第1話_降った雨。待ち望んだ雨。
アルコ村はそんなに大きな村ではない。人口は200人もいない。その上いい居住区も場所が限られているので、村の有力者の家を巡るのはそんなに難しい仕事ではない。せいぜい10分もあれば、終わってしまう。
そして帰ってきてさらに10分も待てば、村の有力者達が宿に全員集合となった。
宿の一階にある酒場の中央にレインを囲んで、皆が思い思いの目でレインを見ている。半分は村の窮状を救ってくれることへの期待。そしてもう半分は何もそれらしいことをしていないことへの疑念だろう。レインは「もうすぐ雨は降る」と言うが、初対面の女の詞は俄には信じ難いもの。それだけ村人は皆待っているのだ。恵みの雨を。
フランもおかみさんや有力者達とレインのやりとりを遠巻きに見届けていたのだが、商談途中のおかみさんにこう言われて、大切な仕事を失念していたことを思い出す。
「フラン、そういやアンタ、最初のお客さんに毛布は届けたのかい?」
「ああっ! いけない! すぐに行ってきます!」その場にいた全員が振り向くほどの大声を上げたフランは置いてあった毛布を抱きかかえ、階段を上っていった。
コンコン。一人部屋0号室の扉をノックするフラン。すると、「開いてるわ」と、ミコの返事が聞こえてきた。よかった、怒ってはいないみたい――フランはちょっと勝手に安堵しつつ、扉を開けて、部屋の中へと入っていった。
ミコは、読書中だった。小さな子本サイズの本を両手で開き、その物語の中に入り込んでいる。その様子を見て、思わずフランは、息を呑んだ。
すると、ミコが読書を中断し、こっちに目を向けてくる。
「毛布、持ってきてもらえたのね。御覧の通り急いでも焦ってもなかったけど、どうしたのかしら、フラン?」
まるで下で何が起こっているのかも見透かしたような発言――フランはますます飲み込まれていく。
息が続かない。声が出せない。必死に息を呑み込もうとするけど、できない。
なぜかなんて分かっている――フランはミコに見とれていたのだ。絵になるようなその光景に、心盗まれてしまっていたのだ。
だがこのままでは、案山子も同然、なにか……なにかきっかけはないだろうか。
「毛布、持ってきて」と、そこへ実にいいタイミングでミコが声を掛けてくれた。
「あ、はい。ただいま……ありがとうございます」ベッドの上にいるミコの元へ機敏に駆け寄り、ベッドに毛布を置くフラン。するとそこに、ミコの笑い声が聞こえてきた。
「やっぱりフランって面白い子……どうしてお礼なんていうの?」
「ええと……それは、その……」フランは照れてしまって詞に詰まる。まさかあなたに見とれていましたとか言えない。何者よ、と自分で問いかけてしまう程だ。
フランは話題を変えようと頭の中を探り回す――すると、あるではないか、うってつけの話題が。
早速話しかけてみる。多分食い付くはずだ。
「そうです、ミコさん。さっき別のお客様がいらっしゃって……本当に雨が降るかもしれませんよ?」
「へ〜え、そうなの?」
「はい、なにしろそのお客様というのは、気象一族のレインさんですから」
その名前を出したとき、フランはミコの目が一瞬見開いたのを目撃した。やった、驚いてくれたんだ。フランは理由不明の満足感を感じていた。見るとミコは、しばらくう〜むとなにか思案中であったが、やがて目を窓の方に逸らすと、またも目を見開いた。同時に小さく結んでいた口も開いた。
「うわ……ほんとだわ。見てフラン、雨……降ってるわ」
「えっ? えええっ!」
教えられてフランも窓の方へと急いで駆け寄る。すると……あった。
窓についた雨滴がぱらぱら。しっかり雨が降っている。
「やったあ! 二ヶ月ぶりの雨が降ったあ!」フランは嬉しくなり、その場ではしゃぎだした。喜怒哀楽をはっきりと見せよう――アルコ村の住民気質だ。
