彩花とのお出かけ
待ちに待った——いや、俺にとっては恐怖のカウントダウンでしかなかった土曜日がやってきた。
「……眠い」
駅前の時計塔を見上げながら、俺は大きく欠伸を噛み殺した。
彩花に「楓ちゃんに聞くのも禁止」と釘を刺されてからというもの、この数日間はまともに睡眠が取れなかった。女子が喜びそうなスポット、静かで混雑しなさそうな場所、移動ルート……慣れない頭をフル回転させて検索し続けた弊害である。
「悠くん! お待たせ!」
聞き慣れた声に振り返ると、そこには私服姿の彩花が立っていた。
いつもの制服姿も当然可愛いのだが、少し大人っぽい薄手のニットにスリットの入ったスカートという装いは、破壊力が桁違いだ。髪型も少しアレンジされていて、気合いが入っているのが嫌でも伝わってくる。
「……おう。そんなに待ってないよ」
「ふふ、良かった。……どうかな、変じゃない?」
恥ずかしそうにスカートの端をちょこんと摘み、上目遣いで尋ねてくる彩花。
ここで動揺したら負けだ。俺はひたすら平静を装い、無感情に頷いた。
「別に変じゃないと思うぞ。似合ってる」
「……っ、そ、そう? ありがと」
淡々と答えたつもりだったのだが、彩花は嬉しそうに頬を緩め、ぽんと胸を撫で下ろした。
「それでね、今日はどこに行くか決めてくれた?」
「あぁ。とりあえず……まずはここだ」
俺が最初に案内したのは、駅から少し歩いた場所にある落ち着いた雰囲気のブックカフェだ。
店内に入り、奥の落ち着いたテーブル席に着く。
注文したドリンクとトーストが運ばれてくると、彩花は嬉しそうにカフェオレのカップを両手で包み込んだ。
「すごく素敵なお店だね。静かだし、居心地がいいな」
「そうか。なら良かった」
まずはウォームアップとして選んだ場所だったが、喜んでもらえたようで一安心だ。俺はアイスコーヒーに口をつけ、静かな空間を静かに楽しむ。
「そういえばね、悠くん」
カップを置き、彩花が少し前傾姿勢になりながら微笑みかけてきた。
「来月、学校で『文化祭』があるじゃない?」
「あぁ……そうだな。そろそろ本格的に準備が始まる時期か」
「うん! うちのクラス、何やるかは来週のホームルームで決めるみたいだけど……当日のシフトが決まったら、悠くん、私と一緒に回ってくれる?」
「……え?」
彩花の唐突な提案に、俺は思わずコーヒーを飲む手を止めた。
「同じクラスだから、お互いのシフトの調整もしやすいでしょ? せっかくの文化祭だし……私、悠くんと一緒に校内を回りたいなと思って」
「……彩花と回ったら、間違いなく目立つんだが」
「そんなの気にしなくていいの。……悠くんと回りたいんだもん」
まっすぐ俺の目を見て言ってくる彩花。その瞳には一切の迷いがない。
「それに、悠くんと一緒なら何やっても楽しいと思うから。……だめ、かな?」
上目遣いでそんな風にお願いされては、陰キャの俺に「嫌だ」と突っぱねる術など存在するはずもなかった。
「……わかったよ。来週クラスで出し物とシフトが決まったら、相談しよう」
「本当!? やった! 約束だからね?」
パッと花が咲いたような笑顔を見せる彩花。その姿に少しだけ毒気を抜かれつつ、俺たちはカフェでの穏やかな時間を過ごしたのだった。
——そして、カフェを出た後。
「悠くん、次はどこに行くの? まさかカフェだけで終わり、なんて言わないよね?」
「当たり前だろ。せっかく寝不足になりながら考えたんだから、ここからが本番だ」
俺が彩花を連れてやってきたのは、駅から少し離れた場所にある大型の水族館だった。
「わぁ……! 水族館……!?」
ガラス張りの洗練されたエントランスを見上げ、彩花がパッと両手を叩いて歓声をあげる。
「ここなら屋内だし、静かで落ち着いてる。薄暗い場所も多いから、人目もそこまで気にしなくて済むと思ってな」
「……すごい、悠くん! 私、水族館ずっと来たいって思ってたの! すごく嬉しい!」
想像以上の喜びように、徹夜でリサーチを重ねた苦労が一瞬で吹き飛んでいく気がした。
チケットを買って館内へ足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように消え去り、青く澄んだ水槽の光が静かに室内を照らしていた。
ひんやりとした心地よい空調と、水の揺らめきが天井に反射する幻想的な空間。
「わぁ……綺麗……」
最初に現れたクラゲのエリアで、彩花は足をとめた。
ゆらゆらと透明な体をくねらせて漂うクラゲたち。青や紫のライトに照らされた水槽の前に立ち、彩花は子供のように目を輝かせて見入っている。
「クラゲって、なんだか見てるだけで癒されるよね」
「そうだな。何も考えてない感じがして、ちょっと羨ましい」
「ふふっ、悠くんらしい感想」
くすくすと笑う彩花。その横顔は、水槽の蒼い光に照らされてどこか神秘的で、思わず言葉を失いそうになる。
続いて順路を進むと、頭上を巨大なトンネル水槽が覆うエリアへと出た。
見上げれば、大きなエイやエイの群れ、色鮮やかな熱帯魚たちがまるで空を飛ぶように頭上を泳ぎ去っていく。
「見て悠くん! エイが笑ってるみたい!」
「あれは口と鼻の穴だけどな」
「もう、夢がないなぁ」
ぷっと頬を膨らませる彩花だったが、すぐに楽しそうに俺の手元へと視線を落とした。
トンネル水槽の薄暗闇の中、歩いているうちにふとした瞬間に何度も手が触れそうになる。
学校では周りの目を気にして、同じクラスでも適度な距離を保つようにしている俺たちだが……この幻想的な水中の世界では、その境界線が少しずつ溶けていくような気がした。
「……ねえ、悠くん」
「ん?」
「私のために、こんなに素敵な場所探してくれて……ありがとうね」
彩花は歩みを止めると、少しだけ視線を泳がせながら、小さく呟いた。
「幼馴染としてだけじゃなくて……悠くんにとって、少しは『特別な女の子』になれそうかな?」
水槽の揺らめく光が彩花の瞳に反射し、美しく輝いている。
あまりにも直球な問いかけに、心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。
陰キャの冷めた思考で必死に誤魔化そうとするが、熱くなった顔をごまかすのは難しい。
「……まあ、彩花とだから水族館も楽しそうだと思ったよ」
「……! ふふっ、そっか。悠くんなりの満点回答だね」
俺の不器用な答えの意味を正確に受け取ったのか、彩花は心の底から愛おしそうに微笑んだ。
そして、少しだけ照れくさそうにしながら、俺のジャケットの裾をそっと指先で摘んでくる。
「もう少し、こうして歩いてもいい?」
「……お好きに」
繋ぐわけでもなく、離れるわけでもない絶妙な距離感。
裾を引かれる小さな重みを感じながら、俺たちは青い闇が続く水族館の奥へとゆっくり歩みを進めた。
今日という日が終わってもまた学校で、来週には文化祭の出し物決めが待っている。
けれど、今はただこの静かで優しい時間をもう少しだけ味わっていたいと、我ながら自分らしくなとは思うが、そんな風に思ってしまうのだった。




