第76話 魔王様、アルドニア王国を訪問する⑨「魔王と姫の夜」
その後、俺とシルヴィは夜遅くまで「今後のこと」について話し合った。
シルヴィが一番心配していたのは、俺とエルトリア軍のことだった。
サラザール卿が全軍総大将を務める今回の神聖十字軍。彼の機嫌を損ねることで、俺たちが危険な配置に追いやられることを危惧していたのだ。(事実、メアリ教国の神官からは、今夜サラザール卿の部屋に「お呼ばれ」すればエルトリア軍が安全な配置になるように手心を加えてもらえるかもしれないというようなことをほのめかされたらしい)
確かに、列国に比べれば、規模も練度もまだまだ足りないエルトリア軍。今回のような超大戦では、場合によっては「全滅」することもあり得る。
安全な場所でこの巨大な嵐をしのげるならば、それに越したことはない。
だが……。
そのためにシルヴィが、「サラザール卿と寝る」ことなど、絶対に、絶対にあってはならない。
シルヴィを差し出して自らの安全を確保するなんて、そんなことをするような「クソ野郎」に成り下がるくらいなら死んだほうがましだ!
「シルヴィ。明日、きっぱりと断ろう。俺から話をするよ」
俺は彼女の手を握りしめ、彼女に話しかける。
「ありがとうございます。アレク様」
シルヴィは強く頷く。
この子は本当に「賢い」子だ。
他人の幸せのために自らが犠牲となる。
本当にそれしか方法がないのであれば、その選択をするかもしれない。
だが、それは最後の最後の最後の手段であることをちゃんと理解している。安易な自己犠牲はただの自己満足でしかないことを十分に理解している。(ましてやこんな下衆な欲望まみれの提案、彼女が素直に受け入れるわけがない)
だからこうして、事前に俺に「相談」してくれたのだ。
それが本当に嬉しくて、ありがたいことだ。
「あの、アレク様。それでは私はそろそろ。サラザール卿も今日はさすがに諦めたでしょうから」
話も一段落したところで、シルヴィが自室に戻ろうとする。
時計は既に深夜2時半を回っていた。
「待って」
俺は思わずシルヴィの手をつかむ。
「今日はその、俺の部屋に泊まっていきなよ」
「えっ!」
驚きの表情を見せるシルヴィ。
さ、さすがに引かれてしまったかな……。
「いいんですか!?」
はじけるような笑顔を浮かべるシルヴィ。
「あぁ、もちろん!」
そう言ってから気付く。そう言えばベッドが一つしかないぞ。
「やぁ、その、何だ……。ベッドはシルヴィが使いなよ。俺はソファで寝るから」
「そんな! 私の方からお邪魔しておいて、アレク様をソファに追いやるなんてできません!」
なぜか真っ赤になって反論するシルヴィ。
これは……。
「……。い、一緒に寝るかい?」
俺の提案に無言でこくんと頷くシルヴィ。
あれ、なんか急に、そういう雰囲気になった気がするぞ。
「で、では、私、先にシャワーを浴びてきますね」
シルヴィはそう言って部屋に備え付けられているシャワールームへと向かう。
シャワーですか? ま、まぁそりゃ、シャワーぐらい誰だって浴びるよね。
俺はなぜか椅子ではなくベッドの端に腰掛ける。
シャワールームから、お湯の流れる音がやけに響いて聞こえてくる。
心臓がドキドキしてきた……。
「アレク様!」
シルヴィが俺を呼ぶ声が聞こえる。
「あ、あいよ!」
上ずった変な声が出てしまった。
「急いで出てきてしまったので、着替えを持ってきていなくて……。何か着るものはありませんか?」
き、着替えですか……。
俺は部屋を見渡す。
見つけたのは……。
① そういった感じのバスローブ
② 俺の着替え用のワイシャツ
いやいやいや。
バスローブはいかんでしょ。完全に「そういうつもり」だと思われてしまうでしょうよ。
シルヴィも別に「そのつもり」で部屋に来たわけではないし、今日はたまたま夜遅くまで二人きりで将来のことについて話をしていて、たまたまこんな時間に部屋に返すのもあれだから泊っていく流れになっただけであって、たまたまベッドが一つしかなくて、たまたま部屋に備え付けられていたシャワールームに入っているだけなんですよ。
ここは②、②でお願いします!
俺はワイシャツとズボンを持って脱衣所に入る。
洗面台の横にシルヴィが脱いだであろう衣類が几帳面にたたまれて置いてある。曇ったガラス戸を隔てて彼女は今入浴中であり、ガラス戸越しにぼんやりと彼女の美しい輪郭が見える。
ハッ!
