第1話_カゲナシ・ミコ
夜更け。蝋燭の灯りが人の影を部屋の壁に映す真夜中――。
フランの闘いはまだ続いていた。おおまかに言って食器をまとめて厨房へ運ぶ一連の作業の第一段階がまだ終わっていない。それもこれも食器の数が多すぎるせいだ。
「まったく、おかみさんも張り切りすぎよ。運ぶだけでこんなに時間かかるなんて」
愚痴をこぼしながらも懸命に働くフラン。いい看板娘の条件は「よく」働くことである。
「よし、これで最後の束ね。うん……しょ」
最後の皿束を持ち上げて、厨房へ向かおうとしたときだった。
突然、背後から手が飛び出してきた。
その手がフランの口を覆い、塞ぐ。同時に思いっきり後へと引っ張られた。
フランに抵抗する術はない。引かれるままに引き寄せられる。あまりに力が強いので、持っていた皿を全て落としてしまった。皿の割れる音が痛く鳴り響く。そのおかげで両手が自由になったと言ってもろくに抵抗できないままではあったが、目は動かせたので顔が確認できた。
その手の持ち主は――レインだった。
(レイン、さん? なんで……)
突然の出来事に頭がパニックになるフラン。でも次の瞬間、レインの本性とさらなる脅威が待っていた!
「むにゃ……今の音なんだい? フラン……?」
(おかみさん?)
酒場で眠りこけていたおかみさんが、皿が割れた音を聞き取り起きようとしていた。やった、気付いてもらえる――との願いも水泡に帰した。
バン!
なにかが、雷鳴のような爆音が轟いた。あまりの音量に、フランの動きは制止される。
ただ……、固まった目だけが異様な光景を見させられていた。
倒れた椅子、腰をぬかしたおかみさん、そして……その先の壁に開いた、大穴。
「驚いたかしら? これは銃って言ってね、銛よりも早く、弓矢よりも遠くのものを狙える町レベルの文明兵器。さあ、おかみさん、これをこうしたら、どうする?」
(えっ? あっ! いやっ!)
レインはその銃の先をフランの頭に押し付けた。熱い銃口がフランの髪を焦がしだす。
「フラン! おやめ! やめてちょうだい!」おかみさんが叫ぶ。そう、今のフランは人質――だった。
「だったらこの宿の有り金全部持ってきなさい。硬貨よ、銀貨とか金貨とかね」
「なんでだい? 雨を降らせてくれたから村が資産の5分の1をやるって約束したじゃないか!」
「金以外の現物支給なんてお断りよ。私はね、車っていう乗り物で旅をしている。でも一人用だから小さくてね。それに積みきれない量の荷物なんて、いくら価値があっても無意味なのよ! さあ急ぎなさい! 早く立って金を持ってこないと――」
「この娘の頭にそこの壁みたいな穴が空くわよ――かしら?」
(えっ? 今の声――)
フランは口を塞がれた状態ながら驚いた。だって、その声は――。
「誰!」レインが声のした方に向きを変えた。押さえられているフランも当然一緒に動かされる。そして見てみると――いた。
階段入口に背中を預けた、あの黒い帽子を被った、ミコ=R=フローレセンスが。
「ちっ……そう言えばこの宿にはもう一人いたわね。すっかり寝静まっていた頃だと思って決行したのに……」レインが苦虫をすり潰したような声で愚痴をこぼす。
「村で銃なんてぶっぱなすからよ。うるさくて起きちゃったわ」ミコは平然と答える。まるでこの状況を受け止め、理解しているかのようだ。その上で硬直状態を自ら破るかのように、自分勝手に階段を下り、酒場の方へと歩み寄ってきた。
その行動は、とても危険なはずなのに。
「止まりなさい! それ以上近寄ったら、本当にこの娘を撃つわよ!」レインの大声が酒場にこだまする。それを聞いたミコの動きも止まった。フランはもう既に心臓が止まる思いだった。下手したら死――それほどの緊張に今晒されているのだから。
「よーし、よーし。それでいい。そうだわ。後ろのおばさんは腰を抜かしているみたいだし、貴方に動いてもらいましょうか。おばさん、金の在り処をこの子に教えなさい」
レインが金の在り処を聞き出そうと、おかみさんの方に振り向いた瞬間、フランは見た。そして聞いた。
手も使ってないのに勝手に開いた黒い帽子のがま口チャック、そしてミコの、「必要ないわよ。無駄だもの」という声を。
「なんですってぇ!」レインが怒ってフラン同様ミコの方を向くと、開いたがま口から真っ黒な、二本の線がこっち目掛けて飛び出してきた。それはフランの僅か横、レインの顔にぶつかり、そのままレインの身体をフランから引き剥がして、壁の先へと衝突させた。再び宿を揺るがす轟音が深夜のアルコ村に響く。