はしゃぐあまり遂にその場で踊りだしたフランの両目に、珍しいものを見ているという感じのミコの視線が刺さっていた。だけど嬉しさの前ではそんなこと問題ない。フランはミコに駆け寄って、両手を引っ張り立たせにかかる。
「え? ちょっと……フラン?」
「待ち望んだ雨ですよ。ほらほら、ミコさんも一緒に踊りましょう」
誘いの詞をかけるフランに、ミコはとても戸惑っているようだった。
「わたしはいいわよ。これも下にいるレインさんとやらのおかげでしょ? だったら下の酒場に行って、報告してあげなさいな」
「それもそうですね……。じゃあ、一緒に行きましょう!」そう言ってフランはミコを引っ張り部屋から飛び出した。
「わたしも?」ミコの困惑気味の声が聞こえるが、フランは気にせず、ミコと一緒に部屋を出る。祝い事はみんなで楽しむのが一番――おかみさんに叩き込まれた、看板娘の心得だ。
「みなさん! 雨が、雨が降ってきましたよ!」
階段を駆け下りてきて一階の酒場にミコを連れてきたフランが、酒場にいたみんなに声を掛ける。するとみんな、窓の方に向かったり、一目散に立て付けの悪い玄関口から外へ飛び出したりと、思い思いに雨を確認し始めた。そして窓の雨粒を見て、フランと同じようにはしゃぎだした。
「そっか……みんな、待ってたのね」その光景を見ていたミコが感慨深そうに呟く。
「そうです! これでまた美味しい水が飲めますから」フランは元気よく答えた。周りの村人達もまるで水を得た魚のようにはしゃぎまくっている。
そこにとどめとも言える、おかみさんのひとこと。
「よーし、商談成立! 今日はウチで宴だよ! みんな、材料持って来な!」
「おーっ!」
村人達は一斉に自分達の家へと戻っていった。おかみさんも奥へと消えた。後に残されたのはフラン、ミコ、そしてレインの三人だけ。
「宴には早過ぎたみたいね、フラン?」
ミコが今引っ張ってくることはなかったんじゃないかと言質に匂わせフランに問いかけるが、フランはミコの方を向いて、満面の笑顔で答える。
「すぐに始まりますから。ミコさんもここで待っているといいですよ。おかみさんの料理は美味しいですよ〜。それがたくさん並んでいく様を見ているのも、楽しいですから。きっと! きっとそうです!」
フランは看板娘の経験から来る力説でミコを説得しにかかった。だってミコだってこの村の水を、雨を待っていてくれた人だ。だったら一緒に祝う権利がある――そう思ってのお節介だったのだ。無論、お節介はお節介でしかないのだが……、フランはミコにいてほしかった。部屋に戻るなどという選択肢を選んでほしくなかったのだ。
だが、ミコはフランの期待を裏切った。首を横に振り、拒否を表明したのだ。
「遠慮しとくわ。部屋で待ってるから、時間になったら呼びに来て」
フランの顔に影が射す。心は曇り落ち込んでいく。と同時に、堕ちた心の底から沸き上がってきた感情のままに、ミコに説明を求めて詰め寄った。
「なんでですか! みんなで談笑するのを拒んで一人部屋にこもる方を選ぶだなんて……納得できません! 理由を教えてください。わたしが納得できるりゆ――」
それ以上フランは喋れなかった。ミコの人差し指がフランの唇を抑えたのだ。
柔らかい感触と熱い熱気がフランをわけもわからず高揚させる。詞を指一本で遮られたことだけはわかった。理解できたのだが、この熱い気持ちはいったいなんなのだろうか。
そうして固まっていたフランに、ミコの囁いた詞が届いた。
「わたしはね……あなたのお客様なのよ、フラン。それはあそこのレインさんも同じだろうけど、看板娘は仲介役の橋渡し? 違うと思うわ。だいたいあなたいいの? わたしがあなたより今知り合ったばかりのレインさんと親しげに話していても」
あっ――。
フランは目を見開いた。その目に映るのは現実の光景ではなくミコに指摘された幻想。自分のいないところで、ミコさんとレインさんが仲良く談笑している光景――なんだろう、胸がキュンとする。なんだかわからないけど、それはイヤだと思った。
