第9話_「さようなら」が言えなくて…
「おい、まだ終わらないのか? 皆からの督促が酷いのだがな」
「そりゃ結構。待たせておけばいいじゃないの学。わたしは別に急いでないし。今だって、キティとアイズが譲歩してくれたおかげで今日中の出発を認めてもらえたんだから、文句言わないの。仮にも神様が」
「関係無い。高次の神様が俗世の一般庶民に配慮など無用也。其れとも何か? お前は我々神様に人間総ての願いを叶えろとでも云うのか?」
「まさか。やる気なんかさらさらないくせにそういうこと言ってくる奴等に期待を抱くほど清純でもないわよわたし。知ってるくせに」
「違い無い」
花畑から離れ、ノイマン家屋敷の開いた門に背を預けながら会話しているミコと、彼女を迎えにきた送迎の神学=エヴォリューション。コスモタワーでの闘いの後、会話した際に神様達が言っていた設計図奪還を賭けた勝負とやらが完成し、神様達は御迎え役として送迎の神で通っている学を単身寄越した訳なのだが……そのタイミングがまあノイマン家再生計画完了の時と重なってしまったがためにキティが大暴れした。泣く、喚く、駄々こねるを始め、ミコに行って欲しくないと相当ワガママ言うわ終いには迎えに来た学を亡き者にしてミコをノイマン家に留め置こうなどという危険極まりないトチ狂った行動に出ようとするなど仮初め&ごっこ遊びの「姉」に対して相当な執着を見せたのだ。もちろん仮にも相手は神様。いくらこの一月鍛えたとはいえキティが勝てるわけがない。生存が危ぶまれるだけならまだしも下手に神様の機嫌を損ねて目を付けられでもしたら神罰まみれの苦難人生を送ることになりかねない。
なのでミコは暴れるキティを羽交い締めにして押さえつけてなだめることに終始した。元々旅立つのは今日でも明日でもよかったので、それをキティに簡潔に、だけど火に油を注がないよう表現には注意して伝えた。この一月同じ屋敷で暮らし同じ部屋で寝ていた仲である。キティのツボをミコは見抜いていた。“母性”と“ちょっぴり官能的な甘いスキンシップ”、この二点をバッチリ抑えたミコの説得はまさに諌言ならぬ甘言。暴れていたキティを3〜5分で大人しくさせ、今日中の出発も認めさせたのだ。
しかしキティもただでは引き下がらなかった。渡したいものがあるから準備してくると言ってアイズと屋敷の中に入り、ミコをこうして門外で待たせているわけである。クェンティンも屋敷に戻っているので、外にいるのはミコと学のみ。その気になれば約束なんて反古にしてすぐにでも学についていくこともできたけど……ミコはそれをしなかった。過去の例ではその気になったこともあったけど、キティ相手にそれをする気にはならなかった。ここであの子を裏切ったら、教育上よろしくないという保護者の直感が働いたのだ。ミコだって、伊達にお姉ちゃんごっこをやっていたわけじゃない。一月一緒に暮らしていれば、それくらいのことはわかる。
だからミコは急かしたり文句を言ったりしてくる学を適当な詞であしらいつつ待っていた。そして待ち続けて随分経ち、もう夕方になろうかという頃(学が痺れを切らし始めた頃とも言う)、やっと門の奥でドアの開く音、こっちに向かってくる足音がした。
「来たわよ。学、お待たせ」
「有無……手早く終わらせろ。早くしないと待たせている皆が可哀相でな」
学の毒舌にも動じず、ミコは門に寄りかかっていた身体を起こして翻り、門から出て来たキティとアイズを出迎える。そしたらビックリ心底意外、ミコはキティが抱えて来たお土産を見て驚いた。そして同時にキティの気持ちと粋な計らいに感服し、一瞬そっと視線を逸らした。そうでもしないと失明しそうだったから。キティが眩しすぎて。
「姉様! よかったあ〜。ちゃんと待っていてくれて。はい、焼きたてのパン。お礼も兼ねて贈ります。捨てないでくださいね」
「キティ、大丈夫だよ。姉上がキティの愛情料理を食べてくれないわけないじゃないか。それくらいボクでもわかる。そうですよね、姉上」
「そうね……ホントにもう、愛らしい真似をー」