「けほ……けほっ」拘束状態から解き放たれたフランは、その場にへたり込み息を吸う。そして見上げてみると、ミコの帽子から伸びていたのは――黒く長い腕だった。それが同時に二本、がま口から伸びている。
「ミコ……さん?」分からないことだらけのフランはミコのことを見つめることしかできなかった。聞きたいことは、山ほどあるというのに。
するとミコが、帽子はそのままに顔をフランの方に振り向け、柔らかく微笑み、こう告げた。
「大丈夫よ。もう終わったから」そう言ってくれた。そうしたら一本の黒い腕がミコの手元へ戻ってきた。その手にはさっきまでフランを怖がらせていたレインの銃とナイフなどの武器が握られていた。没収した――ということなのだろう。それはフランを安堵させるには十分だった。しかし安心しその場に腰を抜かしたフランはミコの姿を見て異様なことに気付く。蝋燭の明かりしかなかったから、それは際立っていた。
「み、ミコさん……影が」
「そう、わたしはカゲナシ。この帽子が影を編み込んで作った影帽子だからね」
ミコの言う通り、ミコの足元からは明かりが産み出す影が伸びていなかったのだ。
そして足元だけじゃない。身体のどこにも影はなかった。ミコには影が射していなかった。逆だった。本来影のあるべき箇所で、光がミコの身体を明るい色に染めていた。
「カゲ……ナシ」
「都で学んでいたとき習得した芸事のひとつよ。全く、レインさんには気をつけなさいと言っといたのに」
そういえばそうだった。フランは別れの間際にミコからそう言われたことを思い出す。ではミコにはこうなることが最初から分かっていたというのか? 訊くとミコは得意気な顔をして答えた。
「気象一族のレインにはね、賞金がかかっているのよ。わたしも都に行っていたときにその噂を聞いていたから、対処をお勧めしたわけ。さ、武器は全部取り上げたわ。フラン、縄ある? 縛り上げておかないと」
「あっ、はい。すぐ持ってきます」
フランはミコに差し伸べられた手を握って引っ張り起きると、すぐに奥の部屋に縄を取りに戻った。戻るとミコはおかみさんにも手を差し伸べていた。影でできた腕はミコの移動に関わらず、器用に関節をコントロールしているのか、壁にレインを締め上げたままだ。上手いものだと感心させられるフランだった。
やがてミコが縄を受け取り、レインの身体を縛り上げ、口にも猿ぐつわをかませ喋らせないようにすると、ミコは黒い腕をしまってからフランにとって仰天の一言を放った。
「潮時ね……おかみさん、フラン。わたし、明日この宿を発つわ」と。
「えええええ! なんでですか?」フランが影帽子に黒い腕をしまったミコに迫る。だってそうだろう、ミコはアルコ村名産の水を飲みにやってきたのに。それを飲めるまでは滞在してくれると言っていたのに。
そしたらミコは、残念そうな顔をして理由を述べた。
「気象一族のレインが捕まったなんて知らせ、追いかけている人達の情報網には明日にも引っかかるわ。聞きつけてここにやってくる人達の中に、おそらくわたしのことも追っかけている人がいる。その人に会っちゃったら、今回以上の騒ぎに村の人達を巻き込むことになるからね。お水が飲めないのは名残惜しいけど、人生まだまだ時間はあるから。また来るわ」
そう言って大輪の花のように微笑むミコは一転、申し訳なさそうな顔をして、「ごめんね、約束……守れずに」と頭を下げたのだ。深々としたお辞儀――それを見ていたら、フランはいてもたってもいられなくなった。待ってくださいと引き止め、喋りだす。
「明日、村を出るまでご一緒させてください。その際にちょっと寄り道していいですか? 渡したいものがあるんです。お願いです」
フランはミコの手を自分の手で掴んで顔も近づけて頼み込んだ。約束を破棄されたのは辛いけど……、目的は果たしたかったから。
するとミコは手を開き、フランの手と指を絡め、しっかりその手を握って訊いた。
「朝イチで出るけど、それまでに終わりそう?」と。
「はい! 時間はかけません!」フランはめいいっぱいの想いを込めて、返事した。
「わかったわ。じゃ、村の出口まで一緒にね。じゃあまずは、この散らかった割れた皿、片付けないとね……」
手を離し、ミコが促すと、フランもそれに同意し、呆然と突っ立っていたおかみさんも加わって、三人でのいろいろな後始末に取り掛かったのだった。