いかんいかん。
俺はそそくさと脱衣所を退散する。
「アレク様、お風呂先に頂きました」
「あぁ、おかえり……」
シルヴィが部屋に入ってきた。
!?
お風呂上がりで少ししっとりと濡れた髪。
上気してほんのりと血色の良い肌。
男物のワイシャツはぶかぶかであり、少し恥じらっている様子がまたグッとくるものがある。
そしてなぜかシルヴィさん、ズボンを履いていない。
大きめのワイシャツからすらりとした美しい脚が見え、ワイシャツの隙間からはチラリと下着が……。
「あ、あのあのあの! 用意していただいたズボンが大きすぎて、履けなくてですね!」
シルヴィが真っ赤になりながら釈明する。
「そ、そうだったんだ! ごめん!」
俺は慌てて謝意を述べる。
こ、これは選択を誤ったか!?
「じゃ、じゃあ俺もシャワーを浴びてくるよ」
俺は逃げるようにしてシャワールームへ駆け込む。
手早くシャワーを済ませ、部屋に戻ると、シルヴィがベッドに腰掛け、目をつむり、何やら「お祈り」のような恰好をしている。
「や、やぁ、戻ったよ。シルヴィ」
俺はシルヴィの隣に腰掛ける。
「あ、アレク様。そ、その、私も、今、お祈りが済んだところです」
と、耳まで真っ赤なシルヴィ。
お、お祈りですか?
あぁ、眠る前の。いくらメアリ教国のことが嫌いと言っても、幼いころからの習慣だからね。朝晩のお祈りは欠かさないよね。
「ち、違います! そ、その、『初夜』の前の大切なお祈りです」
「ブフッ!?」
「だ、大丈夫です。大丈夫です。ちゃんとできるはずです」
シルヴィはもはや赤くなるところがないぐらいに真っ赤になっており、俺にというよりも、自分に言い聞かせるように、ブツブツと呟いている。
「ちょ、ちょっと、シルヴィ。一旦落ち着こう! お茶か何か淹れるよ」
俺はそう言って立ち上がろうとするが、運悪く「何か」につまずいてバランスを崩してしまう。
「あっ」
そして、気づいたら、シルヴィをベッドに押し倒した格好になってしまったのである。
「アレク様……」
目にほんのりと涙を浮かべるシルヴィ。
やがて目をつむると、覚悟を決めたように、小さな声で、しかしはっきりと言う。
「私の『初めて』をもらってください」
ドクン!
興奮で心臓が口から飛び出しそうだ。
うまく呼吸ができない。
俺はシルヴィの美しく艶やかな唇に、少しずつ顔を近づけていく。
お互いの唇が触れあうまであと1センチ……。
だが……。
「ごめん、シルヴィ。やっぱり、今日は、それはできない」
俺は絞り出すような声で、彼女に告げる。
彼女は残念なような、ほっとしたような、何とも言えない表情で、目を開く。
「シルヴィのことはとても大切に想っている。正直、このまま身をゆだねてしまいたかった。でも、今日、それをしちゃあいけないんだ」
このまま、欲望に身をゆだねてしまうのは簡単だ。
だが、それはある意味、俺がサラザール卿と同類になってしまうことを意味する。(いや、エルトリア軍を危険にさらしておいて、「そういうこと」をしたとなれば、もっとたちが悪い)
それに、今のある意味「宙ぶらりん」な状況の俺が、その場の雰囲気に流されてしまうのもいけないことだ。
魔王を追放され、復帰を願いながらも、エルトリア王国のことも大事。神聖十字軍に参加しながらも本心は勝利を望まず、自軍を無事に帰したいと願いながらもサラザール卿に反抗している。
俺はまだ、何も成し遂げていない。そんな俺に、シルヴィを抱く資格など、「今は」まだないのだ。
「だからシルヴィ。もう少しだけ待ってほしい」
俺はシルヴィの目を見ながら想いを伝える。
「……。いけず」
シルヴィは少しむくれながら、そう呟く。
グサッ!
「でも、なんか安心しました。それでこそ、アレク様です」
シルヴィがふっと笑う。
よかった。幻滅されたわけではなさそうだ。
「分かりました。『その時』が来るまでお待ちします。約束ですよ」
彼女はそう言って優しく微笑む。
「あぁ、必ず」
こうして、魔王と姫の夜は更けていくのでした。




