第1話:赤ずきんの復讐者(2)
「んぁ・・・・・・」
コォォォ パチッ パチッ
火花が散る音が聞こえる。それに何だか――暖かい。いつの間にか身体中に毛布が巻かれている。足下には薪がくべられ、火が焚いてある。
なんて目覚めの悪い夢だ。過去の忌まわしい記憶を、こんなにも鮮明に見せられるとは。
未だに虚ろな目で辺りを見ると、廃れた部屋の中、すぐ右に1人の男がいた。
「お、目が覚めたか。良かった良かった」
黒いジャケット、黒いズボン、黒いシャツに、黒いハイカットブーツ。全身を真っ黒に包み込んだ、黒い短髪の青年である。眼鏡も『黒』と来たもんだ。
どうやらこのいかにも怪しい男が、凍死寸前・溺死寸前の彼女を助けてくれたらしい。
「その様子だと、意識はハッキリしてるようだな―――、目は虚ろだが・・・・・・」
怪しい男は、にこやかに話しかけた。
「ここは・・・・・・?」
少女が尋ねると、男はチラリと天井を見上げて答えた。
「ああ、ここか? ここは廃ビルの2階に位置する。さっきお前が戦っていた場所からは2kmほど離れているから、奴らが来る心配はない。もっとも、他の奴らのテリトリーだったらマズいんだが」
「あなたは・・・?」
「ああ、そうか。自己紹介してなかったな」
男は彼女の枕元に座り直して、こう言った。
「俺の名は“白銀狼牙”」
「しろ・・・がね・・・?」
男はふと気付いたように、
「あ、日本語名は呼びづらいか。だったら英語名で呼んでくれ」
そして狼牙は、彼女にとって衝撃的な名前を口にした。
「俺は“ウルフ”(I am "Wolf")。“ウルフ・ヴァン・レイヴェント”(Wolf Van Laivent)だ」
少女は男の名を聞いた瞬間、カッと目を見開いた。
「ウルフ・・・ウルフですって・・・!?」
彼女はバネのようにウルフから飛び退くと、すぐさま二丁拳銃を構えた。
――――否、構えようとした。
「!?」
自分の腰に拳銃が無い事にようやく気付いた。拳銃はおろか、背負っていたスナイパーライフルも無い。
「ああ。悪いが銃は濡れてたんで、分解して乾かしてるぞ」
ウルフは驚いた様子を見せたが、すぐに本調子に戻った。
足下で焚かれている炎の近く、タオルの上に置かれた銃の部品ばかりが輝いていた。
「・・・・・・っ!」
彼女は自身の迂闊さに舌打ちした。
「体が冷えるとマズいんで、流石に服は脱がせられなかったが・・・そんなに動けるなら、ちゃんと暖まったってことだな」
彼女は憮然とした面持ちで座り込んだ。ちょっと不貞腐れてるようにも見える。
ウルフは続ける。
「その身のこなし、運んだ時に感じた筋肉量、そしてこれらの“やや扱いづらい銃”から察するに――お前は、かの有名な“赤ずきんの復讐者”(The Avenger of Little Red Riding Hood)だな?」
「・・・・・・・・・・・・」
“赤ずきんの復讐者”と呼ばれた少女は――答えなかった。
「まあ、あの有名な童話から名付けられた組織だ。イメージにある可愛らしい“赤ずきん”とはかけ離れたものだと思っていたが、童話のような姿の復讐者もいたもんだな――ぐはっ!」
全く油断して「うんうん」と頷いていたウルフは、繰り出された右フックに微塵も気付かなかった。
顔を真っ赤にした彼女は、体をワナワナと震わせて叫んだ。
「私は子供じゃない! これでも24歳の、歴とした乙女だぁっ!」
呆気にとられたウルフは、暫く何も言えなかった――。
「はははは! いやいや、それは済まなかった。まさか、その身なりで24の歳になるとは思いもよらなかったからな。ははははっ!」
