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ミコの影帽子 夢心背話(ゆめうらせばなし)  作者: 心環一乃(ここのわ むの)
第1話 水の名所にやってきた旅人
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第1話_僻地の村にやってきた二人の旅人

 世界に三つある水の名所、アルコ村。

 文明レベルも低い一局地の地名ながら、その名声は、世界中に知れ渡っている。

 その名声の源泉は――産出される水の美味しさ。

 飲めば若返る、病気が治る。寿命が延びるとも噂されるほど、アルコ村の井戸や泉から湧き出る水の美味しさ、効能は広く世に知られていた。

 そんなアルコ村の名水を目当てに、訪れる旅人は多い。輸送して他の地で入手したものではなぜか不味くなるので、現地で飲むのが重要なのだ。

 だから、アルコ村は観光業で潤っていた。

 そして、またある一人の女の子も、アルコ村にやってきた。

 

「あ、いらっしゃいませー」

 アルコ村の数ある宿のひとつで来客を知らせる鐘の音と、老朽化して立て付けの悪い扉を開ける独特の音が響く。中でそれを聞いた看板娘のフランがあいさつしたのだ。

 しかしその音は唐突、かつ意外なものだった。フラン自身、この時期に客が来るとは思っていなかったのだ。

 夕暮れ時でもないし、ましてや今のアルコ村は……。

 ともあれ、いろいろ事情があってもそれを匂わせないのが看板娘。フランは書き物をしていた机からめいいっぱい愛想のいい、満面の笑顔でお客の側へと振り向いた。

 振り向いて――驚いた。

 そこに立っていたのは白い服に色とりどりの七色をあてがった、清純、いや神秘さえ感じさせる服に身を包んだ女だった。女の子というほど幼く見えないけど、成人というふうにも見えない。身長からも顔つきからも、年齢が全く伺えない。

 なにより奇妙で驚かされたのが、頭である。身体はそんないいものを着ているのにも関わらず、頭に被っている帽子は――おとぎ話の魔女が被るかのような奇天烈で気味の悪い、黒一色にがま口チャックのついた頭ひとつかふたつはあろうかという、とても大きな帽子だった。その真っ黒な帽子が薄紅色の髪と異様な対比をなす。

 それに手ぶらでいかにも旅人っぽくは見えないその女の子。

 それが、今日この宿を訪れる、二人の客人の一人目だった。

「あ……あの」フランは見た目に戸惑ってしまい詞をうまく紡げなかった。

 すると、女の子の方から話しかけてきた。透き通るような、潤った声で。

「泊まりをおねがい」

「あ、はい。一名様ですか?」辿々しくも、必要事項を訊いてみる。

「連れがいるように見える?」返ってきたのはやや毒のある返事。フランは迂闊な質問をしてしまったことを知り、謝罪もほどほどに慌てて引き出しから記帳を取り出す。

「それでは、ご署名をお願いします」

「ええ、わかったわ……」女の子は流れるような足取りで机ひとつ隔ててフランのすぐ近くに来ると、フランが差し出していたペンを拝借し、自身の名前を記入した。

 

 巫=R=Florescence――と。

 

 フランは最初の字が読めなかった。おそらくこれが名前なのだろうと思ったが、読めないものは読めない。無理もない。アルコ村では漢字は使われていないからだ。

「すいませんお客様、この字はこの村では使われておりませんので、できれば最初の字もカタカナで……」

「あら、そうなの? これは失礼」女の子の顔がその時だけ少女のようにパッと華やぐ。読めない巫の字に二重線を引き、その上に、カタカナでこう記入した。

 

 ミコ――と。

 

「ミコ……さん?」フランは思わずその名前を復唱していた。限りなく小声だったが、机ひとつしか隔ててないその女にはまる聞こえだったらしい。

「そうよ、ミコ=R=フローレセンス。それがわたしの名前。そういえばわたし……あなたの名前を知らないわ」

「あ、はい! 申し遅れました。わたしはこの宿で働いているフランと申します」

 指摘されたフランは慌てていた。する必要のないお辞儀までした結果……。

 ゴン!

