第30話 星に願いを その二
白音の背に銀の皮翼が生えているのを見て、佳奈は激しく動揺していた。
白銀の翼、純白の双角、細くしなやかな尻尾。
白音のその姿は正しく悪魔に見えた。
佳奈は白音をそんな姿に変えたリンクスに詰め寄ろうとするが、白音がそれを庇う。
熱くなった佳奈は、とうとう魔法少女へと変身し、渾身の力で白音の鳩尾へと拳を叩き込んだ。
「うぐうぅっ! ぐはあっ!!」
渾身の一撃に白音の胃の腑がひっくり返るような感触があって、盛大に胃液を吐く。
「ね、姐さん同士のケンカ、パねっす…………」
それを見たいつきが、痛そうに顔をしかめて自分のおなかをさすっている。
変身してからは明らかに佳奈の方が強かった。
圧倒的な力による猛攻を、白音は何とか技術で凌ごうとしている。
リンクスはどうにかしてふたりを止めたいと考えているのだが、あまりの壮絶な殴り合いにつけいる隙がまったくなかった。
デイジーと白音の真実を知った今、彼はこの世界に対しても敬愛の念を抱いていた。
デイジーを今の彼女にしてくれたのはこの世界であり、チーム白音の親友たちだろう。
佳奈のことも決して傷つけたくはないのだ。
彼が矢面に立つことでふたりが傷つけ合わずにすむのなら、それも致し方のないことだと考えていた。
だが当の佳奈の眼中には、もう白音以外は入っていなかった。
白音は結局、人に流されるようなタマではないのだ。
たとえ相手が好きになった男であろうとも言いなりにはなるまい。
この状況は白音自身が選んだものなのだろう。
問いただすべきはリンクスではない。
佳奈にはそれがよく分かっていた。
白音は次第に追い詰められていった。
いくら敵味方問わず震え上がらせたという魔族随一の戦闘技術であろうとも、地力の圧倒的な差は埋めがたかった。
佳奈の強烈な拳を何発ももらって頭の中にくらくらと火花が飛び散る。
叩きのめされながら白音は、魔法少女って、佳奈ってこんなに強かったんだ、と感じていた。
そして自分が死んだあの時のことを鮮明に思い出していた。
守りたかったのに、力が足りなかった。
敵の召喚英雄と呼ばれている戦士達もこんな風に圧倒的で、結局敵わなかった。
(悔しい…………)
佳奈の連打にいいように翻弄されながら、白音はギリッと奥歯を噛みしめる。
そして朦朧としてきた意識の中で、白音は佳奈が呟いているのに気づいた。
「……なんで変身しないの。変身して。変身してよ、白音。変身できなくなったなんて言わないで。白音は、アタシたちの白音だって、証明してよ…………」
白音は顎が砕けそうなアッパーカットをもらって吹っ飛び、仰向けに倒れる。
「ああ…………」
何とか繋ぎ止めた意識の中で、白音は少しだけ理解できた。
佳奈は失望したのではない。
待っているのだ。
白音が佳奈の希いに応えて還ってきてくれるのを。
(…………わたしには力が必要なんです。殿下を支えて戦えるだけの力。でも、佳奈にこんな顔をさせたくない。佳奈たちとわたしが笑顔でいられる場所を守るための力。わたしは欲張りです。でも二回分の人生。一生に一度の願いをふたつ分。お願い、魔法少女に!!)
