王子とその婚約者
「セラフィ、本当によかったのか?」
セイナ様にお会いした翌日、クローディア様が訪ねて来られた。優雅にソファに腰かけてカップを手にする姿も男言葉も板について、どこから見ても立派な王子様だ。
「ええ、セイナ様が私の事を気に病んでいらっしゃるのは丸わかりでしたもの」
「確かにそうだね。セイナは…私達よりも年上だけど、考えている事、直ぐにわかっちゃうから」
「そうですわね。でも、だからこそ一緒にいて安心出来ますわ」
「セイナは…彼女のいた世界は、ここよりもずっと自由で…平和だったんだろうね」
クローディア様の言葉に、私は深く頷いた。セイナ様は私達よりも十以上も年上だけど、感情を隠さないし、思っている事が直ぐに顔に出てしまう。貴族なら感情を隠すものと幼い頃から教えられた私達には信じられないけれど、彼女がいた世界ではそんな事は必要ないらしい。
「そりゃあ、それなりにポーカーフェイスは必要だけど、ここ程じゃないわねぇ…」
そう言って苦笑するセイナ様は、私達とは違う理の世界に生きていた。話を聞けば貴族という存在はなく、セイナ様の国には国王陛下に似た存在はいても、政治からは最も遠いところにいるのだと言う。
国を治めるのは平民で、平民が国の代表を投票で決めるのだと言った。全く想像出来ないけれど、それで国は回っているし、セイナ様の国は他の国に比べても豊かで安全なのだと言う。
「でも、本当は戻りたかったんでしょ?」
クローディア様は聡明で、人の機微にも敏くていらっしゃる。だから…私の考えや気持ちなどお見通しだ。
「正直に言えば、そうですね」
「だったら何故?戻る方法、実のところ皆無ってわけじゃないのに」
そう、実を言うと元に戻る方法がないわけではない、と言う事はクローディア様から先日聞かされた。新しい魔道具が見つかって、それを使えば…あるいは元に戻る事が可能かもしれない、らしい。らしいと言うのは、魔道具についてはっきり判断出来る人がいないからだ。
「でも…元の身体に戻ったら…セイナ様と会えなくなってしまいますわ。それに…」
「それに?」
「どこの誰ともわからない方と結婚する事になります。セイナ様でなくなった私の身体など、今の侯爵様は必要とされていらっしゃいませんし」
そう、セイナ様が元の世界に戻ったら、その形見として私を愛でると仰っていた侯爵様だけど…今はそんな事はなさらないだろう。あれはセイナ様が逃げないようにするための侯爵様の方便だと私は思っているし、クローディア様も同意見だ。
私になど欠片も興味はおありではないから、元の姿に戻ったら侯爵様はさっさと婚約を解消されるだろう。セイナ様の思い出を胸に、一生を終えられるような気がする。
そうなった場合、私は傷物令嬢として益々まともな縁談は来ないだろう。私の見た目に惹かれた男性に、人形のように飼われる結婚…その可能性が高い。実際、私にはその様な縁談がいくつも持ち込まれていたのだ。
仮に侯爵様がそんな私を気の毒に思われて娶って下さっても…私を愛して下さることはないだろう。どちらにしても、元の身体に戻った私は、私として愛される事はない…そんな気がするのだ。
「そうだね、アイザック様はそういうお方だ」
「ええ、ですから、クローディア様のお側にいたいんです。クローディア様は…私を必要だと仰って下さいましたから」
「セラフィ…」
そう、クローディア様は私を必要だと、このまま結婚して欲しいと言って下さった。見た目はクローディア様でも、中身はセラフィーナのままでいいと仰って。
クローディア様として生きるのが簡単ではない事は、クローディア様が一番ご存じだ。それくらいクローディア様は、まだお小さい頃から努力を重ねて来られた。
私とクローディア様は一歳違いだけど、教育の量も質も雲泥の差だ。私は下位貴族としての教育しか受けてこなかったし、両親は特段教育熱心ではなかった。本を読むのは好きだったけれど…知識には偏りがある。それに、圧倒的に経験値が足りていない。
「それに…セイナ様ったらあんなに侯爵様がお好きなのに、私の事を気にして迷っていらっしゃるのですもの。侯爵様に申し訳ないですわ」
「全くだね…アイザック様も、別人かと思うくらいセイナに甘いし…」
「こうなったら、背中を押すしかありませんでしょう?そりゃあ、ちょっとはモヤッとしますけど…」
「やっぱりそう思うんだ?」
「そりゃあ、自分の身体ですもの。でも、それはクローディア様もでしょう?」
そう言ってクローディア様を見上げると…クローディア様は私の視線に気づいて悪戯っぽい目をした。
「そうだね。私もセラフィを見ていると…変な気分だよ。自分の身体を妻に…なんて、不思議な感じだし…」
「でも、他の男性に…もお嫌なのでしょう?」
「勿論だよ。これまでずっと努力して作り上げてきたんだからね。生半可な者に渡したくないし、そういう意味では自分のものにした方がずっと気が楽だろう?それに、中にいるのがセラフィだからね」
意外な言葉に、思わず飲みかけていたお茶を止めて、クローディア様を見つめた。
「私、ですか?」
「ああ、セラフィは真面目で誠実で、自分で思う以上にしっかりしているよ」
「そ、そうでしょうか…」
「そうだよ。これが私の取り巻きにいた令嬢達だったら…と思うとぞっとする。君で…本当によかったと思っているよ」
そう言ってにっこり微笑まれたクローディア様に、私は頬が熱を持つのを感じた。いえ、今の言葉に深い意味はない筈…
それにしても…目の前にいるのは同じ姿でありながら、フレデリク殿下とは全くの別人だった。あの方はこんなに強いまなざしをなさらないし、力強い物言いもされないだろう。クローディア様はとっくに、私がクローディアとなる事を受け入れ、フレデリク殿下として前に進んでいらっしゃるのだ。
「私も…お側にいられて嬉しいです」
それは…私の心からの言葉だった。クローディア様は一瞬動きを止めて私をまじまじと見つめられたけれど…直ぐに嬉しそうな笑みを浮かべられた。
「そう言ってくれると嬉しいよ。という訳で、婚約者殿。これからは私の事はフレデリク、いや、フレディと呼んでくれるかい?私も、セラフィの事はディアと呼ぶから」
「はい、フレディ様、これからもよろしくお願いしますわ」
それは、元の身体からの決別を意味していた。