 盛大に机に頭をぶつけてしまった。

「いった〜い」

 逃げるように机から頭を起こしてぶつけた場所をさするフラン。それを見て、ミコがくすくすと笑った。涙目のフランにはもう泣きっ面に蜂だった。笑われていることに思わずムキになり、こんな火種を巻いてしまう。

「な、なにも笑うことないじゃないですか。わたし、痛がっているんですよ?」

「え〜、だっておかしいんだもの。フラン、さすっている手に目をやってみて」

「ん……?」

 フランが訝しがりながら言われた通りに、さすっていた手を降ろしてみると……。

 真っ黒だった。そう、フランが頭をぶつけたのはミコが今さっきまでインクを走らせていた記帳の紙の上だったのだ。

「あわわわわ!」手よりも頭の方が気になったフランは、慌てておでこを両手で隠す。

「洗ってきた方がいいわ。待っているから」ミコが笑いつつも、優しく提案してくれた。

「すいません、すぐに戻ります!」

 フランは急いで洗い場へと駆け込んだ。背中越しに、「急いでないわ」とミコの気遣う声が聞こえてきたが、看板娘としてそうはいかない。仕事はできる限り迅速に。それが宿で働く娘の心構えだから。

 

「本当にすみませんでした……」額と両の手を洗って戻ってきたフランが、控えめにお辞儀し、ミコに詫びる。

「いいのよ。そういう恥ずかしい経験、わたしにもあるもの。奥から聞こえたわ、おかみさんらしき人の豪快な笑い声」

「はわわ……」フランは恥ずかしさに顔が真っ赤になる。普段お世話になっているおかみさんをこのときばかりは、ちょっと恨んだ。

 いけない。

 フランは頭を振って余計な邪念を振り払い、自分を立ち直らせて接客に戻る。

「それで、何日間お泊まりですか?」と。

 そしたらミコは、こう答えた。

「そうね、ここのお水が美味しいって聞いたからから飲みに来たのよ。飲めたらもう十分だから一泊でいいわ」

 ああ……やはり知らないんだ。フランはミコが気の毒に思えた。思えて思えてしょうがなかった。

「あの、ミコさん……大変申し上げにくいのですけど、今アルコ村では、その湧き水は飲めません」

 残酷無情な知らせでも、言わずにはおけなかった。これも看板娘の役目である。

「え? そうなの」ミコがキョトンとした顔を見せた。その身に纏った神秘的な雰囲気に似合わない、とても女の子らしい表情だった。

「はい。現在アルコ村では全ての井戸と泉が枯渇しているんです。水は村の水脈とは離れた遠くの川からの汲み出しと隣村から買っているのが現状です」

「外はあんなに曇っていたけど……雨も降らないの?」

「ええ。雨はもう二ヶ月降っていません。10日前から曇り天気でそれにみんな期待しているのですが、一滴の雨も降らないんです」

 フランは窓の方を見やる。ミコもつられて視線を動かす。窓から見える空は灰色の曇り空、なのに雨は全く降らないのだ。

「そっか……、だから旅人も少なかったのね」ミコが合点のいったという感じで言う。

「はい。当初は井戸や湧き水の蓄えを振る舞えば良かったので観光も成り立っていましたが、雨が全然降らないのでとうとう蓄えも尽きてしまいました」

「そう……、またしくじっちゃったな」ミコは遠くの曇り空を窓越しに見つめながら、フランに聞かせるように呟いた。

 そして肩を竦め、こんなことを言い出した。

「じゃあ飲めるまでいるわ。急いでないしね。宿代はどれだけ払えばいいのかしら?」

「えっ、長期滞在ですか? ちょっと待っててください。おかみさんを呼んできます」

 思いもよらぬ発言である。そういうことは宿の女主人であるおかみさんに伺うしかない。フランはまた慌てて、奥の部屋へと駆け込んでいった。

 程なくして、フランは戻ってきた。恰幅のいいおかみさんを横に連れて。

「アンタかい、今日来た変わった客人っていうのは。……なるほど確かに、変わっているねえ」

「おかみさん……」隣のフランがその図太さに顔を赤くしながら肘で小突く。それをものともせずにミコのことを豪快に笑うあたり、やはり図太い。

「それで? この村名産の水が飲みたくて来たんだって? アンタ」

「ええ。そうです。すぐに飲めないのなら、飲めるまで泊めてください。すぐに雨が降ったとしても、ただちに飲めるようになるというわけではないのでしょう? 待ちますよ。わたし、待つのは慣れてますから」

