第十一話「弟のゼノア」
――黒の騎士団本部、屋外にある練習場。
「でやああっ!!」
総団長ユリアの掛け声とともに、彼女の大剣が横薙ぎに一閃する。
スパンッ!!
小気味のいい音が響いた、次の瞬間。
並べられていた練習用マネキン三体が――
ズズ……ドサッ!!
ほとんど同時に、真っ二つになって地面へ崩れ落ちた。
「す、すげぇ……」
「やっぱ総団長ってバケモンだ……」
「三体まとめて……?」
周囲で訓練していた団員たちは、揃って青ざめた顔をしている。
一方、当の本人は…
「ふぅ……」
大剣を、軽々と片手で肩に担ぎ直しながら首を鳴らす。
「まぁまぁ、かな」
「それでまぁまぁかよ……」
団員の一人が思わず呟いていた。
「ん?」
ふと、ユリアが練習場の入り口へ視線を向けると、そこに一人の青年が立っていた。
眩しいほどに鮮やかな黄金色の髪。
年齢は、ユリアたちより少し下くらいだろうか。
服装も騎士団のものではない。
ごく普通の私服姿の青年だ。
そして、そんな彼の隣には――
なんとも困り果てた表情の、騎士団員がいた。
「す、すみません総団長……」
「ん?どうしたの?」
「その……この方が、どうしても総団長と話したいって聞かなくて……」
「ボクと?」
ユリアが首を傾げる。
青年はユリアを見つけると、真っ直ぐに向かって歩いてきた。
たった今、大剣を片手で担ぎながら、三体のマネキンを一撃で両断した女。
初めて黒の騎士団を訪れた者なら、大抵少しは怯むものだ。
しかし、青年はまったく臆する様子がない。
ユリアのすぐ目の前まで来ると、丁寧に頭を下げた。
「あなたが、黒の騎士団総団長のユリア・エクレシアさんですね」
「……うん」
ユリア、少し嬉しそう。
初対面で怖がられなかった喜びが、胸に染みていく。
「そうだよ、ボクがユリア・エクレシアだ」
担いでいた大剣を地面へ立てる。
「何があって、ボクのところへ?」
青年は少し困ったような表情を浮かべた。
「申し遅れました」
もう一度、小さく頭を下げる。
「僕の名前はゼノア」
「ゼノア・スパイロと申します」
「……スパイロ?」
ユリアの眉が動く。
「スパイロってことは……」
「あら?」
その時、本部の建物から聞き慣れた声が飛んできた。
「あらあら~?」
「ゼノア…?」
団長の一人である、レア・スパイロだった。
いつものように優雅な歩調でこちらへやってくる。
だが、その顔には珍しくはっきりと驚きが浮かんでいた。
「あら~、あなた…どうしてここへ?」
「姉さん」
ゼノアが複雑な表情で、少し眉を寄せる。
「手紙に書いたでしょ?」
「……手紙?」
思い当たるものがあるのだろうか、レアの目が泳ぐ。
「ちゃんと、正直に近況報告してくれないと」
ゼノアが淡々と言葉を続ける。
「心配だから、様子を見に行くよって」
「……」
レアは珍しく言葉が出てこないようだ。
「あらまあ~……」
頬へ手を添えて、困ったような笑顔を浮かべる。
「まさか、本当に来ちゃうなんて~……」
「姉さんがちゃんと返事をしないからです」
「うふふ……」
完全に図星らしい、気まずそうにもじもじとしている。
ユリアは、そんな二人を交互に見る。
「……え?」
「ちょっと待って、レア?」
「はい?」
「こちらは…弟さん?」
「あら、言ってませんでしたっけ~?」
「いや、聞いてないよ!?」
ユリアが驚くのも無理はなかった。
レアとは毎日の様に顔を合わせているが、弟の話は聞いたことがない。
当のゼノアは、小さくため息をついていた。
「でしょうね……」
「姉さんは昔から、自分のことをあまり話しませんから」
「…むぅ」
レアが少しだけ頬を膨らませた。
