第24話 何もかも合法
「それは……厭だな」
ぽつりと呟いた僕の言葉を拾って、アルディアナ様が小さく頷いた。
『じゃあ、決まりね』
「えっ」
そこにエリカの困惑した声が響いたけれど、アルディアナ様は彼女を一瞥してこう続ける。
『まあ、諦めてちょうだい。この試験のせいで一番歪められてしまった魂なんだもの、彼女の意見は聞いてあげたいわ』
「うーん……、まあ、仕方ないかなあ」
エリカは胸の中でぐったりしている猫を抱きしめたまま、唇を尖らせた。でもすぐに、開き直ったように微笑んで何度も頷く。
「それに、悪役のエヴェリーナが何も悪いことしてないならいいかな? それに、あたしにもチャンスがまだ残ってるし!」
チャンスって何だろう、と僕が考えていると、彼女の視線がアルフレート殿下に向かってその答えを知った気がした。アルフレート殿下は彼女の視線に気づいていないようで、物思いに沈んでいるかのような表情で視線を自分の足元に落としていた。
『じゃーね、後はそれぞれ頑張りなさい』
アルディアナ様が笑いながら細い指を揺らすと、それまであった空の大きな割れ目がまばゆい光と共に閉じた。そしてそれに続いて僕らの周りに残っていた闇の色も光に包まれ、気が付いたら。
「あら、何でアタシたちここにいるのかしら」
僕らの近くにいたロベルト先生が困惑したように頭を掻いてそう言っているのが聞こえた。ラウラ先生も微妙に顔を顰めて辺りを見回していて、何の異常もない中庭と、何があったか全く覚えていない生徒たちの姿に首を傾げた。
アルフレート殿下が魔物化したことによって壊れたはずの校舎なんてない。その辺りはアルディアナ様が元に戻してくれたのだろう。
ただ、この場には僕の母親もいたし、女神アイの姿もあった。母は「ここがゲームの舞台の学校……」と目を輝かせ、女神アイは虚ろな表情で微笑みを浮かべて固まっているという異様な状況だけど。
でも。
終わったんだな、と僕は肩から力が抜けた感覚を味わっていたのだ。
ガブリエルも気の抜けた様子で辺りを見回し、それから僕の手を握った。振り払わなくてはいけない、という意識は頭の片隅にはあったけれど、そうしたくなくて僕はただ彼の顔を見上げる。見つめ返してくれたガブリエルの目は、少しだけ泣きそうだと思った。
「エヴァン」
「ん?」
「エヴァン」
「何?」
「……戻ってこれてよかった」
まずいな、僕の方が先に泣きそうだ。
胸が苦しい。呼吸を忘れてしまいそうなほど。
僕の胸があの黒い槍に貫かれた光景を、ガブリエルは忘れられないのかもしれない。僕が彼の絶望に満ちた双眸を忘れられないのと同じように。
僕は少しだけ彼の手の温かさを確認した後、ゆっくりと放した。多分彼も理解しているから、それを名残惜しそうに受け入れてくれる。
まだ僕はアルフレート殿下の婚約者のままだから、これは……まずい。
「エヴェリーナ」
そこにアルフレート殿下の低い声が響いて、僕とガブリエルに緊張が走る。
さっきまでの僕らの様子を見ていたんだろう、殿下は苦しそうに眉間に皺を寄せつつ、ぎこちなくこう言った。
「すまなかった。迷惑をかけた」
「こちらこそ、その」
僕は慌ててそう口を開いたけれど、それに続く言葉が思いつかずに固まってしまう。
「君は……婚約を解消したいんだろうね?」
「え」
「解っている。君たちが……惹かれ合っているのは、仕方ないことなのだと思うよ。私が知らないだけで、君たちは同じ時間を長く過ごしてきたんだろうね? でも私がもっと君に歩み寄っていれば、もっと会話する時間を取っていれば、違う道があったんだろう」
そうですね、と言いたかったけれど唇が動かない。
殿下にも僕が知らない事情があった。僕に関わらないようにしなくてはいけなかった事情。
母から聞いてきた話。殿下が婚約者である僕――エヴェリーナ・リンドルースではなく聖女であるエリカを選んだ理由。僕よりもずっと魔力の多い彼女を選んだ理由。
アルディアナ様が言った生贄という言葉。
予想ではあるけれど、きっとそれが真実なんだろう。
アルフレート殿下は別の世界では僕を助けようとしたんだ。でも僕はそれに気づかず、破滅の道を進んだ。
そしてやり直しとなった。
それが今。
僕がこれまで進んできた道。歩むかもしれなかった別の道。でも僕の背後には、母と一緒に選んだこれまでの過去がある。
破滅にはつながらないこれからの未来も。
「婚約は解消しよう」
彼は少しずつ口元に笑みの形を作った。「父には君が原因ではないと伝えるし、それに、納得できる理由が別にある」
「別?」
「聖女の力を神殿に独占させるのは、危険だと……思う」
彼は僕にだけ聞こえるように囁いた。「私はこれでもこの国の王族だから、選ばなくてはいけない道がある」
「そう、ですか」
何だか、彼に対する同情心が芽生えた気がして、慌てて自分の胸に手を当てる。この感情は彼に知られてはいけない気がした。
そしてこんな僕たちの傍らでは。
