レポート27 幼馴染
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[TIMESTAMP: 2050-07-16T13:41:54.807-UTC]
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配給所での一件は、私という存在がこの狂った世界においていかに異質であるかを、群衆に対して決定的に知らしめる結果となった。私に突き刺さる無数の視線は、帰り道に至るまで執拗に付き纏った。彼らの羨望と憎悪が入り混じった眼差しを背に受けながら、私はただ無言で瓦礫の道を歩き続けた。
そしてその日の夕刻、私は自室へ向かう路地の影で、かつての幼馴染である真里(仮名)と対峙することになる。
事象が発生する前の旧世界において、女性の肉体を持っていた彼女は、私の数少ない理解者の一人であった。社会の「男」と「女」のどちらの枠組みにも属せず、常に孤立していた私に対し、真里は同情と寄り添いを見せていた。私は感情というものを不要なノイズとして切り捨てていたが、彼女の持つ「同情」という非合理的な感情の働き自体は、社会生活を円滑に進めるための一つの有用な紐帯として認識し、受け入れていた。
しかし、私の目の前に立ちはだかった現在の真里は、かつての穏やかな幼馴染の面影を何一つ残していなかった。
元女性であった真里は、今や筋骨隆々とした完全な大男の肉体へと変貌していた。その肩は怒りのために小刻みに上下し、太い首筋には血管が不気味に浮き出ている。血走った双眸から放たれるのは、かつての優しい同情などではなく、剥き出しの敵意と暴力的な衝動であった。
男性の肉体となった真里は、この3年間、己の体内から無尽蔵に湧き出す未知の男性ホルモン(テストステロン)の波に完全に精神を支配され、ボロボロに疲弊していた。些細なことで沸き起こる制御不能な破壊衝動、絶え間なく脳を焦がす肉体的な欲求。それらは、かつて女性の精神構造で生きてきた真里にとって、己の自我を内側から食い破られるような凄惨な拷問であったに違いない。
もちろん彼女の面影は少しも無かったため、私から声を掛けたわけではない。彼女は私の顔を見るなり、駆け寄って来た。真里は無言のまま距離を詰めると、丸太のように太い腕を伸ばし、私の胸ぐらを乱暴に掴み上げた。
私の身体が宙に浮くほどの圧倒的な膂力だった。真里の口から漏れたのは、低く野太い、ひどく掠れた男の怒鳴り声であった。
「なぜ、あんただけが変わらないの……ッ!」
真里の顔が、私の顔の数センチ先まで迫る。彼の息は異常なほど熱く、獣のような荒さを伴っていた。
「私たちはこの3年、毎日毎日、自分の体から湧いてくる狂気みたいな欲求と闘って、血を吐く思いで生きてきたのよ! なのになぜ、あんただけが安全な場所から、苦しむ私たちを見下しているの! 信ちゃん!」
このときようやく彼が真里だと気づいた。真里の言葉には、もはや一切の論理性は存在しなかった。私が変化しなかったのは単なる染色体の例外によるものであり、私が真里たちを見下して危害を加えた事実などどこにもない。しかし、肉体的な苦痛と精神的な限界を迎えた真里にとって、私が「苦しみを共有していない」という事実そのものが、絶対に許しがたい大罪へと変換されていたのだ。
かつて私に寄り添い、理解を示してくれた真里の「同情」は、過酷な現実と肉体の変化の前で、いとも簡単に醜い「嫉妬」と「逆恨み」へと反転した。私は抵抗することなく、宙吊りにされたまま冷徹にその事実を観測した。
人間の理解や愛情といった高尚な精神活動は、結局のところ、内分泌腺から分泌される数ミリグラムの化学物質と、肉体という物理的な器の形に完全に依存している脆弱な現象に過ぎないのだ。
「あんたのその涼しい顔を見ているだけで、吐き気がするわ。二度と私の前に姿を見せないでちょうだい」
真里は私を路地の片隅へと力任せに突き飛ばした。地面に叩きつけられた私は、鈍い痛みを背中に感じながら、ゆっくりと立ち去っていく大男の広い背中を見送った。
それは、私という観測者が、人間社会との間に結んでいた最後の細い糸が完全に断ち切られ、孤絶した瞬間でもあった。
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私は泥で汚れた衣服を払うこともせず、重い足取りで暗い自室へと帰還した。
分厚い扉の鍵を開け、冷え切った密室へと足を踏み入れた瞬間だった。
「ニャア」
成長した個体番号01が私を見上げていた。かつてゴミ捨て場で拾い上げた泥まみれの子猫は、私の計算し尽くされた管理のもとで美しい銀色の毛並みを持つ成獣へと育っていた。
彼は、私が泥にまみれていようが、外の世界で人間たちからどれほどの憎悪を向けられて孤立していようが、全く意に介さなかった。ただ私の帰還を認識し、いつものように高い声で「飯を出せ」と無遠慮な要求を突きつけてくる。
私はその場にへたり込み、冷たい床に崩れ落ちた。
人間という不完全な構造に対する決定的な絶望と、肉体が作り出す虚構の感情に振り回される同族への言いようのない徒労感が、私の脳を重く満たしていた。
すると、個体番号01が静かに歩み寄り、私の膝の上に乗った。彼はザラついた小さな舌で、私の泥で汚れた手と、冷え切った頬を無心に舐め始めた。
その舌の感触と、彼から発せられる規則正しい温かい鼓動を感じた時、私の中で張り詰めていた冷徹な論理の糸が、静かにほどけていくのが分かった。
この獣は、私を「旧世界を保つ奇跡」として神聖視することもない。私だけが肉体の苦痛を免れたからといって、理不尽に嫉妬して胸ぐらを掴むこともない。ただそこにいる「自分にご飯と温もりを与える存在」として、私という人間を、ありのまま完全に肯定している。
人間が互いの肉体変化によって殺し合い、理解を憎悪へと反転させていくこの地獄のような世界で、この小さな命の熱だけが、いかなる矛盾も起こさず、ただ一つの揺るぎない真理としてそこに存在していた。
私は、泥にまみれた両腕で、そのしなやかな身体を強く抱きしめた。人間の醜悪な精神構造に対する圧倒的な絶望の底で、私はこの小さな体温に、全存在を懸けて縋り付いた。外界の人間たちとの接続を完全に絶ち、私はただの「この獣を生かし、観測するだけの装置」になることを静かに受け入れた。あの夜の記憶は、私の脳内のアーカイブに最も鮮明なデータとして刻み込まれている。
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現在、2050年。
私の足元で、あの夜私を舐めてくれた個体番号01が、20歳という老境に入り、穏やかな寝息を立てている。私はその柔らかな背を、規則正しい一定の速度で撫で続ける。
人間がどうなろうと知ったことではない。彼らが自身の肉体に絶望し、嫉妬に狂い、新たな社会構造の中でもがき苦しもうとも、私には一切関係のないことだ。
私にはすでに、全リソースを捧げるべき絶対的な存在がここにいる。だからこそ、私はこの世界を生きる人間など、もうどうでもいい。
本日の書き込みを終了する。
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