「なんて人聞きの悪い~」
「本当のことでしょ?」
「まぁまぁ~♪」
レアは両手を軽く合わせる。
「せっかくですわ」
「総団長、ゼノア、二人とも中に入って、お茶でもしましょう~♪」
「……姉さん、話を逸らしましたね」
「うふふ~♪」
「姉さん…」
――黒の騎士団本部の休憩室へ、三人は移動した。
ここには、簡易的な台所が備えつけられている。
任務の合間など、団員たちが休憩するために設けられた区画だ。
その台所ではレアが。
「ふんふ~ん♪」
鼻歌を歌いながら、慣れた手つきで紅茶の準備を進めていた。
茶葉を量り、湯を注ぎ、カップを温めるのも忘れない。
さらに、棚から茶菓子まで取り出している。
手際がいい。
なおかつ、いつも以上に張り切っているように見える。
その様子をユリアは食卓テーブルから眺めながら、向かいに座るゼノアに語りかける。
「いやぁ……」
「まさかレアに弟さんがいたなんて、ほんとに知らなかったよ」
「レアってさ、あんまり自分の身の周りのことは話さないから」
ゼノアは少し困ったように笑った。
「でしょうね…姉さんはいつも、どこか飄々としているというか……」
ちらりとゼノアは台所を見る。
「掴みどころがありませんから」
「聞こえてるわよ~♪」
「……」
ゼノア、思わず硬直。
そんな素直な反応に、ユリアは思わず吹き出した。
「はははっ!」
「ゼノア君って、姉には弱いタイプ?」
「……否定はしません」
「お待たせしました~♪」
そこへ、レアがティーセットを運んでくる。
淹れたての紅茶と、焼き菓子、そばには小さなジャムまで添えられていた。
「はい、どうぞ♪」
「ありがとう」
「……ありがとう、姉さん」
レアもテーブルの席へ腰掛ける。
ユリアは並べられた菓子を見比べながら。
「ねぇ、レア」
「はい、なんでしょう?」
「弟さんが来たから、張り切ってるのかい?」
「あらやだ~♪」
レアが口元へ手を当てる。
「淑女として、当然の嗜みですから♪」
いつものような優雅な笑顔。
だが、心から嬉しそうであることは隠せていない。
ゼノアもそれを見て、ほんの少しだけ表情を緩めた。
レアは紅茶を一口飲むと、静かにカップを置く。
「でも」
声色が少し変わる。
「ゼノア~?」
「……はい」
「いくらわたくしが心配だからって、本部まで来て…」
「しかも、総団長へ直接尋ねようだなんて……」
すっと目を細める。
「少々、強引なのではありませんこと?」
「……」
ゼノアはギクッと目を泳がせて黙り込む。
ユリアも思わず驚いて瞬きをしている。
あのレアが、ちゃんと姉をしているなんて。
「……すごい」
「はい?」
「レアがお姉さんしてる……」
「あらやだ♪」
「総団長~、そこまで驚くところですか~?」
「いや、だって普段はこう……」
ユリアが手をひらひらさせる。
「うふふ~♪」
「まあまあ~♪」
「みたいな感じだから」
「随分極端な物真似ですわね!?」
そんなやり取りをする二人を見て、ゼノアが小さく笑う。
しかし、すぐにその笑顔は消えた。
「……姉さんは」
「ん?」
「……」
ゼノアは膝の上で手を握る。
「姉さんは、いつもそうだから」
レアの表情が、少し固まる。
「僕がどれだけ心配して手紙を送っても…」
「やっと、休みで家に帰ってきてくれた時だって……」
「大丈夫、何も問題ない、そんなに心配しなくていい」
「……そればっかりだから」
レアは、深刻な調子で語るゼノアに戸惑っている。
「ゼノア……」
「だから」
ゼノアは、レアを見る。
その顔には、怒りよりも悲しさの方が強く滲んでいた。
「とても……」
「僕は、とても不安なんだよ」
「……」