アイズの相槌に応じたミコはすぐさま影帽子のがま口チャックを開いて黒い腕、手を出現させ、手早く――それこそ「急がない」がスタンスのミコらしからぬ手際の良さでパンがいっぱいの編みかごまるごと奪うように受け取ってがま口チャックの中にしまう。続け様にミコは編みかごを渡して身ひとつになったキティに抱きつき、ぎゅ〜っときつく抱きしめた。それは、この一月「妹」でいてくれた女の子への、ミコなりの感謝と懺悔である。
なんせここで別れたが最後、もう再会することはない――それは言わずに隠し続けた事実。宿命を背負った旅人であるミコには同じ場所に二度も立ち寄る余裕がないのだ。
さすがにそこまで突っ込んだ話はこの一月でも一切しなかった。賢い妹ではあってもまだ幼くて基本甘えっ子なキティに「もう二度と会えないのよ」なんて告白したら旅立ちを妨害されかねない。だからずっと胸の内に秘めていた。でも後ろめたさはあるのでその分が懺悔として抱きつき具合に現れたのだ。
だけど詞で伝えてないのでそんなこと露程も知らないキティは密着状態にただただ幸せそうな顔をするのだった。その純粋さが一層ミコにとっては辛い。
「姉様……あったかい」
「そう……」なにもかも言ってしまいたい気持ちを押し殺して、ミコはキティを抱き続ける。旅は出会いと別れの繰り返しだが、ここまで辛い別れは今までなかった。やっぱり一月留まって世話をしたのがマズかったのか。自問自答しても答えは出ない。だったら楽になることもきっとできないだろう。喋っても喋らなくても問題が変わるだけで問題そのものが消えるわけじゃないからだ。ならミコは黙って抱く方を選ぶ――女の覚悟である。
そんな抱擁も後ろから蔑んだような視線を浴びせてくる学の所為で終わるかと思いきや、ミコはさらに思い切った行動に出た。物欲しそうに指を咥えているアイズに向かって手招き。その意図を素早く察したアイズが駆け寄ってくると、一旦キティの抱擁を解きつつも、すぐにアイズも加えて、兄妹二人を改めて優しくきつく抱きしめた。その行為に「弟」のアイズは滂沱の涙を流して感動&初めての(マトモな)スキンシップを堪能し、反対にさらに待たされる結果となった学をより苛立たせることになった。学はとうとう堪忍袋の緒が切れた模様で、いいムードをブチ壊す怒声を浴びせて来たのだった。
「いい加減にしろ! 神の都合を考慮しない不届者共! 神罰下すぞコラ!」
「はいはいわかったわよ……キティ、アイズ、名残惜しいけどこれでおしまい。同時に家族ごっこもお終いね。別れのときくらい、姉じゃない、わたしの名前で見送って」
そう言ってミコはようやく二人を解放した。そのままあっさりと踵を返して、門の向こうで待っている学の方へと向かう。もう学は自身の神業“トンネル”の入口である地下階段を既に出現させていた。キレかかっている送迎の神の忍耐に応えるべく、ミコは無言でくぐった門を通り過ぎた。そのタイミングでキティとアイズがミコの背中に最後の詞をかけてきた。聞いて思わず足が止まる。
「姉……いやミコさん! いままで本当にありがとうございました。わたし、この恩はずっと忘れません」
「ボクも! ミコさんに会えてよかった。ミコさんとの全ての必然と偶然に感謝します。これからボク達、ミコさんの教えに恥じることなく、生きてみせます。だから、いつか……いや、いつでも遊びに来てくださいね!」
背中に刺さり、後ろ髪を引っぱる詞。ミコは振り向くことはしなかった。ただ背中越しにこっちを見ている幼い兄妹に右手でバイバイと手を振り挨拶。
そして、最後の詞――。
「花のように……素敵なレディ、素敵なジェントルマンになってね。わたしを思い出したら雨空か夜の星空を見上げてみて。きっと同じ空をわたしも見ているはずだから」
バイバイ――そう締めくくってミコは消えた。学の用意した“トンネル”の地下入口に入って学が入口を閉じるに任せた。学もこの別れのやりとりに感じるところがあったようでミコを地下入口の階段で迎えるとあの兄妹が動くより先に閉めてくれた。その機敏な気遣いに、ミコは素直に御礼を言った。すると学、照れた顔を見られまいと、急いでトンネルの中を先行して歩き始めた。照れちゃってまあ――ミコは肩を竦めてフッと微笑むと、黙って学の後を歩いた。ただその胸の内には、とうとう言えなかったあの詞が何度も何度もリフレインしていた。
さようなら――これっきりの別れを意味する詞が。