そのとき、視界にミコの顔が大きく映り込んだ。そっか、現実に帰ってきたんだと気付いたのもつかの間、ミコが影ひとつない明るい笑顔で問いかけてきた。
「じゃ、行くね」と。
「……はい」フランは同意した。その返事を聞いたミコは微笑みの色彩を変えてまた別の笑みをフランに見せるとヒラリ、人差し指を離して華麗に身を翻して踊るように階段を駆け上がっていった。その姿はおとぎ話に出てくる舞姫様のようだった。
「フラーン! サボってないで宴の準備、手伝っておくれー!」
ミコの後ろ姿に見とれていたフランを呼ぶおかみさんの声。その声がフランを再度我に返す。
そうだ、わたしは手伝わないと。手伝って準備ができたらミコさんを呼びに行くんだ。フランは踵を返し、食堂に一人残ったレインの姿を背に、奥の厨房へと向かっていった。
部屋に戻ったミコはドアを閉めると、そのドアに寄りかかり背中を預けて「ふぅ」と溜息をついた。寄りかかったドアに自重の幾何かを預けて軽くしたい、そんな気分になった。そうでもしないとやってけない……そんな状況だったから。
「やれやれ、またしくじっちゃったな。色々と」
ミコはそれだけ、簡素な一人言を呟くと寄りかかった背中を落としてドアに接したままその場に座り込んだ。出会ったものの多さ大きさに少し圧倒されたのだ。
ミコにとって旅ははじめてのことじゃない。これまでも何度も経験してきたこと、今は人生そのものだ。
だがなかなかどうして旅路は予想通りとはいかない。波瀾万丈疾風怒濤、思いもがけない出来事が次々とやってきて、ときどきその凄さに驚かされ抱えきれないこともある。
そう、ミコの背中でも……。
それをわかっているからこそ、ミコはこうして休みを取る。初めは気圧されるようなことでも、ちゃんと背中に抱えられるように……。
だって、捨てられるようなことでも逃げられるようなものでもないし、なによりそれはミコの生き様に反するから。どんなものでも出会ったものは背中に背負って旅をする。
それが、泉との嘘っぱちだけど大切な約束――なのだから。
昔の約束に想いを馳せ、ミコは瞳を閉じてしばしの眠りについた。そこからどれだけの時間が経ったのかは知る由もないが、ドア越しに伝わるノックの感触とフランの声でミコは起きた。どうやら宴の準備ができたようだ。ドアは廊下側に開くタイプだからフランにドアを開けられて背もたれを失い倒れないようにミコは立ち上がった。その背中はさっきより格段に軽い。どうやら背負い込む準備はできたようだ。
「お待たせしました、ミコさん、宴の場へどうぞ」
「ええ。待ってたわよ、フランが来てくれるの」
ミコはそう告げてフランにまた鮮やかな笑顔を見せる。フランはなぜか顔を赤らめた。どうやら、また自覚のないうちに好感度を上げてしまったようだ。
まあそれはさておき、ミコは一階の食堂へと導かれる。そこにあるのは食卓を覆いつくす料理の山と主賓席に女性が一人。他の客はまだ来ていない。
「なるほど……彼女がレインさんね」ミコはフランに囁いた。
「そっか、ミコさんにはレインさんのこと紹介していませんでしたね。そうです、あの方がこのアルコ村に待望の雨を降らせてくれた気象一族のレインさんです!」
フランの大仰な紹介を介してミコとレインの目が合った。お互いに牽制しあうような視線を投げつけあったが、やがて両者共に視線を逸らして不敵な笑みを浮かべて終わった。それと同時にミコは食卓の一席に座る。その位置は主賓席から程遠い位置だった。
「あれ? ミコさんそこに座るんですか? そこはわたしたちの近く――末席ですよ?」
フランの問いにミコは食卓に肘を付き、フランにニコリと笑みを見せて答える。
「ここでいいわ。わたし、フランの隣がいいもの」
その告白を聞いたフランが真っ赤になったのが、ミコには最高の御褒美だった。