大の字になって肩で息をしていた白音が天に向かって手を差し伸べると、その体がまばゆい光に包まれた。
佳奈の好きな、綺麗な桜色の光だ。
佳奈たちが見守っていると、光の中から現れたのは果たして魔法少女へと再び変身した白音だった。
薄紅色に淡く優しく輝くコスチューム。
そして立ち上がると、その光に映えてきらめく白銀の皮翼と、しなやかな尻尾、純白の双角。
「んなっ!? …………」
一瞬で佳奈の頭に血が上ったのが傍目にも分かる。
「ぼ、僕の力じゃ音は消せないっすよ。外は今すごいことになってんじゃ……」
いつきが泣きそうな顔で一恵に救いを求める。
視認できる限りの範囲にはいつきの幻想の効果が及んでいる。
しかしこれだけ派手に暴れていれば、その壮絶な乱闘の音はおそらくもっと遠くの方にまで響き渡っていることだろう。
「そうね、いつきちゃん……。それにこのままだと、絶対街に被害が出るわ…………。莉美ちゃん、お願い魔力をちょうだい」
「はーい!」
一恵に頼まれて、莉美はいつきとは対照的に楽しそうに返事をした。
彼女もいつの間にか変身しており、なんだかノリノリに見える。
しかし莉美以外にはこの危機的状況の何がそんなに楽しいのか、まったく理解できない。
一恵はいまだ放心したままのそらを小脇に抱えると、莉美から受け取った膨大な魔力で巨大な転移ゲートを作る。
ゲートの半径をどんどん広げていって、その場の全員を範囲内に収めてしまう。
と、一瞬にして音もなく、全員が街角から消えた。
一恵がその場に渦巻いていたこもごもの感情丸ごと包み込んで転移させたのは、人里離れた奥深い山の中だった。
戦闘を止めたいというよりは、もうどうしようもないから心置きなく戦える場所を提供した、ということだ。
要するにお手上げなのだ。
佳奈は白音が桜色の魔法少女に変身するのを見て本当に嬉しかったのだが、その翼を見て混乱した。
感情の持っていき場が分からなくなって、結局白音に食ってかかった。
佳奈はもはや白音のことしか見てはいない。
もしかしたら周囲が別の場所に変化していることにすら、気づいていないのかもしれない。
「んなっ! なんだよそれっ?! なんで変身してるのに悪魔なんだっ!! どっちなんだよっ?!」
「だから話聞いてってば。わたしはわたしだからっ!!」
今度は白音の拳が佳奈の鳩尾を捉えた。
堪らず吹っ飛んだ佳奈がゴロゴロと木々をなぎ倒して転がっていく。
力関係が逆転するたび、破滅的に攻撃の威力が増している。
今度は一方的に白音が佳奈を痛めつけ始めた。
佳奈は手も足も出ないようだった。
周囲の者からすれば、もはや何をやっているのかよく分からないくらいのスピードになっている。
「昔はよくこんな風に喧嘩してたんだよね。でも佳奈ちゃんはいつも全力じゃなかった。変身してなくてもあの馬鹿力で人を殴ったら事件だしねぇ」
焦る周囲をよそに、莉美がのんきに解説してくれる。
ズタボロにされた佳奈がゆらりと立ち上がった。
(白音が白音でなくなるなんて、あるわけないんだよね。うん、知ってた。けどさ…………)
そしてにっと笑う。
「けどさ、男ができたんなら真っ先に報告しろよなっ!!」
そう言い放つと同時に、佳奈の体が深紅の輝きに包まれた。
星石がより深く佳奈と同調を始めた徴だ。
それはやがて魂と融合し、英雄核として佳奈の胎内に定着する。
佳奈の周囲の空気が歪んで陽炎のように揺らめいていた。
佳奈の体内魔素の量が、これまでとはケタ違いに増大したのが、びりびりと伝わってくる。
英雄核となった星石は、佳奈の魔法少女としての力をさらなる高みへと押し上げてくれる。
そして、佳奈が消えた。赤い曳光だけをその場に置いて。
佳奈は白音が目で追うよりも速く背後へ回り込んで、そのしなやかな尻尾を掴んだ。
「どうしてそんな風にっ、なったのか分かんっ、ないけど白音っ、体なんともっ、ないっ、のっ?」
佳奈は尻尾だけで白音をぐるぐると振り回す。
「痛い、痛い、尻尾っ、尻尾っ、ちぎれるっ!」
遠心力を乗せてそのまま投げ飛ばすと、白音の体は山肌を大きく削りながら滑っていった。
あとには土壌がむき出しになった地面の溝が、白音の幅で一直線に引かれている。
