3月 最終決戦 …そして
三月中旬の晴れの休日、著名人が会談等で利用する、とある日本風の高級料亭を貸し切って、和室を半分に区切ったようにして、アタシと藤森由佳さんは正面から向かい合っていた。
藤森由佳さんは前世では学園に転入してきた、アタシと同じ一般家庭出身だ。彼女の名前は、今までどれだけ頑張っても思い出せなかったのだが、書類を閲覧したときには、そう言えばそんな名前だったと何故か納得した。
和室の半分は藤森さん、もう半分はアタシと友梨奈ちゃんと裕明君と光太郎君の四人。
さらには壁際には三家のおじさんとおばさん、そして信頼が厚く腕も確かな護衛が複数人待機しており、部屋の外にも油断なく目を光らせており、何か異常があればいつでも突入可能な配置になっている。
ダメ押しとばかりに、アタシを含めた藤森家族以外の全員が、見た目は外出時の服装だが、内には特注の防刀ベストをしっかり着込み、最新の医療車両と各家専属の医療スタッフも駐車場で待機中だ。
その際に藤森さんのお父さんとお母さんは、聞かれたら不味い内容を話すので、会談には参加させずに料亭の別の部屋で、普通にお食事を楽しんでもらっている。
既に護衛を除く皆の前には食膳が置かれており、彩りが美しく美味しそうな和風料理の数々が、ほんのりと白い湯気を立てていた。
「ええと、藤森さん。そんなに緊張しないで…と言うのは無理だよね。とにかくこのまま黙ってると料理が冷めちゃうし、食べながら話そうよ」
アタシの目の前に座る藤森さんは、初対面にもかかわらず鋭い視線を送ってくる。そこに怒りや憎しみを感じ取れるのは、やはり前世でアタシのことを嫌っていたからだろう。
ともかく、相手が話す姿勢にならないと埒が明かないので、まずは用意された食膳の蓋を取って、自分も珍しく緊張しているので味は殆どわからないが、適当に箸で掴んでは口に入れていく。
今回の会話の内容は予知夢ではなく、前世に例えて進めると、あらかじめ皆には伝えてある。
「アタシは色々考えたり駆け引きしたりが苦手だから、単刀直入に聞くけど。
藤森さんは、前世の記憶を持ってるよね?」
「へぇ…と言うことは貴女もそうなのね。道理で私の邪魔ばかりすると思ったわ」
「邪魔をしてるって言うのは、光太郎君とアタシの関係のこと?」
藤森さんの挑発的な台詞で料亭の空気に怒気が混ざる。
アタシはそう言われるだろうと予見していたので、食事をいただきながら軽く受け流しているが、三人の子供たちとおじさんとおばさん、そして普段は冷静なはずの護衛の面々から発せられる敵意が全く隠しきれていない。
そうとは気づかずに、彼女はこちらを責めるように強く言葉をぶつけてくる。
「そうよ。やっぱりわかっていて邪魔してたのね。
王子様だけじゃなくて、魔王様ルートまで攻略しちゃうなんて酷いじゃない!
最終イベントのフラグがまだなら、今からでも私に譲りなさいよ!」
確かに光太郎君は絵本の王子様のようなサラサラの金髪と、爽やかな笑顔で学園の人気者だ。魔王様は今は皆と打ち解けているが、アタシと出会わなかった前世の裕明君のことだろう。
それらを知っているのは藤森さんにもアタシと同じ記憶があるからだとわかるが、王子、魔王、ルート、イベント、フラグ、現実ではなくゲームっぽい言葉が多く出てきたのが気になった。
「あの、ルートとかイベントフラグとか、よくわからないんだけど」
「はぁ? 貴女もここが【王子と魔王と庶民の私】って、乙女ゲームの世界だって知ってるでしょう?