部屋が重たく静まり返る。
レアも、いつもの笑顔を消している。
ユリアは何も言わない、いや、言えないに近いのかもしれない。
ゼノアは、しばらくそんな表情でレアを見つめていたが……ふと、我に返る。
「あ……」
今の空気に気づいたらしい。
少し困ったように視線を逸らした。
「ご、ごめん」
「僕が突然押しかけてきて、迷惑をかけていることは、当然わかってるよ」
ゼノアは椅子から立ち上がる。
「少し……席を外すね」
「ゼノア」
レアは心配そうに声を掛けるが、ゼノアは小さく首を振った。
そして、中庭へ繋がるテラス窓へと向かっていった。
窓を開けてゼノアは外に出ると、丁寧に閉める。
「……」
残されたユリアとレア。
レアは、紅茶のカップを見つめている。
「う~ん……」
珍しく、しょんぼりと肩を落とした。
「わたくしとしたことが、なんだか悪いことをしてしまいましたね……」
ユリアはそんなレアを見ながら。
「……レア」
「はい?」
「ボク、少し彼と話してくるよ」
「あら~?」
レアが驚いたように顔を上げる。
「いいのですか?」
「うん、大丈夫」
ユリアは立ち上がりながら、少しだけ笑った。
「せっかく、レアの家族と出会えたんだ」
「ちゃんと話したいしさ」
「……」
レアは少しの間ユリアを見つめた後、柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
――黒の騎士団本部の中庭には、小さな花畑がある。
決して派手ではないが、団員たちが少しずつ植えて増やしていった花々が季節ごとに色を変える。
その花畑を眺めるベンチに、ゼノアは一人で座っていた。
「ゼノア君」
「……」
ゼノアが振り返ると、そこにはユリアの姿。
「ユリアさん」
「すみません、この度は……僕としたことが、ご迷惑を…」
「いや、いいんだ」
ユリアはすぐに答える。
「全然迷惑じゃないよ、むしろ嬉しいくらいだから」
「……嬉しい、ですか?」
「うん」
ユリアが優しく微笑む。
「だって、大切な仲間の家族さんと会えたからね」
「……!」
ユリアはベンチを指差す。
「隣、いいかな?」
「……もちろんです」
ユリアは、少しだけ距離を空けて腰掛ける。
穏やかな風が吹き、花々が揺れている。
午後の太陽の光を浴びながら、二人はそんな光景を静かに眺めていた。
「……姉さんは」
しばらくするとゼノアが口を開く。
「うん?」
「姉さんは……」
少しだけ言葉を探しながら。
「とても……繊細なんです」
ユリアは意外そうに瞬きをする。
「そうなのか」
「ボクや皆の前では、とてもしなやかな人に見えるけど」
「……そう振る舞うのが」
ゼノアは花畑を眺めたまま、呟くように。
「上手くなったんだと思います」
「……」
ゼノアは昔を思い出しているのか、少し柔らかく微笑んでいた。
「まだ二人とも子供だった頃の話です」
「姉さんと家の近くの森で、遊んでいたことがありました」
「その日は途中から雨が降ってきたんですけど」
「僕たちはつい楽しくなってしまって、ずっと遊んでたんです」
ユリアが小さく笑う。
「子供らしいな」
「はい」
「……でもその夜、僕が高い熱を出しました」
「……」
「そしたら姉さん」
ゼノアは苦笑する。
「自分が雨の中で無理やり遊ばせたからだって」
「わんわん泣いて」
「何度違うって言っても、まるで聞いてくれなくて」
「僕が治るまで、ずっと側から離れませんでした」
「……」
ユリアは黙って聞いている。
自分の知らない、レアの物語を。
「それから少し大きくなった頃」
「姉さんは、ハムスターを飼っていた時期があったんです」
