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長野氏業の内政戦略

弘治四年(1558年)1月中旬 武蔵国横浜城


 横浜城に帰ってきた俺は、早速南蛮船四隻の建造を船大工に発注した。

 なにやら、氏康からも発注を受けていて大変なところへの追加発注で申し訳なかったが、一生懸命働いてくれそうな流民を回すので頑張ってくれよな。

 さて、1~2年後に起こると思われる大戦に向けて、我が軍の軍事力を強化せねばいかんな。そして、軍事力を強化するには金が必要ということで、しばらくは大砲試射と羽毛集めを並行して行うことにしたのだった。

 横浜港~伊豆鳥島間は人を代えて繰り返し往復してもらうことにして、兵数も常備兵だけでは足りないから、農民や日雇いの人を動員することにしよう。そして、動員したところで戦時に役に立たねば意味がないので、彼らにも軍事訓練を施さねばいかんな。ということで、手の空いている農民や町民、ついでに流民も集めて、鉄砲・クロスボウ・槍・投石機の扱い方を叩き込むことにしたのであった。ちなみに、参加者に日当を払うと言ったら、農民・町民・流民が殺到してえらい目に合ったよ。

 こんな感じで、農閑期には兵数三千程度を動員できる目処が付いたのであった。

 これで兵士は良いとして、後は武器である。鉄砲は、現在月に五十挺程度製造可能だが、農民や町民が天候に左右されず使用できるという点でいえば、クロスボウの方が良いのかな。そんなわけで、この1年で関東中から細竹を集めてきて矢を大量生産することにしたのであった。

 鉄砲・弾薬・大砲に加えて矢の生産か・・・。職人の皆さんは大変だと思うが、皆の命がかかっていることだからな。空き時間には、俺も手伝うとするか。

 あと、これから建造する南蛮船には、左舷と右舷に四門ずつ大砲を設置することにしようかな。そうすれば、海戦だけでなく陸戦でも活用できる、現時点で世界最強の戦艦が完成するではないか。いやー、戦艦が完成する半年後が楽しみだ。俺は、込み上げる笑いを抑えきれないのであった。


 そうそう、文章に書くのは忘れがちだが、横浜でも硝石を大量生産するため、平八郎には横浜城周辺の野毛と山手に塩硝厩や硝石丘を作らせているよ。

 ここの塩硝厩や硝石丘には、箕輪城で使用している4~5年発酵熟成させた塩硝土を持ってきて補充しているので、今度の大戦では横浜で生産された硝石が使用されることになるであろう。いや、多分間に合うはずだ。

 ついでに、野毛と山手に城壁で囲った砦を作って守備兵を置けば、硝石生産の秘密は保持できるし、横浜城を攻める敵も挟み撃ちにできて、まさに一石二鳥ではないかな。


 えー、鉄砲隊・弓隊・槍隊・水軍ときて、あと何か忘れている気がするなあ。そうだ、騎馬隊だ。俺は普段から怨霊魔法で身体強化しているけど、騎馬隊を丸ごと怨霊魔法で強化したら、すさまじい機動力を持つ隊ができるのではないかな。ということで、騎馬隊も二百程度編成することにした。常備兵の中から馬の扱いに長けた者を選抜して騎乗訓練を行うことにしたのだが、これが物になれば戦術の幅が広がるな。奇襲攻撃とか、ランスを装備させて敵の軍勢を切り裂くのも良いのではないかな。


 次に農業についてであるが、引き続き瓦版を用いた情報提供を続けることにした。

 稲作については、正条植え・塩水選・合鴨農法や鯉農法の普及に加えて千歯こきの開発をするのが良いかな。

 養蚕については、箕輪と同様に風穴を利用した蚕種の貯蔵や清温育を普及させて、生糸の生産量を数倍に増やすこととしよう。


 あとは、いよいよ来年に迫った永禄の大飢饉であるが、これは二宮金次郎みたいに『初夏だというのに、ナスを食べたら秋ナスの味がする』と言って騒ぐのが良いかな。それで、『今年は五穀が熟作できないから、速やかにヒエを蒔いて飢饉に備えよ』なんて言うわけだよ。