そして貴女は悪役令嬢の小間使いのモブに過ぎず、私が本来のメインヒロインなのよ!」
前世持ちは厨二病で相当痛いという自覚があったけれど、目の前の藤森さんは前世持ちなうえに、アタシたちが暮らす世界が実は乙女ゲームで、自分はメインヒロインだと言い切った。
真偽はともかく、これには部屋の中の全員が開いた口が塞がらない。
「つまり藤森さんは別の世界から、ここ…ええと、乙女ゲームの世界にやって来たの?」
「そうよ。中学校に行かずに部屋に引き篭もって、大好きな王子と魔王と庶民の私を、ずっと遊んでいたの。
そんなある日に目覚めたら、乙女ゲームのメインヒロインに生まれ変わっていたのよ!」
嬉しそうに自分の過去を語る目の前の藤森さんを見ていると、何だかとても頭が痛くなってきた。
ここに辿り着くまでのアタシの苦労は何だったのだろうか。別に脳内お花畑な彼女が羨ましいとは思わないが、早く朝倉家に帰ってお父さんとお母さんに甘えたいなと、そう強く思った。
「私のことは話したわ。それで貴女の前世は? どうやって乙女ゲームの世界に来たの?」
「アタシは刺されて死んで、目が覚めたら朝倉家の小学一年生だったんだよ」
入学式の朝は本当にびっくりしたものだ。頭の中がグチャグチャでわけが分からなかった。彼女の場合は本当に生まれ変わったのだろう。アタシのように小学一年生の元の人格と混じり合うのではなく、白い紙を黒い絵の具で一方的に塗り潰すように生まれ変わったのだ。
「ふーん、通り魔に刺されるなんて運がなかったわね」
「刺したのは藤森さんだよ」
「…えっ? でも乙女ゲームじゃ初対面よね? 私は現実の世界で人を刺したことはないわよ?」
途中から何となくそんな気はしていたが、今の藤森さんは学園の藤森さんとは似ているものの、完全に別人だった。そして自分にとっては前世も今も、全てが現実なのだ。
だがそのことを教える気は起きず、聞きたいことはあらかた聞けたので、これ以上の会談は必要ないと判断して、アタシは席を立とうとする。
これからの彼女がどう生きていこうと、もう自分には関係のないことだし、お互いの道が交わることもないだろう。もし藤森さんが近寄ってきたら、全力で逃げ出すだけだ。
「それじゃ、今日は会談に応じてくれてありがとう。アタシたちはこれで失礼するけど。
ご両親は近くの部屋で食事中だから、藤森さんも一緒に…」
「ちょっと待ちなさいよ! 私が貴女を刺したってどういうことよ! 一体何を言っているの!?」
「もう終わったことだし、二度とそんな事件は起きないから。藤森さんが気にする必要はないよ」
もし藤森さんが学園に転入してきたら、毎日防刀ベストの着用をしないといけなくなるが、前世より体を鍛えているので、今のアタシならとっさの不意打ちにもある程度は対処出来るだろう。
きっかけとなった断罪事件も、三家に調べてもらえば事前に捏造だとわかるし、友梨奈ちゃんは光太郎君に恋慕していない。ならばアタシが巻き込まれる心配もない。
小学一年生の時点で、何もかもが前世と大きく違いすぎるのだ。
「はっ! わかったわ! 貴女! メインヒロインの私に自分の罪を押しつけて、断罪イベントを起こす気ね!」
「えっ? いや…別にそんなつもりじゃ。それに刺されたのは前世だから、今の藤森さんとは関係ないし…」
別に彼女を陥れようと考えているわけではない。確かに前世では嵌められて刺殺されたが、今の彼女は何もしていない。
この先どうなるのかまではわからないが、少なくとも今は何の罪も犯してないので、悪人ではないだろう。
「おかしいと思ってたの! モブの小間使いが攻略対象たちにチヤホヤされてるのに!