「毎日世話をして、名前を呼んで…」
「本当に、心から可愛がっていました」
ゼノアの表情が少し曇る。
「でも……」
「ある朝、突然死んでしまいました」
「寿命だったのかもしれません」
「病気だったのかもしれない」
「今となっては、分かりません」
「ただ……」
「姉さんはそれから何日も…」
「部屋に籠って、出てきてくれませんでした」
穏やかな風がもう一度、二人の頬を撫でる。
「……そっか」
ゼノアが、どこか悔しそうに自分の手を見つめている。
「僕は…いつも姉さんを心配していました」
「姉さんが泣いている時は側にいた」
「落ち込んでいる時も」
「それは全て僕なりに、励ましていたつもりでした」
「でも……」
手を握りしめる。
「それが…重荷だったのかな……」
「……」
「少しずつ、姉さんはあんなふうに……」
「笑って、冗談を言って」
「何かあっても、煙に巻くようになりました」
「僕が心配しても」
「大丈夫よ~、なんにもないわ~って、そればっかりで…」
声が少し弱々しくなる。
「段々……僕の話を取り合ってくれなくなったんです」
ユリアも複雑な表情でゼノアを見つめている。
ひたむきに姉を思う、寂しそうな弟の姿を。
「黒の騎士団へ入る時も突然でした」
「今までそんな話、ほとんどしたこともなかったのに」
「ある日突然…私、騎士団に入りますわ~って」
「……レアらしいね」
「……はは、そうですね」
ゼノアが苦笑する。
「そしたら、あっという間に家を出ていってしまいました」
「それ以来僕は、毎週のように手紙を書いているんです」
「元気?怪我はしていない?ご飯はちゃんと食べている?何か困ってない?」
「でも返事はいつも」
ゼノアが少しレアの物真似をする。
頬に手を添えて微笑む、いつものあの姿。
「何も問題ありませんわ~♪」
「元気にしておりますよ~♪」
「どうか、ご心配なく~♪」
ユリアはそれを見て、思わず笑ってしまった。
「さすが、すごく似ているね」
「……あ、ありがとうございます」
少しだけ空気が和み、二人とも照れくさそうにお互いに向けて笑い返していた。
だが、ゼノアはすぐに真剣な顔へ戻った。
「僕は、何でもいいんです」
「大変だった、疲れた、ちょっと怪我した、嫌なことがあった」
「それだけでいいから、ちゃんと……」
「姉さんの言葉が、聞きたいだけなんです」
「でも、どうしても……僕には教えてくれないままで……」
再び重たい沈黙が流れる。
ユリアは前を向いて、しばらく花畑を眺めていた。
そして、ユリアは立ち上がった。
「…ユリアさん?」
「ゼノア君」
ユリアがゼノアの方へ振り返る。
「行こう」
「……どこへ?」
「レアと、話をしよう」
それを聞いた、ゼノアの顔が曇る。
「でも……どうせまた…」
そこで、言葉が止まってしまった。
ユリアの顔が違っていた。
さっきまでの、落ち着いた柔らかい笑顔ではなく、真剣な表情そのものだった。
「ボクも話したいんだ」
「レアと、ちゃんと話をしたい」
ゼノアはしばらくユリアを見つめて。
やがて、小さく頷いた。
「……はい」
――再び休憩室に二人は戻る。
「あら~?」
戻ってきた二人を見るなり、レアはいつもの笑顔を浮かべた。
「二人とも、お花畑は楽しんだかしら~?」
「冬もいずれ来ますし、ちょうど良い機会でしたね~♪」
ユリアは答えない。
ゼノアも黙っている。
「……?」
レアが不思議そうに首を傾げる。
「総団長?」
ユリアは、レアの前へ立つ。
「レア」
「はい?」
「ボクはさ」
少し、間を置く。
「キミのことを、とても強い人だと思ってる」
「あら~♪」
レアが嬉しそうに笑う。
