第16話 復活(3)
『刃を彼女へ』
「おい、殺すなよ」
忠告するジフィールの表情に浮かんだ懸念に、『刃が滑らなければ』と茶化した言葉が返る。むっとしたジルへ、アズライルは仕方なさそうに言い直した。
『我は神代の闇帝の手にあった武器ぞ? 信頼できぬのか』
「わかってる」
それでも気に入らないのだ。1000年前からの付き合いがあろうと、彼女を傷つける可能性があれば排除する。強い意志を含ませて握れば、主の感情を読み取ったアズライルがじわりと熱を持った。
『我に任せよ』
「頼む。2日前でいい」
ジルが女王ヴィレイシェに閉じ込められてから、僅か2日だった。この短い時間で大陸中央の強国アスターレンの首都は滅び、王宮は滅茶苦茶に破壊されたのだ。
ルリアージェの記憶が消えたのは、アスターレンの首都ジリアンに着いてからだろう。馬車に飛び込んだと言ったが、それが事実なのか。ルリアージェに刷り込まれた、人間に都合のよい嘘なのか。2日間の記憶があれば、容易に判明する筈だった。
結界の中で眠り続けるルリアージェは、まだ使い切った魔力が回復していないのだろう。その右手にアズライルの柄を持たせ、ジルは己の左手をその上に重ねた。
解けたままのジルの黒髪が、檻の様に彼らを覆う。
小刻みに震えるアズライルがさらに熱を増し、黒い光を放った。闇ではない、黒い光としか表現のしようがない光は数秒続き、やがて明るい日差しに溶けて消える。
『終わったぞ』
簡単そうに告げられ、ジルは銀髪の美女を覗き込む。彼女の表情に苦痛の色がないと確かめ、ほっと息をついた。
「助かった」
『まさか、これだけの為に我を召還したのか?』
誤魔化すように視線を逸らすジルに何を思ったのか。アズライルは言葉なく消えた。空になったルリアージェの右手に、そのまま左手を絡める。
「はやく、目を覚まして」
願う言霊が届くまで、ジルは繋いだ手を離せなかった。
レンの気配を追ってたどり着いた場所で、首を傾げたリオネルが呟く。
「おかしいですね、この辺りなのですが」
魔力の残り香を細い糸を手繰るように追いかけた結果は、かつて水の魔王トルカーネが好んだ地下湖だった。魔王の側近達が守る領域に、傍観者レンが入り込んだという意味だろうか。
「何者だ!」
侵入者を誰何する厳しい声色に、リオネルは優雅に黒衣を捌いて一礼した。
「白炎のリオネルと申します」
顔を上げた先で、まだ若い魔性が槍を構えている。水は槍、風は弓矢、炎は球体の弾、それぞれの魔王の配下はこれらの武器を操ることが多かった。
「炎の魔王マリニス様の眷属か?」
最上級の白い炎を操る二つ名をもつため、炎の魔王の配下と勘違いされる。1000年の長き眠りを経ても、同じ反応をされると苦笑いが浮かんだ。
いつになっても魔性は子供で、成長しない単純な生き物らしい。炎の魔王の眷属に火を扱う魔性が多いのは事実だが、逆に炎を操れば彼の眷属だと勘違いされるのはリオネルにとって迷惑だった。
「いえ……我が主は『死神ジフィール』です」
勘違いさせたままの方が調査は妨害されにくい。だが、己の主の名を偽らねば調査が出来ぬほど、リオネルは実力もプライドも低くなかった。
復活した主の名を”広めるな”と命じられなかった。それは”広めても構わない”という意味だ。少なくともリオネルはそう受け止めていた。
「死神……?」
その二つ名を、彼は知らないだろう――なぜなら若すぎるのだから。
ジフィールが死神の二つ名で魔王達を相手に戦ったのは、1000年ほど前だ。この若い魔性はおそらく500歳に届くかどうか。彼が顕現した時は、死神の恐怖伝説はほぼ消えていただろう。
「知らないな。ここは水の魔王トルカーネ様の領域だ。踏み入るのは遠慮してもらおう」
彼の実力では目の前のリオネルに勝てない。だから主人であるトルカーネの名前を出して牽制したのだ。ここが水の魔王のお気に入りの場所なのは事実で、側近クラスが顔を見せないのは意外だった。彼らはどこに消えたのか。
1000年分の記憶がないというのは、今後不便かも知れませんね。誰かの記憶を取り込んでしまおうかと物騒なことを考えながら、リオネルは右手を核に炎を呼び出した。
上に向けた手のひらから燃え上がる炎は、赤を経て黄色に至ったところで温度を止める。格下相手にこれ以上高温の炎は必要ないという、リオネルの残酷な宣告でもあった。
「この私に、あなた程度がそのような口を聞くなど……分不相応でしょう。レイシアやスピネーはどうしました?」
「あの方々の手を煩わせるまでもない!」
驚きを露にした魔性は、水の魔王の側近を直接呼び捨てるリオネルを睨みつける。格の違いがわからぬ子供相手に、炎に息を吹きかけた。リオネルの右手から大きく広がった炎は、目の前の魔性を包んでいく。
だが、まだ焼かない。ぎりぎりの位置で炎を操ったリオネルが再び口を開いた。
「水と炎、私の炎を破るだけの魔力はない。邪魔をしないと誓うなら、許してあげるので消えてください」
レンを探せと命じられた手前、邪魔をする存在の排除も命令の一部だ。しかし下っ端とはいえ、トルカーネの配下と騒動を起こせば後々面倒だった。水の魔王の眷属は誇り高い連中が多く、必要以上に突っかかられた記憶が甦る。
避けられる騒動に足を突っ込むほど愚者ではありませんからね。リオネルにしてみれば温情だが、相手はそう感じなかったらしい。
「ふざけるな!!」
いきなり足元の湖から巻き起こした水で襲い掛かった。大量の水でこちらの炎を封じようと考えたのだろうが、呆れ顔で肩を竦めたリオネルは「死にたがりなど迷惑なだけです」と酷い発言で切り捨てる。炎の色を一段階上げて青く彩り、左手で形を整えた。
青い炎は左手に撫でられるまま、剣となって揺らめく。頭の上に振りかぶった剣は、落ちてきた大量の水を蒸発させながら切り裂いた。白い蒸気が周囲を曇らせ、眉を顰めたリオネルが左手を軽く振った。小さな竜巻が蒸気を吹き飛ばす。
「ばかな……っ」
「馬鹿なも何も、先ほど言ったでしょう。許してあげますと――断ったのはあなたです」
警告はした。無視されたのであれば片付けてもいいだろう。先に手を上げたのはトルカーネの配下なのだ。大義名分を手に入れたリオネルが青い剣を手元に引き寄せる。
元が炎であるが故に揺らぎ、形は魔力によって補正された結果だった。長さや太さを自由に変えられる剣を正眼に構える。
逃げるため背を向けようとした魔性を二つに裂いた。届かぬ位置から振り抜いた刃が斬った傷口から、青い炎が噴き出す。耳障りな悲鳴を上げて崩れ落ちる魔性を見ながら、リオネルは呟いた。
「背中から斬るのは、さすがに後味が悪いですから」
だから後ろを向き終えるまでに斬った。自分勝手な言い分を平然と吐き、荒らしてしまった空間に残るレンの気配を探る。
「あちら……ですか」
微かな気配を見つけたリオネルが地底湖の左奥へ向かう。その姿を見つめる視線に気付かぬまま。