、異母兄を憎み、現状を受け入れる事は出来なかったと思う。子どもがいても許せなかっただろうし、ずっと元の世界に戻りたいと願っていたと思う。こんな風に、前向きに未来を考える事は出来なかった。
「アイザック様がいて下さって…よかった」
そう言いながら私は、アイザック様に抱き付いた。逞しい身体から、アイザック様愛用の香料が鼻をくすぐった。ムスクにも似た、でもずっと微かで嫌味のない香りは、アイザック様の雰囲気にぴったりだ。醜怪侯爵とか野獣とか言われているけれど、実は洒落っ気もあってとても紳士なのだ。
「…そう言って貰えると…嬉しいな」
僅かに戸惑いを見せたアイザック様だったけれど、直ぐに優しく抱きしめてくれた。うん、このスマートさといい、体格差といい、筋肉に包まれた分厚い胸板といい、私の理想そのものだ。こうしていると…嫌な事も忘れられる。これからもこの人がいてくれたら…きっと大丈夫だ。