「これはまた、急に嬉しいお言葉ですわね~♪」
「でも」
レアがどう返しても、ユリアの表情は変わらない。
「だからこそ聞きたい」
「……」
「キミはどうして」
「そんなに、何でも一人で抱えようとするんだ?」
レアの笑顔が、ほんの一瞬だけ、止まった。
「……あら」
「…なんのことでしょう~?」
「レア」
ユリアは、鋭い目でレアを見る。
決して責めたいわけではない。
しかし、誤魔化してほしくないからこそ。
その目元を、緩めたりしなかった。
「今は、そういうの無しにしよう」
「……」
「ボクもゼノア君も、別にキミを責めたいわけじゃない」
ユリアは、後ろに立つゼノアを見る。
「ただ、心配なんだよ」
「……」
レアが目を伏せて押し黙る。
そして。
「……ふふ」
小さく、笑っていた。
「……困りましたね~」
椅子へゆっくりと、腰を下ろす。
「総団長に、そんな顔で言われてしまっては……」
「もう煙に巻けませんわ~」
「やっぱり、煙に巻いてたんじゃないか」
「あらやだ♪」
一瞬だけ、いつものような空気が戻る。
レアはそのままティーカップを両手で包んだ。
いつもの優雅な仕草。
ただ、ほんの僅かに指先へ力が入っている。
「……ゼノア」
「うん」
「あなたが、心配してくれていたことは」
「もちろん分かっていますよ」
ゼノアの表情が少し険しくなる。
「だ、だったら……」
「分かっているからです」
「……え?」
レアは、紅茶の水面を見つめる。
「私は昔から……」
「誰かが辛い思いをしていると、耐えられないくらい悲しくなってしまうのです」
「誰かが怪我をすると、自分はもっと何か出来たのではないかって」
「誰かが泣いていれば、どうして助けてあげられなかったんだろうって」
「そして……」
一度、重々しく息を吐く。
「私が辛そうな顔をしていると、今度はそれを見た人が」
「とても、辛そうな顔をしてしまう」
ゼノアの目が動く。
「だから…」
レアが寂しそうに笑う。
「私は、やめたんです」
「……やめた?」
「辛そうな顔をすることを」
静かな声だった。
「笑っていれば、皆さん安心するでしょう?」
「大丈夫と言えば」
「それ以上、苦しい心配をしなくて済むでしょう?」
「少しくらい怪我をしても」
「怖いことがあっても」
「悲しいことがあっても」
レアが、いつもの笑顔を作る。
「別に大したことじゃありませんわ~♪」
「……姉さん」
「……そうしていれば」
その笑顔は、すぐに寂しいものに変わる。
「誰も、私のことで悲しまなくて済むと思ったのです」
「……」
ゼノアはユリアを抜いて、レアのすぐ目の前まで来る。
「僕は…!それが一番嫌なんだよ!!」
「僕は……」
ゼノアの声が震えている。
「姉さんが泣いているところを見たくないから、心配してるんじゃない」
「困っているところを見たくないからでもない」
「姉さんが……」
唇を噛む。
「何も教えてくれなくなるのが……」
「それが一番、嫌なんだよ!!」
レアの目が、見開かれる。
「僕はさ、姉さんの弟なんだよ…?」
「心配くらい、させてくれよ……」
「……ゼノア」
「大丈夫じゃない時くらい」
「大丈夫じゃないって言ってくれよ!」
「姉さんが泣いたら、僕だって一緒に泣くよ」
「辛かったら、一緒に悩むよ」
「それが……」
ゼノアは俯く。
「そんなに……嫌なの…?」
「違います……」
その声は、今まで聞いたどの声よりも小さかった。
「じゃあ……どうして…」
「怖かったんです」
「……え?」
レアの声も、震えている。
「怖かったんですよ」
「ゼノア、あなたはとても優しいから」
「私が苦しめば、あなたも苦しむ」
「私が泣けば、あなたも泣いてしまう」