ウルフは突然殴られた事を気にも止めず、ケラケラと笑い出した。
「だがまあ確かに銃を構えたくなるだろう。『ウルフ』なんて、いかにも『狼』を想像するような名前は『あの侵略』以来、忌避されてきたからな――」
――そう。『ウルフ』『アドルフ』『ルドルフ』『ヴォルフ』など、『狼』を連想・想像させる名前は『あの侵略』――人狼たちの侵略を機に『不吉な名前』として忌み嫌われた。わざわざ改名する人もいるくらいだ。というか、ほとんどの人間が改名した。
だって侵略者を連想させるような名前なんて、誰もが嫌がるじゃない。
そんな『ウルフ』なんて名乗る物好きは、今までで初めて見た。
「そういえばアヴェンジャーさんよ。お前は何て名前なんだ?」
一通り笑って気が済んだのか、表情を戻してウルフが尋ねる。
「・・・ジャンヌ」
「ん?」
「ジャンヌ。アタシはジャンヌだ」
ぼそっと呟いたせいかウルフには聞こえづらかったらしい。疑問符を打たれたので、若干強めに言い直した。
「なるほど、ジャンヌか。いかにも救国の英雄じゃないか。いい名前だ」
「その女、起きたのか」
すると知らぬ女が口を挟んで階段からやってきた。ブロンド髪のロングストレートに、均整のとれた細い筋肉。スレンダーなシルエットを服装に浮かび上がらせる彼女は、左頬の輪郭に沿った斬り傷の跡を持っている。
「ああ、そうだ――――ってなんだ、ホークアイ起きてたのか」
ウルフはその女を「ホークアイ」と呼んだ。
「当たり前だ。お前1人に寝ずの番をさせるわけにはいかないだろう? その女が何をしでかすか、分かったもんじゃないしな」
ホークアイは苛立ちを隠しもせずにスパッと言ってのけた。
「他の連中は?」
ウルフが尋ねる。
「ぐっすりだよ。今頃は遠い夢の中さ」
「そりゃ良かった」
「ちゃんと説明しろよ? 急にこんな奴、助けやがって」
ホークアイはジャンヌをじろりと睨む。
「分かったからお前も早く寝ろ。お前、このところ全然寝てないんだから」
「アタシはいいんだよ。急に余所者連れてくるお前の方が心配で、おちおち眠れもしない。寝首を掻かれても知らねぇぞ?」
そう言ってホークアイはウルフの隣に胡坐をかいて座りこんだ。
その時点で、ジャンヌの脳裏に疑問符が浮かび上がった。
「ん? ホークアイ?」
どこかで聞いた名前だ。しかし一体誰だったか――――?
「あ、そうか。紹介してなかったな」
と、ウルフが思考に口を挟んできた。
「彼女はホークアイ。北部戦線で人類解放のために戦ってきた射撃の名手であり、勇猛果敢な戦士だ。聞いたことくらいはあるだろう?」
・・・聞いた。
聞いたとも。
『赤ずきん』のようなレジスタンスたちの間では専らの有名人だ。ロシア軍に所属していた彼女は、持ち前の狙撃の腕とその頭脳で、過酷な侵略を切り抜けてきた。そして蜂起した解放軍を率いて大々的な反乱を起こした。その反乱は、人類と人狼の双方に甚大な被害を及ぼした。その後の噂では人狼側に捕縛されたらしいが、目の前に本人がいる以上、その話はデマだったのかも知れない。事実、彼女の噂を耳にしなくなった今でさえ、ロシアでの闘争は類を見ないほど激しいものだと伝聞している。
「どこかで聞いたと思ったら、そういう事ね」
記憶は繋がった。
だが分からない事がある。
「北部戦線の英雄が、どうしてこんな場所に?」
当の彼女に面と向かって尋ねる。
ウルフは、う~ん、と悩ましげに両腕を組んだ。
「・・・話してもいいか?」
ウルフはチラリとホークアイを見やる。
ホークアイは若干、苦々しい面持ちで答えた。
「・・・いい。私が話す」
あの戦いで何があったのかを、と付け足して。