前世持ちのメインヒロインである私が、何故貧乏な庶民の両親と一緒に、退屈な家族ごっこを続けないといけないのか!」
「お父さんとお母さんを、そんな風に悪く言うものじゃないよ。会談前に少しだけお話させてもらったけど、二人共凄くいい人だったよ」
藤森さんの両親と、アタシのお父さんとお母さんを比べれば当然後者に傾くが、それは身内びいきが入っているからで、目の前の彼女は前者を選ぶだろう。しかし今は興奮状態なために、正常な判断が出来ないように思える。
自然に室内の空気もピリピリとしたものに変わっていき、念のためにアタシもいつでも動けるように、そっと足を崩しておく。
「本来その位置に立てるのは、メインヒロインただ一人よ!
そうよ! 貴女さえ居なくなれば、皆が私を見てくれるわ!」
「ちょっと待って、藤森さん! 落ち着いて話し合おうよ!
アタシも何で今の位置に立ってるか、本気でわからないけど!」
これはいよいよ不味いのではと感じるほど、今の藤森さんは色んな意味でハイになってしまっている。ここまで怒りの感情に突き動かされるとは、前世でアタシを刺したときも同じ状態だったのかもと、漠然とそう考えてしまう。
やがて彼女は目の前の食膳に添えられた、つくねが刺さっていた竹串に視線を向けると、素早く右手で引っ掴み、間髪を入れずに真っ直ぐ飛びかかってきた。
「消えなさいバグキャラ! お前を殺して乙女ゲームをリセットするのよ!」
藤森さんの行動は当然のように読んでいたので、アタシは信頼できる護衛の人に任せるため、すぐに後ろに下がろうと崩した足で立ち上がる。
すると何故か護衛の人よりも先に、後ろに座っていた裕明君が自分の前に飛び出した。
「智子は俺が守る! 藤森! 大人しくしろ!」
「魔王様!? くっ! 離して! 貴方はその魔女に騙されているのよ! 母親のように愛してあげられるのは、メインヒロインの私だけなの! お願い! 正気に戻って!」
突然前に出て来た裕明君にびっくりしたのか、藤森さんは一瞬動きを止めた。
その隙に彼は勢いよく押し倒して竹串を奪い、さらに完全に押さえ込んで動きを封じようと、取っ組み合いの喧嘩が始まる。
護衛の人たちもすぐさま加勢して、藤森さんは一分もかからず全身を縄で縛られて簀巻きにされ、おまけに猿ぐつわを噛ませられ、畳の上に転がされてようやく静かになった。
「藤森さん、色々とごめん。今回の会談がなければ事件も起きなかったし、ええと…罪には問わないようにって、一生懸命お願いするから」
「誰が見ても藤森の自業自得で殺人未遂だろ? 智子が謝ることはないぜ」
「勝手に危険な真似をした裕明君は黙ってて」
ムグームグーとまだこちらを罵倒しようとしている藤森さんに、いくら簀巻きにされて動けないとはいえ、興奮状態は依然として継続中だと感じる。
裕明君を黙らせたアタシは、護衛の人たちに押さえ込まれている彼女に、再び言葉をかける。
「さっきも言った通り、アタシの前世は、藤森さんに刺されて死んだの。でもそれは今の藤森さんには何の関係もないから、気にしないで」
彼女とはこの会談が終わったら二度と顔を合わせないだろうと予感し、最後に藤森さんが知りたかったことを伝えておく。
「未来の友梨奈ちゃんが藤森さんを苛めている、そんな捏造した罪を大勢の前で暴露された後だったかな。
気落ちする彼女を元気づけながら廊下を歩いていたら、後ろから走ってきた藤森さんに突然刺されたんだよ。
その時の貴女が何を考えて行動を起こしたのかは、わからないけどね」
彼女が知りたいことは全て教えたので、これ以上は何を話しても時間の無駄だろうけど、アタシは最後にどうしてもこれだけは言いたかった。
「藤森さんの前世が現実の世界って言ってたけど。
アタシにとっては前世も今も、両方が現実の世界だから。
それじゃ、アタシはもう行くね。藤森さん、さようなら」
お別れの挨拶が終わったので、アタシは寝転がっている藤森さんから離れて、振り返ることなく事件の遭った和室を後にする。廊下に続く障子戸を護衛の人が先に開け、アタシと皆が続いて外に出る。
「裕明君」
「何だ?」
「繰り返しになるけど、危険な真似はしないで。でも、守ってくれてありがとう。その…嬉しかった」
高級料亭の廊下を出口に向かって歩きながら、少しだけ気分が高揚しているのを恥ずかしく感じて、裕明君の顔を見ずに短くお礼の言葉をかける。頬も赤くなってしまい自然に早足になる。
彼が守ってくれたことは確かに嬉しい。でも、傷ついて欲しくはないのだ。そして裕明君は一番最初に自分を守ると言ってくれた。
それにずっとアタシを正面から見ていてくれた。何より一緒にいると、自分の心がポカポカ暖かくなるのがわかるのだ。
しかしいつからこうだったのだろうか。お好み焼き屋か、委員長を決める時か、それとも入学式で出会った瞬間か、…まさか前世からずっと?