「昔からずっと…それを見るのが……」
レアは、自分の服をぎゅっと握りしめている。
「……とても怖かった」
ゼノアは何も言えなくなり、同じように拳を握りしめている。
ユリアはそんな二人を見て、静かに口を開いた。
「レア」
「……はい」
「それってさ」
「キミがゼノア君を、すごく大切に思っているってことだよね」
「……ええ」
「それで」
ユリアが今度はゼノアを見る。
「ゼノア君も、お姉さんのレアを大切に思っている」
「……はい」
「じゃあ」
ユリアは少し困ったように笑いながら。
「そこはもう、諦めよう」
「……はい?」
「え?」
レアとゼノアは、二人揃って目を丸くする。
「大切な人を心配しないなんて、無理だよ」
ユリアは腕を組みながら。
「ボクだってそうだ」
「サファイアが危ない任務へ行けば心配する」
「ロロナが怪我をすれば心配する」
「クレアが無茶をすれば、もうちょっと考えてくれって思うし」
「団員の誰かが帰ってこなければ……その日は、夜だって眠れない」
「総団長……」
「でもさ」
ユリアは自分の胸へ手を置く。
「それって、全く悪いことじゃないと思うんだ」
「大切だから、心配する」
「つい、一緒に苦しんでしまう」
「一緒に泣いてしまう」
「それでいいんじゃないかな」
「人が誰かを大切に思うって、常に穏やかな気持ちで居られることじゃなくて」
「辛い思いをするのも、大切だからこそ感じる痛みなんじゃないかな」
中庭から柔らかな風が、部屋の中へ吹き込む。
窓のカーテンがふわりと揺れた。
「騎士団だって同じだよ」
「誰か一人が全部背負って、笑っていれば成立する集団じゃない」
「誰かが辛い時は、その荷物をみんなで持つ」
「ボクは黒の騎士団を、そういう騎士団にしていきたいんだ」
レアは、しばらく何も答えなかった。
いつもの笑顔でもない。
飄々とした顔でもない。
困ったような、少し泣きそうな。
そんな顔で、二人を見ていた。
「……ずるいですね」
「え?」
ユリアが首を傾げる。
「総団長も」
「ゼノアも」
レアが小さく笑う。
「そんなことを言われてしまったら」
「もう私……」
「大丈夫って、言えないじゃありませんか」
「言わなくていいんだよ」
ゼノアが答える。
「……」
「言わなくていい」
「僕は、姉さんの本当の気持ちが聞きたい」
レアはゼノアを見る。
そして、ほんの少しだけ目を伏せる。
「……一つだけ」
「うん」
「この前の任務で」
ゼノアが身を乗り出す。
「実は」
レアが袖を少しまくる。
そこには、薄く残った擦り傷の痕が。
「腕を少し、怪我しました」
「姉さん!?」
「もう治っておりますよ!?」
「怪我してるじゃないか!!」
「な、治りかけですって!」
「手紙には何も書いてなかった!」
「だってこの程度……」
レアは続きを言いかけて止まる。
「……」
ゼノアがじっと見つめる。
ユリアも同じく二人を見ている。
「……」
レアは、観念したように肩を落とす。
「……少し、痛かったです」
「……」
ゼノアの顔が、くしゃっと崩れる。
「そういうのでいいんだよ……」
「……」
「そういうので、いいんだ」
レアはしばらく黙っていた。
やがて…
「……はい」
とても小さく返事をして、頷いた。
その直後、ゼノアがレアへさらに近づく。
「え?」
両腕を回して優しく、姉を抱きしめた。
「ゼ、ゼノア?」
「心配したんだから……」
「……」
「本当に、本当に心配したんだから……」
レアの両腕は、しばらく宙で止まっていた。
どうしていいか、分からないように。
そして次の瞬間、その腕はそっとゼノアの背中へ回される。