「………………心配されてるって、思ってなかった。もっと早く、連絡すれば良かった……よねっ!」
白音も薄紅の閃光となって佳奈に激突した。
辺りに破城槌のような音が何発も響き渡る。
「あわわわわわ……。姐さんたち死なないっすか? ほっといていいんすかっ?」
いつきがみんなの顔を順番に見ていくが、これを止めようという猛者は誰もいない。
当たり前だ。
「怪獣の決闘だねぇ、これ」
莉美の比喩には悪意がない。
悪意がない分なお悪い。
「もう、莉美ちゃん………………。そらちゃんが精神世界から戻ってきたら、ちょっと考えましょうか……」
一恵がやや諦め気味にため息をつく。
彼女が抱っこしたままのそらはまだ放心状態で、何か考えられるような状態ではなさそうだった。
一恵は白音のことが大好きである。
傷ついてなど欲しくない。
しかし同時に佳奈を始め、チーム白音のことも大切に思っていた。
愛していると言っていい。
だから黙って見守るのが一番いいと思っていた。
誰も傷つかずに出せる結論なんて、大事に思えるはずがない。
莉美が安全のため、かなり分厚い魔力障壁を張ってくれた。
そして莉美自身はその最前列に陣取って、スマホで白音と佳奈の乱闘を撮影し始めた。
ご丁寧に今日の障壁は、大変に透明度が高く作ってあるらしい。
なんとなく、動物園の猛獣の檻を想起させた。
スマホのカメラ越しのふたりは楽しそうで、心なしか遊んでいるようにも見える。
しかしかなりダメージは蓄積していて、立ち上がるのがやっとになってきていた。
そろそろ決着がつくように感じる。
白音がフラフラと立ち上がり、今まで使っていなかった翼を開くと、宙に浮いた。
それを見た莉美が興奮してカメラを連写モードに切り替える。
「空、飛ぶんだ…………」
そう独りごちた佳奈も、その肌がぞわぞわと粟立っている。
キラキラと銀翼を陽光に輝かせて舞い上がっていく白音を、佳奈が眩しそうに目で追う。
やがて白音は、上昇をやめて下降に転じた。
かなりの高度から翼を畳み、急降下して佳奈の直上を襲う。
拳にその速度と体重を乗せるつもりのようだった。
「威力はありそうだけど、でも見え見えだよっ!!」
白音が見舞ったハヤブサのような一撃を、佳奈はミリ単位の精度でかわした。
が、白音はそれを見越していた。
地面すれすれで翼を開いて急上昇に転じる。
「フェイントっ?!」
「佳奈は昔からこういうのに弱いっ!!」
上昇する瞬間に放った白音の膝蹴りが、正確に佳奈の顎を捉える。
佳奈の視界がぐにゃりと歪んで前後不覚になる。
しかし反射的に野生の勘とも言える感覚だけで手を伸ばし、上昇しようとする白音の翼を掴んだ。
「うげ……」
佳奈は白銀の翼を引き回して、思いっきり地面にたたきつけた。
上昇しようとしていた速度がそのまま地面に向けて方向転換される。
白音は真っ逆さまに頭から墜落し、やはりぐわんぐわんと脳が揺れた。
そして…………、
とうとうふたりとも力尽きたようだった。
(もう立つなバカ)
ふたりを見ている全員がそう思う。
気を失ってはいなかったが、ふたりとも平衡感覚が完全に飛んでしまっており、まともには動けないようだった。
ようやく、ようやく怪獣が静かになった。
……………、
……………、
……………。
(やっぱ白音ってすごいな。生まれて初めて全力で喧嘩してるけど、こいつは自分の得意な武器使ってないし、リーパー使えばもっと強くなるんだよね…………)
佳奈は、奇妙に歪んだままぐるぐると廻っている天を仰ぎながらそう思った。
ふたりとも、もはや体力も魔力も気力もない。
大の字になって地面に散らばっている。
「平気か? 白音」
白音が首だけ動かして佳奈の方を見る。
「尻尾、痛いのよ。ホントにちぎれるかと思った」
尻尾がしなやかに動いて、佳奈を責めるようにピタピタと地面を叩いている。
白音を見つめ返す佳奈は、笑顔になった。
「ハハ、そんな風に動くんだ。便利そうだね。…………あのさ」
「ん?」
「今まで願ったこともなかったんだけど、生まれて初めてもっと強くなりたいって思ったんだよね。…………心の底から、思ったんだ。そんで、めちゃくちゃ楽しかった」
白音も満面の笑顔になる。
時折痛みに引きつりながら。
「星石かな」
「星石だね」
尻尾、翼、角つき案件




