第32話 呼ばなくても現れる客
はしゃいでじゃれついたら飼い主に理不尽に怒られた状態……整った顔で困っている彼の頭の上に垂れた耳の幻影が見える気がした。くすくす笑いながら手を伸ばし、艶のある黒髪を撫でてやる。
「怒鳴って悪かった。もう大丈夫だ」
「リアが嫌なら、もう下着に触らないようにする」
「……そうしてくれ」
魔術で洗浄したのか、実際に手で洗ったのか知らないが……精神上聞かない方がいい類の話だ。自分を納得させたルリアージェがベッドの上に身を起こしたところで、再び城が揺れた。
「あらら、随分沢山集まったな」
ジルに危機感はない。だが少し考えるように宙を睨むと、ルリアージェに言い聞かせた。
「この部屋を出ないで」
「わかった」
ここで駄々を捏ねれば連れて行ってくれるだろう。だが我が侭で、彼らを危険に晒すのはいやだった。どう贔屓目に考えても、一番弱いのは私だ。ルリアージェが人族である以上、上級魔性や魔王に匹敵する彼らと対等に戦うことは出来ない。
結界で守った城が揺れるほどの戦闘が繰り広げられる場所へ、足手纏いである自覚がある自分が付いていくといえるほど、ルリアージェは無知ではなかった。ジルを解放してから、様々な魔性との戦いを見てきたから、ここは彼の言葉に従うべきだと思う。
「結界も張っておくけど、本当に動かないでね」
「わかっている。ジルも気をつけろ」
「ああ」
嬉しそうに頬を緩めて姿を消したジルの、心から幸せそうな表情に見惚れたルリアージェは、赤くなった頬を隠すようにシーツの中に潜り込んだ。
「失礼にもほどがあるわ」
纏いつかせた風がライラの苛立ちを示すように荒くなる。小さな渦をいくつも作り出す風は、少女の周囲を覆っていた。長いブラウンの三つ編みが風に揺れ、解けて舞い上がる。
「数ばかり増やして、あたくしに対抗できる気でいるなんてね」
手のひらを上に向けると水の弾を複数作り出す。指先ほどの小さな粒が、彼女を覆う風に乗って魔物を貫く。魔力が途切れて落ちる魔物に見向きもせず、別の獲物を指差した。それだけで水は魔物を襲う。
戦いと呼ぶには、あまりにも一方的な蹂躙だった。
空間を埋め尽くすような500程の魔物は、一応人型を取るだけの魔力は有している。魔王に属する魔物や魔性は、主に関する色を纏うことが多い。水色が8割、残りは赤だった。
水の魔王トルカーネの配下と、火の魔王マリニスの眷属。僅かだが、風の魔王ラーゼンの緑をもつ魔物も混じっている。
嘲笑うように少女の口角が持ち上がった。
「あなたたち、主に命じられずに動いてもいいの?」
見透かした彼女の声に、半分ほどは動揺した。それが答えだ。魔王の指示で攻め込んだのであれば、他の魔王の色を持つ魔物が混じるはずがない。
水の魔王トルカーネはついさきほど、サークレラへ自ら出向いたのだ。側近のみを連れていた態度から見ても、この騒動は魔王の命令ではない。だがジルの城がある空間に攻め込む穴を作るのに、側近クラスが関わっているだろう。
この魔物達全員の魔力を絞ったとしても、ジルの結界をすり抜けることは出来ないのだ。
丁重におもてなしと言い放ったリシュアは、問答無用で20人ほど切り裂いていた。ジルが呼んでいると伝えたら、大喜びで殲滅役を代わってくれたため、ライラはとても機嫌がいい。
目の前に広がる敵だらけの光景に絶望するどころか、大量にいる獲物に歓喜していた。ところが……後ろに感じた気配に振り返れば、リシュアがいる。困ったような顔をして、首筋をかいている姿から状況を察してしまった。
つまり、入りづらい雰囲気が展開していたらしい。
「ジルったら、思ったよりやるじゃない」
「そういう雰囲気とは違うのですが、なんとなく…」
押し倒したのねと目を輝かせるライラを、たしなめる口調でリシュアはやんわりと否定した。主が叱られて捨て犬のようにしょげていたとは、口が裂けても言えない。
「ジフィールはいないのか」
魔物の間から、魔性と呼ぶに相応しい外見の者が現れた。紺色の髪を長く伸ばし、水色のスカーフで結んでいる。トルカーネの眷属だが、その地位は低いのだろう。魔力量もさほど多くなかった。
「我が主の名を、気安く口にしないでいただきたい」
リシュアの声に視線を向けるが、明らかに自分より目上の魔性に目を瞠った。
