表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

推しの親

 推しの担当カラーのスマホから、私の愛する攻め、サジオ・ナゲナイが産声を上げる。

 数年ぶりの二次創作だけれど、眠っていた私の夢を見る回路が息を吹き返していく。


 サジオ・ナゲナイ。

 穏和で紳士で真摯な私の愛する推し軍医キャラだ。

 涼やかな目元には泣きぼくろ、眼鏡の奥で常に人を心配している優しさ。

 スマートで器用な指先、冷徹なようでいて、その実、どんな危機にあろうと匙を投げず、味方を死から引き戻す熱い声音。

 私の脳内で完璧な黄金比を保つ彼は、今、紙の上で愛しい受け、カタキハ・ウツゼの荒れた髪を優しく梳いている。

 ウツゼがまた仇を討つ為に無茶をしたからだ。

 戦闘狂のウツゼを一番心配し、手当しているのはナゲナイであると言っても過言ではないだろう。

 それこそヒロインよりも。

 だって二人は原作で、激戦区の最前線でも一緒に行動しているのだ。そう、最後の時でさえーーー


 ぺとり。


 私の集中の糸を勝手に千切ったのは、忍び寄ってきた不埒な手と、酒臭い饐えた吐息。


「ねえ、まだやってんの。……眠くないならさぁ、ちょっとくらいいいだろ?

 溜まってんだよ」


 背後から首筋に、べったりとした脂ぎった額が押し付けられる。結婚して数年経過する夫だった。

 その手は私のパジャマの裾から、遠慮もデリカシーもなく潜り込んでくる。気持ち悪い。

 先程まで夢中になって描いていた妄想ノートを裏返して隠す。

 こいつの嫌な気配から聖域を守る為に。


「……後で行くから。イナオ、起きちゃうよ」


 スマホを弄りながらも腕の中に守っていた我が子は、少し前まで夜泣きが酷かった。


「えー、大丈夫だって。コイツ最近は寝たら起きないし。ほら」


 きもい。

 脳裏を過ったその単語を、辛うじて飲み込む。

 かつては、この男との生活の中に確かに「きらめき」があった。恋をしていた頃の、あるいは結婚したての頃の、お互いを思いやるやり取り。

 それを私は、自分の大好きな漫画である『黄昏戦線』二次創作の推しカプ、『ナゲウツ』の日常に、転化して描いてさえいた。

 この男はナゲナイと同じ医師で、だからこそ憧れ、目が少し曇っていたのもあるのかもしれない。

 生活は容赦なく私の目の曇りと男のメッキを摩耗させ、この男の醜悪さを剥き出しにしていった。

 夜泣きするイナオを無視してイビキをかいていたその口で、今、私の身体を求めている。この男の放つすべての言動が、私の聖域ジャンルに対する『解釈違い』だった。







 翌日、私は夫のあの湿った執着を、あえて『ナゲナイが病んで、ウツゼを監禁する話』として昇華しようと試みた。

 けれど、書き始めてすぐに激しい吐き気がした。

 ちがう。ちがう。ちがう。きもいきもいきもい。

 私の大事な推しの執着は、こんな、ただの身勝手な性欲と似てなんかない。もっと高潔で、純粋で、ガラス細工のように美しい狂気のはずだ。

 私は書きかけのデータを、容赦なくゴミ箱に叩き込んだ。


 行き場をなくした情熱の矛先を、なおもスマホで幽鬼のように求める。気づけば私は、某掲示板の「ヤンデレ化二次創作アンチスレ」に入り浸っていた。


『公式のナゲナイはこんな下品なこと言わない』

『ただのストーカーと執着攻めを一緒にするな』


 画面に並ぶ匿名たちの言葉に、激しく首を振る。そうだ。みんな分かっていない。本当の、本物の愛を分かっているのは、世界で私だけだ。


「……おかあさん?」


 イナオが、眠そうな目をこすりながら顔を上げてきた。

 昼寝中だった。

 起こしちゃったか。


「ごめんね、起こしちゃった?」

「んーん。……おかあさん、だいすき」


 イナオは優しく笑って、私の腕に頭を擦り付けた。

 ふと、イナオを見下ろす。

 優しい顔立ち。汚れのないまっすぐな瞳。人を想いかける温かい声。

 その瞬間、私の頭の中で、パズルのピースが、恐ろしいほどの速度で噛み合っていく音がした。

 ーーー夫はもうダメだ。あれは修復不可能な、ただの残骸、がらくただ。

 けれど、目の前にいるこの子は?

この、まだ何の色にも染まっていない、純粋で、私を世界で一番愛しているこの男の子は。


 ーああ、そうか。

 視界が、パッと目の前が開けるように明るくなった。

 まるで、真っ白な、最高級の新しい原稿用紙を差し出されたかのような高揚感。


「ありがとう、お母さんも大好き」


 イナオを抱きしめる。その小さな背中を愛おしく撫でながら、私の脳内では、すでに、『作品』のプロットが、一文字目から書き換えられようとしていた。

 この子を、私の理想の『ナゲナイ』に育てよう。

 絶対に、あの男のような汚い生き物にはさせない。

 スマートで、優しく、美しく気高い、完璧な男に、私が創り上げるのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