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10. もう一声

 男爵家からの委任状は、検算から四日目の朝に届いた。几帳面に四つに畳まれて、蝋の封まできっちりや。その足で、うちらは王都本店へ向かう。


 カンドール商会の王都本店は、石造りの三階建てに真鍮(しんちゅう)の看板、扉の前には仕着せの案内人。銭のかかった、立派な店構えや。


 ……せやけどな。店はな、構えやのうて帳面で語るもんやで。


 応対に出た支配人は、絹みたいな笑みの男やった。


「これはこれは、グランハルト公爵家のお嬢様。本日は、どのようなご用向きで」


「メリス男爵家の名代や。委任状はこれ。ほんで、こっちが証文の写しと受取の束。……お宅の請求の七十枚、勘定が合わへんの。説明してもらいまひょか」


「利息のご説明は、契約書の通り、としか」


「契約書はな、読む人間を選ばへんのよ」


 うちは年次の紙を卓に広げて、一行ずつ、声に出して読み上げた。一年目の暮れ、四十四。二年目、四十八枚と銀四十、返済十二を差し引いて三十六枚と銀四十。三年目、四十枚と銀四。……一行読むたび、支配人の笑みの絹目が、一筋ずつほつれていく。


「お宅さんの明細と、うちの検算、数字は一枚ずつ突き合わせ済みや。繰り入れは年に一度、暮れだけ。そう書いたんは、お宅さんの証文やで。ほんで、前払い扱いにした十二枚。あれをどこに充てたか、明細でも帳面でもええ、書き付けを出してみ。……出えへんやろ。宙ぶらりんの預かり金や」


「……しょ、少々、お待ちを」


 支配人が奥へ消えて、代わりに階段を降りてきたんは、胸板の厚い、白髪交じりの大男やった。歳は五十半ば。指の印章の指輪が、鈍う光っとる。


「会頭の、ギボルトと申します。……グランハルトの姫君が、名代仕事とは恐れ入りますな」


「姫と違うて、名代や。話は単純。正しい勘定は四十枚と銀四、お宅の請求は七十。……差額の説明か、明細の出し直しか、どっちかをもらいに来ましたんや」


「帳面には、家ごとの流儀というものも、ございますでな」


「流儀で三十枚も膨れる帳面を、王都で流行らせたらあきまへん。……もう一声」


「……ほう?」


 会頭の眉が、面白がる形に持ち上がる。


「もう一声、言いましたんや。七十を、四十枚と銀四まで下ろしてもらいましょ」


 ギボルトはうちをじいっと見て、それから、ふ、と口の端だけで笑うた。


「では、切りよく四十で」


「四十枚と銀四や」


 場が、しんとする。


「銀四枚まけてもろたら、うちらも細工した側になるやろ。端数を丸めるんが、細工の始まりやで」


 ポレットちゃんが、隣で息を呑む音が聞こえた。会頭の目ぇから笑みが引いて、初めて、値踏みの色が差す。


 長い、長い三秒があって――。


「……委細、承知いたしました。元利、四十枚と銀四。明細と残高確認の書き付けは、正しい勘定で出し直させましょう」


「おおきに。ほんで、もう一件。里の蜂蜜の買値や。樽二枚は、なんぼなんでもあこぎやろ。市価は十枚。……再交渉の席、設けてもらいます」


「蜂蜜の集荷は、当会の商いの根でしてな。値は、崩せませんな」


「根ぇを腐らせとるんは、その買値のほうやで。作り手が痩せたら、蜜も痩せる。長い商いはな、相手を生かして回すもんや」


 会頭はしばらく黙って、指輪をひとつ、こつりと鳴らす。


「……席は、設けましょう。日取りは、追ってご連絡を」


 そのとき、うちの隣で、小さい声がした。


「あ、あの……!」


 ポレットちゃんや。握った拳が震えとる。震えとるのに、目ぇは逸らさへん。


「蜂蜜は……里の、誇りです。父も、蜂も、冬を越して作っています。ちゃんとした値で、買って、ください」


 ギボルトの目ぇが、初めてポレットちゃんを見た。値踏みやない、ただ見る目ぇで。


「……ご息女の言葉のほうが、姫君の算盤より、堪えますな」


 よう言うた。それでええんやで。自分の家の話は、いつか自分の口で言うもんや。


 交渉、仕舞い。……のはずやったんやけどな。帰り際、扉の前で、ギボルトが振り向いた。


「姫君。ひとつだけ、ご忠告を。――安い甘味は、国庫への反逆ですぞ」


 ……麦の飴の話、もう耳に入っとるんかいな。地獄耳やなあ、この商会。


「甘いもんは、疲れた人のもんや。国庫は、そのあとについてくる」


「……お若いのに、豪気な帳面をお持ちだ。またお会いしましょう、名代どの」


「そやな。飴ちゃんあげるわ」


 別れ際、うちは癖で、飴を一粒差し出してみる。ギボルトは三秒それを見て――受け取らんと、背中を向けた。


「あら、要らへんの?」


 ……ふん。まあ、ええ。飴はな、逃げも腐りもせえへんのや。


 帰り道は、馬車を使わんと三人で歩いた。ポレットちゃんは証文の包みを抱いて、頬を上気させて、「四十枚と銀四……」と何べんも口の中で繰り返しとる。ええこっちゃ。それが勉強や。隣の調査官どのは、なんにも言わんと歩いとる。なんにも言わんのに、歩幅だけが、うちにきっちり合うとる。


 ……静かな道連れも、悪うないもんやなあ。


       ◇


 王室調査記録 第九報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。対象は本日、カンドール商会王都本店にて、男爵家の債務七十枚を四十枚と銀四へ是正させている。端数の銀四枚は、値切らずそのままにした。理由は「丸めるのが細工の始まり」。蜂蜜買値の再交渉の席も約束させた。特記事項。対象に、商会会頭が接触した。本官は、理由なく不快である。理由は、調査中とする。以上。


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