「死神の……眷属?」
「本当に、トルカーネ様は配下に寛容なのですね。躾すらされないとは」
哀れむ口調で馬鹿にしたリシュアが大げさに溜め息を吐いてみせた。煽られた魔性が怒りに震える拳を振り上げ、リシュアへ水の矢を降らせる。詠唱もないただの魔法による攻撃が通用するはずもなく、リシュアの足元に浮かんだ魔法陣が水を遮った。
「この程度ですか、あの方も面倒を見られないほど大量に引き取るから、こんな出来損ないが増えるのでしょう。ご自分の名を貶めてまでなさる偽善ではないのでは」
「失礼よ、リシュア。トルカーネは引き取ってないわ。勝手に増殖するだけなの」
トルカーネにとって配下と呼ぶレベルに到達していない。擁護するフリをしてばっさり切り捨てたライラは、挑発するように周囲に複数の魔法陣を描いた。理解して解除する能力がない魔物にとって、魔法陣は恐怖の対象でしかない。
格の違いを見せ付ける少女は、目の前に現れた魔法陣に眉を顰めた。鮮やかな赤を纏った魔法陣は転移用だが、ジルの城がある空間に直接転移してくる強者に嫌な予感がする。
「いやだ、マリニスじゃない」
真っ赤な髪と瞳の青年に舌打ちする。転移魔法陣から姿を現した少年は、きっちりと髪を後ろでひとつに括っていた。切れ目がちのキツい印象の瞳がライラに向くと、驚いたように少し見開かれた。
「大地の魔女ライラか」
なぜここにと問う必要はない。彼らにとって味方も敵も同じようなものだ。共同戦線を張ったとしても、気分次第でどちらにも転ぶのが魔性の性格だった。
「ジフィールに挨拶に寄ったのだが、奴はどこだ?」
「城の中で美女と一緒よ。今は来ないわ」
間違っていないが、随分荒っぽい説明だった。ライラの言葉が終わった直後、マリニスは長袍の袖から刀を引き抜く。実際に袖の中に隠されていたのではなく、ジルの亜空間に似た空間から引き出したのだろう。三日月のような形に反った刀の先は大きく二つに割れていた。
かつてジルと戦った際も、マリニスはこの龍刀と呼ぶ武器を愛用した。良く見れば、名の通り龍と呼ばれる架空の生物が刀身に彫刻されている。
「ならば、呼び出すまで」
「させるわけないでしょう!」
マリニスが振るった龍刀から炎が城を切りつけ、間に飛び出したリシュアが水の盾で防いだ。一瞬で水の盾が沸騰し、水蒸気爆発を起こす。爆音と衝撃に巻き込まれた魔物が吹き飛んだ。
「…リシュア、もう少し考えなさいよ。風で防げばよかったのに」
高温の蒸気が立ち込める中、ライラは文句を言いながら長い髪を引き寄せた。蒸気のせいで髪が丸まって巻き毛のようになっている。唇を尖らせて抗議する少女の隣で、リシュアは申し訳なさそうに眉尻をさげた。
「すみません、次は氷にしますね」
「なぁんだ。まだ遊んでるのか? 煩すぎだ」
空中に現れた魔法陣からジルが現れる。高温の蒸気に舌打ちして、翼を広げた。途端に涼しい風が生まれて蒸気を押し流す。空間に満たした霊力が翼もつ者の願いに反応した形だった。願うだけでいい。魔力も魔法陣も必要なかった。
「さてと……マリ……なんだっけ? まあいいや、呼ばれてないのに顔出しやがって…迷惑だ」
「貴様、俺を愚弄するか!」
「やだ、ジルったらお茶目さんね」
笑い出したライラと怒るマリニス、リシュアは考えの読めない仮面のような笑みを貼り付けている。どちらにも味方しないあたり、賢い処世術かもしれない。
城を維持するために作り出した空間を見回し、魔物だらけの状況に溜め息を吐いた。何もない空中に浮かんだ城の下は、奈落のようで先が見えない。すでに落ちた魔物を数えるように目をこらしたジルが舌打ちした。
「せっかく整えたお気に入りの場所だぞ。ゴミを捨てるな」
敗れて落ちた魔物から立ち上る魔力を風で巻き上げて、右手で器用に操る。左手に浮かべた魔法陣へと吸い込ませて、魔力の竜巻を消した。
「これでよし」
簡単そうに行われた”片付け”の非常識さに、マリニスは目を瞠り、ライラとリシュアは顔を見合わせた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます(o´-ω-)o)ペコッ
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