「やったぁ、レベルアップしてる! ちょっとベスベス、あたし、まだゲームの機能使えるよ! 新しいスキルも習得してるし、これってあたしの時代がやってきたってこと!? まだ終わってないよ、あたし!」
エリカは猫みたいな生き物を目の前にそう叫び、拳を握りしめてぷるぷると肩を震わせている。何とも緊張感のない子だと思う。
「……悪い子じゃないしね」
殿下も僕の頭の中を読んだかのように笑い、僕の肩を叩いた。
そして、呆然としたままの女神アイにちらりと視線を投げた。
「まあ、新しい問題ができたから、本当に『そう』なるかは解らない。聖女を必要としないと解れば、そしてその時に君がガブリエルと不仲になっていたら、また違う道に進むかもしれないね?」
「ねえよ。じゃなくて、ないですね」
瞬時に反応したガブリエルが唸るように言って、僕と殿下の口元に苦笑が浮かぶ。
「丸く収まって何よりねえ」
母がそんな僕たちを見つめて短くそう言った瞬間、遠くからミハルの声が響いた。
「殿下! 姉上!? 一体、どうして……」
ミハルは酷く緊張した様子でこちらに足早に近寄ってくると、警戒したように僕と母を見つめる。母がどうして学校の中庭にいるのか、その理由を考えているみたいだ。まあ、説明がつかないのだから僕もその疑問に気づかなかったことにした。
そして結局。
その後、僕と殿下の婚約は何の問題もなく解消された。
噂では、神殿ではひと騒動あったようだと聞く。どうやら神官長は聖女の力を盾に政治にも関わりたかったらしいが、最終的には失敗したみたいだ。何しろ、エリカが聖女として神官長の傍で活動するより「あたしは推し活に生きるわ!」と言い出してアルフレート殿下に突撃し始めたから。
殿下は最初こそ困惑していたけれど、彼女を友人として受け入れたようだ。王城の地下に住みつくことになった女神アイの話し相手としてちょうどいいと利用することにしたんだと言っているのを聞いた。
見た目に寄らず、殿下は悪い人だ。
僕は彼のことを人形のように綺麗な人だとしか思っていなかったから、それがとても人間的に感じて親近感を抱いた。
学校に通いながら改めて思ったのだけれど、終わったと感じたものの『終わっていない』のだ。
僕と母が父と仲が悪いのは相変わらずだし、ミハルたちとの関係が微妙な立ち位置なのは全然変わっていない。そして母がとうとう離縁を言い渡して父に慰謝料を請求して、母の実家も出てくる騒動となった。
こんな状態だから、僕が婚約者がいない立場になったとはいえ他の貴族から新しい婚約を申し込みされるどころではなくなったのは助かった。
しかしガブリエルはいつの間にかベンディック公爵家での立場を確固としたものにしたようで、誰より早く婚約の申し入れをしてくれた。どうやら彼の兄がいい義足を手に入れてくれたお礼ということで、動いてくれた結果らしい。
「まあ、こればっかりは感謝だな」
いつものように放課後、図書室に行くと向かい側の椅子に腰を下ろしたガブリエルがニヤリと笑って言った。「俺は後を継がない、自由に動くが迷惑はかけない、って約束したら兄が色々やってくれたよ」
「そうなんだ」
小声でそう返しながら、僕は何となく彼に視線を合わせることができずにいた。何故ならば。
「これで、どこでだって手を握ってもいいし、抱きしめてもいいし、何もかも合法なんだぜ?」
ガブリエルは目を細めて嬉しそうに言うものだから、僕はどう返したらいいのか解らず額に手を置いてしまうわけで。少しだけ熱が出てきたような気がするのは気のせいだろうか。
「ば、場所は選んで欲しいけど」
と、何とか声を絞り出した後、これはまずいと慌てて話をそらした。「それより次の試験の範囲が」
「で、結婚式はどこで挙げる?」
――全然話がそらせてなかった!
「それより試験が」
「できるだけ早く伯父さんに紹介するし、兄とかベンディック公爵にも会わせなきゃ駄目だな。とりあえず、殿下が動く前にとっとと結婚しておけば、もう何も怖いもんはないぜ」
「いや、その」
僕は小さく唸ってから、少しだけ不安に思っていることを彼に訊いてみた。「……僕はその、女の子らしくないけどいい、の、かな?」
「可愛いからいいよ」
「は?」
「あ、間違った。俺の前では可愛いからいいよ。っていうか、他の男の前では可愛くなるのやめてくれる? ムカつくから」
「いや、それは。可愛くないし、僕は!」
慌てて僕が彼の言葉を遮ろうとすると。
「図書室では静かに。退室」
と、頭上からラウラ先生の声が飛んできて、僕らは図書室から追い出されてしまった。
こんな日常がやってきて、僕は凄く今が幸せだな、と感じていた。
ガブリエルが廊下を歩きながら僕の手を握ってくれるのが、恥ずかしいけれど凄く嬉しいと思うのだ。
もう、ゲームの世界だなんて気にする必要もないんだから。
これにて完結です。
ここまで読んでくださってありがとうございました!