「……ごめんなさい」
「……うん」
「それから」
レアが。
ほんの少しだけ笑う。
「ありがとう、ゼノア」
「……うん」
ユリアはその様子を見ながら、満足そうに頷いていた。
「よし、あとは姉弟水入らず――」
そっと部屋から出ようとする。
「総団長~?」
ピタッと足が思わず止まる。
「は、はい?」
レアが笑顔でこちらを見ている。
いつもの、少し意地悪そうな笑顔を浮かべている。
「ここまで人の家庭へ首を突っ込んでおいて」
「一人だけ、お逃げになられるおつもりですか~?」
「えっ」
ゼノアも振り返る。
「ユリアさん」
「いや、ボクはその……」
「ほら」
レアはユリアの座っていた椅子を引いて、座るように促す。
「せっかくのお茶が、冷めてしまいますわよ~?」
「え、えっと……」
ユリアは、ちらっとだけ出口を見る。
そして、レアとゼノアを交互に見る。
「……飲みます」
すごすご戻ってきた。
「うふふ~♪」
「ね、姉さん…?」
「なんです?」
「なんか、もう元に戻ってない?」
「あら~?なんのことでしょう~?」
「ほらそれ!!」
ユリアがひと際大きな声で笑う。
「ははははっ!」
ようやく久しぶりに、明るい笑い声が響いた瞬間だった。
――その日の夕方。
「それじゃあ、姉さん」
「はい?」
本部の入り口にて。
帰路につくゼノアを、レアとユリアが見送っていた。
「今度から」
ゼノアが念を押すように、人差し指を立てる。
「手紙には、ちゃんと書いてね」
「善処いたしますわ~♪」
「善処じゃない、絶対」
「はいはい♪」
「はいは一回!」
「はい♪」
「……」
ユリアが横を見る。
「レアもレアで…」
「弟には弱いんだね」
「総団長?」
「はい」
「あまり余計なことを言うと」
レアがにっこりと微笑む。
「明日の紅茶、総団長の分だけありませんよ~?」
「ごめんなさい」
清々しい即答に、ゼノアが吹き出す。
「ふふっ…!」
そして、少しだけ真剣な顔に戻ると。
「ユリアさん」
「ん?」
「今日は」
深く深く、頭を下げた。
「ありがとうございました」
「僕、少しだけ安心しました」
ユリアは照れくさそうに頬を掻く。
「ボクは大したことしてないよ」
「……でも」
ユリアはレアを見ながら。
「これからも、レアのことは任せて」
「……総団長」
「もちろん」
ユリアがにっこりと優しく笑う。
「ゼノア君も、いつでも遊びに来ていいからさ」
「…はい!」
「本当に、ありがとうございます!」
ゼノアが手を振りながら歩き出す。
「では……また来ます!」
「ええ」
レアも手を振る。
「気をつけて帰るのですよ~」
「姉さんもね!」
ゼノアはそう言い残し、夕暮れの道を歩いていった。
その背中が少しずつ遠ざかる。
「……」
レアはその姿が見えなくなるまで。
ずっとずっと、見送っていた。
ユリアもその隣で、何も言わずに見送っていた。
やがて、レアがぽつりと呟くように。
「……嬉しかったです」
「ん?」
「ゼノアが来てくれて」
ユリアは優しく微笑む。
「うん、そうだと思った」
「……」
レアもユリアの顔を見る。
「総団長」
「なに?」
「わたくし…」
一度だけ、目を伏せる。
「黒の騎士団に入って、良かったです」
ユリアは少し驚いて。
それから、にっと笑った。
「ボクも、レアが来てくれて良かったよ」
美しい夕焼けの中。
二人はしばらくそこに立っていた。
大切な人への思いを、噛みしめるように。
【プチ後日談】
堂々と黒の騎士団本部を訪ねたゼノアだったが、後になって結構気にするタイプだった。
ゼ「なんで僕、あんな無茶なことを……ユリアさん、本当は嫌な思いしてないかなぁ……」