「へえ〜よくわかってるねえ。こっちはもちろん大歓迎だよ。そうさね……初めてのケースだから、とりあえず週ごとに払ってもらえればいいさね」

「わかりました。じゃあとりあえず一週分」ミコはそう言って銀貨を机の上に並べる。それはアルコ村では珍しい、都で流通している鋳造銀貨だ。滅多に見ることのない銀貨を惜しげもなく出すミコを見て、フランとおかみさんは目を見開いた。

「アンタ……ひょっとして金持ちかい?」おかみさんが探りを入れる。

「え? そんなことないですよ。まあ、昔学都スコラテスで学んでいた程度です」

「へえ〜。都暮らしのエリートさんだったのかい。でも一人だから一人部屋だよ」

 これだけお金を積まれても一人だから一人部屋と言い切るおかみさん。フランはますます恥ずかしくなった。そりゃ、この宿に都のホテルみたいなスイートなどあるはずもないのだけど。

「それじゃフラン、部屋まで案内しておやり」おかみさんはそう言って奥へと戻っていった。食事の仕込みがあるためだ。

「あ、はい。こちらです」部屋の鍵を棚から引き抜き、フランは引き戸からミコの方へと出てきた。これから看板娘としてお客様を部屋へと案内する重要任務が待っている。

「よろしく、フラン」

 ミコは両手をポケットに突っ込み、余裕綽々と言った感じでフランの後についてきた。

 やっぱりこの人変な感じだ――フランは改めてそう思う。でも、旅人は千差万別十人十色。こういう人もいるのだろうと納得するしかなかった。そもそも、旅人とも思えない風貌だとも、一瞬思っちゃったけど。

「こちらになります。すぐに毛布持ってきますね」フランは一人部屋0号室にミコを案内すると、部屋の鍵を渡して、毛布を取りに下へと戻った。

 そして、毛布を抱えて、再び階段を上がろうとしたとき。

 また、客が来た。聞き間違えようのない鐘の音と木の音がしたのを、フランは聞き逃さなかった。それにしても、タイミングが悪い。自分はこれから毛布をミコの所へと運ばなければいけないのに。

 しかし他に人手もなければ猫の手もない。しかたなくフランは毛布を横に置き、先程ミコにしたように、愛想良く、接客する。

「いらっしゃいませ、お泊まりですか」

「ええ」その旅人は答えた。さっきのミコよりも余程旅人らしく見えた。鞄を持っているし、風格ありきの、妙齢の女性だからかもしれない。

「ではこちらに、ご記帳ください。あと、お代は先払いですので……」

 そこまで言いかけたとき、フランの詞は遮られた。割って入るように、その女性が喋り出したのだ。

「雨を降らせてあげるから、お代はタダにしてもらえないかしら?」と。

「ええっ! そんなこと言われましても……」フランはまた回答に詰まった。そりゃこの宿は宿代の融通が効く方であるが、まけることはあってもタダというのは前例がない。一体どうしたものだろうか。

 そうこうしているうちに、女性は記帳に名前を書いて、その紙を回転させ、フランに見せた。名前の欄にはこう書かれていた。

 

 レイン――と。

 

「私は気象一族のレイン。雨を降らせることができるわ。世界三大名水地のアルコ村に、商売として、雨を降らせに来てあげたのよ」

 それを聞いて、フランはぞぞぞと後退った。書類棚に背中を寄せても、まだ震えは止まらない。無理もない、天候を操るとされる強大な力を持つ一族――気象一族。その一人が今、目の前にいるというのだから。

「お、お、お、おかみさーん!」フランは接客も看板娘業務もすっぽかして、奥の部屋へと入り込む。最初は「仕事しな!」と怒鳴られたが、看板娘だって負けてない。村の一大事なんですと捲し立て、ようやくおかみさんを奥から引っ張り出すことに成功した。こうした大きな商談が自分には不向きなことを、フランはよくわかっていたのだ。

「あんたかい、気象一族のレインって」おかみさんがいつになく強い口ぶりで問いかける。それと同時にフランには外へ出て他の宿の主人や村長などの有力者をここに集めてくるよう指示を飛ばした。こうしたことならそれが当たり前、フランも頷き、すぐに曇り空が覆うアルコ村へと飛び出した。

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