そのことに気づいたアタシから無意識に声が漏れる。
「あっ…そっか、アタシ。裕明君のことが好きなんだ」
「智子ちゃん! もっ…もしかして恋ですの!?」
「えっ? アタシ今何か言った?」
気持ちを整理していたらついポロッと出てしまったので、何を喋ったのかはよく覚えていない。しかし周囲の人達の驚き方から見て、相当不味い失言をしてしまったようだ。
中でも裕明君の取り乱し方が酷かった。顔だけでなく全身が茹でダコのように真っ赤になり、喜びに打ち震えている。
「ええと、何かごめん。それで裕明君、大丈夫?」
「おっ…俺は平気だ! そっそれより…智子、いっ今の言葉をもう一回言ってくれないか!」
「あー…頭の中を整理してたから、自分でも何を喋ったのか覚えてないの。ごめんね」
先程までは天にも昇りそうなぐらいに喜んでいた裕明君が、今度は急に萎れてしまう。プラスマイナスゼロで取りあえずは正常に戻ったようなので、何らかの異常が起きたわけではないらしい。
さっきの失言で気持ちが完全に切り替わったため、どのようなことを考えていたのか忘れてしまった。ただ何となくだが、恋について考えていた気がする。
「こういうのを友達以上、恋人未満って言うのかな?」
「今度は何ですの?」
「アタシと友梨奈ちゃん、光太郎君、裕明君の三人の関係だよ」
男性二人は将来的に恋人にランクアップの可能性はあるが、友梨奈ちゃんはこれ以上は進展しないだろう。百合にランクアップも出来なくはないのだが、アタシにそっちの趣味はないし、友梨奈ちゃんも絶対嫌がる。
「智子、二人増えてるんだが?」
「えっ? 三人は友達だし、除け者に出来るわけないじゃない」
「いや…それは、まあいいか。リードしていることには変わりないしな」
得意気な裕明君とは違い、光太郎君と友梨奈ちゃんは何だか悔しそうにしている。
除け者にしたりはしないのにと、考え過ぎる友達を心配していたら、いつの間にか高級料亭の出入り口に着いたので、店員さん一同に見送られながら、すっかり馴染みになったいつもの送迎車に向かう。
春休みが終わったら一年一組の皆とは別れて、アタシたちは二年生に進級する。本当にこの一年は色々あった。月の名家にはいつも振り回されっぱなしだが、終わってみればどれも楽しい思い出だった。
名家の三人が庶民のアタシの友達を止める時が来ても、きっと笑って送り出してあげられる。少し前まではそうだったが、今は三人と別れたくない。叶わぬ願いだがずっと友達でいたいと、そう望んでいるのがはっきりとわかった。
何にせよ明日からまだいつもの騒がしい日常が戻ってくるのだ。前世も過去も、振り返って一休みするには早すぎる。今のアタシは小学一年生で、まだ人生は始まったばかりだ。
今度こそ途中退場せずに最後まで生き抜いてやるぞ! …と、アタシは両手を握りしめて心の中で固く誓うのだった。