 そういえば、飢饉は今年から三年連続で発生するという話も聞いたことがあるなあ。

 なんでも、今年は夏の日照りと秋の暴風雨(台風?)で、来年・再来年は冷害で農作物が大打撃を受けるらしいが、日本には『日照りに不作なし』という諺もあるしな(日本の場合、雪解け水が活用できるので、日照りの年はかえって米の収穫量が増すことになる)。まあ、今年については、台風接近前に稲刈りを終えれば問題あるまい。まさに、怨霊気象衛星様々といったところかな。

 いずれにせよ、氏康には早めに話を通しておいて、互いに連携して飢饉に立ち向かわないといかんな。


 最後に商業についてであるが、石鹸・ガラス製品・蒸留酒・石油ランプ・羽毛布団に加えて、藤殿に教えた麦芽水飴も売り物になるんじゃないかな。北条家中では非常に評判が良いし、なによりこの時代の甘味は貴重だからね。

 あと売れそうなものは・・・、本を商品にするのは印刷機を作らないと難しいかな。それに、紙も高価だしね。

 そうそう、飢饉が発生するのが分かっているなら、今のうちに米を安値で買い占めれば良いではないか。まあ、歴史の改変で飢饉が発生しないならその方が良いし、米がたくさんあって困ることもないしな。いざ飢饉が発生して米価が上昇したら、市場より多少安く売ることで民に恩を施すのも良いのではないかな。

 とりあえず、商人たちには、商品を売るついでに引き続き日本全国の情報を集めてもらうことにしよう。良い情報を持ってきた商人により多くの商品を融通することにすれば、俺も商人も利益を得ることができて、Win-Winの関係を築くことができるのではないかな。


 こんな感じで、俺はしばらくの間、軍備増強と内政に専念することにした。

 普段はつまらぬ事務仕事(内村鑑三の言い方だと、人生のほとんどがつまらぬ事務仕事(雑用)だそうです)をして、手の空いた時間は軍事訓練に参加したり、職人の手伝いをしたり、瓦版の原稿を書いたり、領内を見回りしたり、たまに視察に来る北条家家臣団の相手をするなどして過ごしたのであった。あとは、月一で小田原城に呼び出されて、氏康に加工貿易国家や永禄の飢饉について説明したり、北条家の今後の方針についてアドバイスもしたかな。

 この間の目立った出来事と言えば、横浜城にいる氏康配下の風魔の忍びが、大挙して俺に仕えたいと言ってきたことであろうか。なにやら、俺の救貧政策にいたく感動したらしく、『仕えるなら、氏業様のような仁君が良い』などと言っているそうだが、とりあえず俺は現状維持でお願いしたよ。氏康は、『そなたはとんだ人たらしだな』と笑っていたけどね。

 そういえば、里見義弘も横浜城の視察に来たけれど、里見家後継者の重圧から解放されたせいか、随分とリラックスしていたね。せっかくなので、軍事訓練の様子や南蛮船を見てもらい、その後は藤殿の料理を振舞ってみたよ。義弘は、新兵器を見て驚き、珍しい料理を食べて感動するなど、横浜城の生活をひとしきり満喫すると、小田原へと帰ったのであった。

 なお、義弘は菓子や果物が乗せられていた竹皮編みの皿に大層感心していたので、籠や皿をいくつかプレゼントすることにしたのだが、脳筋に見えて実は芸術に造詣が深かったりするのだろうか・・・。

 まあ、ひとまず義弘には満足してもらえたようで何よりである。情けは人の為ならずとも言うし、この縁が良い報いとなって俺に戻ってくることを願おう。


※竹皮編みとは、昭和9年、高崎市に滞在していたドイツの建築家ブルーノ・タウトの指導により生み出された工芸品である。第二次大戦後、高崎市を中心に約400人が製造に従事し、海外にも輸出されていたとのこと。ちなみに、竹皮とはタケノコや若竹を包んでいる茶色い皮のことである。


 そんな感じで過ごしているうちに半年が経過し、ついに船大工に頼んだ南蛮船四隻が完成したとの報告を受けた。

 よっしゃー!これで、輸送力を二倍にした上で、港の警備にも二隻回せるぜ。

 いい加減、いつまでも正木時忠にアホウドリ運搬をさせるわけにはいかないからね。

 ということで、羽毛布団の製造・販売は御用商人の堀口新兵衛に任せることにして、正木時忠には衝角攻撃に代わる新戦法の艦砲射撃を覚えてもらうことにしたのであった。

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